B級彼女とS級彼氏

まる。

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第2章 真実

第9話〜絶望〜(小田桐視点)

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 今、耳にした話が本当なら、このまま黙って帰るわけにはいかない。俺は考えるよりも先に行動した。
 立ち上がり、わき目も振らずVIPルームへと向かう。その俺の後ろを梨乃は何も言わず黙ってついて来た。

「……ったく。――? 小田桐様、どうかなさいましたか?」

 VIPルームの扉に手をかけようとすると、すんでのところで支配人に呼び止められる。ここに小夜子がいると聞いた、話があるから呼んで欲しいと伝えると、小夜子に執着する俺に商売気が沸いたのか。少し驚いたような表情になった後、嫌らしい顔つきに変わった。

「申し訳ございません、小田桐様。VIPルームはひとたび中に入れば、ご利用になっているお客様よりお申し出がない限り、例え支配人であろうと立ち入ることが出来ないのです。VIPルームはほかにも御座います。ご予約いただけましたらいつでもご用意させて頂きますので」

「別料金になりますが」支配人は最後にこう付け加えた。
 ぺこぺこと頭を下げる支配人。俺の後方にいた梨乃がすっと顔を寄せ、耳元でこう呟いた。

「これがここの売りなんですよ。……ただ、支配人の考え方とホステスの考え方が必ずしも一致しているとは限りませんが」
「――」

 しばらく通ってみて今やっと納得が出来た。確かにグレードの高い店ではあるが、同じ様な店は探せば他にもある。なのに、出来たばかりのこの店が爆発的な人気を得ているのには、やはりちゃんとそれなりの理由があったということか。
 ここは言わば、世間に名の知れた人間が堂々と遊ぶための場所。と、まぁそういうことなのだろう。そう思えば、入店チェックが並はずれて厳しいのも頷けた。

「なるほど」
「宜しければ当店のシステムについてご説明させて頂きますので、どうぞ別のお部屋にご案内――、……えっ?」

 俺が納得したとでも思ったのだろう。一度は安堵の表情を浮かべた支配人だったが、俺が再び扉に手を伸ばしたのを見て慌てふためいた。

「あの?? 小田桐様?」
「支配人、本当にここの扉は開けられないのですか?」

 梨乃が俺と支配人の間に入って話しを始める。

「……あっ、はい、勿論です。お客様のプライバシーを守るための特別な部屋ですので……あ、ちょっ」

 梨乃と話はしているものの、ドアノブをガチャガチャと回し始めたのが支配人は気になってしょうがないらしい。

「でも、彼は見ての通り気の短い方なので、このままじゃここの扉が壊されてしまうかも」
「そっ!?」
「そうすると、流石に周りのお客様に気付かれてしまいますよね。扉の修理にかかる費用・日数もさることながら、この部屋の売りでもある“誰にも干渉されることのない空間”が突然台無しにされようものなら、この店の信用問題に関わって来るのでは? ……高くつくでしょうね、色々と」
「そ、そんなことを言われましても、私にはそんな権限が――」

 両手を胸の前で小刻みに振り、俺と梨乃を交互に見ながら何とか穏便に済ませようとする。
 とうとう痺れを切らした梨乃は、支配人に畳みかけるように言った。

「支配人に権限がなくて、一体誰にあるというのです? ……まさか貴方、支配人と言う肩書だけの役立たずとかではないでしょう?」

 脅迫ともとれる梨乃の交渉術。悪くはないが、今のこの状況では支配人が考え改めるのをのんびりと待っていられない。

「もういい梨乃。そいつに何を言っても無駄だ」

 俺は少し後ろに下がると、そのVIPルームとやらの扉を勢いよく何度も蹴りつけた。

「――!! お、おやめください!」

 途端、店内がざわつき始める。客もホステスも皆、何事かと注目し始めた。

「ああ、ほら。支配人が早く決断なさらないから、他のお客様も気づき始めたではないですか。このままだと、被害が拡大しますよ」
「小田桐様! ――っ! お、お前たち、何ボーっと突っ立ってるんだ!」
「……し、しかし」

 傍観者気取りで俺の突飛な行動を見ているだけのボーイ達。支配人が煽り立てるも皆及び腰で、誰もその場を動こうとはしない。それもそのはず、梨乃が鋭い眼光でその者達を睨み付け、俺に何かしようものなら一戦交える位のオーラをここぞとばかりに漂わせていたのだった。
 どうやら、俺の邪魔をしようとする奴はいないらしい。

「んじゃ、遠慮なく――っと」

 丁度いい具合に傍にあった、人が立ち入らない様にするためのガイドポール。チェーンを取り除き、それを担ぎ上げた。

「ああああ……」
「いいんですか? このままこの人の好きにさせておいて。まだこの騒ぎに気付いていない人も、これでは流石に気付くと思いますよ」
「梨乃、少し離れてろ」
「宮川です」
「……」

 足を踏ん張り反動をつけ、大きく振りかぶった。

「――! お、おやめください! 開けます、今開けますから!」

 支配人はポケットを探りながら扉へ向かうと、鍵を取り出し鍵穴に差し込んだ。
 ガイドポールをゆっくりとおろし、開かれた扉の中に目を向ける。店内よりも一段と薄暗い部屋の中。暗闇で蠢く大きな塊に目を凝らして良く見れば、大きなソファーの上で横たわるなかばとその央に馬乗りになっている小太りの男がいた。

「ほっ、ほら、もう静かになったろ? だっ、だから、なっ?」
「えっ? いや、でっ、でも……」

 鼻息荒く顔をすり寄せる男。その胸元を両手で支え、必死で顔を背けている央。衣装の両肩がずり落ちたその様は、今まさに“襲われている”真っ最中であることを物語っていた。
 二人とも自分の事で必死なのだろう、まだこっちに気付いていない。

「助けないんですか?」
「そうだな」

 二人に気付かれないようにか耳打ちする梨乃に対し、俺はいつもの声量でそう答えた。そこでやっと、二人は人に見られている事に気が付いた。

「なっ、なんだお前たち!? 勝手に入って来るんじゃない!」

 慌ててはいるが、決してその場から動こうとしない男。早くそこを閉めろと片手で追い払う様な仕草をするだけで、央の動きは封じ込めたままだった。

「……っ」

 央の顔を見れば、悲愴な面持ちで俺の方をじっと見つめている。暗闇の中でもわかる潤んだその目は、確かに俺に助けを請うものであった。
 その目を見た時、俺の頭の中でブチッと何かが千切れる様な鈍い音がした。

「支配人」
「は、はい」

 今度は何を言われるのだろうとびくびくした様子で、俺の横に急いで飛んできた。央のその目を見ながら俺は息を吸い込むと次の言葉を吐き出した。

「――チェックを。俺たちはもう帰る」
「……っ!?」

 俺のその台詞に愕然とする央。今のこの状況を見て、そう判断したことが信じられないと言わんばかりの顔をしていた。
 ドアにもたれかかっていた梨乃が音も立てずに俺の隣に立つ。面白そうに片方の口を吊り上げると腕を組んだ。

「あら。自分の娘が見知らぬ男に組み敷かれていると言うのに、このまま放っておいていいんですか?」
「「む、娘??」」

 男は飛び上がるようにして上体を起こし、後ろに居る支配人と同時に声を合わせて驚いた。
 この女が俺の娘だなんて知らなかったのだろう。当然だ。俺もつい最近知ったのだから。

「……お前な」

 余計な事を言った梨乃を睨み付ける。

「もういい、帰るぞ」

 諦めたように息を吐くと、俺たちは踵を返した。

「……た、助け……」
「――」

 すると、背中越しに央が俺に助けを求める声が聞こえた。余程の恐怖を感じているのだろう、その声はかろうじて聞き取れる程小さく、そして――震えていた。
 俺はもう一度振り返る。央は白くて細い腕をぐんと伸ばし、早くこの手を掴んでくれと訴えかけていた。何故このまま置いていこうとするんだ、お前は父親じゃないのか。そう言っている様に見えた。

「や、やだなぁ、小夜子ちゃん。『助けて』だなんて人聞きの悪い。俺、君に危害を与える様な事しないよ? あ、あははは」

 男はそう言いながらも央の上から退く気はないらしい。チラチラと俺たちの様子を窺いながら、早くこの部屋から出ていってくれと言いたげだった。

「お、お願……」

 尚も懇願し続ける央。俺はそれが気に食わなかった。

「助け――」
「お前の母親は自分のした事の尻拭いを誰かに押し付ける様な真似はしない。自分を犠牲にしてでも相手の事を常に思いやる様な女だ。……それが必ずしもいいわけではないが、そんな女だからこそ俺は助けてやりたくなる」

 僅かに目を見開き、伸ばした腕はその力を無くす。

「だが、今のお前はどうだ? 自分で蒔いた種を俺に刈り取らせる気か? ……何様のつもりだ。馬鹿にするな」

 きっと、俺たちがこの部屋から出て行けば、この男は性懲りもなく再び己の欲求を満たそうとするだろう。幾らなんでもそれ位わかっていた。

「帰るぞ」

 それでも俺はこの部屋の扉を閉めた。最後に見た絶望に陥っている央の顔が、頭の中にこびりついていた。




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