私は神様になりたい

三樹

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第一章.視える者と視えない者

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※ ※ ※




 さぞ可愛い子だったろうに――。

 警視庁捜査一課検視官、かがみ 雄一郎ゆういちろうはフローリング上に女を見下ろして手を合わせた。同じように彼の後ろに立つ彼の部下二人も瞼を閉じて手を合わせる。
 壁と畳には血痕が飛び散っている。その部屋の中心でバラバラ死体を目の前にして顔色を変えない鑑は刑事として鑑識課に配属されて十年、検視官になって十年といったベテランである。と言ってもあと一ヶ月で検視官十一年目を迎えるので十年と言って良いのか。もういっそ「十一年です」と言っていいような気もする。だが、検視官として働いているとしても白衣を着ている訳でもなく、鑑識の紺色と襟元に黄色の蛍光色の制服を二十一年着続けているから、鑑は今では検視官ではあるものの「お仕事はなんですか?」と訊ねられたら「警察の鑑識官です」と答えていた。答えた後に「検視官だ」と間違いに気付くものの、訂正が面倒でそのままだ。本当は「警察官です」と答えずに「公務員です」と答えるのが鉄則なのだが……偏見がある為と自己防衛の為である。ただ、鑑は自分の鑑識官──検察官としての誇りと矜持があるから、素直に答えている。そのせいでトラブルを解決してくれだの、あの人を逮捕しろ、だの余計な揉め事に巻き込まれそうになり、妻に何度も注意を受けている──が、つい妻から受けた注意を忘れて人に聞かれたら答えてしまうのだった。
 遺体を拝んでいた筈だが、鑑はいつの間にか結婚二十周年をもうすぐ迎える妻の小言を思い出していた。そんな鑑の背中に部下が声を掛ける。

「捜査官が臨場してきませんね」
「──あ、あぁそうだな。何をしてるんだろうな」

 たった今まで、遺体を拝んでおりましたよ、と言った具合に鏡は瞼をゆっくりと上げて、部下二人と同じようにアパートの玄関を見た。
 黄色いテープが貼られたまま、そこを潜って通る刑事達が現れない。その代わりに外で男同士のいがみ合いの声が届く。

「ありゃ、揉めてんなぁ」

 鏡は呑気にそう答えた。あれは同業者刑事達だ。
 近所迷惑だな、と思うも止める気がない鑑の思考は、結婚記念日に何を贈ろうか、に変わっていた。不謹慎ではあるが現場の遺留品収集も指紋、足跡といったものは全て採集済だ。現場検証は済んでいる。検視だって終えている。あとは捜査員達が現場に臨場し、彼らに引き継ぐだけなのだが、一向にやって来ないなら、鑑が何を考えようが勝手である。

「呼びに行かなくていいですか?」
「やめとけ、やめとけ。体育会系達の争いに巻き込まれるぞ」

(ニ十本の薔薇と指輪はどうだろうか。気障過ぎるか?)

「しかし、遺体をこのままにしていては仏が可哀想です」
「それも、そうだなぁ」

 鏡は、散らばった遺体を見下ろす。

「どうせもうすぐ橘が来るんだから、あいつに任せとけ」

(──ニ十本の薔薇と指輪。ディナーはホテルを予約……これにしよう)

 部下二人の不安をよそに鑑は妻への贈り物とデートプランを決めた。
 一方、アパートの外ではパトカーが停まり何事かと近所の野次馬達がアパートの周りを取り囲んでいた。それからテレビカメラの記者達がスクープを狙って続々と集まりつつある。
 だが、野次馬と記者達はアパート前で今にも掴み合いの喧嘩をしそうな警察官二人が注目の的だった。制服警官と彼らの後輩が止めに入っているものの一向に収まる気配がなかった。
 記者が喧嘩をする警察官をカメラに収めようとレンズを向けた時に、乱暴な運転の黒いバンが派手なブレーキ音を立ててアパートの外に停まった。
 派手な登場に、全員がバンに視線を向ける。運転席から現れたのは、橘だった。

 
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