帝国海軍の猫大佐

鏡野ゆう

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第四部 体験航海

第五十六話 体験航海 6

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波多野はたののさーん、僕達ねむくなりましたー』
『波多野さーん、僕達お昼寝したいです』
『波多野さーん、もうお昼寝しますー』

 昼の休憩をはさみ、甲板でみむろの主だった兵装や装備の説明が始まった。だが俺は、頭の上と両肩で騒いでいる猫神候補生達のせいで、まったく集中ができない。

―― 寝るなよー。あの見学者の、デジカメのデータを消すんだろ? ――

『港に帰るまでねますー!』
『あの人がおりるまでねてますー!』
『おやすみなさーい!』

―― 寝るなって!! ――

 見える人が見たら、俺はとてつもない状況におちいっているはずだ。

―― おーい、寝るなー!! ――

 だが候補生達は、あっという間に丸くなって寝てしまった。人目もあることだし、これ以上は騒ぐわけにもいない。俺は候補生達を頭と肩に乗せたまま、途方にくれるしかなかった。

―― かんべんしてくれよー……どうするんだよ、写真データ。そりゃあ、特に問題のある写真があるとは限らないけどさあ…… ――

 艦橋では藤原ふじわら三佐がガードしていたし、機関室では俺達がマークしていた。だから多分、問題ないと思う。だが、万が一と言うこともある。あの見学者には気の毒だが、きれいさっぱり消えてもらうのが一番なのだ。

『だから言ったのだ。甘やかすとロクなことがないと』

 足元に猫大佐がやってきた。見学者がいる場所には来ないだろうと思っていたが、どうやら気が変わったらしい。

「なあ、なんとかしてくれよ、この状態……」

 一番後ろに立っているのをいいことに、大佐にこそこそとささやいた。

吾輩わがはいが正しかったことがわかったか』

 俺の足元に座ると、苛立たし気に毛づくろいをする。そして後ろ足で耳の後ろをかきむしった。もわっと毛が飛んだので、鼻がムズムズする。あわてて鼻をこすると、そっと手を振って、目の前で漂っている毛を散らした。

「牛乳ぐらいいいじゃないか。護衛していてもらっているお礼のお布施ふせだし」
『なにがお布施ふせだ、バカ者め』
「なあ、なんとかしてくれよ」
『今日は一日そのまま、候補生達の寝床になっていろ』
「いや、俺が言いたいのはそっちじゃなくて、カメラのことだよ」
『やっかいな写真はないから心配するな』

 大佐は退屈そうにあくびをする。

「なんでわかるんだよ」
『お前達だけではなく、相波あいばも見ていたからな』

 のびをすると、俺を見あげた。その目は俺ではなく、候補生達を見ているようだ。

『だが、自分達が言い出しておいて、昼寝をして忘れたとなれば、それなりに叱らなければならん。見学者達がおりる時まで様子見だな。それまでに起きるよう、せいぜい声をかけろ』
「えー、大佐が起こしてくれないのかよ。大佐はこいつらの教官だろ? けっこう重たいんだぞ、三匹も乗っかってると」

 写真の心配がないなら、候補生達を起こす必要もないだろうと思ったが、そうはいかないらしい。

『お前がまいた種だ。そやつらが起きるまでは、寝床になっておれ。だいたい、お前は候補生達に甘すぎる。候補生達が、猫神として適正失格になったら、一体どうするつもりなのだ』
「……そこは申し訳ない」

 だが、あんなにも可愛く牛乳をねだられたら、冷たく突っぱねるのは難しい。昼寝はともかく、昼間の牛乳だけは許してやってほしいと思った。そんな俺の考えが読めたのか、大佐は鼻にシワをよせた。

『まったく……困った人間だな、お前は。吾輩わがはい達は猫ではなく、猫神だというのに』
「そんなこと言ったってな。子猫に牛乳をねだられて拒否できる人間は、そうそういないと思うぞ?」

 それがたとえ猫神様だとしてもだ。


+++



「では、哨戒ヘリが基地を離陸してこちらに到着するまでの間、質問タイムをもうけましょうか」

 甲板を一周して艦尾に戻ると、三佐がそう言った。ヘリの格納庫に奥にはパイプ椅子が用意してあり、全員がそれぞれの椅子に座る。

「皆さん、なにか質問はありますか? 今、見てきた艦内のことでも、それ以外のことでもかまいませんよ。普段から海上自衛隊のことで、なにか気になることがあれば、そちらの質問でもけっこうです」

 すると、俺と一緒に出港準備を見ていた見学者が、遠慮がちに手をあげた。

「護衛艦の乗員さん達の生活のことで、質問しても良いですか?」
「どうぞ」
「ありがとうございます。普段から海に出ていることが多くて、なかなかゆっくりできないと思うんですが、皆さん、異性との出会いとかどうしてるんですか?」

 その質問に、三佐はなるほどとうなづく。

「なかなか面白い質問が出ましたね。ですがそこはやはり、独身には気になるところですね。ちなみに、ここにいる四人の海士長には、既婚者ではありませんが、それぞれカノジョがいますよ」

 見学者達の視線がこっちに向いた。

「え? 俺、カノジョ、いませんけど……」

 俺だけカノジョいないのか? それとも三佐のハッタリか?と思いつつ、反論をする。少なくとも俺には、現在進行形のカノジョはいない。

「ん? 陸警隊の海曹殿がいるだろ」
「いや、だからそれは……」

 俺が反論しようとしたところで、三佐は話を再開してしまった。

「当然ながら、入隊前から付き合っている相手がいる者もいます。入隊した直後は訓練が続きますので、休暇はありますが、なかなか思うように会えません。その点では不安があると思います。ですがそこは、当人同士がじっくりと話し合って、乗り越えてもらうしかないですね」

 もしかして、俺の反論はないものとされたのか?

「もちろん入隊後も、カノジョやカレシを見つけることは可能です。今は合コンもありますからね。それから職場内での恋愛もあります。職務にいちじるしく悪影響を与えない限りは、合コンも職場内での恋愛も認められています。もちろん、節度ある交際をしてもらわなければ、いけませんが」

 三佐が俺を見た。どうしてそこで、俺を見るんだ? 俺と壬生みぶ三曹は、付き合っているわけではないのに。

「いや、だから俺は……」
「ちなみに、副長さんはどうなんですか? 上官さんの紹介でお見合いをして出世とか、そういう話もあるって聞いたんですが?」

 昼前に、三佐と写真を撮っていた女性見学者が質問をする。

「私ですか? 私は妻と付き合っていましたので、残念ながら出世のためのお見合いというのは、経験したことがありませんね。というか、その話、私はいま初めて聞きましたよ」

 そう言って三佐は笑った。その後もいくつか質問が続き、話が一段落したタイミングで、内火艇ないかていでやってきた、航空基地の隊員が出てきた。そろそろヘリが到着する時間らしい。

「藤原三佐、ヘリが基地を離陸しました。すぐにこちらに到着します」
「了解した。では皆さん、ここからは航空基地の隊員から、説明をさせていただきます。よろしく」

 三佐と航空基地の隊員がバトンタッチをする。

「急きょ、哨戒ヘリの離発着を見ていただくことになったので、うまく説明できるかわからないのですが、よろしくお願いします」

 バトンを渡された隊員は、少しだけ恥ずかしそうな顔をした。

「こちらに向かっているのは、SH-60Kというヘリコプターです。ここにいらっしゃる皆さんは、よく知っておられるかもしれませんね。その白いヘリコプターです。同じタイプのヘリは陸海空それぞれが保有していますが、海自が保有しているこのヘリは、海上で敵国の潜水艦を追尾するのに特化した、様々な装備をもっているタイプのヘリです。えー……」

 その説明に、大佐がイヤそうな顔をする。

『人間だけではなく、ヘリもくるのか。ますます騒々しいな。吾輩わがはいは部屋に戻る』
「そんなこと言って、俺のベッドで昼寝するつもりだろ」
『失敬な。これから艦長室に行くのだ。今日はここの人間も、あの部屋に入ったのであろう。余計なモノを残していないか、確認せねばならん』

 そう言って、尻尾をふりながら姿を消した。

―― 絶対に昼寝するつもりだろ、大佐。まったく、候補生達のこと言えないじゃないか ――

 大佐が消えていったあたりを見つめながら溜め息をつくと、ヘリのエンジン音が聞こえてくる。

「あ、来ましたね。機内には機長、副長のほかに二人、合計四人の隊員が乗っています。ちにみに全員、独身でカノジョ募集中です。ここの海士長さん達にはカノジョがいるのに、どうしてなんでしょうねえ……」

 隊員のボヤキに全員が笑った。着艦の指示を出す隊員達が甲板に出ていく。

「今回、みむろは停泊中ですが、普段だと護衛艦は海上を航行中になります。護衛艦とヘリの速度、それから海上のうねりなどを見ながらの着艦となります。自分も普段は航空基地で誘導をしているので、たぶん着艦の時は、そっちが気になって説明するのを忘れます。すみません」

 再び笑いがおきた。そして哨戒ヘリの白い機体が近づいてくる。エンジン音がどんどん大きくなってきた。

『うるさいですー!』
『うるさくて目がさめましたー!』
『ヘリきたー!!』

 寝ていた候補生達が、ヘリのエンジン音で目を覚ました。さすが猫大佐がイヤがるだけのことはある。かなり大きい音だ。

「風がきつく吹きつけるので、気をつけてくださいねー」

 哨戒ヘリが上空に達したところで、三佐と航空基地の隊員が見学者達に下がるように言った。

『波多野さん、なんでヘリが来たんですかー?』
『波多野さん、誰か運ぶんですかー?』
『波多野さん、悪い潜水艦きたのー?』

「あれも、今日のお客さん達に見てもらうやつなんだよ」

『うるさいー!』
『風すごいー!』
『眠れない―!』

「お前達、昼寝してカメラのデータを消し忘れたら、大佐にしかられるぞ? さっきまでここに、大佐もいたんだからな? こんなことが続いたら、牛乳やるの禁止になっちまうぞ?」

『ミルクなくなるのいやですー!』
『お昼のミルクなくなるの反対ー!』
『ミルクないのやだー!!』

「だったら、今からはしっかり起きてろよ。昼寝は見学者さん達が下艦してからでも、できるだろ」

 せっかく起きたのだ。候補生達には、なにがなんでも見学者達が下艦するまで、起きていてもらわねば。

『見学者さん達おりたら、見回りするですー!』
『大佐と見回りー!』
『お昼寝できなーい!』

 候補生達が不満げな声をあげた。そう言えば一般公開で見学者が乗艦した時も、見回りをしていたっけな。それと同じなのか。

―― 今度はあの黒いヤツが出てこないと良いんだけどなあ……いや、今回は赤いヤツか? ――

 女性見学者の肩に乗っていた謎の物体のことを思い出した。あんなのがまた艦内を飛びまわったら、それこそ大変だ。しっかりと見回りをしてもらわなければ。

 そんなこと考えている俺の目の前で、哨戒ヘリが見事な着艦をした。
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