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第三章 蓋は、開けてみるまでわからない
第一話~篠田恋愛相談所~
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翔太郎にフラれたものの彼への想いを改めて確信した柚希は、複雑な心境のまま本日の志の田との二回目の打ち合わせに臨んだ。今回もまた翔太郎が相手となるのだろうかとキリリと胃が痛むのを感じながら店へと出向いたのだが、そんな予想に反し今日は翔太郎が不在の中、篠田と話を進めることになった。
「じゃあ、篠田さん。当日もこの流れでお願いしますね」
今回ばかりは柚希の取り越し苦労であったと思ったのもつかの間、忘れかけていた胃痛が再び柚希に襲い掛かった。
「ああ、それなんだけど、当日はぜんに任せるつもりだから」
「……はい?」
名前を聞いただけでも胃がギューッと掴まれている様な気分になる。完全にリラックスしていた柚希の顔からは笑みが消え、それを不思議に思った篠田は首を傾げた。
「なんだ、てっきり喜ばれると思ったんだがなぁ」
「あ……いえ、その……。――発条さんはこの仕事を引き受けてくれるんでしょうか」
「は? 何でそう思うんだい? この間もこの事でぜんと話をしたんだろう? あいつ嫌がってたか?」
「いえ」
奥歯に物が挟まったかの様な柚希のその言い方に、篠田はどうにもスッキリしないといった顔をしている。上目づかいに視線を上げると、わけを知りたそうにじっと柚希を見つめていた。
「……あの。実はその打ち合わせの時に、私――フられてしまいまして」
「ほぉ」
「なので私と顔を合わせ辛いんじゃないかと」
本来ならばフラれた方が顔を合わせ辛いはずだが、今それを認めたくはない。全部自分で捲いた種だからこそ、そんな自分勝手な理由でこの仕事を中途半端に投げ出すわけにはいかなかった。
フられただけで終わっていれば何とかやり過ごせたかも知れない。だが、陸との情事を目撃されたかもという不安要素がずっと付きまとい、それが柚希を苦しめていた。
あの後、事務所に戻ってからスマホがない事に気付いたのだが、すぐに志の田の近くにある交番に届けられていた事がわかった。急いで交番に取りに行ったときに、どうも翔太郎が届けてくれていたらしい事を知り、余計に落ち込んだ。柚希の会社に連絡を入れずに忘れ物として交番に届けるという、明らかに柚希を避けているのがわかり、その事が今の彼女を及び腰にさせたのだった。
しかし、柚希がそんな事を気にかけているとは知らない篠田は、ある一点をボーっと見つめながら何かを思い出そうとしている。何度も手で顎を撫でつけながら「あー、もしかすると」と呟き、柚希の方へと向き直った。
「あいつ、まだ“あの事”を気にしてるのかも知れんな」
「“あの事”?」
「もう随分昔の話だ。ぜんがまだ半人前だった頃……。あいつってホラ、見ての通りいい男だろ?」
「はいっ、それはもう! ――あ、すみません……」
両手で口元を塞いだ柚希を見て、篠田はにやりと笑った。
「誰にでも愛想よく振る舞うから、自分は特別なんだと勘違いするお客さんが後を絶たなくての。ある日、お客さん同士でぜんを取り合うみたいな事になって、運悪く軽く突き飛ばされた方が頭を何針か縫う大怪我をしてしまったんだわ」
「ええっ!?」
大怪我をしたという事よりも、どちらかというと「誰にでも愛想よく振る舞う」と言う篠田の言葉に柚希は過剰反応していた。
「客商売だから愛想がいいのに越したことはないが、もっと相手をよく見極めんといかんぞってわしが言ってからだ。少しでも自分に気がある様な素振りを見せるお客さんには、そらあもうやり過ぎだとばかりに冷たくあしらうようになってしまったのは」
「……へ、へぇ」
まるで加減を知らないと言わんばかりに篠田は頭を振った。
篠田の言った事は決して間違いではないが、翔太郎が自分にだけ冷たいのはちゃんと理由があって、しかもそうなってしまったのもこの篠田の所為だと知った柚希は複雑な心境だった。
「じゃあ、それってつまり、私は志の田の客として発条さんと出会った時点で、既に結果は出てた――って事ですよね……」
それが本当であれば、たった数か月の短い期間ではあったけれども、実るはずのない恋に柚希は夢中になっていたという事になる。無駄な時間を過ごしたとは思わないが、持っていき場の無いこの思いをどうすればいいのかと大きく溜息を吐いた。
「いやぁ、それが! 今までのぜんだと、このお客さんは自分狙いだって感じた途端、冷たくなるっつーか完全に避けてたんだけどさ。佐和さんに関しては態度こそは冷たいが会話はちゃんとするだろ?」
「ええ、まぁ?」
「だから! わしが思うにだな」
「は、はい?」
急に小声になると篠田はグッと柚希に近寄る。ここには誰も居ない筈だと言うのにまるで誰にも聞かれたくないようだった。
「ぜんは佐和さんの事、結構気に入ってると思うぞ?」
不敵な笑みを見せる篠田に思わずプッと噴き出した。
そんな嬉しい言葉を言われれば、つい両手を上げて喜びそうになる。そこをグッと我慢して、ぶんぶんと顔の前で両手を振った。
「なっ、何を言うかと思ったら! もうっ、そんなことないですよ! ちゃんとはっきり言われたんですから」
笑顔でそう言ったものの、内心この事にはもう触れないで欲しいと思っていた。
「はっきりって何を言われたんだい?」
「え? あの……好きな人がいるって」
本人のいないところで勝手にこんな話をしても大丈夫だろうか。柚希は心配になりながらも乗り掛かった船状態で、篠田に聞かれるまま素直に答えた。
「相手は誰って言ってた? 佐和さんの事だ、どうせ相手の名前も聞きだしたんだろ?」
「う……、まだ数か月のお付き合いだと言うのに、よく私の性格をおわかりでいらっしゃる」
「だろう?」と自慢げにする篠田に、この事は絶対翔太郎には言わない様にと約束をさせた。
「室井さん――だそうです」
「ムロイ?」
「S区にある『四季彩』って言う和食料理屋のコンサルをやってらっしゃって――」
「ああー、さくらちゃんか」
翔太郎と全く同じ反応を示す篠田に、どうにも気持ちが落ち着かない。篠田は合点がいったと軽く握った手をもう一方の掌の上にポンと置いたが、すぐにそれはおかしいとばかりにスッと歯の隙間から息を吸い込んだ。
「本当にぜんがそう言ったのか?」
「? はい」
何故問い返されるのかがわからない。柚希が返事を返すと、くしゃっと顔を皺だらけにしながら「あんたそれ、ぜんに担がれたんだわ!」と大声で笑い始めた。
「え? だって、この間――。……! そ、そうですよ! 発条さんが熱で倒れた時だって……室井さんが部屋に居て」
思い出しただけであの時に受けた衝撃が蘇って来る。あの日、確かに翔太郎は部屋の中にいてシャワーを浴びていた。エプロン姿の室井を見た時、息が詰まって意識が遠くなりかけたのをまるで昨日の事の様に覚えている。
「……。――っ! いったぁ!?」
すると、急に落ち込み始めた柚希を元気づける様に、篠田にパンと勢いよく背中を叩かれた。
「なんっ!?」
「さくらちゃんはぜんの幼馴染で、小さい頃から何かとぜんの世話をやいとる子でな。店にも良く来てくれるからわしもさくらちゃんの事は良く知ってるが、あの子はホラ、あーあれだ。そのー、ズバリ言うとだな」
ズバリと言う割には、どうにも言い難そうにしている。しかし、その理由はすぐにわかった。
「さくらちゃんはつまり……男には興味がないんだよ」
「……はい? ――と申しますと?」
「所謂、同性愛者ってやつかな」
「……」
篠田から聞かされた衝撃の事実に、柚希の頭の中の整理が追い付かない。単なる――という言葉が正しいとは思わないが、和食を作っているプロの料理人だとばかり思っていた篠田だったが、今日一日で彼に対する柚希の目が変わったのは明らかであった。
「じゃあ、篠田さん。当日もこの流れでお願いしますね」
今回ばかりは柚希の取り越し苦労であったと思ったのもつかの間、忘れかけていた胃痛が再び柚希に襲い掛かった。
「ああ、それなんだけど、当日はぜんに任せるつもりだから」
「……はい?」
名前を聞いただけでも胃がギューッと掴まれている様な気分になる。完全にリラックスしていた柚希の顔からは笑みが消え、それを不思議に思った篠田は首を傾げた。
「なんだ、てっきり喜ばれると思ったんだがなぁ」
「あ……いえ、その……。――発条さんはこの仕事を引き受けてくれるんでしょうか」
「は? 何でそう思うんだい? この間もこの事でぜんと話をしたんだろう? あいつ嫌がってたか?」
「いえ」
奥歯に物が挟まったかの様な柚希のその言い方に、篠田はどうにもスッキリしないといった顔をしている。上目づかいに視線を上げると、わけを知りたそうにじっと柚希を見つめていた。
「……あの。実はその打ち合わせの時に、私――フられてしまいまして」
「ほぉ」
「なので私と顔を合わせ辛いんじゃないかと」
本来ならばフラれた方が顔を合わせ辛いはずだが、今それを認めたくはない。全部自分で捲いた種だからこそ、そんな自分勝手な理由でこの仕事を中途半端に投げ出すわけにはいかなかった。
フられただけで終わっていれば何とかやり過ごせたかも知れない。だが、陸との情事を目撃されたかもという不安要素がずっと付きまとい、それが柚希を苦しめていた。
あの後、事務所に戻ってからスマホがない事に気付いたのだが、すぐに志の田の近くにある交番に届けられていた事がわかった。急いで交番に取りに行ったときに、どうも翔太郎が届けてくれていたらしい事を知り、余計に落ち込んだ。柚希の会社に連絡を入れずに忘れ物として交番に届けるという、明らかに柚希を避けているのがわかり、その事が今の彼女を及び腰にさせたのだった。
しかし、柚希がそんな事を気にかけているとは知らない篠田は、ある一点をボーっと見つめながら何かを思い出そうとしている。何度も手で顎を撫でつけながら「あー、もしかすると」と呟き、柚希の方へと向き直った。
「あいつ、まだ“あの事”を気にしてるのかも知れんな」
「“あの事”?」
「もう随分昔の話だ。ぜんがまだ半人前だった頃……。あいつってホラ、見ての通りいい男だろ?」
「はいっ、それはもう! ――あ、すみません……」
両手で口元を塞いだ柚希を見て、篠田はにやりと笑った。
「誰にでも愛想よく振る舞うから、自分は特別なんだと勘違いするお客さんが後を絶たなくての。ある日、お客さん同士でぜんを取り合うみたいな事になって、運悪く軽く突き飛ばされた方が頭を何針か縫う大怪我をしてしまったんだわ」
「ええっ!?」
大怪我をしたという事よりも、どちらかというと「誰にでも愛想よく振る舞う」と言う篠田の言葉に柚希は過剰反応していた。
「客商売だから愛想がいいのに越したことはないが、もっと相手をよく見極めんといかんぞってわしが言ってからだ。少しでも自分に気がある様な素振りを見せるお客さんには、そらあもうやり過ぎだとばかりに冷たくあしらうようになってしまったのは」
「……へ、へぇ」
まるで加減を知らないと言わんばかりに篠田は頭を振った。
篠田の言った事は決して間違いではないが、翔太郎が自分にだけ冷たいのはちゃんと理由があって、しかもそうなってしまったのもこの篠田の所為だと知った柚希は複雑な心境だった。
「じゃあ、それってつまり、私は志の田の客として発条さんと出会った時点で、既に結果は出てた――って事ですよね……」
それが本当であれば、たった数か月の短い期間ではあったけれども、実るはずのない恋に柚希は夢中になっていたという事になる。無駄な時間を過ごしたとは思わないが、持っていき場の無いこの思いをどうすればいいのかと大きく溜息を吐いた。
「いやぁ、それが! 今までのぜんだと、このお客さんは自分狙いだって感じた途端、冷たくなるっつーか完全に避けてたんだけどさ。佐和さんに関しては態度こそは冷たいが会話はちゃんとするだろ?」
「ええ、まぁ?」
「だから! わしが思うにだな」
「は、はい?」
急に小声になると篠田はグッと柚希に近寄る。ここには誰も居ない筈だと言うのにまるで誰にも聞かれたくないようだった。
「ぜんは佐和さんの事、結構気に入ってると思うぞ?」
不敵な笑みを見せる篠田に思わずプッと噴き出した。
そんな嬉しい言葉を言われれば、つい両手を上げて喜びそうになる。そこをグッと我慢して、ぶんぶんと顔の前で両手を振った。
「なっ、何を言うかと思ったら! もうっ、そんなことないですよ! ちゃんとはっきり言われたんですから」
笑顔でそう言ったものの、内心この事にはもう触れないで欲しいと思っていた。
「はっきりって何を言われたんだい?」
「え? あの……好きな人がいるって」
本人のいないところで勝手にこんな話をしても大丈夫だろうか。柚希は心配になりながらも乗り掛かった船状態で、篠田に聞かれるまま素直に答えた。
「相手は誰って言ってた? 佐和さんの事だ、どうせ相手の名前も聞きだしたんだろ?」
「う……、まだ数か月のお付き合いだと言うのに、よく私の性格をおわかりでいらっしゃる」
「だろう?」と自慢げにする篠田に、この事は絶対翔太郎には言わない様にと約束をさせた。
「室井さん――だそうです」
「ムロイ?」
「S区にある『四季彩』って言う和食料理屋のコンサルをやってらっしゃって――」
「ああー、さくらちゃんか」
翔太郎と全く同じ反応を示す篠田に、どうにも気持ちが落ち着かない。篠田は合点がいったと軽く握った手をもう一方の掌の上にポンと置いたが、すぐにそれはおかしいとばかりにスッと歯の隙間から息を吸い込んだ。
「本当にぜんがそう言ったのか?」
「? はい」
何故問い返されるのかがわからない。柚希が返事を返すと、くしゃっと顔を皺だらけにしながら「あんたそれ、ぜんに担がれたんだわ!」と大声で笑い始めた。
「え? だって、この間――。……! そ、そうですよ! 発条さんが熱で倒れた時だって……室井さんが部屋に居て」
思い出しただけであの時に受けた衝撃が蘇って来る。あの日、確かに翔太郎は部屋の中にいてシャワーを浴びていた。エプロン姿の室井を見た時、息が詰まって意識が遠くなりかけたのをまるで昨日の事の様に覚えている。
「……。――っ! いったぁ!?」
すると、急に落ち込み始めた柚希を元気づける様に、篠田にパンと勢いよく背中を叩かれた。
「なんっ!?」
「さくらちゃんはぜんの幼馴染で、小さい頃から何かとぜんの世話をやいとる子でな。店にも良く来てくれるからわしもさくらちゃんの事は良く知ってるが、あの子はホラ、あーあれだ。そのー、ズバリ言うとだな」
ズバリと言う割には、どうにも言い難そうにしている。しかし、その理由はすぐにわかった。
「さくらちゃんはつまり……男には興味がないんだよ」
「……はい? ――と申しますと?」
「所謂、同性愛者ってやつかな」
「……」
篠田から聞かされた衝撃の事実に、柚希の頭の中の整理が追い付かない。単なる――という言葉が正しいとは思わないが、和食を作っているプロの料理人だとばかり思っていた篠田だったが、今日一日で彼に対する柚希の目が変わったのは明らかであった。
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