月は夜をかき抱く ―Alkaid―

深山瀬怜

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青の向こう側

2・守りたいもの3

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 ハルの運転するワゴンの中では、誰も一言も言葉を発することはなかった。一番後ろの座席、星音の左側に座った由真は窓にもたれかかるようにして眠っている。星音の右側に座っている緋彩は少し気まずそうな顔をしながら窓の外に顔を向けていた。あんなことがあったあとで盛り上がれとは言わないが、あまりにも気まずい空気に星音はそろそろ耐えきれなくなりそうだった。そもそも星音たちの車に乗りたいと希望したのは緋彩だ。つまりは彼女も星音と話をするつもりだったのではないか。
(せやけど、ずっと会っとらんかった人との会話のとっかかりってわからんのだよなぁ)
 星音は暫く悩んでいたが、やがて覚悟を決めた。ここで黙りこくっていても何も進まない。向こうも星音と話がしたくないというわけでないことはわかっているのだから。星音は前に座っている黄乃や寧々には聞こえないような小さな声で、緋彩に話しかけた。
「ひ……久しぶり、やな」
「ふふ。もう顔を合わせてから一時間半は過ぎてるけど」
「いや、言いそびれとったと思って」
 緋彩は柔らかく笑って、星音の顔を見た。緋彩と別れたときはまだ夢の前髪が見え始めた頃だった。今はすっかり役者の顔になっている。端的に言えば、綺麗になった。
「ありがとう、助けてくれて。マネージャーさんが能力者たちの便利屋みたいな人にも頼んだって言ってたけど、そこに星音がいるとは思わなかった」
「私も始めたばっかや。まさか緋彩の警護をすることになるとは思ってなかった。それにメインで助けたのは由真さんやで」
 当の本人はさっきまでの戦闘が嘘のようにあどけない寝顔を晒してしまっているけれど。緋彩は少し迷ってから、小さいけれど雑音にも消されずに耳に届く声で言った。
「お母さんが星音に酷いことを言ったのは知ってる。星音は私を治してくれたのに、お礼も言わせてもらえなかった。……だから、こんな形だったけど、星音に会えたのは嬉しい」
「緋彩……」
「本当はやろうと思えば、お母さんの目を盗んでいつだって会いに行けたのかもしれないけど……星音に嫌われてしまったんじゃないかって思うと、勇気が出なかった」
「私が緋彩のこと嫌いになるわけあらへん。緋彩は大事な友達や」
 けれど星音自身も、大人の目を盗んで緋彩に会いに行くようなことはしなかった。それは緋彩が言う通り、勇気が出なかったからだ。お互いの心が離れてしまったのではないかと思って、それを改めて認識するのが怖くて、一歩を踏み出せなかったのだ。
「楓役の話を聞いたとき、星音のことを思い出した。星音に会いたくて、これを演じたら、もしかしたら星音に私の気持ちが届いてくれるんじゃないかと思ってオーディションを受けたの」
「……そうやったんやな」
「呉羽役も受けてたんだけどね。でも、あのときから一番練習してたのは楓だったから」
 緋彩は星音のことを想ってオーディションを受けたのだ。そこに嘘がないことは、昔から緋彩を知る星音には嫌と言うほど理解できた。だからこそ、星音は言葉に詰まった。自分のことを想ってその役を射止めた人に、これから自分が言うあまりに残酷な言葉。一呼吸置いてから、星音はゆっくりと緋彩に言った。

「緋彩。――楓役、降りてくれんか」

 今起きている事態を解決するにはそれが最善だと思った。そもそも緋彩が楓を演じることになったから起きた問題。しかし緋彩は首を横に振った。
「私一人で決められることじゃないの。私の活動に関わってるスタッフの生活だってある。……それを差し引いたとしても、降りる気はない」
「緋彩……」
「星音が何を気にしてるかはわかってる。でも……どうしても、私が演じたい。私じゃなきゃ、楓を演じることはできない」
 断られるということも、予想はできていた。星音は穏やかな寝息を立てている由真を横目で見た。これから何が起きるのか。由真が何を意図してあんな行動を取ったのか。星音は膝の上で拳を強く握り締めた。
「批判されるとは思ってた。これまで演じてきた役とは雰囲気も違うし、私は無能力者だし。私が楓を演じることにいい顔をしない人が多いのはわかってた。……それでも、私はこの役がやりたかった。これができないなら、役者になった意味がない」
 緋彩の大きな目には意思の色がしっかりと宿っていた。その目に何を言っても結果は変わらないとわかっている。それでも星音は言わずにはいられなかったのだ。それがかけがえのない夢だったとしても、由真を犠牲にしてまでやることなのか。この世界で、能力者は夢すら見られずに生きているのに、無能力者は誰かを傷つけてでも夢を叶えようとするのか。
 けれど自分の言葉の理不尽さは、星音自身が一番理解していた。
「最低なこと言っとるな、私」
「星音には星音の守りたいものがある。それは私にもある。――多分、それだけのことなんだよ」
 緋彩は穏やかな表情でそう言った。けれどその瞳が僅かに揺れているように見えた。傷つけてしまった。けれど緋彩の言う通り、星音にも守りたいものがあったのだ。
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