触れられない、指先

未知之みちる

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後篇

其の九

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 悲しい、と思うことはない。寂しい、と思うことはある。切ない、と思うことはある。恋しいのは常である。
 理由はちゃんとあった。
 怖い、と思う時、どうしてか理由が曖昧で余計に怯える。怖いというのは一体なんなのだろうか。理由がわからない、説明もできない。
 彼は初めてそのことを口に出していた。
 何に対して怖いのかではなくて、どうしてそれが怖く感じるのか。
 彼女に少し指先が届いたら、突然と不思議に思った。こんなにも自分は臆病な人間だと思い知りながら生きているというのに。
 感覚などというものはてんで曖昧だ。同じものを見ても同じものを食べても同じものに触れても、素晴らしいと思ったそこには必ず差異がある。
 彼と彼女の間にも、もちろんそれが存在する。
 おそらく彼と彼女はそれが怖かったのだろう。互いに理解できないでいる部分の差異。絶対に知ることができない互いの徹底的な違い。
 馴れ合いなどではなくとも、無意識に縋る気持ちが恐れをそそる。無意識に、ただ無意識に。だから彼は忽然と漠然と思った不思議を口に出していた。
 くすりと彼女が笑った。
「え?」
 ぼんやりとだけれど真面目に言った言葉だったのにどうしてくすりと笑うのか。そのあと彼は「ひどいよ」と嘆いた。
「どんなお仕事をしている人でもね、お仕事してない人もみんな、真面目なのよ」
「で、なんで俺、笑われたわけ?」
「真面目だから」
 ふと腑に落ちた。あゝ真面目に生きているのではなくて、生きていること自体が真面目なのだと。だから、怖くなるのだと。
「真面目に生きているのだから、真面目に考えなくていいこともあるんだわ」
「なにそれ」
 彼女らしいけれど可笑しな言い回しに彼が笑った。
「たぶん、化粧師さんもわたしも、ね」
「魔法使いさんも臆病者だもんね」
「そう。わたし、とっても怖がりだってわかったでしょ?」
 そういった彼女の面持ちは嬉しそうだった。ほんの少しかもしれない、それでも。彼が知ってくれたこと、ほんの指先だとしても触れてくれたことに喜びを感じずにはいられない。彼には無理だと思っていたわけではなくて、彼はわかっていてもしてくれないと思っていた。自身の臆病さを、出会った瞬間から彼女へひたすらに晒していた彼は、意識していた以上にしとしとと彼女へ伝え続けていた。
 漠然と怖いということが何かと口にした彼は、きっと届かないと思っていた指先が届いたからだろう。そうでなければきっと、彼は怯えるだけの臆病者のままでしかいられない。
 自分を壊したわけでもなく、壁を乗り越えたわけでもなく、導かれた。優しい魔法によって。
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