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貴方のダンスが見てみたい12
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「トム?」
彼のこんなに驚いた声を聞いたのは久しぶりかもしれない。前回は学生時代に庭園の植え込みの木の枝から、猫が彼目がけて突然飛び降りてきたとき以来だ。
いつも通り中央で流行りの洗練されたジャケットを羽織る紳士らしい姿だが、ここには似つかわしくなく暑いのか顔が真っ赤だ。
なんでここに? と聞かない代わりに互いのきまり悪げな表情の変化ですべてを悟る。
汽車のチケットに印字されていた日付は本来今日ではない。街の雰囲気や店の人たちの様子から察するに今はきっと祭りの直前なのだろう。ソフィアリは祭りに合わせてチケットを手配してくれたに違いない。
なのできっとブラントもトマス同様、勝手にチケットよりも先にこの街に来たのだろう。
出し抜いたつもりが仲の良い友人同士、結局同じことをしてしまっていたとは気恥ずかしくて、しばしお互い出方を待って見つめあってしまった。
「なんだ連れがいたのか? お兄さん、友達によく言ってやってくれよ。今日はメルトさんが出張中で奥さんは店の掃除に来てるだけだから中には入れないって」
言いながら男は香ばしい匂いのパンの入った紙袋を、赤ん坊を背負った女性に手渡した。女性はおぶった幼児を体を揺らしてあやしながら受け取る。ぷくぷくとした手足をバタつかせた愛らしい幼児は結構大きくて、細い女の人は一苦労のようだ。男はよく見るとエプロンに小麦がついていてきっとパン屋なのだろう。
「掃除の間、婆ちゃんに見てもらってうちでラン預かるか?」
「ありがとう。でももうじきメテオがこっちにくるから大丈夫よ」
一連のやり取りを見てソフィアリに繋がる頼りの綱である香水店は本日は休業中だとわかった。まだ端正な顔を強張らせたままののブラントを放置して、どうしたものか考えあぐねる。すると石畳のひかれた坂道を上ってくる少年と、その後ろからついてくる大きな人影が視界に入った。
「ラン! ただいま」
中央では中等年学校にあがる手前位の年だろうか。鞄一つ持たない身軽な様子で軽やかに坂を駆け上がってきたアッシュブラウンの髪の少年は、見慣れぬはずのトマスたち二人にはわき目もふらず、女性が背負っている幼児のもとに駆け寄った。
幼児の方も嬉しそうに小さな赤い靴を履いた足をじたばたさせながら可愛らしい声を上げて笑っている。きっと仲の良い兄弟なのだろう。腰に巻き付けおんぶしていた黄色の布から幼児を抱き上げて頬ずりしている。
「ただいま。母さん」
「おかえりなさい。メテオ。ラグさんこんにちは」
女性が声をかけた方をふと見て息をのむ。
それはとてもとても大きな人物だったのだ。アルファで体格に恵まれたブラントも、ベータでも身体は人並みより大きく、アルファの兄たちと比べても小さくはないトマスでも。
二人そろって仰ぐ見るほどの大きさだった。ただ大きいだけでない。褐色に近い肌を盛り上がった筋肉が鎧のように覆っている。腕や長いうえに逞しい足など硬い丸太のように太くて立派だ。
圧迫感があるほどの強烈な存在感なのに、目が合うと優しげで、遙か頭上に梢がある大木を見上げているような穏やかな雰囲気がある。
(絶対戦争で戦ってきた兵士の身体だ。退役軍人? 格好良すぎだろ)
空気さえ濃い深い森の奥のような緑色の瞳は、微笑みを浮かべているわけではないのに穏やかだと思える光をたたえている。
「アスターは留守なのか。用事があったんだが。どのくらいでもどる?」
「まあ、あの人は戻ると言っていつ戻るともわからないからね。でも多分明日には戻るんじゃないかしらね」
ちょこちょことおんぶから降ろされた幼児が歩き出す。よちよちよりは歩みは早くて坂を転がるように駆け出すので、綺麗な顔をした兄の方は焦ってその後を追いかけていった。
のんびりとその様子を笑顔で眺めていた女性は、今度はラグを見て固まっていたトマスたちに歩み寄って頭を下げた。
「ごめんなさいね。店主が留守で。だからお店の中に御案内できないの。滞在中にまたきてみてくださいね」
「旅行者か?」
とても渋い声でそうきかれ、二人は素直に頷く。パンを渡していた男が、ブラントを顎でしゃくってさす。
「そっちの兄さん、ここの香水らしい香水と汽車のチケットを友達が送ってくてくれたとかで、訪ねてきたらしいんだ」
「あの、俺もなんです。チケットと香水と、この街の絵葉書が送られてきて、でも住所が書いてなくて、友人がどこに住んでいるのかがわからなくて」
するとラグは彫りの深い顔の中で形の良い目を少し細めると二人に語りかける。
「なるほどな。この街は住所がなくても荷物はどこに誰が住んでいるのかがわかるからだいたい届く。人を招くときは住所を細かく書かねばならないということを多分失念していたのか。もしくはチケットの日時に迎えをよこすつもりだったのかもしれないな」
なるほど、言われてみればそうだとトマスは少し恥ずかしくなった。勝手に日時を違えて押しかけてきたのは自分たちの方であって、相手はそんなことになるとは思っていなかったのかもしれない。
ソフィアリが謎めいた消え方をしていたから、これもなにかなぞかけの一種なのかと思い込んでいた節があった。穴があったら入りたい……
「その香水というのを見せてみろ」
「あ、はい」
青紫の美しい香水瓶を鞄からまた取り出すことになった。ブラントは香水瓶をみて明らかにがっかりした顔をして、自分も鞄から包んだ布ごと同じものを取り出した。
「お前の所にも送られてきたんだな」
なんか出し抜くようなことをして悪かったなと言おうと思ってやめた。他にも誰かに宣言しているかどうかはわからないが、ブラントは確かにあの時ソフィアリを番にしたいとトマスに宣言した。
その気持ちが変わっていないのならば、きっと内心自分にだけ香水が送られてきていたわけじゃないことが悔しいに違いない。そう考えてふと思う。
(いや、どうだろうか。俺がベータで、番を持てない事実は変わらないんだし、ブランドにはまだチャンスがあるわけだし。あんまり落ち込むことでもないよな)
そう考えて、自分も旅先の勢いでソフィアリといい雰囲気になれたらいいなと考えていたことなどは隅に追いやる根っから前向きなトマスだ。
こうなったら、友人の恋路を応援してやってもいいかな等と無責任に考えるのは、この街でこれから何か楽しいことに出会えるのではとわくわくする気持ちが膨らんできたからだ。
リリィのような見知らぬ街の情熱的で色気のある年上の女性。厳ついが気さくな海辺の男たち。どこまでも青い海と、空と溶け込みそうな水平線。にんにく臭いがおいしい料理。新しい街に開かれる古の祭礼。
「この小さい街ならソフィアリのこと、きっとすぐにみつけられるさ。ブラント、応援してやるから思いを今度こそ伝えるんだぞ」
「トマス…… ありがとう。ここまで来たんだ。俺もお前みたいに素直に気持ちを口にしてみようと思う。ソフィアリに……」
ピクリっ、と香水を眺めていたラグの眉が動き、それをみたパン屋の男とアスターの妻は瞠目してラグと彼らを見比べるようにして慌てはじめた。
「おい、お前ら!」
「あら、まあ」
ラグは片眉を上げてややコミカルな表情をみせて、二人がなにか言うのを制するように静かに片手を上げるとニヤリと笑った。
ラグは足元にとことこと戻ってきたランを抱き上げるとお腹のところをグリグリと額で撫ぜてやる。
ランが高くなった視界に驚きながらも歓声をあげると、メテオはやきもちをやいて少し面白くなさそうにしながら、ランを返してもらうために両手をラグの前に差し出した。
不満げなメテオにランを返してやるとラグは大人二人に目配せしながら中央から来た育ちの良さそうな青年たちに向きなおった。
「少し寄るところがあるがその後俺がソフィアリのところに案内しよう」
「ソフィアリのことを知ってるんですね! 良かった~」
トマスは呑気に歓声を上げて喜んだが、ブラントは穏やかそうに見えたラグの瞳に広がる金色の輪を見て本能的に背筋にゾクゾクくるものを感じていた。
まるで草原で野生の大型獣に出くわしたような心地になる。そしていくら中央で洗練され尽くして育った貴公子であっても、そこはやはりブラントもアルファなのだ。
良かった良かった~ ソフィアリを知ってる人に、あえた~ なとと呑気にしているベータのトマスとはやはり根本的に感覚と感性が違うのだ。
(この男は…… アルファだ)
ただ無骨で大きいだけの男ではない、色気と周りを圧倒するような気迫のようなものを感じて、負けたくないとブラントは無意識にギラギラとした目でラグを睨み返していた。
彼のこんなに驚いた声を聞いたのは久しぶりかもしれない。前回は学生時代に庭園の植え込みの木の枝から、猫が彼目がけて突然飛び降りてきたとき以来だ。
いつも通り中央で流行りの洗練されたジャケットを羽織る紳士らしい姿だが、ここには似つかわしくなく暑いのか顔が真っ赤だ。
なんでここに? と聞かない代わりに互いのきまり悪げな表情の変化ですべてを悟る。
汽車のチケットに印字されていた日付は本来今日ではない。街の雰囲気や店の人たちの様子から察するに今はきっと祭りの直前なのだろう。ソフィアリは祭りに合わせてチケットを手配してくれたに違いない。
なのできっとブラントもトマス同様、勝手にチケットよりも先にこの街に来たのだろう。
出し抜いたつもりが仲の良い友人同士、結局同じことをしてしまっていたとは気恥ずかしくて、しばしお互い出方を待って見つめあってしまった。
「なんだ連れがいたのか? お兄さん、友達によく言ってやってくれよ。今日はメルトさんが出張中で奥さんは店の掃除に来てるだけだから中には入れないって」
言いながら男は香ばしい匂いのパンの入った紙袋を、赤ん坊を背負った女性に手渡した。女性はおぶった幼児を体を揺らしてあやしながら受け取る。ぷくぷくとした手足をバタつかせた愛らしい幼児は結構大きくて、細い女の人は一苦労のようだ。男はよく見るとエプロンに小麦がついていてきっとパン屋なのだろう。
「掃除の間、婆ちゃんに見てもらってうちでラン預かるか?」
「ありがとう。でももうじきメテオがこっちにくるから大丈夫よ」
一連のやり取りを見てソフィアリに繋がる頼りの綱である香水店は本日は休業中だとわかった。まだ端正な顔を強張らせたままののブラントを放置して、どうしたものか考えあぐねる。すると石畳のひかれた坂道を上ってくる少年と、その後ろからついてくる大きな人影が視界に入った。
「ラン! ただいま」
中央では中等年学校にあがる手前位の年だろうか。鞄一つ持たない身軽な様子で軽やかに坂を駆け上がってきたアッシュブラウンの髪の少年は、見慣れぬはずのトマスたち二人にはわき目もふらず、女性が背負っている幼児のもとに駆け寄った。
幼児の方も嬉しそうに小さな赤い靴を履いた足をじたばたさせながら可愛らしい声を上げて笑っている。きっと仲の良い兄弟なのだろう。腰に巻き付けおんぶしていた黄色の布から幼児を抱き上げて頬ずりしている。
「ただいま。母さん」
「おかえりなさい。メテオ。ラグさんこんにちは」
女性が声をかけた方をふと見て息をのむ。
それはとてもとても大きな人物だったのだ。アルファで体格に恵まれたブラントも、ベータでも身体は人並みより大きく、アルファの兄たちと比べても小さくはないトマスでも。
二人そろって仰ぐ見るほどの大きさだった。ただ大きいだけでない。褐色に近い肌を盛り上がった筋肉が鎧のように覆っている。腕や長いうえに逞しい足など硬い丸太のように太くて立派だ。
圧迫感があるほどの強烈な存在感なのに、目が合うと優しげで、遙か頭上に梢がある大木を見上げているような穏やかな雰囲気がある。
(絶対戦争で戦ってきた兵士の身体だ。退役軍人? 格好良すぎだろ)
空気さえ濃い深い森の奥のような緑色の瞳は、微笑みを浮かべているわけではないのに穏やかだと思える光をたたえている。
「アスターは留守なのか。用事があったんだが。どのくらいでもどる?」
「まあ、あの人は戻ると言っていつ戻るともわからないからね。でも多分明日には戻るんじゃないかしらね」
ちょこちょことおんぶから降ろされた幼児が歩き出す。よちよちよりは歩みは早くて坂を転がるように駆け出すので、綺麗な顔をした兄の方は焦ってその後を追いかけていった。
のんびりとその様子を笑顔で眺めていた女性は、今度はラグを見て固まっていたトマスたちに歩み寄って頭を下げた。
「ごめんなさいね。店主が留守で。だからお店の中に御案内できないの。滞在中にまたきてみてくださいね」
「旅行者か?」
とても渋い声でそうきかれ、二人は素直に頷く。パンを渡していた男が、ブラントを顎でしゃくってさす。
「そっちの兄さん、ここの香水らしい香水と汽車のチケットを友達が送ってくてくれたとかで、訪ねてきたらしいんだ」
「あの、俺もなんです。チケットと香水と、この街の絵葉書が送られてきて、でも住所が書いてなくて、友人がどこに住んでいるのかがわからなくて」
するとラグは彫りの深い顔の中で形の良い目を少し細めると二人に語りかける。
「なるほどな。この街は住所がなくても荷物はどこに誰が住んでいるのかがわかるからだいたい届く。人を招くときは住所を細かく書かねばならないということを多分失念していたのか。もしくはチケットの日時に迎えをよこすつもりだったのかもしれないな」
なるほど、言われてみればそうだとトマスは少し恥ずかしくなった。勝手に日時を違えて押しかけてきたのは自分たちの方であって、相手はそんなことになるとは思っていなかったのかもしれない。
ソフィアリが謎めいた消え方をしていたから、これもなにかなぞかけの一種なのかと思い込んでいた節があった。穴があったら入りたい……
「その香水というのを見せてみろ」
「あ、はい」
青紫の美しい香水瓶を鞄からまた取り出すことになった。ブラントは香水瓶をみて明らかにがっかりした顔をして、自分も鞄から包んだ布ごと同じものを取り出した。
「お前の所にも送られてきたんだな」
なんか出し抜くようなことをして悪かったなと言おうと思ってやめた。他にも誰かに宣言しているかどうかはわからないが、ブラントは確かにあの時ソフィアリを番にしたいとトマスに宣言した。
その気持ちが変わっていないのならば、きっと内心自分にだけ香水が送られてきていたわけじゃないことが悔しいに違いない。そう考えてふと思う。
(いや、どうだろうか。俺がベータで、番を持てない事実は変わらないんだし、ブランドにはまだチャンスがあるわけだし。あんまり落ち込むことでもないよな)
そう考えて、自分も旅先の勢いでソフィアリといい雰囲気になれたらいいなと考えていたことなどは隅に追いやる根っから前向きなトマスだ。
こうなったら、友人の恋路を応援してやってもいいかな等と無責任に考えるのは、この街でこれから何か楽しいことに出会えるのではとわくわくする気持ちが膨らんできたからだ。
リリィのような見知らぬ街の情熱的で色気のある年上の女性。厳ついが気さくな海辺の男たち。どこまでも青い海と、空と溶け込みそうな水平線。にんにく臭いがおいしい料理。新しい街に開かれる古の祭礼。
「この小さい街ならソフィアリのこと、きっとすぐにみつけられるさ。ブラント、応援してやるから思いを今度こそ伝えるんだぞ」
「トマス…… ありがとう。ここまで来たんだ。俺もお前みたいに素直に気持ちを口にしてみようと思う。ソフィアリに……」
ピクリっ、と香水を眺めていたラグの眉が動き、それをみたパン屋の男とアスターの妻は瞠目してラグと彼らを見比べるようにして慌てはじめた。
「おい、お前ら!」
「あら、まあ」
ラグは片眉を上げてややコミカルな表情をみせて、二人がなにか言うのを制するように静かに片手を上げるとニヤリと笑った。
ラグは足元にとことこと戻ってきたランを抱き上げるとお腹のところをグリグリと額で撫ぜてやる。
ランが高くなった視界に驚きながらも歓声をあげると、メテオはやきもちをやいて少し面白くなさそうにしながら、ランを返してもらうために両手をラグの前に差し出した。
不満げなメテオにランを返してやるとラグは大人二人に目配せしながら中央から来た育ちの良さそうな青年たちに向きなおった。
「少し寄るところがあるがその後俺がソフィアリのところに案内しよう」
「ソフィアリのことを知ってるんですね! 良かった~」
トマスは呑気に歓声を上げて喜んだが、ブラントは穏やかそうに見えたラグの瞳に広がる金色の輪を見て本能的に背筋にゾクゾクくるものを感じていた。
まるで草原で野生の大型獣に出くわしたような心地になる。そしていくら中央で洗練され尽くして育った貴公子であっても、そこはやはりブラントもアルファなのだ。
良かった良かった~ ソフィアリを知ってる人に、あえた~ なとと呑気にしているベータのトマスとはやはり根本的に感覚と感性が違うのだ。
(この男は…… アルファだ)
ただ無骨で大きいだけの男ではない、色気と周りを圧倒するような気迫のようなものを感じて、負けたくないとブラントは無意識にギラギラとした目でラグを睨み返していた。
応援ありがとうございます!
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