B級彼女とS級彼氏

まる。

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第2章 なんだか最近おかしいんです

第3話〜彼の大きな掌〜

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 髪についたスライムを取るのに夢中になっていたせいで、人が入ってきた事に気付かなかった。しかも、今まで夜には来た事が無いと言うのに、今日に限って小田桐が店に来るなんて。

「いいから、それ置けって! な?」
「いや、別に……」

 まるで人質にナイフを突きつけた犯人に向かって必死で説き伏せる刑事の如く、いつになく慎重に言葉を選んでいる小田桐。その真剣な眼差しを見るとキリリと心が痛くなった。
 私は人質ではなく、ただ自分の髪を持っているだけ。せっかく盛り上がっている所をぶち壊してしまった様で、申し訳ないとか思ってしまった。

『それは恋の病だな』

 あいつの顔を見た途端、私は恵美ちゃんの言った言葉が頭を掠め、いつもの勢いで言い返すことが出来ない。何か勘違いをしているなとは思いつつも、私から決して目を逸らそうとしないその迫力に負け、仕方なく鋏を手放すとすぐにその鋏は小田桐に回収された。
 小田桐は安堵の息を吐き、そして厳しい視線を私に向けた。

「……一体、何があった」
「へ? 何も、無い……けど?」
「何もないわけ無いだろ!?」
「い、いや、本当に! これ! スライムが髪についてそれ取ろうとしてただけだって」
「はぁ?」

 小田桐に見せるように顔を横に向ける。スライムが髪にべっとり付着した部分を見せると、眉根を寄せながら小田桐が手を伸ばしてきたのが横目で見えた。

「――っ」

 途端、慎吾さんや店長でも何とも無かった私の身体に変化が現れた。手が触れそうになった時、小田桐のその大きな掌から逃れようと思わず身体を反り返す。自然と避けてしまったとは言え気分を害したのか小田桐は一瞬ムッとした顔をしたが、なおも私の髪に手を伸ばして来た。
 顔も強張り、心臓が大きく跳ねる音が自分でもわかる。呼吸をする事も忘れ、早く手を離してもらえる事をただひたすら願った。

「ああ゛? 何だコレ?」
「だから、スライム……」
「何だか知らんが、ちょっとやそっとじゃ落ちないだろ。お前まさかこれを取るために髪の毛ごと切るつもりだったのか?」
「そうだけど」
「馬鹿か」
「いたっ!」

 拍子抜けしたかのような表情を浮かべたと思ったら、パコンッと頭に平手が飛んだ。
 再会してからというもの、一体何回小田桐に馬鹿呼ばわりされただろうか。今までは言われるたびにカーッと頭に血が上って必死になって言い返していたのに、今は何故かそう言われる事が心地よいとさえ思える。鋏を手にした私を彼はきっと、自らの手で自身を傷つけようとしているのだと咄嗟に思ってしまったのだろうが、普通に考えればわざわざ自分の職場であるコンビニのレジでそんな行為に及ぶ人なんて居ないだろう。私の過去を知っているからこそ、私ならやりかねないとでも思ったに違いない。小田桐の早とちりとはいえ、彼は私を心配して止めてくれたのかもと思うと、いつもは腹正しく思っていた馬鹿と言う言葉が、ほんの少し嬉しくも感じた。
 ――嬉しい? 何で?
 今の今まで顔も見たくないと思っていた相手に対して、何故急にそんな感情が芽生えてきたのだろう。いや、わからない振りをしているだけで、私はきっと確信している筈だ。偉そうな言動の中にたまに混じる、私を気に掛けてくれているかのような言葉の数々に絆されそうになっているのだ。

「――」

 今、自身が抱いている感情に戸惑いながら、私は小田桐が触れた頭をそっと撫でつけた。

「芳野さん、みっちゃんに聞いたけどわからないっ――て? ……あ! これはこれは小田桐さん。いつもご贔屓に有難うございます」

 奥の扉から姿を現した店長が、小田桐の姿を見るなりいきなり薄い頭を下げた。続いて出てきた慎吾さんはと言うと、がんこな汚れがある時に使う床掃除用の洗剤を握り締めている。まさかとは思うが、それを私の髪に塗布するつもりだったのだろうか。間違って目に入りでもしたらどうするつもりなんだろう。て言うか、目に入らなくてもあのツンッとした独特の臭いできっと目が潰れてしまうんじゃなかろうか。それを使うくらいなら、まだ切り落としてしまった方が幾分マシだ。
 私が慎吾さんに対して不信感を抱き初めていると言う事も知らず、小田桐の姿を見つけた途端、また目くじらを立てた。

「ああっ! また、あんた! いい加減に――」
「店長、小田桐の事知ってるんですか?」
「へ?」

 店長が小田桐に薄い頭を下げた事にもかなり驚いたが、私のその発言に後からやって来た慎吾さんも負けじと驚いている。その場にいる全員をキョロキョロと見回し、さも一体どういう事だと言いたげなのが良くわかった。

「知ってるも何も、向かいに出来るビルのオーナーの息子さんだよ」
「ええ??」
「!?」
「慎吾、お前もちゃんとご挨拶なさい。これからお世話になる人なんだから」

 そう言うと、店長は慎吾さんのまだフサフサした頭を無理に下げさせた。
 当の慎吾さんはと言うと、やはり素直に頭を下げるのが嫌なのだろう。店長の手が頭から離れると、むすっとした表情で視線を足元にやった。
 しかし、ここ頻繁に小田桐の姿を見るようになったわけがやっと理解できた。そう言えば、父親が日本への進出を考えていると小田桐の口から聞いた事があったが、まさか私が働いている店の前にその会社が出来るなどとは思ってもみなかった。

「店長、コイツ――、……芳野は今日は何時まで働く予定ですか?」

 初めて聞く小田桐の敬語に一瞬耳を疑う。誰にでも傲慢な態度だったのに、ちゃんと目上というものを理解して言葉を使い分けられる様になったのかと、まるで母親にでもなった気分になり妙にしみじみした。
 だが、何故私の勤務時間を気にするのだろうか。

「えーっと、芳野さんは明日の朝の五時までだよね?」
「はい」

 小田桐は店内を見回し、壁に掛かった時計に視線を移す。今はまだ二十三時を過ぎた所で仕事を終えるにはまだまだだと気付いているはずなのに、自分の立場を利用してかとんでもない事を言い出した。

「こんな格好したやつ、ここに置いてても仕方ないでしょ? もう上がらせてやってはどうでしょうか」

 これには慎吾さんも黙っちゃいられない。

「あんた、黙って聞いてりゃ随分勝手な事!」

 こっちの仕事の事まで口出ししてきた事に、怒り心頭といった様子だった。
 しかし、この二人は何故こうも顔を合わせる度に喧嘩になってしまうのだろう。特に最近は先に慎吾さんが怒りをぶつける為、私の出番は全くと言っていいほど無くなっている。あのへらず口の小田桐を言い負かすなんて事はそう簡単に出来るものではない。ギャーギャー喚けば喚くほど無駄にエネルギーを消費するだけだと言うのに、慎吾さんはまだその事に気付かず、相手になってやるとばかりに小田桐に食って掛かった。
 なのに、

「――お前、誰?」 
「はぁっ!?」

 慎吾さん、又もや撃沈。
 どんだけ存在感の薄い人なんだろう。流石の私も慎吾さんが不憫に思えて仕方が無かった。

「まぁ、でもそうだなぁ。小田桐さんの言うとおりそれじゃ仕事にならないから、芳野さん、今日はもう帰っていいよ」

 そんなやり取りをなんなくスルーした店長に、私も慎吾さんもガクッと拍子抜けした。

「父さん!?」
「最近じゃ、昼も無理して入って貰ってるしね」
「……あ、そうだ、その事で歩ちゃんに相談があるんだけど」
「?」
「結局昼の子ダメになっちゃったから、次の子が決まるまで当分昼に入ってくれないかな?」
「えーっと、昼に入るのは問題ないんですが、いかんせん稼ぎが……」

 アルバイトのシフトを担当している慎吾さんにそう言われるも、昼と夜だと時給が全然違う。必然的に私の生活が厳しくなるのは当然だ。
 ここははっきり断ろうと慎吾さんに向かって口を開きかけた時、それを聞いた店長が先に口を開いた。

「ああ、そうか。なら、時給は深夜の時給のままでいいよ。その代わり他の人には内緒にしといてね」
「店長……。やります! 喜んで昼勤務やらせて頂きます!」

 時給が深夜勤務のままなら何も文句は無い。

「じゃあ頼むよ。早速で悪いが明日から? でいいんだな? 慎吾」
「あ、うん。歩ちゃんが問題無ければー、だけど」
「大丈夫です!」
「ほいきた。じゃあ今日はもう上がっていいよ」
「え? 本当にいいんですか」

 うんうんと頷く慎吾さんと店長に勢い良く頭を下げると、そのまま小田桐を無視して帰り支度を始めた。
 働かなければお金にならないとは思いつつも、数時間で帰れるのはすこぶる嬉しい。これもきっとスライムが頭にくっついてしまったお陰だな、と思ってすぐにまた落ち込んだ。

「これ、どうしよう……」

 ネトネトする髪を気にしながら裏口の扉を開けると、薄暗闇の中で一人たたずんでいた小田桐がこっちへと振り向いた。

「何してんの?」
「お前、その頭どうする気?」
「ああー」

 そんな事をわざわざ聞くためにここで待ってたのかと思うと、本気で小田桐はストーカーの気があるのではないのかと疑ってしまう。まぁ、でもこんなに早く帰れるのも昼勤務でも深夜の時給が貰えるのも、店長が小田桐にいい所を見せたかったからこそかも知れないし、無下に扱うのはよそう。

「うーん、まぁ家帰って切るかな」
「はぁ。お前ってほんっと救いようのない馬鹿だな」

 ――また、言われた。
 さっきは何故か心地よいと思ってしまったが、今回の馬鹿はなんだかムッと来た。

「うるさいなぁ、小田桐には何の関係も――」
「来い」
「は? ……あ、ちょっと」

 そう言うや否や私の手首を引っ掴み、小田桐はどんどん歩き出す。その時一瞬、ドキンッと胸が大きく跳ねると共に、私は酷く動揺した。

「一体、何処に!?」
「俺んち」
「はぁっ!? 何で私が小田桐んちに行かなきゃなんないの?」

 腕を引っ張られながら、その後何度も小田桐に理由を問いかけても、黙ってついてくりゃわかるの一点張り。手首を握る小田桐の大きな手を振り解こうと思えば出来るはずなのに、その時の私はそうする事は出来なかった。



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