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メテオの章
⑭ 世界でいちばんの美文字
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そこは別荘とはいえ、国有数の規模を誇る私有地に建つ荘厳な邸宅。到着するなり3人そろって、その堂々たる佇まいをぽかんと見上げていたりした。
「リラックスするには素晴らしい環境ですね!」
「そうね」
私はいまだ浮かれ気分。
雲が遠くへ泳いでいった後の、晴れた夜空に問いかける。
どうしよう、今夜、プロポーズなんてされたら。なんてお答えすればいいのだろう。もう結婚しているのに?
「星々もきれいです!」
「アンジュ、早く支度にかかるぞ」
思いあぐねる私を星の瞬きが勇気づけてくれる。
結婚式のような形式ではなく、もし彼の言葉で、永遠を誓ってくれたなら。
すべてを受け入れる覚悟はあるの。きっともうなにも、怖いことなんてなくなるわ────。
さっそく、整頓されたドレッサールームで侍女らに囲まれ、支度に没頭する。
「湯治のためのお召し物はどうぞこれを」
ラスからそのように渡されていたのは、以前ダイン様との入浴で使用した衣装と同じ白布で仕立て上げられた、しかし見慣れないフォルムのドレスだった。
前の開いた大きな衣装を背中から掛けられ、ゆとりある袖に腕を通したら、前で重ねて身体に巻きつける、といった。袖がひらひらと長く垂れ下がった、妙なデザインだ。
「ラスさんと調べたのですが、東方の国の人々はこのような装束で過ごすのだそうです。とくに浴場で着るものを、“浴衣”というのですって」
「民族衣装なのね。お腹に布を巻いて衣装を押さえるのも変わった作りだわ」
ちょうど着替えも終わったところで、ノックが。
「失礼いたします。おおユニ様、とてもお似合いです」
「珍しい衣装を用意してくれてありがとう、ラス」
私を飽きさせないよう、趣向を凝らしてくれるふたりがとてもありがたい。
「それではこちらの“草履”を」
「まぁ。また不思議な形の靴ね」
「ゆっくりいきましょう! 殿下は首を長くしてお待ちですけどねっ」
今から、この別荘の離れに造られたという浴場へ。
ダイン様とお風呂は久しぶり。ゆっくり浸かっていたいわ。
でも、まさにそこで、ゆっくりできない何かが起こったり、するの……?
『ユニ、こっちだ!』
侍女らが湯気を仰ぐと、温泉を囲む岩の縁に腰掛けるダイン様が。私を振り返り手招きする。
彼も、斜めの襟を胸元で合わせた、袖の長い衣装をまとっている。私のとお揃いになっているのね。
薄手の布により彼の肩まわりはやや透けていて、上半身の逞しさが濃紺の森と群青の空を背景にしてよく映える。ちょっと直視できない……。
ラスとアンジュ、侍女らも気を利かせて下がってしまった。転ばないよう注意深く進まなくては。
『滑りやすいから気を付けてな』
彼の手に引かれたら、草履という靴を脱ぎ、慣れない衣装の裾をたくし上げ、私も岩に腰を下ろした。膝まで温泉に浸かると一気に身体が温まり、ほっ……とため息をついてしまった。
『はぁ……温かいです』
『そうだな』
静けさがなんて愛しい時間なの。
満天の星空の元、私は彼の凛々しい横顔をうっとり見つめる。それに気付いた彼も、私のほうへ顔を向け、
この大自然のなか、見つめ合うだけのひと時。
『あら』
どうも、ダイン様の目の下にこの暗がりでも見つけてしまえるクマが……。
『あの、ちゃんと寝ていましたか?』
『…………』
『ダイン様?』
私をじっと、少し潤んだ瞳で見ている……って、
目を開けたまま寝てる──!?
『はっ……。ん、俺、寝ていたか?』
はぁ。……ここでプロポーズされるのかも、なんて浮かれていた自分が恥ずかしくなってきたわ……。
『実は3日間、一睡もしてない』
『一睡も!? 日々、お忙しいですものね。せっかくの休日ですし、今夜は早く寝ましょう』
私も、週末を寝て過ごすのもたまにはいいかしらね。
『そんなことより、君に贈りたいものがあるんだ』
『ん?』
この時、ひゅ──と何か、吹き抜ける音が遠くで聞こえたような気がした。
次の瞬間、パァン! と静寂を塗りかえる大きな音が、光と共に私を呼んで──。
おもむろに顔を夜空へ向けたなら、舞い散る多彩な光のカケラが、私の瞳に鮮やかに灯る。
『まぁ!』
果てのない夜空に、刻み込むように大輪の花が咲く。まもなくしてしとしと降る花弁は、地上に辿り着くことなく消えていく、儚い光……。
『なんて美しいの。初めて見ました!』
話には聞いていたわ。戴冠式や結婚式に花火が上がるんだって。でも私はお屋敷を出られなかったから目にする機会もなかった。
こんなに綺麗だなんて。もう興奮して、ダイン様の二の腕をわしづかんでいた。
『俺がデザインしたからな!』
『あなたが?』
それは職人の仕事では?
『ああ。この別荘で3日間、合宿を行い、花火師に教わりながら俺が玉皮に火薬を詰め込んだ』
『ご自身で? 先生に習ってまで?』
それで、まる3日も寝てないの……? 私があのホールでの流星群を気に入ったから、彼は彼の方法で、光の雨を降らせようと……。
『ほら、見逃すな。君だけの花火だ』
『え、ええ。……え??』
彼が私のために……と、私の情感はまさに今、空高く昇るはずみをつけたところ。澄みわたる紺碧のキャンバスに見えたのは、咲き乱れる花々ではなく。
文字「え」であった。
そして次は──
「い」
彩られた文字が空に浮かんでは消える……。
「え……ん……に」
私の国の文字が。黄色、緑、銀の光で。
「き……み……を」
次は──、二文字いっしょに。赤い……情熱の光。
「あい」
次は……もちろん。
「す…………」
ああ。なんてなんて素敵な約束……。
『ユニ?』
こんなに美しい字は見たことがない。
だって、照れてしまって口には出せない、そんな彼が私になんとかして伝えようと……。
口にしたほうがずうっと簡単なのよ。徹夜で頑張る必要なんてなくて、たった数秒でいいの。
でも、たぶん、それでは足りないって、どうすればその深い思いが伝わるのか考えた答えなのでしょう。
この方の不器用で、一生懸命なところが愛しくて。はらはら落下する光の粉と同じ速度で、そう、愛しい涙がこぼれてくるのよ。
『もう、怖いです……』
私が涙をこぼしながらそんなふうに言うものだから。
『やはり口で言わなくてはダメか?』
また不安げなお顔。
『違うっ……』
もう手放すわけにいかない、大事なものを手に入れたと心が震えるから、
────どうしようもなく、怖い。
「リラックスするには素晴らしい環境ですね!」
「そうね」
私はいまだ浮かれ気分。
雲が遠くへ泳いでいった後の、晴れた夜空に問いかける。
どうしよう、今夜、プロポーズなんてされたら。なんてお答えすればいいのだろう。もう結婚しているのに?
「星々もきれいです!」
「アンジュ、早く支度にかかるぞ」
思いあぐねる私を星の瞬きが勇気づけてくれる。
結婚式のような形式ではなく、もし彼の言葉で、永遠を誓ってくれたなら。
すべてを受け入れる覚悟はあるの。きっともうなにも、怖いことなんてなくなるわ────。
さっそく、整頓されたドレッサールームで侍女らに囲まれ、支度に没頭する。
「湯治のためのお召し物はどうぞこれを」
ラスからそのように渡されていたのは、以前ダイン様との入浴で使用した衣装と同じ白布で仕立て上げられた、しかし見慣れないフォルムのドレスだった。
前の開いた大きな衣装を背中から掛けられ、ゆとりある袖に腕を通したら、前で重ねて身体に巻きつける、といった。袖がひらひらと長く垂れ下がった、妙なデザインだ。
「ラスさんと調べたのですが、東方の国の人々はこのような装束で過ごすのだそうです。とくに浴場で着るものを、“浴衣”というのですって」
「民族衣装なのね。お腹に布を巻いて衣装を押さえるのも変わった作りだわ」
ちょうど着替えも終わったところで、ノックが。
「失礼いたします。おおユニ様、とてもお似合いです」
「珍しい衣装を用意してくれてありがとう、ラス」
私を飽きさせないよう、趣向を凝らしてくれるふたりがとてもありがたい。
「それではこちらの“草履”を」
「まぁ。また不思議な形の靴ね」
「ゆっくりいきましょう! 殿下は首を長くしてお待ちですけどねっ」
今から、この別荘の離れに造られたという浴場へ。
ダイン様とお風呂は久しぶり。ゆっくり浸かっていたいわ。
でも、まさにそこで、ゆっくりできない何かが起こったり、するの……?
『ユニ、こっちだ!』
侍女らが湯気を仰ぐと、温泉を囲む岩の縁に腰掛けるダイン様が。私を振り返り手招きする。
彼も、斜めの襟を胸元で合わせた、袖の長い衣装をまとっている。私のとお揃いになっているのね。
薄手の布により彼の肩まわりはやや透けていて、上半身の逞しさが濃紺の森と群青の空を背景にしてよく映える。ちょっと直視できない……。
ラスとアンジュ、侍女らも気を利かせて下がってしまった。転ばないよう注意深く進まなくては。
『滑りやすいから気を付けてな』
彼の手に引かれたら、草履という靴を脱ぎ、慣れない衣装の裾をたくし上げ、私も岩に腰を下ろした。膝まで温泉に浸かると一気に身体が温まり、ほっ……とため息をついてしまった。
『はぁ……温かいです』
『そうだな』
静けさがなんて愛しい時間なの。
満天の星空の元、私は彼の凛々しい横顔をうっとり見つめる。それに気付いた彼も、私のほうへ顔を向け、
この大自然のなか、見つめ合うだけのひと時。
『あら』
どうも、ダイン様の目の下にこの暗がりでも見つけてしまえるクマが……。
『あの、ちゃんと寝ていましたか?』
『…………』
『ダイン様?』
私をじっと、少し潤んだ瞳で見ている……って、
目を開けたまま寝てる──!?
『はっ……。ん、俺、寝ていたか?』
はぁ。……ここでプロポーズされるのかも、なんて浮かれていた自分が恥ずかしくなってきたわ……。
『実は3日間、一睡もしてない』
『一睡も!? 日々、お忙しいですものね。せっかくの休日ですし、今夜は早く寝ましょう』
私も、週末を寝て過ごすのもたまにはいいかしらね。
『そんなことより、君に贈りたいものがあるんだ』
『ん?』
この時、ひゅ──と何か、吹き抜ける音が遠くで聞こえたような気がした。
次の瞬間、パァン! と静寂を塗りかえる大きな音が、光と共に私を呼んで──。
おもむろに顔を夜空へ向けたなら、舞い散る多彩な光のカケラが、私の瞳に鮮やかに灯る。
『まぁ!』
果てのない夜空に、刻み込むように大輪の花が咲く。まもなくしてしとしと降る花弁は、地上に辿り着くことなく消えていく、儚い光……。
『なんて美しいの。初めて見ました!』
話には聞いていたわ。戴冠式や結婚式に花火が上がるんだって。でも私はお屋敷を出られなかったから目にする機会もなかった。
こんなに綺麗だなんて。もう興奮して、ダイン様の二の腕をわしづかんでいた。
『俺がデザインしたからな!』
『あなたが?』
それは職人の仕事では?
『ああ。この別荘で3日間、合宿を行い、花火師に教わりながら俺が玉皮に火薬を詰め込んだ』
『ご自身で? 先生に習ってまで?』
それで、まる3日も寝てないの……? 私があのホールでの流星群を気に入ったから、彼は彼の方法で、光の雨を降らせようと……。
『ほら、見逃すな。君だけの花火だ』
『え、ええ。……え??』
彼が私のために……と、私の情感はまさに今、空高く昇るはずみをつけたところ。澄みわたる紺碧のキャンバスに見えたのは、咲き乱れる花々ではなく。
文字「え」であった。
そして次は──
「い」
彩られた文字が空に浮かんでは消える……。
「え……ん……に」
私の国の文字が。黄色、緑、銀の光で。
「き……み……を」
次は──、二文字いっしょに。赤い……情熱の光。
「あい」
次は……もちろん。
「す…………」
ああ。なんてなんて素敵な約束……。
『ユニ?』
こんなに美しい字は見たことがない。
だって、照れてしまって口には出せない、そんな彼が私になんとかして伝えようと……。
口にしたほうがずうっと簡単なのよ。徹夜で頑張る必要なんてなくて、たった数秒でいいの。
でも、たぶん、それでは足りないって、どうすればその深い思いが伝わるのか考えた答えなのでしょう。
この方の不器用で、一生懸命なところが愛しくて。はらはら落下する光の粉と同じ速度で、そう、愛しい涙がこぼれてくるのよ。
『もう、怖いです……』
私が涙をこぼしながらそんなふうに言うものだから。
『やはり口で言わなくてはダメか?』
また不安げなお顔。
『違うっ……』
もう手放すわけにいかない、大事なものを手に入れたと心が震えるから、
────どうしようもなく、怖い。
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