香りの比翼 Ωの香水

鳩愛

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番外編  ブーゲンビリアの褥 3

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「ソフィアリ!」

オメガの女性たちの仰せに素直に従ったラグは大きな良く通る声でソフィアリを呼びながらリリオンの屋敷の中を歩いて行った。
二階にあるソフィアリの寝室を一応見に行くと、部屋着のまま寝台の上に寝転んで朝と同じくうたた寝をしている穏やかなソフィアリの姿があった。ラグは驚きつつも心底ほっとする。
窓から海風が強く吹き込んで真っ白なカーテンを揺らし、瞑目したソフィアリの黒髪を僅かに揺らす。

熱のある身体に障りそうなので窓を閉めに行き、そのまま寝台に腰を掛けてソフィアリの髪を梳いてやると、それが刺激になったのか大きな目がゆっくりと見開かれた。

「ソフィアリ…… ずっと」
「なぁに?」

ここにいたか? と聞こうと思ったが、最近の中では非常に気分がよさそうな顔であえかに甘えた声を出してラグを見上げてきた。
ラグは何も言わずに自分も知らず目元を細めて気遣わしげに微笑んだ。

「なんでもない。身体は辛くないか」
「大丈夫。いろいろ考えて。少し気分が良くなる方法、わかったから……。
それにラグが傍にいてくれるから。今はすごく嬉しいよ」

(どんな方法なんだ?)

そんな思わせぶりな言葉を呟いて、ソフィアリは流れ落ちてきた黒髪を掻き揚げながら、謎めいた微笑みを赤く色づいた唇に浮かべた。
疑問に思いつつも、ラグはソフィアリの色っぽい仕草と、流し目をくれるように伏せられた瞳から目が離せなくなる。すりっと寝台に載せられたラグの大きな手の上に指の長いソフィアリの手が滑るように載せられて、そこだけ赤々と燃えるストーブに当たったように熱くなる心地だ。

ソフィアリが再びじいっと何かいいたげな顔をしてラグを見つめてきた。
バルコニーの下に広がるハレヘの海と比べても劣らぬほどに青く美しい瞳。ラグも魅入られたように目が離せなくなり、二人はしばし手を重ねたまま互いに吸い寄せられるように見つめあう。

オメガというのは、こんなにも人の心をとらえて離さない、危うげで美しい生き物だっただろうか。そして敵の軍勢を前にしても今までの人生でこれほどまで胸の鼓動を高めたことがかつてあったであろうか。

先ほどカレルと約束し、決心がつくまでソフィアリを番にすることは決してないと、自戒を込めて宣言したばかりなのに。

目を離せず、どこにもやれず、離れることもできず。
どうしようもなく欲してしまう心は、自分で自分の胸にナイフを突き刺し、息の根を止めるでもしなければきっと止まらないだろうか。

かつて発情期のオメガの相手をしたことはもちろんある。ラグは番持ちのアルファだった過去を持っているからだ。あまり会えず離れて暮らす妻との愛情深いやり取りは、発情期であっても至極穏やかなものだった。

妻とは幼馴染で、里の中で一番年の近いアルファとオメガだった。アルファもオメガも里の中でも世間と同じく希少な存在だから、自然と親同士を交えた話し合いののちに許嫁になった。同じ里の出身だから当然もともと親族に近く、子どもの頃から共に育ってきた間柄。愛とか恋とか以前に情で繋がっていたように思う。
年上で穏やかで辛抱強い。それほど美人ではないが愛嬌があって、大きな丸い目がいつも優しく微笑んでいる。そんな面倒見の良い女性だった。年下のラグを幼い時から可愛がってくれた年上のお姉さんだった。
もちろん親愛に近い愛情は抱いていた。成人したての17歳で出稼ぎのために入隊のため里を出てから数年は忙しく戦地を渡り歩いた。
部隊を任された22歳の時、2つ年上の妻は24歳になっていたのでこれ以上待たせてはいけないと里長だった父の鶴の一声で祝言を上げて、その時一番近い発情期で番になった。

出稼ぎに出ている時間の方が長く、このあたりで入るだろうという発情期に見当をつけて帰ってくるようにしていたが、実際は発情期に当たらないことも多かった。結婚してから三年経ってから一粒種を授かったのは、中央に妻を呼び寄せて共に暮らせる時間がわずかながら増えた時期だった。

しかし山里で親族の中で仲良く暮らしてきた妻は都会で、夫も不在が多い生活に馴染めず、気丈で我慢強い性格のため身体だけがみるみる痩せて可哀そうなほどだった。それで元の様に山里と軍とで夫婦は別れて暮らすことになった。
そしてのちに訪れた悲劇によって、僅か4年の結婚生活にあっけなく幕が下ろされたのだ。

駆り立てられるような欲ではなく、穏やかで深い愛情で繋がった存在。
それが番であり、妻であり、強い母でもあった最愛の女性。ルーシャという人だった。大きな存在感でもって離れている間も常にラグの心を支え続けてくれた。

しかしフィアリに今感じているようなどうしようもない程の欲を妻に対して持っていたのかといえばそれは疑問が残る。

もしかしたら実は……

ラグにとって初めて感じる、狂おしいまでに相手を求める、止められぬほどの衝動を覚えるこの燃えるような感情。

鋼の心臓が止められぬほど早鐘をうち、いつかそれに胸が引き裂かれるのではと思うほどに沸き起こるこの激情こそ、人生で初めて覚えた恋なのかもしれない。

(許されることではない。俺にまた番を作る権利などあるのか? 妻子を守れなかった俺に)

このままソフィアリをかき抱きたい強い衝動にかられ、それを無理やり胸の奥に押し殺す。ラグはゆっくりとソフィアリの手の下からわが手を引き抜くと立ち上がった。

ソフィアリが無防備ともいうべき表情でラグを上目遣いに見つめてくる。目が合うとそこにみるみる涙の被膜が覆っていくのが見て取れたが、ラグは敢えてそれに触れない。

「みなにお前がここにいると伝えに行く。サト商会にお前宛に届いていた荷物も持ってくる」
「嫌。ダメだよ。ここにいて? お願い。ラグ」
嫌々をするように髪を乱して首を振るソフィアリにラグは静かに笑いかける。縋るような顔つきのソフィアリからゆっくりと目をそらして部屋を後にした。
背を向けたのちにソフィアリが唇を震わせながら小さく声を立て涙をこぼすのを、背中の気配で感じながら。すぐに駆け寄って抱きしめたくなる衝動を押し殺して、ラグはカレルたちの元へと戻っていった。


その異変に気が付いたのは、同じ日の夕方。最初に与えられたラグの部屋に着替えの荷物を取りに行った時だった。

元々の性格に加え、軍にいた経験からかラグはものの位置の変化や雰囲気の微妙な違いに気が付くのが聡い。

部屋の中が自分が使った時と違っているように感じたのだ。もしかしたら使用人の誰かが掃除にはいってくれたからかもしれないが、なにか何所とは言えないが全体的に違和感が残ったのだ。一つ一つ点検すると、気のせいではなく明らかに何点か私物がなくなっていることに気がつき確信に変わる。
こちらに来てからキドゥで誂え買い足した、薄手の生地の普段使っている衣服は大体残っている。
中央から持ち込んだ僅かな衣服をかけていたクローゼットから、あまり着ていない厚手の衣服が数点なくなっていた。誂えて作ったものも多く、安いものではないがだからこそ他人に価値があるとは思えない。
この街ではかなり大柄なラグが持ち込んだような衣服を持ち出してほしがるものなどきっといないだろう。

注意深くみると、無くなった服や、こっそり替えられた寝具などはある規則性をもっていると気が付いた。こっそりしつつも仕事が雑なのだ。

あまり使っていなくてなくなっても気が付かなさそうなコート。この辺りは一見頭を使っている。しかしハンガーはそのまま残っている。
現在使っていないがこの間まで使っていたこちらの部屋に置かれた枕のカバーははがされてそのまま放置されている。カバーの替えが何所にあるのかまではわからなかったのか、見つかるまいと布団の下から中身だけが出てきた。
ラグが愛用している黒い革のベストはこの地では暑くて着ていないが初日には着てきていた。それもなくなっているし、それと一緒に来ていた黒いズボンも治安の悪い中央では絶えず携帯していたナイフも鞘ごとなくなっていた。

多分この雑な仕事っぷりはソフィアリの仕業に違いないのだが、不思議なことにソフィアリの寝室からは眠っているときにこっそり探したが、これらのものを一つも見つけることができなかった。





















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