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第4章 恋の手ほどきお願いします
第9話〜“好き”の違い〜
しおりを挟むいい歳をした男と女なのだから。
お互いを恋人なのだと認めたからにはいつか肌を重ねる時がやって来るとは思ってはいたが、まだまだ何ヶ月も先の話だと思っていた。何もかもが私にとっては初めての事だとわかっていて、そんな私にあわせるとさえ言ってくれる小田桐の優しさに甘え、せめて冷静にキスが出来る様になるまでは次のステップには到底進めないのだと私が思うように、てっきり小田桐もそう考えていると思っていた。
塞がれていた口をやっとの事で離し、思いっきり酸素を吸い込んだ。乱れた息を整えている私とは違い、小田桐は瞬きもせず上気した顔でただぼんやりと私を見下ろしている。ここ最近ではしょっちゅう顔を合わせていて見慣れているはずの小田桐の美麗な顔だったが、今まで見た事の無い情欲的な表情を魅せつけられると、まるで別人に組み伏せられた様な気分になり身体が勝手に硬直を始めた。
「芳野、じっとしてろ」
「え? ――やだっ、……ちょっと!」
また、小田桐の顔が接近を始める。しかし、今度は明らかに着地点が違っていた。
あれほど執拗に口づけをしようとしていたのが嘘のように、小田桐の唇は私の首筋へと下りて行った。唇の弾力と生暖かい舌の感触に身体が大きく震える。当然のように暴れる私の手首は拘束され、さらに身体全体で圧し掛かられていては首を竦める程の抵抗しか出来ない。そんな些細な抵抗でも小田桐は気に食わないのか、両手首を私の頭の上で重ねると大きな掌ひとつでそれを握り締めた。
「なっ、何すんのよ」
「ムカつくから、――今からお前を抱く事にした」
まるで筋の通らない理由を言ってのけると、自由になった片手で私の顎を掴んだ。
例え恋人同士であったとしてもムカつくからってだけで相手の気持ちを考えずとも、己の欲望を満たしてもいい、だなんて理由がこの世の中まかり通るわけが無い。小田桐にとっては単なる“行為”の一つに過ぎないのだろうが、未経験の私にとってはとても重要な事だ。相手と気持ちが通じ合っていなければ、それは虚しいだけの不毛な行為となり心は飢餓状態となり得るだろう。小田桐とそんな関係になる事を私は望んでおらず、なし崩し的に身体を重ねてしまう様な事だけは絶対に避けたかった。
「は、はぁっ!? なにそれ……。私は? 私の気持ちは無視!?」
睨みをきかせながらそう言うと、掴まれていた顎をクッと上に向けさせられた。
「お前の気持ちが変わるの待ってたら、俺は一生“お預け”食らう」
逆に凄まれると、間髪いれずに小田桐の唇が再び私を黙らせた。
「――ぅんっ……!!」
両手の動きを封じ込まれた状態では、どんなにもがいた所で本気を出した男の力にはいくら相手が片手であっても敵うものではない。足の裏で何度も畳を蹴り上げ少しづつでも逃げようと試みるも、手にかかる圧力はさらに増していき逆効果となってしまった。
「……はぁっ、――ん、……やめっ、――こんな、……っ! 小田桐!」
「大人しくしてれば、優しくしてやるよ」
顎から離した手は、ゆっくりと首筋から鎖骨を通り身体の側面を這うように上下する。同時に、首筋を舐め上げる卑猥な音と荒くなり始めた息遣いが聞こえるたび、私の心に少しずつ恐怖が植えつけられる。どうにもこうにも身体が言う事をきかない今、歯を食いしばりながらその行為に耐え続ける事しか出来なかったのだが、小田桐の手が更にその先へと進もうとしない事が彼自身、自分のしている事に迷いがあるのだと知った。
「小田、桐……。あんた、ほんとはこんな事したくないんじゃないの?」
「こんな事したくないんじゃない。……こんな“風”にしたくないだけだ。――けど」
一切の動きを止め小田桐が顔を上げた。その表情はどこか切羽詰っている様な顔つきだった。
「俺だけがお前の事好きみたいで……。――っ、クソッ、不安になるんだよ! お前、俺のこと全然眼中に無いだろ!?」
「――」
意を決して言った。今の小田桐はまさにそんな感じだった。実際、私も小田桐の口からそんな台詞を聞かされるとは夢にも思わず、しばらく絶句していた。
確かに、ここ最近は忙しくて小田桐に構ってる暇など無かった。と言うか、忙しくなくても私は自分から動こうとはしない。正直言うと、あんなに嫌っていたのにトントン拍子で親密な仲になってしまい、気持ちが追いつかないのだ。
「だからって……。モノにはまず順序ってもんが、ね」
「お前の言う順序って一体なんなんだよ。――俺は、ちゃんと手順踏んだ、しかも日本式でな。ったく、こんな面倒クセーことすんのお前が初めてだっつーの」
小田桐の言う“日本式”って何だろうかと逆に問い詰めたくなった。こういうのって国によって手順が違ったりするのだろうか。
とりあえず、過去の事を思い出したお陰で鬼気迫っていた小田桐の表情が一気に和らいだ事は良かったと言える。いや、和らいだといっていいのかどうなのかわからないが、とにかく、普段の小田桐らしくしかめっ面に戻っていた。
しかし、小田桐って意外にかわいいところもあるんだなと、先程までの貞操の危機による恐怖も一転し、嬉しいとさえ思えた。
「いや、その。こうなってからまだ一ヶ月も経ってないし、お互いのことあんまり知らないじゃん? だから、もっと色んな話をしてから……」
「話したくてもいつも家に居ないの何処のどいつだよ、ったく。……あ、もしかしてお前、やっぱ俺の事好きじゃないんじゃねーの? だから遠まわしにそんな事」
「ばっ! 私が好きでもない奴にこんな事させると思う!?」
――まぁ、無理矢理感は否めないが。
つい、売り言葉に買い言葉で出てしまった恥ずかしい台詞だったが、小田桐の眉間の皺が一瞬消えたのがわかり、私が言った事は決して無駄では無かったのだと思う事にした。
「ほ、ほら、もうわかったでしょ? だから、すぐそっちの方向に持って行こうとしないでよね。……わかったらさっさと手を離し――」
「それは無理」
「なんで!?」
即答で拒絶され、必死の説得虚しくやはり無理矢理貞操を奪われてしまうのかと不安に駆られたが、そんな不安は無駄に終わり両手が解放された。しかし、相変わらず私の顔の横に肘を付いたまま、小田桐に囲まれている状況は変わらない。
「お前の思っている“好き”は所詮そんなもんかも知れんが」
おもむろに私の左手首をまた掴むと、誘導するように下へとおろした。
「俺の“好き”はこういう事も含んでるから」
「――? ……っい゛!?」
無防備に広げた、掌一杯に触れる小田桐のスウェットの柔らかい感触。眉根が切な気に寄り、大きく息を吸い込んだりと明らかに小田桐の様子がおかしくなるまで、その布越しに感じる熱を持った大きな塊が一体何なのかを気付くのに、今だかつて触れた事の無いものだっただけに私はかなりの時間を要してしまった。
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