帝国海軍の猫大佐

鏡野ゆう

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第四部 体験航海

第五十五話 体験航海 5

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 停泊するポイントに到着すると、みむろは機関を停止し、主錨しゅびょうをおろした。

「今回は外洋には出ませんが、訓練やパトロール任務では、ここからまっすぐ日本海へと出ます。今、みむろが停泊している場所は陸地に近く、往来する民間船と海上自衛隊の護衛艦の航行には、邪魔にならないところです」

 藤原ふじわら三佐が説明をする。そして指をさした。

「ああ、ちょうど我々の後に出港した護衛艦が追いつきましたね。あのふねは、今から外洋に出ます」

 向こうの護衛艦が汽笛を鳴らした。艦橋の横に何人か隊員が出ていて、こちらに向けて手をふっている。

「あちらから望遠鏡で、こっちを見ていると思います。もしよければ、手を振ってやってください」

 三佐の言葉と同時に、こっちの汽笛が鳴った。大きな音に、見学者達は飛びあがって耳をふさぐ。だがすぐに耳から手を離し、みむろを追い越していく護衛艦の乗員に向けて、手を振った。

「さてと。そろそろお昼の時間ですね」

 三佐は腕時計をみる。

「午前中は艦内を見学していただきましたが、お昼をはさんで午後からは、甲板に出て装備の説明をします。それから、航空基地からの哨戒ヘリがやってきますので、その離着艦の様子も見ていただきます。ああ、ヘリで港には戻れませんので、くれぐれも乗っていかないように」

 その言葉に笑いがおきた。

「そのうち体験飛行の募集もしてくれると思いますので、乗ってみたい方は地本募集をチェックしていてくださいね。……してくれますよね?」

 地本から来た隊員が三佐を見ながら言う。

「乞うご期待といったところですかね」

 三佐は笑いながら答えた。

「あのー……」
「なんでしょう?」
「地本さんからの事前の説明では、戦闘指揮所の見学があるかもしれないと、聞いていたのですが」

 その質問をしたのは、れいのカメラの見学者だ。

「ああ。それも見学コースに入れようと調整していたのですが、ちょうどシステムのメンテナンス時期とぶつかってしまいまして。今は関係者以外、立ち入りができない状態なんですよ。申し訳ないのですが、それはまた次の機会ということで」

 三佐の目は「次はないけどな」と言っているが。

「そうなんですか。残念です」

 カメラ持ちの見学者は、がっかりした様子でそう言った。

「そこって、一般公開では、見ることができない場所なんですか?」

 俺の隣に立っていた見学者が質問をしてくる。

「そうなんですよー。いわば、みむろの頭の部分みたいなもので、関係者以外はめったに入ることができないんです」
「へー、それは残念。でも、メンテナンスしてるならしかたないですよね。任務が最優先ですし」
「申し訳ありません」
「いえいえ、海士長さんのせいじゃないですし。こちらは招待していただいた身ですから」

 他の見学者達の間にも、似たような空気が流れた。飛び抜けて残念がっているのは、れいのカメラを持った見学者だけだ。艦長と副長の読みは、間違っていなかったのかもしれない。

「では皆さん、食堂におります。あと皆さん、船酔いは大丈夫ですか? もし気分が悪くなったら、遠慮なく言ってくださいね。医務室に薬は用意しているので」

 三佐はそう言って、全員についてくるようにうながした。階段をおりて食堂に向かう。俺達も一旦、お役御免だ。集合時間は一時間後、ヘリ格納庫となっている。

『波多野さーん、お腹すきました!』
『ミルクほしいです!』
『ミルクー!!』

 三佐の声を聞きつけたのか、三匹の候補生達が駆け戻ってきた。れいの護衛任務からこっち、候補生達はすっかり牛乳の魅力にとりつかれている。猫神なんだから腹はすかないはずなのに、お腹が減ったから牛乳を飲ませろと、飯の時間は毎日うるさいのだ。そのせいで俺は、飯の時間、食堂と自分の部屋の往復で非常に忙しい。

―― わかった、わかった! 用意してやるから、部屋で待ってろ! ――

『ミルク待機ー!!』
『ミルク待機ー!!』
『ミルク待機ー!!』

 候補生達が走っていく。こればかりは相波あいば大尉の手助けも受けられない。なぜなら『だから言ったではないか。お前が責任をもって面倒を見ろ』と大佐にうるさく言われているからだ。

―― やれやれ。子供がいるわけじゃないのに、俺の家計簿、エンゲル係数が増えてないか? ――

 しかも候補生達の牛乳代は自腹だ。

「では皆さん、ごゆっくり。みむろカレーを楽しんでください。では次の時間まで、よろしく」

 見学者と地本の隊員が使うスペースは、乗員達と混ざらないように区切られている。そこに案内すると、三佐は地本の隊員にそう言って、その場から離れた。

「では自分達も失礼します。ごゆっくり」

 海士長組の俺達も、敬礼をしてその場をいったん離れる。そして食堂を出たところで、肩の力を抜いた。

「はー……」
「ふー……」
「つかれましたー……」
「めっちゃ、きんちょうしたー」

 特に難しい質問はされず、雑談程度ですんでいたが、やはり疲れた。

「訓練以上に疲れたな」
「午後からも頑張らないと」
「明日が休みになったの、わかる気がします」
「精神的な消耗、はんぱない」

 昼飯を食う前に、それぞれの長のところへ報告に向かう。俺はその前に駆け足で自分の部屋に戻った。

『波多野さーん』
『おそいですー』
『おなかすきましたー』

「あーもう! 俺も忙しいんだよ!」

 引き出しにしまってあった紙パックの牛乳を、小さい皿に注ぐ。

「こぼすなよ? あと、紀野きの先輩に見つからないようにな!」
『それは私が見張っているので大丈夫ですよ。安心してください』

 相波大尉の声がした。これだけはどうしても大尉の手が必要なので、そのへんは大佐も見て見ぬふりをしてくれているようだ。

「頼みます。ああ、これ、大佐への袖の下です! じゃ!」

 牛乳を注いだもう一皿を机の上に置いて部屋を出た。そして艦橋へと駆け足で向かう。

「まったく、自分も飲みたいなら飲みたいって、ハッキリ言えば良いのにな。可愛げがないんだから、まったく」

 ぼやきながら階段を駆けのぼり、艦橋に入った。

「午前中の見学、終了しました!」
「おう、お疲れさん」

 山部やまべ一尉が振り返る。

「どうだ、見学者さん達の様子は」
「幹部以外が相部屋あいべやなのは、今どきの人達にとっては衝撃みたいですね」
「それがイヤなら、幹部として入隊するしかないな」
「ですよねー」

 緊張していたせいか、首や肩がガチガチだ。肩をグリグリと回しながら、一尉の横に立つ。

「あと、ちょっと問題ありな見学者がいたろ? どうだった。あれからは問題なかったか?」
「まあ、相変わらず艦内の写真は、撮りまくってましたよ。撮影禁止の場所では俺達が横についていたので、撮れていないと思いますけどね。戦闘指揮所の見学がないとわかった時は、めちゃくちゃ残念がってました」
「やっぱりか。年齢制限をしても、強烈なマニアがまぎれこむことはあるんだな」

 体験航海の募集人員は、基本的に入隊可能な年齢層までの人が対象となる。小学生や中学生などが来る時は、保護者も参加が認められているが、ほとんどは今回参加している学生さんや若い社会人だ。だから空自などで問題になっている、強烈なマニア層が参加することはめったにないんだが、まあどこにでも例外の人は存在するらしい。

「あと、副長は女性に囲まれて、写真撮られまくってました」

 俺がそう報告すると、一尉はゆかいそうに笑った。

「だろうなあ。やはり夏服効果は絶大だったか。今回は女性参加者がいると聞いていたから、そうじゃないかとは思っていたんだが」
「みたいです」
「副長、イヤがってたろ?」
「途方に暮れていたっていうか、魂が抜けていたっていうか、そんな顔してました」
「それは気の毒にな。今頃、艦長に愚痴りながら飯くってるんじゃないのか?」
「そうかもしれません」

 一尉はガハハハッと笑う。気の毒がっているどころか、面白がっているよな、これ。

「航海長、内火艇ないかていが戻ってきました」
「確認した。接舷せつげん用意」
「了解しました、接舷せつげん用意!」
「誰か来るんですか?」

 来客の予定なんてなかったはすだがと、首をかしげる。

「予定を変更して、哨戒ヘリの離発着をすることになっただろ? なにかあった時のためと説明要員に、航空基地から何人かを呼んだのさ」
「ああ、なるほど」

 普段、哨戒ヘリを搭載していないみむろには、乗艦していない飛行科の隊員達だ。

「急な話だったのに、よく人員をいてくれましたね?」
「みむろのカレーを食いに来るか?って艦長が誘ったら、一も二もなく引き受けてくれたらしいぞ?」
「さすが艦長」

 外に出て下を見下ろすと、接近してきた内火艇ないかていが横づけされた。洋上迷彩の作業服を着た隊員と、飛行服を着た隊員が乗艦するのが見えた。飛行服を着た隊員は、おそらく見学者への説明要員だろう。

「今日はお客さんがいっぱいですね」
「料理長がカレーを増量しておいて良かったと言ってたな」
「あ、俺達の分、ちゃんと残ってますよね?」
「大丈夫だと思うが、心配なら早く食いに行ったほうが良いかもな。お前達、午後からも見学者と一緒だろ? 報告は聞いたから、食ってこい」
「了解しました。ではお先に失礼します」
「おう」

 敬礼をして艦橋を出て階段をおりる。途中で比良ひら達と合流した。

「飯くってこいって言われた」
「俺達もです」

 食堂に入ると厨房ちゅうぼうの前にいき、トレーを手にして行列に並ぶ。

「航空基地からも何人か来てたぞ」
「ああ、哨戒ヘリが来るんですよね」

 よそったご飯にカレーをかけながら、比良がうなづいた。今日はそれほど体を動かしていないこともあり、全員が普通盛りだ。見学者達が座っているあたりに目を向けると、全員がおいしそうにカレーを食べている。

「みむろカレー、好評なようでなによりです」

 俺がそう言うと、厨房にいた料理長の吉嶺よしみね一等海曹は重々しくうなづいた。

「当たり前だ。この基地周辺にある海自カレーで一番食べられているのは、みむろカレーなんだからな」
「え、そうなんですか? それ初耳です」
「だから、ここで毎週食えることに感謝しながら食え」
「了解でーす」

 全員で口をそろえてそう言うと、あいているテーブルに向かう。席につき、四人でいただきますをしてカレーを一口くった。

「うまー」
「今日のみむろカレーも最高」
「やっぱみむろカレーだよな」
「ここのカレーが一番だ」

 そこのカレーが食べたくて、特定の護衛艦への配属を希望する隊員もいるらしい。それが本当なのか単なる噂なのかわからないが、少なくとも俺達は、みむろカレーが海上自衛隊の中で最高のカレーだと思っている。
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