馬鹿犬は高嶺の花を諦めない

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仔犬、負け犬、いつまで経っても

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「師匠、見てほしい」

 クウィック文字を書き写した紙の束を渡して、崩れた石に座っている師匠の傍に腰を下ろした。
 俺がクウィック文字に取り掛かっている間、師匠が一人で他の調査をしてくれて、残すは今いる石室だけだ。中に入り込んでいた魔物も駆除が終わって、遺跡の入り口に結界の魔道具を置いているから、これ以上入ってくる心配もない。

「抜け漏れねぇかの確認は」
「ウィルマさんに手伝ってもらって、魔術で壁に傷があるところ拾って、最後に念のため目視で全部調べた」

 完璧と言い切れるかちょっと怪しいけど、少なくとも魔術の方は信用していい、と思う。
 クウィック文字の落書きは遺跡の壁に彫り付けて書かれていたから、ウィルマさんに手伝ってもらって、遺跡の壁に傷が付いているところを捜索する魔術を作った。使い方が限定的だけど、たぶん適当に書き換えれば何かに使える、はずだ。本当は見つけた傷が文字かどうか判別するところまで出来ればいいんだけど、ちょっと手の込んだ魔術はまだ俺には作れない。
 ひとまず傷があるところがわかったら俺が行って確認して、念のためその近くにクウィック文字で書かれたものがないか目で探して、という地道な作業をくり返した。最後にもう一度、壁とか天井とか床とか、それこそ師匠が座っているような崩れ落ちた石とか、そういうのまで全部確認してきたから、さすがに見落としはない、と思いたい。
 あとは内容を訳して、意味が繋がるように並べ直して、もう一度綺麗に清書して終わらせた。師匠の目が俺の字を読み進めていく。昨日より少しだけ金色が強いような気がする。

 落書きの内容は、この遺跡に入り込んだ誰かが書いたものみたいだった。日付とかもなかったし、年代はわからない。でもクウィック文字で書かれていたから、少なくとも新しいものではない。今の言葉に訳したら、こんな感じだ。

『あの日何が起こったのか、正確に理解しているものはいないと思う。山は怒り狂ってマグマを噴き出し、空は喪服のごとき雲をまとって嘆きの雨を降らせ続けている。風は普段の穏やかさを忘れたかのように猛り、大地は苦しみに悶えるかのように震え続けている。大いなる闇が全てを覆い、植物は枯れ果て獣も姿を見せなくなってしまった。これから何が起きるのか、私が生き延びられるのかもわからない。だがいつか、近い未来か遠い先か、これを読む人がいることを願い、私が見ているもの、聞いているもの、これらが役に立つことを信じて、記しておこうと思う』

 俺は学者じゃないし、こういう調査をするのも師匠に言われてやるだけだ。でもこれは『消失』に関する記述なんじゃないかと、素人考えでも思った。だから師匠が全部探し出して訳せ、なんて言ったんだと思うし、書いた人もわざわざ、すでにある建物の石壁に彫り付けるなんてことをしたんだと思う。石に溝付けるのが結構大変なのは知ってる。

「……これだけあれば、充分だな」

 師匠が俺を見て満足そうに笑った。褒められた。嬉しい。そのまま撫でてもらったから、嬉しすぎて頭を擦り付けたら軽く叩かれた。ちょっと舞い上がりすぎた。でも落ちつけない。

「師匠、ご褒美」
「俺の仕事が終わってねぇし石の床はごめんだ」

 今すぐじゃなかった。俺の渡した紙の束を脇に除けて、師匠が自分の翻訳作業に戻ってしまった。
 待てを言い渡されたし師匠の作業があるのはわかってるけど、構ってほしくて師匠の後ろから抱き付く。あんまり邪魔しないように、体を撫でるのは我慢する。けど、いいにおいがするから、鼻を寄せるのは許してほしい。

「……ちゃんと抱かせてやるから、いい子にしてろ」
「はい、師匠」

 やった、甘やかしてもらった。くっついてても怒られない。褒めてもらったのも撫でてもらったのも充分ご褒美だけど、もっと欲しいものが後でもらえるから、言い付け通り大人しくくっついてるだけでも幸せだ。
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