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第32話 宮廷医ユヴァルーシュ12
しおりを挟む「主人を差し置いて、身の安全を先に確保する侍従」
ぎくりと、テオの肩が揺れる。
「なぜか主人でなく、その侍従を守る騎士」
これまたぎくっと、ハノス騎士団長の肩が揺れる。
紫晶宮の庭で地面に直接正座をしている二人の前に立っているのは、眦を吊り上げたリュイさんだ。リュイさんは、くわっと目を見開いて一喝した。
「――そんなふざけた家中たちは前代未聞です! あなた方はエリューゲン殿下をどなたと心得ているんですかっ!」
元より俺に対する敬意が足りないと、二人に不満を持っていたというリュイさん。今回の一件でとうとう堪忍袋の緒が切れたみたいだ。二人を懇々と説教していた。
結果オーライとはいえ、まぁ説教されても仕方ないよなぁ。アウグネスト陛下が駆けつけてくれなかったら、俺はとっくに死んでいたし。
ただ、三十分経っても終わる気配がなかったのでさすがに可哀想に思って、庇いに入ってやった。リュイさんはまだまだ説教したりなさそうだったけど、もう日が暮れているし、渋々と二人を解放した。
「次にまた同じようなバカな真似をしたら、クビですからね!」
最後にそうきつく叱りつけ、シェフィを連れて紫晶宮の中へ入っていく。多分、これからシェフィをお風呂に入れてくれるんだろう。
リュイさんが立ち去ったあと、ポンコツ家中たちは揃ってどっと疲れた顔でその場に突っ伏した。ハノス騎士団長はともかく、品にこだわるテオまで地面に倒れ込むなんて……よほど、説教タイムがきつかったんだな。
ちなみにアウグネスト陛下も俺の隣にいるんだけど、自分よりも先にリュイさんが説教し始めたものだから、口を挟む隙はなく。これ以上、二人に追い打ちをかけてもよろしくないと判断したのか、アウグネスト陛下直々のお叱りはなかった。
「はあ……説教の鬼だ」
「だな。リュイさん、実はオーガなんじゃね?」
そんなわけあるかよ。リュイさんが聞いたら、また怒るぞ。
二人のバカバカしいやりとりに、だけどアウグネスト陛下は小さく吹き出していた。アウグネスト陛下……あんたもリュイさんに怒られちゃうぞ。
「じゃあ俺、騎士団の営所に戻るわ……」
「僕も自室に戻って休む……」
テオとハノス騎士団長も、ようやく解散。それぞれの居所へ立ち去っていく。その足取りはどっちもふらふらとしていて、疲れているのが目に見えるようだった。
ま、ともかく。そんなわけでその場に残されたのは、俺とアウグネスト陛下の二人。
「……では、行こうか。エリューゲン」
「はい」
俺たちは手を繋いで、歩き出す。
向かう先は紫晶宮の中じゃない。――ユヴァルーシュの仕事場だ。
ユヴァルーシュの仕事場――医務塔からは、魔導照明の灯りが窓から漏れている。ついでに煙草のにおいも漂っているから、中で煙草をふかしているんだろうな。
アウグネスト陛下は律儀にも、扉をノックした。
「異父兄上。入ってもいいですか」
「お好きにどうぞ」
驚いている様子がない。アウグネスト陛下が訪れることが分かっていたみたいだ。もしかして、アウグネスト陛下の強すぎるっていう魔力を感知していたのかな。
主の許可を得て、俺たちは部屋に足を踏み入れた。うわっ、やっぱり煙草臭い。部屋中ににおいと煙が充満してる。
その中で、ユヴァルーシュは煙草を口にくわえながら、窓辺によりかかっていた。俺たちの姿に気付くと、へらっと笑う。
「陛下と王婿殿下。お二人揃ってなんの御用ですか」
……おい。煙草を消せよ。灰皿あるだろ。
と言いたくなるのをぐっと堪えて、アウグネスト陛下が口を開くのを俺は待つ。
数拍置いてから、アウグネスト陛下は伏し目がちに切り出した。
「……異父兄上。異父兄上には、感謝しています」
最初に口にしたのは、感謝の言葉。
「昔、俺を庇ってくれたこと。あの時に異父兄上が俺を守ってくれなければ、今ここに俺はいない。そうなっていたら、――こうしてエリューゲンと出逢い、婚姻を結ぶこともなかった」
ユヴァルーシュは何も言わない。ただ黙って、うつむき加減に煙草を吸いながら話を聞いている。
俺も、アウグネスト陛下の隣で静かにその言に耳を傾けた。
「もちろん、同時に申し訳なくも思っています。俺を庇ったせいで、角を一本失った異父兄上は種宿に変異してしまった。異父兄上の王位継承権を奪ってしまったことは、変えようのない事実です。異父兄上の人生を狂わせてしまったこと……正直、何をどうしたら異父兄上への罪滅ぼしになるのか未だに分かりません。それでも」
アウグネスト陛下が、ぐっと顔を上げる。毅然とした表情で、力強い眼差しで、目の前のユヴァルーシュを見た。
「異父兄上にエリューゲンは譲りません。異父兄上だけでなく、他の誰にもエリューゲンは渡さない。エリューゲンは俺の大切な夫ですから」
「………」
「異父兄上であろうと、これ以上、俺の後宮の秩序を乱すことは許しません。次、また問題を起こしたら、その時は宮廷医をやめてもらいます」
「……へぇ。そうかい」
煙草を離したユヴァルーシュの口端が、一瞬だけど弧を描いた。……気がする。
ん? なんだ? 負け惜しみとか、小馬鹿にしているような、嫌な笑みっていう感じはしないな。一体なんの笑みだ。
内心首を捻る俺だけど、ユヴァルーシュの声で現実に立ち返る。
「身内の温情は結構。宮廷医は今日限りでやめますよ。明日にはここを出て行きます。エリューゲン殿下ともそう約束をしましたからね」
ユヴァルーシュは灰皿に煙草を押し付け、ようやく煙草の火を消した。
「御用はそれだけですか? でしたら、荷造りをしたいので、とっとと出て行って下さい」
こいつ……それが国王への物言いかよ。異父兄とはいえ。
結局、ユヴァルーシュはろくに面を上げることはなく。俺たちはその表情をほとんど見られないまま、医務塔をあとにした。ま、あいつの顏なんて見たくないから別にいいけど。
……でも。
あの時の一瞬の笑みは、なんの笑みだったんだろう。
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