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第一部 人も馬も新入隊員
第二十九話 お馬さんのパトロール実習
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「馬越、丹波のことだが」
その日の夕方になって、成瀬隊長がやっと姿を現わした。私の視線になにかを感じたのか、咳ばらいをして真面目な顔をする。
「俺は隠れていたわけじゃないぞ? あれこれ段取りをつけに、出かけていただけだ」
「私はなにも言っていませんが。もちろん丹波も」
私の肩越しに丹波が顔を出すと、隊長はその鼻面をなでた。
「そうか。白バイ隊員の手を噛んだ馬がいるらしいと聞いて、あわてて戻ってきたんだがな。それは丹波のことじゃなかったのか?」
「丹波君はそんなことしませんよ。嫌いな相手の手なんて、ちょっとでも触りたくないらしいので」
大久保さんの手に触れないように、注意深く角砂糖を食べていた様子を思い出し、思わずニヤリと笑ってしまう。
「なら良いんだが。で、話の続きなんだが。牧野、お前も聞いてくれ」
奥で片づけをしていた先輩が顔をのぞかせた。隊長が手招きをすると、立ち上がってこっちに出てくる。
「丹波のことだが、訓練状況の進捗状況から、そろそろ外を歩く段階に入っても良いと判断した」
「え、外!!」
頭の中でグルグルしていた「なんで大久保さんが来ると隠れて出てこないんですか?」の疑問は吹き飛んだ。
「先輩、外ですって!」
「ああ、はいはい、落ち着いて。それで最初のコースはどこに?」
先輩がなぜか私の頭をなでる。まるで馬あつかいだ。いや、馬あつかいそのもの!
「なんかムカつくんですが」
「はいはい、いい子いい子」
「……」
ちなみに、馬は道路交通法では自転車と同じあつかいだ。つまり歩道ではなく、車道を歩かなければならない。とは言っても、歩くのは交通規制がされ、車が通らなくなった道路がほとんどだ。だが今回は丹波単独。となると、道路の規制がされるとは考えにくい。
「いきなり交通量の多い道を歩くのは、かしこい丹波でもさすがにハードルが高いのでは?」
「しれっと親バカ発言炸裂だな、馬越。だが安心しろ。今回のルートは鴨川の河川敷だ」
「あそこは自転車は走れましたね」
先輩がうなづく。
「それとだ。歩くだけではつまらんだろうから、仕事もつけてやったぞ。馬越と丹波の初任務は、鴨川河川敷の放置自転車およびバイクに関しての、啓発パトロールだ」
「えーと、まさか放置自転車を蹴り飛ばせとか?」
「そんなわけあるか」
隊長が笑いながら丹波をなでた。
「任務の内容だが、鴨川府民会議のメンバーが、河川敷でチラシ配りとパトロールをする。騎馬隊はそれに同行だ」
「大人ばかりですが、それなりの大所帯ですね」
「そうだな。これが問題なくこなせれば、子供たちの見守り任務にも、問題なくつけるだろう」
興奮気味の私に対して、隊長と先輩はあくまでも冷静だ。
「牧野はいつものように、手綱をもって一緒に歩いてやってくれ」
「了解しました。それで、それはいつから?」
「今度の月曜日から金曜日まで。一応、午前中と聞いている」
「明々後日ですか。本当にいきなりですね」
先輩が頭の中で、丹波の訓練予定を組み直しているのががわかった。
「馬越の研修と重ならないイベントはないかと、がんばって探しまくったんだぞ。少しは感謝してくれ。そう言うわけだから、馬越、ここにきて風邪をひくなよ? せっかく俺が探してきた案件なんだからな」
「了解です!」
真面目な顔で敬礼をする。この週末にいきなり風邪をひくとは考えられないが、万が一のこともある。いつも以上に、体調管理には気をつけておこう。
「じゃあ、今日の残りの仕事もぬかりなくな」
「ああ、隊長。事務所に阿闍梨餅があるので食べてください」
「ありがとう、呼ばれるよ」
先輩の言葉に、手を振りながら厩舎を出ていった。
「実質これが、丹波のパトロールデビューみたいなものですか?」
「そうとも言うけど、隊長的には実習程度だと考えていそうだな」
「月曜日が楽しみです」
「そこは俺もだけど、これはあくまでも任務だからね。気を引き締めていこう」
「はい! 丹波君、週明けはお外に出られるよ? お天気だと良いねー」
そんなわけで、週明けのパトロールデビューにそなえ、馬房にテルテル坊主をぶら下げておくことにした。
そのおかげか、当日は雲一つない晴天だった。
「暑くもないし、パトロール日和ですね」
「まったくだ」
馬バスがゲート前にとまる。なぜか水野さん達全員が出てきた。どうやらお見送りをしてくれるらしい。
「いよいよパトロールデビューだねえ。がんばれよ丹波~」
「馬越さんも気をつけてね~」
「帰ってきたら、ちゃんと足の裏もチェックしますからね。安心してくださいね!」
「いってきまーす」
丹波をトラックの中につれて入ると、土屋さんがいつものように固定してくれた。
「こんなに早くパトロールデビューとは新記録だなあ、丹波。張り切りすぎるなよ?」
「そこが心配なんですよねー」
好き嫌いは激しいけれど、基本的に丹波は人間が大好きだ。たくさんの人を見たら、興奮して大変なことになるかもしれない。
「牧野がいるから大丈夫だとは思うが」
「土屋さん、一緒に歩いてくれるんですよね?」
「もちろん。万が一にでも粗相をしたら大変だからな。後ろからひっそりとついて行く」
皆に見送られ、河川敷に降りられる地点へと向かった。車を止め丹波を外に引き出していると、通りかかった学生さんらしいお兄さんが、スマホをこちらに向けてくる。立ち止まってあげるわけにもいかず、そのまま河川敷につながるスロープをおりた。
「おお、ほんまにお馬さんや」
「まだ若い感じやなあ」
「こうやって見ると可愛らしいなあ、お馬さん」
すでに集合していた皆さんが、やってきた丹波を見てニコニコしている。
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。新しいお馬さんやね。前にホームページで見ましたわ」
「そうなんです。隊員も新人ですので、不慣れな面もあります。馬は気性は荒くないのですが、初めてのパトロールですので、あまり近寄らないようにしていただけると、こちらとしても助かります」
先輩が皆さんに、馬に関しての注意事項などを説明した。私は土屋さんに手綱をにぎってもらい、その場で騎乗する。
「凛々しいねえ。時代祭で巴御前しはったらええのに」
「時代祭でも先導しはるし、お祭への参加は無理やろ」
「でも近所の郵便局の局長さん、毎年、武者姿で馬に乗ってはるやん?」
「いやー、あの人はあれが仕事や思うてはるしな?」
皆さん年配な方々なせいか、時間が来ても雑談で脱線気味だ。
―― んー、うちのお爺ちゃんお婆ちゃんを見ている感じ ――
そのうち丹波が退屈しだすのでは?と心配になる。だが、今日の丹波は初めて来た場所のせいか、鼻をひくひくさせながらあちらこちらに視線を向けていて、退屈とは無縁のようだ。
「ほな、そろそろ出発しよかー。チラシは無理して配らんでもええからな。まだまだ先は長いし」
普段ならランニングに集中している人たちも、丹波を見て走っているペースをゆるめたり、スマホをかまえて写真を撮ったりしている。そのタイミングを逃さず、皆さんはニコニコとチラシを手渡していった。
「なかなか慣れてますね」
「ははは、まあ長いからねえ、このチラシ配りも見回りも。今日はお馬さんのお陰で、チラシがたくさん配れそうや」
「そんなに放置自転車やバイクって多いんですか?」
「一時期はね。あまりに多くて、回収した自転車の置き場がとんでもないことになったんだよ。今はゼロではないけど、随分かはマシになったかな」
横を歩く、責任者の男性が教えてくれた。
「おまわりさんはどうやったんかな? 大学はこっちで?」
「はい。地方からこっちの大学に来たんですけど、下宿先からは徒歩で通学でした。なので、自転車を放置することはなかったですね」
「それは大変よろしい」
目的地までたどりつくまでに、かなりの人に写真を撮られた。もしかしたらSNSで流れているかも。自宅に戻ったらチェックしてみよう。
「お馬さんの噂が他に人に伝わったら、写真を撮りに来はる人が増えるかもしれんねえ」
「それで放置自転車が増えたら本末転倒やな」
「ちょっとでも放置したら、遠慮なく車が回収していくから気にせんでええよ」
「それ、鬼やな」
「馬で自転車を釣るんかい。えらいこっちゃ」
実はパトロールをしている集団の横の道路では、自転車を回収するトラックも並行して徐行していた。もちろんこっそりではなく、スピーカーで「放置自転車は~」とアナウンスしながらだが。
「お馬さんの写真を撮りたいなら、歩いてくるかバスを使ってもらわなな」
「しかしお馬さん、おとなしい子やね。きっと賢いんやろな」
「いやー、どうでしょう。甘えん坊でなかなか手を焼きますよ?」
先輩の返答に、丹波は少し気を悪くしたのか、ブルルルッと鼻を鳴らし首をふった。
その日の夕方になって、成瀬隊長がやっと姿を現わした。私の視線になにかを感じたのか、咳ばらいをして真面目な顔をする。
「俺は隠れていたわけじゃないぞ? あれこれ段取りをつけに、出かけていただけだ」
「私はなにも言っていませんが。もちろん丹波も」
私の肩越しに丹波が顔を出すと、隊長はその鼻面をなでた。
「そうか。白バイ隊員の手を噛んだ馬がいるらしいと聞いて、あわてて戻ってきたんだがな。それは丹波のことじゃなかったのか?」
「丹波君はそんなことしませんよ。嫌いな相手の手なんて、ちょっとでも触りたくないらしいので」
大久保さんの手に触れないように、注意深く角砂糖を食べていた様子を思い出し、思わずニヤリと笑ってしまう。
「なら良いんだが。で、話の続きなんだが。牧野、お前も聞いてくれ」
奥で片づけをしていた先輩が顔をのぞかせた。隊長が手招きをすると、立ち上がってこっちに出てくる。
「丹波のことだが、訓練状況の進捗状況から、そろそろ外を歩く段階に入っても良いと判断した」
「え、外!!」
頭の中でグルグルしていた「なんで大久保さんが来ると隠れて出てこないんですか?」の疑問は吹き飛んだ。
「先輩、外ですって!」
「ああ、はいはい、落ち着いて。それで最初のコースはどこに?」
先輩がなぜか私の頭をなでる。まるで馬あつかいだ。いや、馬あつかいそのもの!
「なんかムカつくんですが」
「はいはい、いい子いい子」
「……」
ちなみに、馬は道路交通法では自転車と同じあつかいだ。つまり歩道ではなく、車道を歩かなければならない。とは言っても、歩くのは交通規制がされ、車が通らなくなった道路がほとんどだ。だが今回は丹波単独。となると、道路の規制がされるとは考えにくい。
「いきなり交通量の多い道を歩くのは、かしこい丹波でもさすがにハードルが高いのでは?」
「しれっと親バカ発言炸裂だな、馬越。だが安心しろ。今回のルートは鴨川の河川敷だ」
「あそこは自転車は走れましたね」
先輩がうなづく。
「それとだ。歩くだけではつまらんだろうから、仕事もつけてやったぞ。馬越と丹波の初任務は、鴨川河川敷の放置自転車およびバイクに関しての、啓発パトロールだ」
「えーと、まさか放置自転車を蹴り飛ばせとか?」
「そんなわけあるか」
隊長が笑いながら丹波をなでた。
「任務の内容だが、鴨川府民会議のメンバーが、河川敷でチラシ配りとパトロールをする。騎馬隊はそれに同行だ」
「大人ばかりですが、それなりの大所帯ですね」
「そうだな。これが問題なくこなせれば、子供たちの見守り任務にも、問題なくつけるだろう」
興奮気味の私に対して、隊長と先輩はあくまでも冷静だ。
「牧野はいつものように、手綱をもって一緒に歩いてやってくれ」
「了解しました。それで、それはいつから?」
「今度の月曜日から金曜日まで。一応、午前中と聞いている」
「明々後日ですか。本当にいきなりですね」
先輩が頭の中で、丹波の訓練予定を組み直しているのががわかった。
「馬越の研修と重ならないイベントはないかと、がんばって探しまくったんだぞ。少しは感謝してくれ。そう言うわけだから、馬越、ここにきて風邪をひくなよ? せっかく俺が探してきた案件なんだからな」
「了解です!」
真面目な顔で敬礼をする。この週末にいきなり風邪をひくとは考えられないが、万が一のこともある。いつも以上に、体調管理には気をつけておこう。
「じゃあ、今日の残りの仕事もぬかりなくな」
「ああ、隊長。事務所に阿闍梨餅があるので食べてください」
「ありがとう、呼ばれるよ」
先輩の言葉に、手を振りながら厩舎を出ていった。
「実質これが、丹波のパトロールデビューみたいなものですか?」
「そうとも言うけど、隊長的には実習程度だと考えていそうだな」
「月曜日が楽しみです」
「そこは俺もだけど、これはあくまでも任務だからね。気を引き締めていこう」
「はい! 丹波君、週明けはお外に出られるよ? お天気だと良いねー」
そんなわけで、週明けのパトロールデビューにそなえ、馬房にテルテル坊主をぶら下げておくことにした。
そのおかげか、当日は雲一つない晴天だった。
「暑くもないし、パトロール日和ですね」
「まったくだ」
馬バスがゲート前にとまる。なぜか水野さん達全員が出てきた。どうやらお見送りをしてくれるらしい。
「いよいよパトロールデビューだねえ。がんばれよ丹波~」
「馬越さんも気をつけてね~」
「帰ってきたら、ちゃんと足の裏もチェックしますからね。安心してくださいね!」
「いってきまーす」
丹波をトラックの中につれて入ると、土屋さんがいつものように固定してくれた。
「こんなに早くパトロールデビューとは新記録だなあ、丹波。張り切りすぎるなよ?」
「そこが心配なんですよねー」
好き嫌いは激しいけれど、基本的に丹波は人間が大好きだ。たくさんの人を見たら、興奮して大変なことになるかもしれない。
「牧野がいるから大丈夫だとは思うが」
「土屋さん、一緒に歩いてくれるんですよね?」
「もちろん。万が一にでも粗相をしたら大変だからな。後ろからひっそりとついて行く」
皆に見送られ、河川敷に降りられる地点へと向かった。車を止め丹波を外に引き出していると、通りかかった学生さんらしいお兄さんが、スマホをこちらに向けてくる。立ち止まってあげるわけにもいかず、そのまま河川敷につながるスロープをおりた。
「おお、ほんまにお馬さんや」
「まだ若い感じやなあ」
「こうやって見ると可愛らしいなあ、お馬さん」
すでに集合していた皆さんが、やってきた丹波を見てニコニコしている。
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。新しいお馬さんやね。前にホームページで見ましたわ」
「そうなんです。隊員も新人ですので、不慣れな面もあります。馬は気性は荒くないのですが、初めてのパトロールですので、あまり近寄らないようにしていただけると、こちらとしても助かります」
先輩が皆さんに、馬に関しての注意事項などを説明した。私は土屋さんに手綱をにぎってもらい、その場で騎乗する。
「凛々しいねえ。時代祭で巴御前しはったらええのに」
「時代祭でも先導しはるし、お祭への参加は無理やろ」
「でも近所の郵便局の局長さん、毎年、武者姿で馬に乗ってはるやん?」
「いやー、あの人はあれが仕事や思うてはるしな?」
皆さん年配な方々なせいか、時間が来ても雑談で脱線気味だ。
―― んー、うちのお爺ちゃんお婆ちゃんを見ている感じ ――
そのうち丹波が退屈しだすのでは?と心配になる。だが、今日の丹波は初めて来た場所のせいか、鼻をひくひくさせながらあちらこちらに視線を向けていて、退屈とは無縁のようだ。
「ほな、そろそろ出発しよかー。チラシは無理して配らんでもええからな。まだまだ先は長いし」
普段ならランニングに集中している人たちも、丹波を見て走っているペースをゆるめたり、スマホをかまえて写真を撮ったりしている。そのタイミングを逃さず、皆さんはニコニコとチラシを手渡していった。
「なかなか慣れてますね」
「ははは、まあ長いからねえ、このチラシ配りも見回りも。今日はお馬さんのお陰で、チラシがたくさん配れそうや」
「そんなに放置自転車やバイクって多いんですか?」
「一時期はね。あまりに多くて、回収した自転車の置き場がとんでもないことになったんだよ。今はゼロではないけど、随分かはマシになったかな」
横を歩く、責任者の男性が教えてくれた。
「おまわりさんはどうやったんかな? 大学はこっちで?」
「はい。地方からこっちの大学に来たんですけど、下宿先からは徒歩で通学でした。なので、自転車を放置することはなかったですね」
「それは大変よろしい」
目的地までたどりつくまでに、かなりの人に写真を撮られた。もしかしたらSNSで流れているかも。自宅に戻ったらチェックしてみよう。
「お馬さんの噂が他に人に伝わったら、写真を撮りに来はる人が増えるかもしれんねえ」
「それで放置自転車が増えたら本末転倒やな」
「ちょっとでも放置したら、遠慮なく車が回収していくから気にせんでええよ」
「それ、鬼やな」
「馬で自転車を釣るんかい。えらいこっちゃ」
実はパトロールをしている集団の横の道路では、自転車を回収するトラックも並行して徐行していた。もちろんこっそりではなく、スピーカーで「放置自転車は~」とアナウンスしながらだが。
「お馬さんの写真を撮りたいなら、歩いてくるかバスを使ってもらわなな」
「しかしお馬さん、おとなしい子やね。きっと賢いんやろな」
「いやー、どうでしょう。甘えん坊でなかなか手を焼きますよ?」
先輩の返答に、丹波は少し気を悪くしたのか、ブルルルッと鼻を鳴らし首をふった。
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