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第2章 真実
第5話〜穏やかな気持ち〜
しおりを挟む今まで、お互い言いたくても言えなかった事も、一切合切全部吐き出した。中には耳を塞いでしまいたい事もあったにはあったが、離れていた頃の話だからか思ったより心が乱れることは無かった。
もう一度会って謝りたいと思っていた事。アメリカに帰ってからは日々の仕事に忙殺され、私と会う約束を取り付けるには年数が立ち過ぎてしまっていた事。私と別れてからは誰とも本気で付き合う事が出来なかったという事など、会いたい気持ちはずっと根底にあったものの現実を知るのが怖くて行動に移せなかったのだと彼は言った。
もしかすると、取ってつけただけの都合のいい話なのかもしれない。だけど今目の前に居る小田桐が私を必要としてくれているという事は、私の心の中にダイレクトに伝わってきた。
そんな小田桐に、私は年甲斐もなくドキドキと胸を高鳴らせていた。
私は私で、自分さえ我慢すれば皆が幸せになるのだと思い小田桐との別れを選択したと言う事、央の事は隠し通さなければいけないという強い意志があったという事。そして、それらが全て稚拙な選択であったと後から後悔したという事を伝え終わる頃には、一度止まったはずの涙がまた溢れ出そうになり、ぐっとこらえる私の頬を大きな掌が優しく包み込んだ。
『誰かが我慢して保っているバランスなんて、いつかは崩れて当然なんだ。お前はこんなにも長い間、そのバランスを保つために一体どれだけ自分を犠牲にしたんだろうかと思うと……』
そう言うと、小田桐は言葉を詰まらせた。
今は小田桐が運転する車に乗り、家まで送ってもらっている。央の事は任せろと言う小田桐の言葉を信じ、私は一旦家に戻ることにした。
運転席に座る小田桐を見てしまうと少し胸が苦しくなる。こんな風に一緒に居る事などもう無いのだと思っていたせいか、慣れないこの空間に耐え切れなくなった私はあっさりと音を上げた。
「……あ、ごめん、ここでいいわ。ちょっと寄りたいところがあるから」
「どこ?」
「えっと、……ス、スーパーに」
場所を聞かれると思っていなかったから、とりあえず目についたものを口にした。側道に停まってもらうつもりで降りる準備を始めると、何故か車はスーパーの駐車場へと入って行く。わざわざ駐車場に入れなくてもと思ったものの、交通量の多いこの道路では少しの停車が渋滞の元になるのだと考えてのことかと思っていた。
「色々とあり――、……?」
車から降りる前に運転席に居る小田桐にいったつもりだったが、小田桐はエンジンを止めると何も言わず車から降りた。
「え? 何であんたも降りるの?」
慌てて私も車から降りると、車を挟んで反対側に居る小田桐にそう言った。
「は? 買い物するんだろ?」
相も変わらず食い違う会話。それに、お互い笑顔を浮かべるどころか少しキレ気味だ。
こんな他愛のないやり取りが昔を思い出させる。しかもそれがちょっと楽しいとさえ思えてくるだなんて、私は少し――いや、かなり重症なのかも知れない。
「ほら、さっさと来いよ。置いていくぞ」
「ちょっと、待っ……? ――」
小田桐が同じことを思い浮かべていたのかどうかはわからないが、少し前を歩き始めた彼はしかめっ面をしてそう言うと、私に向かってスッと手を差し伸べた。当たり前かのようにして出されたその手に、少し照れながらも自身の手をそっと重ねた。
細身のスーツを着こなした長身の小田桐と、身長だけはあるがよれよれのシャツにジーパン姿の私では隣に並んで歩くにはあまりにもバランスが悪い。私一人だけであれば庶民的なこの場所も完全に同化してしまうのに、小田桐が手を離さないせいで私までじろじろと見られる始末。当の小田桐はというとスーパーが余程珍しいのか、私の手を引いたまま物珍しそうにしていた。
「ねぇ、ちょっと」
店の中を眺めるのに夢中になっている小田桐の手を引く。振り返ったその顔は、まるで邪魔するなよとでも言いたげだった。
「あ?」
「手、離してくんない」
「なんで?」
「なんでって、……買い物し辛いし」
「――ああ」
右手は小田桐と繋がれていて、左手にはカゴをぶら下げている。そんな私の姿にやっと気付いたのか、繋がれていた手はすぐにほどかれた。
「……」
身体全体の割合で言うと掌なんてほんの小さな部位だというのに、その一部分が急に体温を失っただけで一気に心寂しくなる。気付かれない様にして繋がれていた手に視線を落としていると、左手に持っていたカゴを小田桐に奪われてしまった。
「……あっ」
「俺が持ってやるよ」
「え? でも――、……っ」
小田桐は隣に並ぶと、空いている方の手でまた私の手を握りしめた。
「別に部屋まで運んでくれなくても私一人で大丈夫だって」
買い物を済ませ、マンションへと到着する。幾ら荷物が多いからといって、部屋まで運んでもらうのは申し訳ない。大丈夫だからと言う私を余所に、小田桐はトランクからスーパーの袋を手に取った。
「ここ、エレベーターが無いから荷物持って上までのぼるのはキツイだろ。体もまだ本調子じゃないんだし」
「いや、まぁそうだけど」
とは言え、二十年もここに住んでいればそれなりに慣れるものだが、何を言ったとしてもきっと聞く気などないのであろう。言い出したら聞かない彼の性格を思うと、それ以上何も言う気が起きなかった。
玄関を開け小田桐から受け取った荷物を部屋の中に入れる。ここの階段に慣れている私でも息が上がっていると言うのに、小田桐は全く息が乱れていなかった。
「――? なに? どうかした?」
扉を開ける度、落ち着かない様子で部屋の中を覗き込もうとしている。らしくないその行動に私は首を捻った。
「いや。……あいつは?」
「あいつ?」
一体誰の事を言ってるのだろう。央のことを言っているのでは無いのだろうと思ったと同時に、ここに居てもおかしくないと小田桐が思う可能性のある人物がすぐに浮かび上がってきた。
「……あ、もしかして桑山さんの事?」
「ああ、まぁ」
「いないけど。ていうか、もしかして一緒に住んでると思ってる?」
「違うのか?」
「そんなわけないじゃない。日本に居る時だけうちで一緒にご飯食べたりはするけど」
「うちで? 芳野が飯を作るってことか?」
小田桐は訝しげに眉を寄せた。
「そ、そうですけど? ……私だって、それなりに作れるようになったんだから」
馬鹿にされたと思った私は子供の様にむくれた。
確かに小田桐と付き合っていた頃は、二十五歳だと言うのに何一つ満足に作れるものが無かった。しかも普段から梨乃さんが作るおいしい料理を食べ慣れている様な相手に、あえて自信の無い手料理を振る舞えるほどの度胸もない。
料理の出来ない女。小田桐の中では未だにそんなイメージが植え付けられているのであろう。だから、不思議に思われても仕方のない事だと思っていた。
「ああ、いやそうじゃなくて。単純に悔しいだけだ」
「へ?」
「俺はお前の手料理を食べた事がないからな」
「……す、すみませんね」
どうやら馬鹿にするつもりで言ったのではないらしい。とすると、私が作ったご飯を食べてみたいって事なのだろうか。
今住んでいる家にはお手伝いさんが何人か居ると言っていたからちゃんとしたご飯を食べているのだとは思う。ただでさえ、私は料理が出来ないイメージが強いはずなのに、何故あえてその私の料理を食べたいと思うのだろうか。
「……」
ふと、お手伝いさんに給仕してもらいながら小田桐が食事をしている風景を勝手に思い浮かべてみた。ナイフとフォークを使う様な型っ苦しい料理を、だだっ広い大広間にポツンっと一人で食べているんじゃないだろうか。楽しい会話もなければ、おいしい食事を共に分かち合える人も居ないのかも。
そう思うと、私なんかの料理でも食べたいと思ってしまいそうになるのも少しわかる気がした。
「……あー、のさ」
「ん?」
「私の作ったのでいいんなら、いつでも作ったげるよ」
照れ隠しとは言え、上から目線で言える程大したものが作れるわけじゃない。しかも、付き合っている時から小田桐の方がよっぽど料理が上手だったのだし。
私の料理で満足するとは思わないが、小さい頃から家族の温かみをあまり感じる事の出来なかった小田桐に、ちょっとでもその気分を味あわせてあげたかった。
ツンデレ極まりない物言いだったが、小田桐はその事を茶化すわけでもなく僅かに目を開くとすぐに目尻を下げた。
「ああ。是非頼むよ」
優しく微笑み返すその姿に私の鼓動はうるさく音を刻む。スーパーでのことといい、今といい。昔と違ってやけに素直で穏やかな小田桐はまるで別人の様だ。
途端、自分の発言がとても恥ずかしいものに思えて、顔に熱が集まりだしたのが良くわかった。
「それと、一つ提案があるんだが」
「あ、うん。なに?」
熱くなった頬を冷ます様に手の甲を押し付けていると、細められていた小田桐の目が急に真剣な眼差しに変わった。
「俺のマンションに引っ越さないか?」
「……はい?」
突然のその申し出に、ほんわかとしていた気持ちが一気にどこかへ吹っ飛んでいった。
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