マザーグースは空を飛ぶ

ロジーヌ

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第一章

可愛いタヌキは男子を化かす(1)

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 それから岩本は、秋葉原にある花子の店へ頻繁に通うようになった。もちろん講義があるから毎日行くわけにはいかないし、花子は友義の古書店へもしょっちゅう来るので、花子だけが目当てならわざわざ秋葉原へ行かなくてもいい。岩本は何かバイトも始めたようで、あるときは夜間仕事だったのか、翌日一限(必須科目)にふらふらで出席したことがあった。だが秋葉原へ向かう時間になると、彼は無造作を意図的に作った髪型を決め直し、とてもいきいきとしてくる。
「謎だな」
 侑哉は、コスプレカフェのカウンターで一人 コーヒーを飲みながら呟いた。
「なにがよ」
「いや、なんでも」
 店内を移動していた花子はひとりごとが聞こえたので振り向いたのだが、侑哉は目を合わせないようにしたまま、手元の本を読みはじめた。大学はあっという間にゴールデンウィークになったが、自宅通学、さらに大学近くでバイトをしている侑哉には、一週間程度の休みは関係ない。だが平時の古書店はびっしり学生バイトのシフトを入れるまで忙しくもないので、侑哉は空き時間にな ると友義の自転車を借りて、秋葉原までぶらりと散策をしに来ていた。運動には縁のない侑哉でも、自転車を十分も漕ぐと上はTシャツでも暑いほど適度に汗をかく。 そして休憩がてら、そのまま花子の働くカフェに寄るのがここ数日のルーチンだ。

 行く時間帯によっては、道でぎこちなく呼び込みをするメイドたちから、声をかけられる。もう少し時間がずれると、気を抜きまくって壁に寄りかかる開店前のメイドにも遭遇するが、まあずっと営業モードだと大変だしな、と侑哉は心の中で同情していた。
 いま、時刻は15時。カフェに客は適度に入っているが、それほど忙しくもない花子はトレイを持ったままカウンターの脇に来る。
「侑哉はどこにもいかないの? この辺でもイベントやってるよ。あと、コミケ? みたいな。コスプレさんも沢山いるじゃん」
「だからな、俺はその作品だけを好きなのであり、二次は否定しないけど興味はないんだよ」
「二次って? 『非モテ』は小説からアニメになってるじゃん」
「あれはメディアミックスだ」
 ふうん、と言いながら、花子はさりげなくメニューを侑哉に差し出す。お代わりは、ということだ。
 花子はいつもの紺のセーラー服ではなく、中世ヨーロッパ風ファンタジーに出てくるような、指輪物語の村人みたいな衣装、しかも短パンバージョンだ。
 加えて、ツインテールはポニーテールに変わっており、猫耳までついている。
「一体なんなの、それ」
 怪訝な顔をする侑哉だが、花子は、ふふーん、と鼻歌をうたいながらその場でターンした。
「お客さんがくれたの。ぜひこれ着てくれって」
「それ、『異世界転生したらケモ耳娘たちと一緒に牧場経営することになった件』の、猫娘じゃん」
「そーそー。いまケモ耳フェアで」
 そう言って、花子は他の店員を示す。
「タヌキちゃん衣装を着てるレイさんが一番似合ってて好評なんだよー」
 侑哉が花子の視線の先を見ると、茶色い髪に茶色い丸めの耳を付けた女性が、巨乳を強調するように胸下で編み上げたミニスカートと、フリル多めのパフスリーブという衣装で笑顔を振り撒いている。花子もタレ目気味だが、レイのタレ目はとろんとしており、全体の雰囲気はかなり大人びている。
「なるほど」
 侑哉はうなずき、コーヒーを一口飲んで言った。
「あれは、良いと思う」
 へえ、と花子はちょっと驚いたように笑った。
「コスプレはそんなに、っていう侑哉でもそう思うんだ。やっぱり違うなあ~」
「なんていうか、完成度かな......あとは、そこはかとなく感じるプロ意識っていうか」
 レイの全身を上から下まで素早く見ながら、侑哉は評論家のような無駄におさえて言ったが、花子は『何を言ってるのか』という口調で返した。
「だってプロだもん」
「え?」
 カップを持つ侑哉の手が震えた。アニメのようにコーヒーは波打ちテーブルに少しこぼれたが、絶妙なタイミ
 ングで花子がそれを、手にしたダスターで拭く。プロだ、と侑哉は唸った。
「地下アイドルなんだよねー、レイさん。五年くらい活動してるよ」
 花子が指さした壁には、額に入った2L版ほどの写真が何枚か飾られていた。
 たぬき耳をつけていないレイが今よりもう少しきわどい衣装を着て、ほか数人のアイドルっぽい女の子たちと笑顔で並んでいる。
「ほーっ」
 侑哉は、思わず親戚の集まりでよく見るおじさんみたいな声を出した。すると、レイが侑哉のほうを見て手を振ってきたので、侑哉も反射的に手を挙げたあと、はたと中途半端に宙を泳ぐ自分の手のひらを見た。
「ああ......」
「なによ」
「思わず振り返してしまった......これがプロの技か」
 アイドルたるもの、ファンとの積極的な交流は必須だ。それは一方的であってはならず、例えば手を振ったら自動的にペンライトの波が起きるようでなくてはならない
 のだろう。侑哉が納得していると、キイ、と店のドアが開いた。いらっしゃいませ! と黄色い声が店内に響く。
 再びコーヒーカップに手をやった侑哉を、花子がにやにやしながら小突いた。
「ほら、あれ」
 花子が見ている方向、つまり入口に立っているのは、岩本だった。
「ずっと通ってくれてるんだよ~。もうすっかり常連さんなんだ」
 うむ、と侑哉はうなずく。
「たまにおじさんの自転車借りに来るからさ、多分ここだとは思ってたんだけど、理由聞いたらバイト~とかなんとか言って誤魔化すんだよ。隠さないでも良いのに」
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