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第2章 真実
第6話〜記憶〜
しおりを挟む――小田桐のマンションに引っ越す?
「それってどういう意味?」
「は? どういう意味って……そのままの意味だが?」
小田桐は、私が何を疑問に思っているのかがわからないといった顔をした。
私としては、何を思って急にそんな事を言い出したのか理由を知りたい。央の父親が自分だと知ってしまった以上、何かしらの責任を感じての事なのだろうか。それとも家賃収入を見込んでの事なのか。いやそれはどう考えても現実味が無いな。生まれてこのかたお金に苦労したことなどないはずなのだし。
「……」
――まさかとは思うが、三人一緒に住むとか?
いやいやいや、それこそないな。今はお手伝いさん付きの家に住んでるって言ってたし、幾らなんでも『じゃあこれからは家族ってことで、一つ』と言うわけにもいくまい。
口数の少ない小田桐では、このままずっと待っていても私の求める回答はきっと得られないと思い、思いきってもう少し具体的に質問することにした。
「念のため確認なんだけど。それってつまり、私と央の“二人”であのマンションに住めば? って事だよね?」
話が進まない事にイラついたのか、小田桐は面倒臭そうに眉根を寄せた。
「今の話の流れで他に何が――。……ああ、もしかして」
「? ……あっ、ちょ」
私の考えている事がわかったのか、急に腹黒い笑みを見せる。スッと一歩中に入り込んだ小田桐を制する間もなく、私の腰元に伸びた彼の腕にグッと引き寄せられた。
一歩中へ入った事により、無情にもバタンと閉まる扉。明かりの無い薄暗い玄関。目の前に迫る美麗な顔。胸元に置いた手でなんとか距離を保とうとするも、小田桐はそれに逆らうように腰を抱く腕に力を入れる。まるで弓の様にしなる背に並行するかの如く、小田桐の身体が倒れ掛かって来た。
今、小田桐が腕を緩めれば、私はあっさりと床に尻をつくだろう。そうならないように何とかバランスを保ちながらも、彼から離れる為に何度も胸を押し返した。
「プロポーズされたと思ったとか?」
「ばっ……! そ、そんな事思ってませんけどっ!?」
否定はしたものの、赤くなった顔は肯定しているのと同じだ。実際、私が考えていた事はそれに近いものがある。ただ、そんな風に考えていたのはどうやら自分だけだったというのがわかると、恥ずかしさで悶え死にそうだった。
「もう、いい加減にしてよ! こ、コケるから!」
「そう思うなら力抜けよ。ほら」
「!?」
必死で抵抗する様が面白いのか、無防備となった喉元へキスが落とされる。
「やぁっ!? もっ、ふざ――、……んんっ」
喉元を這う温かい感触から逃げる為に首を竦める。すると、待ってましたとばかりに下から掬い上げる様にして唇が重なり、抗議の言葉ごとのみ込まれてしまった。
顔を背ける度に追いかけて来る唇は、噛みつくようなそれとは違う。髪を梳く様に撫でつけるその手はとても優しく、それはまるで抵抗する私を落ち着かせようとしているかの様だった。
「……は、ぁ、……んっ」
ただ、それだけだと言うのに全身の力が抜けていく。小田桐もその事に気付いたのか一方的だったのが次第に緩慢となり、私のペースに合せるようにして甘い口づけが与えられる。何度も首の角度を変えながら口内を貪り続ける小田桐に、私は気付けば必死で応えようとしていた。
昔から、小田桐とするキスは好きだった。だから、彼の会社のロビーで無理やりキスをされた時と同じように、最初は拒絶を示しても何かの魔法にでもかかったかの様にすぐに受け入れてしまう。ただ唇を合わせ、舌を絡ませるだけのこの行為が心地よいとさえ思えてくるから不思議だ。
そうは思うものの、この年になっても恋愛経験値が低い所為か、たったこれしきの事で膝がガクガクと震え心臓が激しく脈を刻んでいる。頭の中が真っ白になって何にも考えられなくなり、立っているのがやっとだった。
――もう無理。
そう思った時、口内を貪っていた舌がゆっくりと離れて行った。
互いの唇は離れたものの、依然目の前には端正な顔がある。無言のままじっと見つめられ、瞬きを繰り返すだけの私の唇にちょんっと触れるだけの軽いキスを落とした小田桐は、何故か小さく溜息を吐いた。
「お前さ……」
「?」
「弱ってるとこ付け込んだみたいに思われたくないからずっと我慢してたってのに、飯作ってやるとか俺と一緒に住むんじゃないかって勘違いするとか」
視線を逸らし、ため息交じりに呆れる様に言った。
「いやだって、それは」
言い返そうとした時、顔を背けたままの大きな目がジロリと私を睨み付ける。三白眼のその目に射抜かれると、私の背筋を何かがゾワリと這う様な気分だった。
「あんま煽んなよ、歯止めが利かなくなるだろ」
「……っなことしてない」
後頭部を引き寄せられ、小田桐の胸元に顔が埋まる。ほんのりと香るフレグランスが大人の男の色気を漂わせていた。
「無自覚でやってるって事の方が、俺としては色々と心配なんだがな」
呟く様にそう言うと、抱き締める力が更に強くなった。
煽ってると言われても、自分では良く分からない。ただ、余計な心配を掛けさせるのは良くないと思って言った言葉を、私はすぐに後悔する事となった。
「そんなの……。こんな事してくるのなんて後にも先にも小田桐だけだし。それに、――本当に嫌だったらもっと本気で抵抗するし」
その言葉に反応した小田桐は私と距離を取ると、大きな目を更に大きく見開いていた。そんな小田桐を見て、どうやら私は彼を驚かせるような事を言ってしまったのだと実感した。
ポカンと開いていた小田桐の口元がクッと上がる。「そうか、わかった」と満足そうに微笑むと、額にキスを落とした。
「とりあえず。お前、引っ越し決定な」
「……は? いや、それとこれとは――」
「一緒だ。これ以上あの男の近くにお前を置いておくわけにはいかない」
「ええっ!? 引っ越せって言ったのって、それが原因!?」
まさかの嫉妬が原因と知り、大きく息を吐いた。
「だからっ、桑山さんとは何でもないって言ってるじゃん」
小田桐を遠ざける為に桑山さんをダシに使ったのが尾を引いているのだろう。こう見えて、小田桐は嫉妬深い男だというのをすっかり忘れていた。付き合っている時も慎吾さんに対して敵対心を剥きだしにしていたけれど、未だにそうだとは思いもよらなかった。
「黙って俺の言う事を聞け。でないと俺は何をするかわからんぞ?」
「そんな勝手な! ……第一、央の事もあるのに」
急に現実に引き戻されてしまい、胸が苦しくなる。私の表情が曇ったことに気付いた小田桐は、もう一度強く抱き締めてくれた。
「あいつの事は大丈夫だ、約束する」
「……う、ん」
不思議と小田桐にそう言われれば大丈夫な気がしてくる。央が居なくなった事でパニックに陥っていたのが、今では嘘の様に心が落ち着いていた。
◇◆◇
芳野を家まで送り届けた後、仕事の続きをする為に俺は会社に戻った。ジャックに会えなかったジュディスはかなりおかんむりの様で、俺の顔を見た途端、怒涛の文句を浴びせられる。どうすれば黙らせることが出来るかと頭を悩ませていると、丁度タイミング良く俺の内ポケットから電話の音が鳴り響いた。
「もうっ!」
「悪いな」
ジュディスはふくれっ面になり、ドスンっと音が聞こえそうなほど勢いよく椅子に座った。彼女の気分が変わらぬうちにと、俺は急いで社長室へと入った。
――さて、俺のピンチを救ってくれた恩人は一体誰だ?
そんな風に思いながらのんびりと電話を取り出す。
「――。……!」
液晶画面に表示されている名前を見て、慌てて受話ボタンを押した。
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