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小話

第三十六話 小料理屋 た恵 2

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「今日は車なん?」

 お料理の準備をしていたお母さんが、何気ない口調で先輩にたずねた。

「うん。裏にとめてきた」
「ほなビールは出されへんね」
「唐揚げ食べると、ほしくなるよねえ……」

 先輩が無念そうにぼやく。

「明日は仕事なん?」
「休みだけど」
「せやったら、こっちに泊っていったらええやん」

 そう言われた先輩は、うーんとうなった。

「俺はそれでも良いけど、馬越まごしさんを送っていかないと」
「ん? 私はここからバスでもタクシーでも帰れますから、大丈夫ですよ?」

 今朝は待ち合わせの場所を決めるのが面倒で、先輩が迎えに来てくれたが、ここならバスもある。しかも、乗り継ぎなしで帰宅できる、ちょうどいい路線が走っている場所だ。

「……」

 めちゃくちゃ先輩が葛藤かっとうしているのがわかって、思わずニヤニヤしてしまう。

「私のことはお気づかいなく。せっかくのお休みなんだから、遠慮なく飲んでください。実家なら気兼ねなく泊っていけるじゃないですか。めったに顔を合わせないなら、なおさらですよ」
「馬越さんは明日はお仕事?」
「いえ。私も明日は休みです」
「だったら、二人とも飲んだらええやん。あんたが飲めへんから、こちらも我慢してはるんちゃう?」

 ちらりと私の顔を見た。

「先輩が飲むなら、私も飲みます。唐揚げにビール、いいですよね」
「……じゃあ、ビールください」

 先輩がボソッと注文をする。

「人間、素直が一番やで? 最初の一本は、お母ちゃんから馬越さんへのおごりやしな」

 そう言って瓶ビールと冷えたグラスが出てきた。

「瓶ビールなんて久し振りに見ました。あ、今度、同じ寮に住んでいる友人をつれてきても良いですか?」
「ええよー。お客さんは大歓迎や」
「ありがとうございますー! あ、先輩、どうぞ!」

 ビール瓶を持つと、先輩のグラスに注ぐ。そして自分のグラスにも同じように注いだ。

「いつもいつも、ありがとうございます。今日もお疲れさまでした」
「いやいや、こちらこそ」

「ゆりさん、おつけもん、切ってきたえ」
「あ、おおきに、おかあさん」

 お店の奥から、おばあちゃんがお鉢を持って出てきた。お鉢をお母さんに渡すと、ビールを飲んでいる先輩を見て目を丸くする。

「おや、ゆずる、帰ってたんかいな」
「ん、まあね」

 どうやらこの方が、お店の名前になった先輩のお婆ちゃんらしい。そしてそのお婆ちゃんの目が、なぜか私に向けられた。

「もしかして、あんたのカノジョさん?」
「ちがう。同じ騎馬隊の後輩だよ」

 先輩の答えに、明らかにがっかりした顔になった。

「なんやー、ご先祖様にお願いしてたから、とうとうできた思うたのに」
「そんなこと頼まれても困るのはご先祖様だろ?」
「そんなことあらへん。みんな、心配してるんやでー?」

 そう言いながら、奥に引っ込んでしまった。

「ご先祖様になにか頼むなら、もうちょっと違うことお願いしてくれないかなあ」

 奥からチンチーンという音が聞こえてくる。

「まだご先祖様に頼まれてるみたいですよ?」
「余計なお世話だよ、まったく」

 ため息をつきながらビールを飲む。お母さんは笑いながら、おばあちゃんが持ってきたお漬物を、小鉢に入れて出してくれた。

「これは牧野家に代々伝わってきたぬか漬け。私がここにお嫁に来てかなり経つけど、まだこの味は出されへんくてね。いまだにお婆さん頼みなんよ」
「へえ……」
「小学校の時、夏休みのお小遣い稼ぎによく混ぜてたな、糠床」
「そしていつもキュウリをかっぱらってたわよね、あんた」

 懐かしそうに話をしている二人の横で、余計なことを思い出してしまった。そう言えば、蹴り出したとかいう武勇伝の真相って一体……?

「ああ、そうだ。実は脇坂わきさかさんが、余計な話を馬越さんに話しちゃってね。馬越さん、その話が聞きたくて仕方がないらしいよ」
「ちょっと先輩! いきなりその話を切り出しますか、そこで!」
「だって聞きたいって顔してるから」
「一体どんな顔!」

 アルコールが入ったせいで口が軽くなったのか、先輩がニヤニヤしながらバラしてしまった。

「なんのことなん?」
「馬越さんのひいおばあさん、家のお金を使い込んだひいおじいさんを家から蹴り出したって話なんだけどさ、そういう女傑じょけつが近くにもいたなって、脇坂さんが母さんの話をしたわけさ」
「ああ、あれのこと」

 お母さんはおかしそうに笑った。

「ちなみに、そのひいおじいさんは、その後どないしはったん?」
「家の前で一日土下座して、許してもらったそうです。もちろんそれからは、家計はすべて、ひいおばあさんの管理下におかれたそうですけど」
「まあまあ、それ心の広い奥さんやないの、命拾いやねえ、ひいおじいさん」

 うふふーと笑う顔がなんとなく怖い。

「うちの場合はね、うちの夫、つまりそこにいる子の父親なんやけど、どこぞの芸妓げいこさんと浮気してねえ。それで蹴り出したんよ」
「あー、すみません。それはさすがに、興味本位で聞いちゃいけない話でしたね」
「ええのええの。もうずいぶん昔の話やし」

 やはりお母さんの笑顔が怖い。

「あの、ちなみにその後、お父さんはどうされてるんですか?」
「いや、どうなんだろうね、俺もそのへんの話は聞いてない」
「そんなん、相手から慰謝料むしり取って、離婚したに決まってるやん?」

 うふふ~とお母さんがさらにほほ笑む。

「ここ、お父さんのご実家なんですよね?」
「そのはずなんだけどねえ」
「嫁が大変な時に浮気する男なんて、うちらの息子やないって勘当しはったんよ、ここのおじいさんが。それから姿、見てへんわ。今ごろどうしてはるんやろねえ。まあ、死んだって連絡も来てへんから、どこかで生きてはると思うけど」

 ひえぇ~となりながら先輩の顔を見た。

「まあどこかで生きてるだろうね。探したことないから、どこにいるかは知らないけれど」
「そうですかー……」

 お店の外で人の気配がして、引き戸があいた。最初に入ってきた人が『準備中』の札を持っている。どうやら常連さん達らしい。

「やれやれ。どうしようかと思いましたよ。いきなりすぎですよ、先輩」

 お客さん達を笑顔で迎えるお母さんの横で、ボソボソと先輩に話しかける。

「でも、知りたいことがわかってスッキリしたろ?」
「にしたって」
「ビールのせいでちょっと口が滑りました」
「滑りすぎです」

 思わずツッコミを入れてしまった。
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