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第2章 なんだか最近おかしいんです
第4話〜密室〜
しおりを挟む私は今、狭い箱の中で小田桐と二人っきりになっている。
さっきまでは暗闇の中を歩いていたせいか、急に照明のついた所に来ると妙に小っ恥ずかしくなってしまう。気の利いた音楽も無ければ、急にラブシーンをおっぱじめて気まずくなってしまうようなテレビも無い。ただ、シーンと言う音が聞こえてきそうなほどに静まり返った一室で、二人とも互いに目を合わそうとせず、ひたすらそっぽを向いていた。
なんとなく、無言になってしまう気持ちがわかるのは、きっと私の手首が未だに小田桐の大きな手に拘束されているからだろう。密室だから逃げる事も出来ないのに、小田桐はまだ信じられないのか手首を解放しようとしない。
――そして、何故だか私も無理に振り解こうとはしなかった。
半ば強引に連れてこられた小田桐の家だと言うマンションは、驚いた事に私の勤めるコンビニの三軒隣にある、見るからに高級そうなマンションだった。私たちの行く手を阻むエントランスの大きなガラス戸は、小田桐の手によりピピピッと簡単に開け放たれる。普通の人がやる分には何とも思わないのに、小田桐がやるとまるで闇の地下組織へと通じる扉の暗号を解除しているかの様に見えてしまうから不思議だ。
と、そんな物騒な事を考えている間に、チンっと軽い音と共に足元がふわっと浮く感じがした。先程までは軽く握り締められていた手首が急に圧を増し、その箱の中から引きずり出されるようにして小田桐と一緒に飛び出た。
とある部屋の扉の前。小田桐はズボンのポケットに手を突っ込むと、部屋の鍵らしきものを取り出す。慣れた手つきでそのドアを開けた途端ぐいと手を引っ張られた私は、そのまま玄関の中へと押し込まれてしまった。これでもう逃げられまいとでも思ったのか、そこでやっと私の手首は小田桐の手から解放された。
無駄にだだっ広い玄関で、手首を擦りながらボーっと立ち尽くす。どうすればいいかわからないと言った風の私を見て、小田桐の眉根がグッと寄った。
「さっさと入ってくんね? 邪魔なんだけど」
さっきまでの微妙な空気は一体なんだったのだと思うほどの冷たいその言葉に、いささか狐にでもつままれたかのような気分だ。まぁ、これがいつもの小田桐と言ってしまえばそれで終わりなんだけども。
さっきまでの小田桐はきっと何か考え事でもしてたのだろう。それこそ、部屋の掃除はいつしたかとか、部屋干ししてあるパンツは片付けたかなとか。仮にも私と言う女子を部屋に招き入れるのだし、それ位の気配りはして当然だろう。
何にせよ、普段通りの小田桐に戻った事で私も気兼ねなく文句を言いやすくなった。
「なっ、何で私があんたんちに来なきゃなんないわけ!? もう、帰るからそこどいてよ」
「ぎゃーすかぎゃーすか、っるっせーな。お前のそれ取ってやるんだよ。そん位少し考えたらわかるだろ?」
「その足りねー脳みそでも」って、何故にコイツはいつもいつも一言多いのだろうか。
瞬時に頭に血が上った私は小田桐をおしのけると、鼻息を荒くしながら扉の鍵に手を掛けた。
小田桐は本当に人を怒らせると言う技術に長けている。それはもう、これを生かした仕事があればきっといい線行くんじゃないかと思うほどに。
一瞬でもポーッとなりかけた自分が本当に恥ずかしくなった。
「あれ? やっぱ認めんだ。脳みそが足りねーってこと」
「はぁっ!?」
「俺が家に連れてきた意味がわかんねーから帰るんだろ?」
「そうじゃなっ――!」
「ま、気をつけて。さっさと家に帰ってタンスの引き出しから持ってくるの忘れた脳みそ取りに戻った方がいいんじゃね? ――ああ、でも芳野の事だから家に帰った途端に忘れて結局お前の脳みそは足りないまんま、ってのがオチだな」
正直、何が言いたいのかよくわからなかったが、私を馬鹿にしたいのだという事だけはわかった。
つらつらと意味不明な事を言って高らかに笑うと、小田桐は振り返りもせず部屋の中へと入って行った。
「……」
ブチッと、私の頭の中で何かが引き千切れる鈍い音が聞こえた。
「ぬ、ぬぁんですってぇー!?」
簡単に小田桐の挑発に乗ってしまった私は、ドスドスとまるで荒れ狂う怪獣のように小田桐の後を追って部屋へと入って行く。
「あんたねぇー!」
中央に置かれたソファーに既に腰を落ち着かせている小田桐に詰め寄ると、後方から別の声が聞こえた。
「聖夜さん、お戻りになったの? ……あら? この間の」
人が居るとは知らずに大声を出した私に気付いたのか、奥の部屋から以前コンビニの裏口で小田桐を呼びに来た、フェロモン満開な女性が扉を開けてこちらを覗いていた。
その女性を見た途端、心臓がぎゅうっと苦しくなる。
「ああ、まだ起きてたのか梨乃。すまんな、騒がしくして」
小田桐のその言葉で更に胸が痛む。
――『まだ起きてたのか』と言うという事は、二人は一緒に住んでいる……って事?
「……、――いたた」
何だか一度に色んな事がわかった気がして、私の足りない脳みそじゃ上手く纏め上げる事が出来ない。思わず小田桐の挑発に乗ってここまで来てしまったけれども、本気で脳みそを取りに帰れば良かったと、今更ながら後悔した。
「どうした? 芳野」
胸の中心をぐっと掴んで顔を歪ませている私に気付いた小田桐が、少し心配そうな表情を浮かべて私を見た。でも、私はそんな小田桐に対して、どうせこの女性の前で優しい男のフリをしたいだけでそんな顔を見せるんだろ? と、柄にも無く少し嫉妬染みた事を頭の中で考えてしまう。
「な、なんでもない」
「――」
私の返事に対し、小田桐はどうも納得いかないと思っているのが顔に出ている。ソファーからスッと立ち上がると、自分が座っていたソファーを指し示した。
「とりあえず、そこに座ってろ」
「も、いいから。私、かえ――」
「いいから、座れ!」
「ヒィッ!」
語気を強めながら凄まれ、私は逆らう事が出来ずに渋々ソファーに腰を落とした。
私がちゃんと座ったのを見届けると、小田桐は踵を返しキッチンの方へと向かう。その後を先程の女性が追いかけていった。
「聖夜さん、先にシャワー使ってもいいかしら?」
「ん? ああ、そんな事気にしなくていいから、好きに入れ」
「そういうわけにはいかないわ。私の家じゃないんだもの」
「――勝手にしろ」
いくら小田桐の家が広くともキッチンでの会話位は届く距離にいる。二人の会話を一言一句聞き漏らす事無く耳に入れた私は、妙な寒気に襲われた。
自分を抱き締めるようにして両腕を擦り、焦点の合わない目でテーブルの上に置かれた吸殻まみれの灰皿をじっと見つめる。よくよく見ると、その中には赤い口紅のついた煙草も数本混じっていた。
「あの?」
「……あ、はい?」
先程の女性が私に話しかけてきた。
「私、明日早いのでお先に失礼させていただきますが、どうぞごゆっくりなさって下さいね?」
「あ! はい。――や、いえ! すぐに失礼します!」
「お前なぁ、いい加減に……」
立ち上がろうとした私を、タイミング良くキッチンから戻ってきた小田桐が睨みつけてくる。シャツの袖を捲り腕についた雫も拭かぬまま近づいて来る小田桐の手には、湯気がもわもわと上がったタオルが握り締められていた。
「やっぱ、私帰るって」
「座れ」
私たちのやりとりが余程おかしいのか、先程の女性はクスクスと笑いながらパタンと扉を閉めてどこかへ行ってしまった。
隣に立つ小田桐を見上げれば、ズモモモモと効果音が聞こえそうなほどに真っ黒な何かを纏い、ギロリと私を見下ろしている。その威圧感に負けた私は、仕方なく再び腰を落ち着かせると、小田桐は私の横に並んで座った。
まさか小田桐が横に座るとは思っておらず、三人掛けのソファーのど真ん中に座っている私は膝が当たるほどの距離の近さに落ち着きを保てない。小田桐が手を上げて私の方に伸ばしてきたのがわかると、慌ててソファーの端っこに移動した。
「――っ、お前な! いい加減にしろよ!」
「ヒィッ!?」
「人が親切にそれ拭いてやろうってんのに、何でよけんだよ!?」
「は? ――ああ」
チッと舌打ちをしながら小田桐がまた歩み寄ってくる。じーっと私の目を見つめるそれは、今からいい雰囲気になるとか言うものでは決してなく、明らかに“今度は逃げんじゃねーぞ?”と無言で威圧されているのがわかった。
小田桐は何も言ってないのに、私はまるで捕獲された小動物のように身体を竦ませて、うんうんと小さく何度も頷く。それを確認すると、また小田桐の腕が伸びてきた。
いつも乱暴な言葉を吐き出す小田桐だが、触れられているのかどうかもわからないほどに、そっと私の髪を濡れタオルで拭いてくれる。店で感じたような妙な緊張感は今は何故か感じず、私は大人しく小田桐のされるがままとなっていた。
つい先程まで、私を散々馬鹿にしていたのに今度は打って変わって優しく接してくる。緩急が激しすぎてどっちが本当の小田桐なのかがわからなくなってきてしまった。
「……。――っ、」
「ああ、これじゃ全然埒があかねぇな」
急に耳元で小田桐の声がして、ぶわっと全身に寒気が走る。と、同時にこんなに近い距離に小田桐が居ると言う事に今更気付いて、それがさらに私の緊張感を煽り立てた。
時々当たる小田桐の膝。必死に私の髪についたスライムを取ろうと悪戦苦闘している小田桐の口は半開きになっていて、そこから容赦なく耳元へと息が拭きかかる。時折漏れる、『ああ、クソッ』とか、『ん』とか言う言葉がどんどんいやらしい言葉に聞こえてきて、小田桐の顔を直視できない私の今の姿勢だと、いらぬ妄想が先走っていた。
流石に許容範囲を軽く超えたのが自分でもわかり、何とかしてこの状態から抜け出そうと声を上げた。
「ちょ、じ、自分でやるから! 貸してっ」
無理矢理、小田桐の手からタオルをぶん取ると、勘を頼りにスライムが付着しているであろう場所を何度も擦り上げる。
「そこ、ずれてるぞ。あと、そんなにゴシゴシしたら髪が切れちまう。それに――」
「ああっ、もう! うるさいな! んじゃ手鏡貸してよ!」
横でぶつくさと言い出した小田桐にイラッとしてそう言ってみたが、「手鏡なんてあるわきゃない」とあっさり言い返された。
「手鏡は無いが、大きい鏡ならあるぞ」
「あー、もうそれでいいってば! どこ!?」
小田桐は立ち上がると、リビングの隅にある扉の方へと向かい、私もそれについて行った。
扉を開けると手探りでライトを点け、小田桐に続いて私もその部屋に入る。ライトを点けたはずだと言うのに、明かりを絞っているのか部屋はボヤーっとしている。しかし、そんな薄暗い部屋の中でも、中央に大きなベッドが鎮座しているのははっきりと見えた。
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