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第38話 エリューゲンのお悩み相談室1

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「――はぁ? リュイさんがあんさ……もがっ」
「しーっ! あまり大声で口に出さないでくれ」

 焦った顔のテオに口を手で押さえつけられ、暗殺者という単語は音にならず。
 今、俺たちがいるのは、紫晶宮で俺の自室だ。といっても、王婿教育講義中というわけじゃない。今日の王婿教育講義は休講だったから。テオにも休みを与えようということで。
 それで俺は丸一日自由だから、とあることを始めた矢先、テオがやってきて『リュイさんはおそらく暗殺者だ』という話を聞いたところなんだ。
 この平和な時代に暗殺者なんて存在するんだという驚きはあるものの、個人的にリュイさんが暗殺者だったとしても驚かない。だってリュイさん、なんでもお見通しだし、神出鬼没だし、ただびととは思えないから。それが暗殺者としての身体能力なら腑に落ちるというか。
 とはいえ、俺はテオの手を振り払って怪訝な顔を作った。

「それって確かな情報なのか?」
「僕の父上が警告してきたくらいなんだ。間違いない」
「ふーん。じゃあもう嗅ぎ回るのはやめて、放っておけば?」

 あっけらかんという俺に、テオは信じられないという顔をした。何を言っているんだ、こいつは、って感じ。

「バカなのか!? 放置して、僕たちが暗殺されたらどうするんだよ!? というか、どう考えても一番危ないのはエリーなんだ! 後宮に忍び込んでいるのだから、王婿暗殺を企てているとしか思えない!」
「俺、後宮入りしてからもう二ヶ月半は経っただろ。その間、何度もリュイさんと二人きりになってるよ。暗殺するつもりならとっくに殺されてると思うけど」
「時期を見計らっているだけかもしれないだろう!」

 うーむ。テオの奴、リュイさんへの不信感がマックスだ。どうしたもんか。
 考えた末、俺は宥めるように言い聞かせた。

「あのさ、テオ。ひとって大事なのは今をどう生きているかだと思うんだ。たとえ暗殺者の過去があったとしても、今のリュイさんは真面目に働いて、シェフィの面倒だってよく見て、ひたむきに頑張ってる。俺は今のリュイさんを信じるよ」

 少しは落ち着くかな、と思ったんだけど。逆効果だった。

「エリーは呑気すぎる! そんなの綺麗事だし、っていうか過去じゃなくて現在進行形の肩書きだろう! ああもう、エリーに相談した僕が間違ってた!」
「あっ、おい」

 テオは椅子から立ち上がって、ずんずんと戸口へ歩いていく。珍しく荒々しい動作で扉を開けて、バタン! と強い音を立てて扉を閉めていった。
 はあ、やれやれだ。ヒステリックな奴だよ。
 っていうか、テオ。リュイさんが本当に悪い暗殺者なら、そのことに気付いたお前はとっくに暗殺されていると思うんだよな。
 俺の対応を読んでいたから放置したんだろうって言われたら、なんとも言えないけど。でもわざわざ放置する理由もないじゃん。俺ならサクッと殺して口封じするね。
 それに。

『私は生涯を陛下に捧げる所存です』

 ああ言っていたリュイさんが、俺やアウグネストの敵とは思えない。
 リュイさんに確かめるべきか……でも、触れられたくない過去かもしれないよなぁ。ひとのプライバシーに土足でずかずか入るような真似はしたくない。
 今夜、アウグネストに相談してみるか。
 そう結論を出したところで、扉がノックされた。

「エリューゲン殿下。入ってもよろしいでしょうか」

 リュイさんの声だ。噂をすればなんとやら、ってやつか。

「どうぞ」

 許可を出すと、リュイさんがしずしずと入室してくる。「失礼いたします」と律儀に挨拶をしてから、俺の向かい側の椅子に着席した。

「あの、悩みを聞いてもらえると伺いまして」
「はい。お悩み相談室、実施中です」

 そう。とあることを始めたっていうのは、『お悩み相談室』のこと。
 アウグネストとユヴァルーシュの件があって、ひとってなんともなさそうに見えて、実は悩みや困りごとを抱えていることがあるんだなぁと実感してさ。ホワイトな職場を目指すためにも、ここで働くみんなの話をもっとよく聞いてみたいと思ったんだ。
 朝から始めて、今は昼過ぎ。テオを除けば数人しか来ていないけど、でも一人ずつじっくりと話を聞けていいなと思う。定期的に開こうかな。

「リュイさん、何か悩んでいることがあるんですか?」

 リュイさんのことだから仕事に関係する話かなって推測したんだけど――。

「はい。……その、最近、恋人ができてしまったのですが」

 恋愛相談か。
 でも、俺は内心首を傾げた。できてしまった、ってなんだ。変な言い回し。

「早く別れたいので別れを切り出したくて」

 ふむ。さっきの言い回しから察すると、一方的に迫られて断り切れなかったパターン?

「でも、好きなので縁が切れるのが嫌で言えないんです」

 ……どういうこと? それなら別れる必要なくない?

「どうしたらいいのでしょうか……」
「えっと、もう少し詳しい事情を聞かせてもらってもいいですか?」

 これだけじゃ、訳が分からない。ざっくりと言えば、好きだけど別れたいってことみたいだけど、その理由が分からないとアドバイスのしようがない。
 という流れで、俺はリュイさんとそのお相手ユヴァルーシュの馴れ初めや過去、現在の状況をすべて把握することになった。意図せず、気になっていた二人の関係を知れたというわけだ。
 そういえばここ最近のリュイさん、様子が不思議だったんだよな。朝に会うとなんだか落ち込んでいるような雰囲気で、かと思えば夜がくるとそわそわしだして。
 そわそわしていたのはユヴァルーシュからの電話を楽しみにしていたからで、落ち込んでいるような雰囲気だったのは、そんな自分の優柔不断さに嫌気が差していたから、ということらしい。やっぱり真面目なひとだよ。

「ええと……このまま、交際していたらいいのでは? 好きなんでしょう?」
「でも、私にはあのひとと付き合う資格なんて……」

 真面目すぎて、ちょっと面倒臭い思考回路になってる。本人は大真面目に悩んでいるんだろうけど、第三者から見たら何をそんなに深刻に考えてるんだ、って感じ。
 うーん、どうアドバイスをしたらいいかな。

「あの、リュイさん。私個人の考えですが、ひとって多かれ少なかれ誰かを傷つけた過去があると思うんです。もちろん、その逆で傷つけられた過去もあると思いますが」

 意図的に傷つける行為は論外だけど、他者と関わる以上はそれって避けられないことだと思うんだよな。

「相手が過去を許しているのなら、そこまで思い詰めて考える必要はないと思います。付き合う資格がないから別れると考えるんじゃなく、傷つけてしまった分、相手を幸せにしようっていう考え方に変えられませんか」
「ユヴァルーシュのことを幸せに……?」

 思いもしなかったという顔のリュイさんに、俺は笑いかけた。

「それだけ愛されているんですから。ユヴァルーシュさんからの想いに応えて幸せにできるのは、この世でリュイさん一人だけですよ」
「……私だけ、ですか」

 リュイさんはしばらく沈黙したけど、俺の言葉を受け入れてようやく迷いが吹っ切れたみたいだ。柔らかい笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。エリューゲン殿下。あのひとにきちんと謝罪して、それから私の想いも伝えたいと思います」
「はい。ぜひそうして下さい」

 リュイさんは入ってきた時とはまるで違う軽やかな足取りで、部屋を出て行った。
 ふう。ユヴァルーシュ、これで貸し借りはナシだぞ。
 しかし、ユヴァルーシュって強引というか、横暴だな。そのくらい押しが強くなきゃ、リュイさんとは付き合えないのかもしれないけどさ。
 ま、なんにせよ、二人とも幸せになってくれ。

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