45 / 51
番外編 僕が彼女をこう呼ぶ理由
しおりを挟む
「どうして天音じゃなくて、天音さんって呼んでるの?さんなんて付ける間柄じゃないだろう。」
凛太朗がこの質問をされることには正直、うんざりしていた。彼女のことをどう呼ぼうが勝手だろう、そう思う他ならなかったが、きちんとした理由はある。
これは、中学に上がるある少し前のことだっただろうか。それまでは凛太朗も、彼女のことを『天音』と呼んでいた。皆が納得をする呼び方だった。
天音の趣味は、ピアノだった。そして、それは、抜群に上手でもあり、同時に特技でもあった。
「私の一番好きな曲は、ノクターン。だからすごい練習して。コンクールの自由課題では、これを選ぶの。そして、絶対賞を取るわ。」
ある日、凛太朗は天音の家に行くと、彼女はそう話していた。もうすぐピアノコンクールがあるらしく、彼女はいつもよりもずっと話し方に熱がこもっていた。
「ふぅん。なら、練習しなよ。」
そう凛太朗が、天音のグラウンドピアノの譜面台に置いてある楽譜をパラパラと捲りながら言う。
「えっ、ダメよ。」
「何で?賞取りたいんでしょ。」
「凜ちゃんがいるのに。今日は、この前言ってたDVD見る約束でしょ。」
今日の目的は、彼女と海外で人気のアニメのDVDを見ることだった。いつも公園で遊ぶことが多いが、時には、アニメや映画を見ることもあった。凛太朗が、ニューヨークにいた頃に流行っていたアニメの話をするとすぐに天音が見たいと言ったのだ。
「そうだけど。アニメなんていつでも見れるし。天音の練習のが大事だろ。練習嫌い?」
「ううん、好き。」
そう言い、天音は、ピアノに向かい、鍵盤に指を滑らせる。彼女は、時折、楽譜に目をやり、音色を奏でている。しっとりとしたメロディーが部屋に響く。凛太朗は彼女の奏でる音色を聞くことが好きだった。
「あら、ピアノの音が聞こえていると思ったら、天音ちゃん練習していたの。凛太朗君に悪いでしょ。」
天音がピアノを弾き終わるとすぐに彼女の母がジュースとお菓子をトレイに乗せ持ってきたところだった。
「いつもありがとうございます。僕が聞きたいって言ったんです。天音のピアノの音が好きで。」
そう言うと、天音の母は、まぁ、と言う。
「小学生の男の子でピアノが好きなんて言ってくれる子がいたのは、驚きよ。天音ちゃんのお兄ちゃんなんて、ピアノを習わせていたのに、ちっとも楽しそうじゃないんだもの。」
「お兄ちゃん、外で走る方が好きだもんね。」
「男の子は、そんなものだとい言うけど、もう少し大人しくなってほしいわぁ、ってこんなことを凛太朗君に言ってちゃだめね。じゃ、DVD見るなら早く見ないと中途半端になっちゃうわよ。」
そう言い、天音の母は、彼女の部屋から出て行く。
「天音のお母さん、僕の母さんと違って、いつも優しいね。」
凛太朗は、自分の母親と重ねる。凛太朗の母親は、放任主義であり、凛太朗にどんな友達がいるかなど興味はないようだった。
「そうかなぁ。凜ちゃんのお母さんに会ったことないから、今度会わせてよ。」
「また、ね。忙しい人だから。」
「そっか。ね、あと1回聞いてほしい。私のノクターン。」
そう言い、天音は、深呼吸してから再び鍵盤に指を置く。先ほどよりも慣れた手つきで、指を滑らせていく。弾き終わると、天音は、はぁ、と言う。
「やっぱり、私には、無理かな。」
天音が、そう言い、近くのテーブルに置かれたクッキーを一枚手に取り、かじる。
「上手だったよ。僕は、そう思う。」
「でも、失敗しちゃった。好きな曲なのに。」
凛太郎にはわからなくても、弾いている本人が言うのだから、それは、失敗なのだろう。
「好きじゃなくても、誰だって失敗くらいあるだろ。」
「ショパンさんはどうやって弾いていたのかな。」
「ショパンさん?」
彼女が聞きなれない、ワードを出すため思わず復唱する。
「うん。ノクターンを作った人。私は、さん付けしてる。でも、お兄ちゃんには変だって。」
「どうして変なの?」
「そんな呼び方する人がいないから。」
天音は、少し自信がなさそうに言う。
「天音は、そう呼びたいんならいいじゃん。でも、どうしてショパンさん?」
そう言うと、天音は、譜面台に置いてあった楽譜を凛太朗の前まで持ってくる。
「見て。これがノクターンの楽譜。これ、考えたってすごいと思わない。私にはできない。だから、さんをつけるの。」
「好きだからってこと?」
そう凛太朗が問いかけると、少し天音は首をかしげる。
「うーん。好きは好き。でも、尊敬してるから。」
「そうなんだ、じゃあ……」
そう言いかけて、凛太朗は、黙る。天音は、急に黙った凛太朗を不思議そうに見る。
「どうしたの?」
「僕も、さんで呼ぶよ。」
「うん。ショパンさん、すごいもんね。」
天音は、持っていた楽譜を抱きしめ、ふんわりとほほ笑む。
「ううん。僕は、天音のことを尊敬してるから。これからは、天音さん。」
そう言うと、天音は、目を丸くし、えっ、と声を上げる。
「凜ちゃんのがすごいよ。英語話せるし。」
「住んでいたから当たり前だよ。日本に居るから日本語が話せるようなもんだから。天音さん、今日は、DVDやめて、ピアノ練習しよ。」
そう凛太朗が言うと、天音は、うん、と言い、ピアノに向かう。彼女の表情は、真剣だった。
呼び方一つで相手との関係を図るのは、1つの見極める方法ではあるかもしれない。しかし、それは人それぞれで、いろいろな想いが含まれている可能性だってある。今回の天音と凛太朗のように。
凛太朗がこの質問をされることには正直、うんざりしていた。彼女のことをどう呼ぼうが勝手だろう、そう思う他ならなかったが、きちんとした理由はある。
これは、中学に上がるある少し前のことだっただろうか。それまでは凛太朗も、彼女のことを『天音』と呼んでいた。皆が納得をする呼び方だった。
天音の趣味は、ピアノだった。そして、それは、抜群に上手でもあり、同時に特技でもあった。
「私の一番好きな曲は、ノクターン。だからすごい練習して。コンクールの自由課題では、これを選ぶの。そして、絶対賞を取るわ。」
ある日、凛太朗は天音の家に行くと、彼女はそう話していた。もうすぐピアノコンクールがあるらしく、彼女はいつもよりもずっと話し方に熱がこもっていた。
「ふぅん。なら、練習しなよ。」
そう凛太朗が、天音のグラウンドピアノの譜面台に置いてある楽譜をパラパラと捲りながら言う。
「えっ、ダメよ。」
「何で?賞取りたいんでしょ。」
「凜ちゃんがいるのに。今日は、この前言ってたDVD見る約束でしょ。」
今日の目的は、彼女と海外で人気のアニメのDVDを見ることだった。いつも公園で遊ぶことが多いが、時には、アニメや映画を見ることもあった。凛太朗が、ニューヨークにいた頃に流行っていたアニメの話をするとすぐに天音が見たいと言ったのだ。
「そうだけど。アニメなんていつでも見れるし。天音の練習のが大事だろ。練習嫌い?」
「ううん、好き。」
そう言い、天音は、ピアノに向かい、鍵盤に指を滑らせる。彼女は、時折、楽譜に目をやり、音色を奏でている。しっとりとしたメロディーが部屋に響く。凛太朗は彼女の奏でる音色を聞くことが好きだった。
「あら、ピアノの音が聞こえていると思ったら、天音ちゃん練習していたの。凛太朗君に悪いでしょ。」
天音がピアノを弾き終わるとすぐに彼女の母がジュースとお菓子をトレイに乗せ持ってきたところだった。
「いつもありがとうございます。僕が聞きたいって言ったんです。天音のピアノの音が好きで。」
そう言うと、天音の母は、まぁ、と言う。
「小学生の男の子でピアノが好きなんて言ってくれる子がいたのは、驚きよ。天音ちゃんのお兄ちゃんなんて、ピアノを習わせていたのに、ちっとも楽しそうじゃないんだもの。」
「お兄ちゃん、外で走る方が好きだもんね。」
「男の子は、そんなものだとい言うけど、もう少し大人しくなってほしいわぁ、ってこんなことを凛太朗君に言ってちゃだめね。じゃ、DVD見るなら早く見ないと中途半端になっちゃうわよ。」
そう言い、天音の母は、彼女の部屋から出て行く。
「天音のお母さん、僕の母さんと違って、いつも優しいね。」
凛太朗は、自分の母親と重ねる。凛太朗の母親は、放任主義であり、凛太朗にどんな友達がいるかなど興味はないようだった。
「そうかなぁ。凜ちゃんのお母さんに会ったことないから、今度会わせてよ。」
「また、ね。忙しい人だから。」
「そっか。ね、あと1回聞いてほしい。私のノクターン。」
そう言い、天音は、深呼吸してから再び鍵盤に指を置く。先ほどよりも慣れた手つきで、指を滑らせていく。弾き終わると、天音は、はぁ、と言う。
「やっぱり、私には、無理かな。」
天音が、そう言い、近くのテーブルに置かれたクッキーを一枚手に取り、かじる。
「上手だったよ。僕は、そう思う。」
「でも、失敗しちゃった。好きな曲なのに。」
凛太郎にはわからなくても、弾いている本人が言うのだから、それは、失敗なのだろう。
「好きじゃなくても、誰だって失敗くらいあるだろ。」
「ショパンさんはどうやって弾いていたのかな。」
「ショパンさん?」
彼女が聞きなれない、ワードを出すため思わず復唱する。
「うん。ノクターンを作った人。私は、さん付けしてる。でも、お兄ちゃんには変だって。」
「どうして変なの?」
「そんな呼び方する人がいないから。」
天音は、少し自信がなさそうに言う。
「天音は、そう呼びたいんならいいじゃん。でも、どうしてショパンさん?」
そう言うと、天音は、譜面台に置いてあった楽譜を凛太朗の前まで持ってくる。
「見て。これがノクターンの楽譜。これ、考えたってすごいと思わない。私にはできない。だから、さんをつけるの。」
「好きだからってこと?」
そう凛太朗が問いかけると、少し天音は首をかしげる。
「うーん。好きは好き。でも、尊敬してるから。」
「そうなんだ、じゃあ……」
そう言いかけて、凛太朗は、黙る。天音は、急に黙った凛太朗を不思議そうに見る。
「どうしたの?」
「僕も、さんで呼ぶよ。」
「うん。ショパンさん、すごいもんね。」
天音は、持っていた楽譜を抱きしめ、ふんわりとほほ笑む。
「ううん。僕は、天音のことを尊敬してるから。これからは、天音さん。」
そう言うと、天音は、目を丸くし、えっ、と声を上げる。
「凜ちゃんのがすごいよ。英語話せるし。」
「住んでいたから当たり前だよ。日本に居るから日本語が話せるようなもんだから。天音さん、今日は、DVDやめて、ピアノ練習しよ。」
そう凛太朗が言うと、天音は、うん、と言い、ピアノに向かう。彼女の表情は、真剣だった。
呼び方一つで相手との関係を図るのは、1つの見極める方法ではあるかもしれない。しかし、それは人それぞれで、いろいろな想いが含まれている可能性だってある。今回の天音と凛太朗のように。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
完結*三年も付き合った恋人に、家柄を理由に騙されて捨てられたのに、名家の婚約者のいる御曹司から溺愛されました。
恩田璃星
恋愛
清永凛(きよなが りん)は平日はごく普通のOL、土日のいずれかは交通整理の副業に励む働き者。
副業先の上司である夏目仁希(なつめ にき)から、会う度に嫌味を言われたって気にしたことなどなかった。
なぜなら、凛には付き合って三年になる恋人がいるからだ。
しかし、そろそろプロポーズされるかも?と期待していたある日、彼から一方的に別れを告げられてしまいー!?
それを機に、凛の運命は思いも寄らない方向に引っ張られていく。
果たして凛は、両親のように、愛の溢れる家庭を築けるのか!?
*この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
*不定期更新になることがあります。

ヤクザと私と。~養子じゃなく嫁でした
瀬名。
恋愛
大学1年生の冬。母子家庭の私は、母に逃げられました。
家も取り押さえられ、帰る場所もない。
まず、借金返済をしてないから、私も逃げないとやばい。
…そんな時、借金取りにきた私を買ってくれたのは。
ヤクザの若頭でした。
*この話はフィクションです
現実ではあり得ませんが、物語の過程としてむちゃくちゃしてます
ツッコミたくてイラつく人はお帰りください
またこの話を鵜呑みにする読者がいたとしても私は一切の責任を負いませんのでご了承ください*

女官になるはずだった妃
夜空 筒
恋愛
女官になる。
そう聞いていたはずなのに。
あれよあれよという間に、着飾られた私は自国の皇帝の妃の一人になっていた。
しかし、皇帝のお迎えもなく
「忙しいから、もう後宮に入っていいよ」
そんなノリの言葉を彼の側近から賜って後宮入りした私。
秘書省監のならびに本の虫である父を持つ、そんな私も無類の読書好き。
朝議が始まる早朝に、私は父が働く文徳楼に通っている。
そこで好きな著者の本を借りては、殿舎に籠る毎日。
皇帝のお渡りもないし、既に皇后に一番近い妃もいる。
縁付くには程遠い私が、ある日を境に平穏だった日常を壊される羽目になる。
誰とも褥を共にしない皇帝と、女官になるつもりで入ってきた本の虫妃の話。
更新はまばらですが、完結させたいとは思っています。
多分…
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜
雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。
【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】
☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆
※ベリーズカフェでも掲載中
※推敲、校正前のものです。ご注意下さい

好きな人の好きな人
ぽぽ
恋愛
"私には10年以上思い続ける初恋相手がいる。"
初恋相手に対しての執着と愛の重さは日々増していくばかりで、彼の1番近くにいれるの自分が当たり前だった。
恋人関係がなくても、隣にいれるだけで幸せ……。
そう思っていたのに、初恋相手に恋人兼婚約者がいたなんて聞いてません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる