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第一部 人も馬も新入隊員

第十六話 おみやげは角砂糖

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 今日は一日、お馬さんのいない日だと思っていたから、愛宕あたご号が一緒の実技研修はとても楽しいものになった。騎馬隊員ということもあり、馬との距離の取り方などでは、愛宕の隣に立って説明のお手伝いもできた。

―― あー、やっぱりお馬さんのいる生活って最高~~ ――

 説明をしている間も、愛宕が時々「おや、馬越まごしさん、今日はどうしてここに?」と言いたげな顔をして、こっちをのぞいてくる。そのたびに、顔がにやけてしまいそうになるのを必死に耐えた。

「あのお馬さん、すごくおとなしいね。白バイさんの横にいても平気そうだし。耳、ちゃんと聞こえてるんだよね?」

 白バイの横に立ちおとなしくしている愛宕を見て、稲葉いなばさんはしきりに感心している。それが我がことのように誇らしい。もう私の馬バカは病気レベルかもしれない。

「お爺ちゃんだけど問題なく聞こえてるよ。多分、慣れなんじゃないかな」
「そっか。ベテランさんなんだ、あのお馬さん」

 すぐ横で白バイがエンジンをかけても、愛宕はまったく動じていない。愛宕と三国みくには、パトカーのサイレンが騒々しく鳴らされる年頭視閲式ねんとうしえつしきでも、沿道に大勢の人が集まる葵祭あおいまつりでも、いつも落ち着いているとのことだ。その動じなさを買われ、今日の実技研修に呼ばれたのは間違いないだろう。

「子供たちにも人気があるんだよ、あの子」
「ふみちゃんが乗る予定のお馬さんは、もう決まってるの?」
「うん。先月、私が配属されたと同時にやってきたお馬さんでね。今は一緒に訓練中」

 丹波たんばの顔を思い浮かべる。今ごろは先輩たちと一緒に、昼一のお馬さん行進をしているはずだ。先輩の言うことに、ちゃんとおとなしく従っているだろうか。

「ふみちゃん、お馬さんと同期になんだ」
「今年からの新しい試みなんだって。新人同士の馬と人の組み合わせって。ああ、もちろん先輩の騎馬隊員も、ちゃんとついてくれてるんだよ」
「なんだか楽しみだな~~、ふみちゃんが馬に乗ってるとこを見るのが」

 稲葉さんがニコニコしながら言った。

「がんばるよー。残念ながら今年の葵祭あおいまつりの行列先導には、間に合わないだろうけどね」
時代祭じだいまつりもあるじゃない? あれでも騎馬隊が先導役として参加してるから、あっちに間に合えば良いね」

 その指摘になるほどとなる。

「私の中では、来年の年頭視閲式ねんとうしえつしき参加を目指してるんだけど、まりちゃんに言われたら、がぜんそっちを目標にしたくなった!」
「おお、それはいいことー。がんばれー」
「がんばるー!」

 実技研修が終わり、愛宕も本部に戻るため馬バスに乗り込んだ。その様子を離れた場所から見ていると、脇坂わきさかさんが私を見て、ちょいちょいと手招きをする。

「?」

 なんだろうと、首をかしげながら小走りに馬バスの元へ向かった。

「なにか?」
「ん? いや、丹波のことが気になってるんじゃないかと思って」
「もちろん気になってます! いい子にしてましたか?」

 様子を知らせてくれるために、わざわざ呼んでくれたらしい。

「いやいやー。なかなかどうして、俺が出てくる時も大騒ぎしてたよ」
「えー……牧野まきの先輩はどうしたんですか」
「もちろん牧野がなだめてすかして、馬場につれ出していたけどね。あいつ、ちょっとショックを受けていたな」

 脇坂さんが気の毒そうに笑った。

「そうなんですか?」
「もうちょっと丹波とは、男同士の友情がはぐくまれていると思っていたらしい。それを真っ向から否定されちゃったからねえ」
「ちなみに隊長は……」
「うん、隊長もお呼びじゃなかったみたい。噛まれそうになって、水野みずのさんが仲間が増えるかもって喜んでた」
「えー……」

 喜んでいた水野さんはともかく。特に甘やかした覚えもないのに、どうしてそんなにワガママ状態になってしまったのか。まさか「馬の手」のせいとか?! 自分の手を見つめながらため息をつく。

「次からは研修の前の日に、ちゃんと言って聞かせないとダメかもね」
「かしこいのも考えものですね……明日が心配になってきました……」

 めちゃくちゃヘソを曲げていそうだ。明日は丹波のご機嫌取りをするだけで、一日が終わってしまうかも。

「というわけなので、はい、これ」

 そう言って、脇坂さんは見たことがある袋を差し出した。

「あ、黒砂糖」
「みんな大好き、角砂糖だよ。今日の研修が終わってから、おみやげ持参で顔を出してやったら? 今日は当直で土屋つちやさんがつめてるから、インターホンを押したらゲートを開けてくれると思う」
「わかりました。だったらこっちが終わったら、様子を見にいってみます」
「うん。じゃあ、あっちに戻ったら、俺から土屋さんに伝えておくよ」
「お願いします!」

 お砂糖の袋を手に皆のところに戻る。

「なに、それ?」
「ん? うちのお馬さんへの献上品」
「お砂糖?」
「うん。お馬さんたちの大好物なの」
「へー。お馬さんが甘党だなんて知らなかったよ」

 その日の研修は無事に終わり、明日からは再び、それぞれの勤務先での仕事だ。

「じゃあ、また次の研修でね。っていうか私達、同じアパートなんだから、会おうと思えば毎日でも会えるんだよね。会えてないけど」
「しかもお隣同士だよね、私達。どうしてこんなに会えないのかな。朝とか顔を合わせそうなものなのに」

 稲葉さんがあきれたように笑う。お互い微妙に部屋を出る時間がずれているせいか、今回の研修まで顔を合わせたことがなかった。せっかく同期なのに、なんてもったいない。

「せっかくのお隣さん同志なんだから、休みの日が重なったら宅飲みしよう」
「それも微妙に合わなさそうだけどね」
「次に会うの、やっぱり研修でだったりして」

 その可能性は無きにしもあらずだ。

「じゃ、次に顔を合わせた時に飲み会の日を決めようってことで」
「了解! あんた達はお呼びじゃない」

 近くに立っていた三人組に、稲葉さんが指をつきつける。

「なにも言ってないだろ、俺たち」
「言いそうだった」
「お前らと行かなくても、先輩に合コンにつれて行ってもらうから良いんだよ、俺たちは」
「あー、はいはい。合コンね合コン」

 稲葉さん派手をヒラヒラさせながら、どうでもいいという顔をした。

「うっわ、ムカつく」
「じゃあ、私はこれで! お馬さんに献上品を届けに行ってくる」

 言い合いに付き合っていると長くなりそうなので、会話に無理やり割りこむ。

「人より馬なのねー」
「うん。馬なの。騎馬隊員だし!」

 後ろでブツブツとあきれている声が聞こえてきたけれど、気にせず足早にその場から立ち去った。いま私にとって重要なのは、丹波君のご機嫌取りのほうなのだから。

 通勤用のバイクを飛ばし、厩舎のある騎馬隊本部へと向かった。入口のゲートはすでに閉まっている。バイクを降りると、呼び出し口にあるインターホンを鳴らす。その上には監視用のカメラがこっちを向いていた。

『遅くからご苦労さん。ちょっと待っとれ』
「はーい」

 土屋さんの声に、カメラに向かって手をふる。かすかに馬たちのいななきが聞こえてた。さすがに馬好きな私も、どの声がどの馬かまでは、まだ聞き分けることができない。

「そのうち、わかるようになるかな……」

 そんなことを考えているとゲートがあいた。そして土屋さんが顔を出す。

「当直お疲れさまでーす」
「そっちこそ、遅くからご苦労さんだな」
「いえいえ。明日のことを考えたら、今のうちにってやつですよ」
「牧野がまだ残ってるぞ。今、丹波と男同士の話し合い中だ」

 土屋さんが半笑いの表情を浮かべた。

「そうなんですか? あ、だったら私、お邪魔だったかな」
「かまわんだろ。相手は丹波なんだ。そうそう話し合いに決着がつくとは思えんし」
「それってどういう……」

 馬たちを驚かせないように、バイクは押して入る。私が入ると再びゲートは閉められた。駐輪場にバイクを止めると、角砂糖入りの袋を手に厩舎に向かう。近くづくにつれ、先輩のボソボソとしゃべる声が聞こえてきた。

「まったく丹波。今日のあのザマはなんなんだ? お前だってもう赤ん坊じゃないんだから、母さんがいないぐらいで騒ぐんじゃない」

 「母さん」とは恐らく私のことだ。そして丹波の腹立たし気ないななきと、地面を蹴る音がする。

「まったく。馬越さんの研修はまだまだあるんだぞ? そのたびにこんなことしてたら、お前、いつになったら一人前の騎馬隊の馬になれるんだ?」

 再び丹波のいななき。

「まったくなあ……あ、馬越さん?」
「どうも、お疲れさまです、先輩」

 のぞいていたら先輩と目があった。

「なんでここに?」
「あれ、脇坂さんから聞いてなかったんですか? 丹波君のご機嫌取りに寄ったんですけど。そでの下を用意して」

 そう言って、角砂糖入りの袋をブラブラさせる。すると先輩の向こう側から丹波が顔を出し、ヒヒーンと声をあげた。
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