馬鹿犬は高嶺の花を諦めない

phyr

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仔犬、負け犬、いつまで経っても

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 師匠がさらさらと翻訳した文字を書いていく。文字の読み方も書き方も師匠に習ったけど、俺の文字は師匠みたいに綺麗じゃない。読めなくはないけど上手とは言えないはずだ。師匠の字は読みやすくて、建物のレリーフとか絵とかみたいに綺麗で、これがお手本だったのに何で上手く書けないのか、自分でもよくわからない。

「師匠」
「んー……?」

 邪魔をしないようにじっとしてたけど、ちょっと飽きてきて師匠に声を掛けた。生返事だけど、師匠はいつもちゃんと俺の話に耳を傾けてくれる。だから気にせず、師匠に抱き付いてぽかぽかした気持ちのまま話を続ける。

「俺がもっと魔術使えるようになったら、師匠ともっと一緒にいられる?」
「……うん?」

 珍しく不思議そうな声を上げて、手を止めた師匠が肩越しに俺を振り向いた。瞳がいつもよりきらきらして見える。遺跡の中での調査が続いてあまり魔物とも戦っていないから、魔力が多くなってきているのかもしれない。

「俺が魔術使えるようになったら、便利になるから、師匠と一緒にいられる?」

 師匠は自分の体の外に魔力を出せないから、自分の体を強化することは出来ても、火を点けたり水を出したりする魔術は使えない。
 だから俺がそういう魔術を上手く使えるようになったら、師匠が便利になるから、傍に置いてもらえるはずだ。煙草の火を点けるのが楽になるし、水筒で水を持ち運ばなくても済むようになる。洗濯物だってすぐ乾かせるし、土を盛り上げてすぐに屋根を作ることだって出来る。便利な道具でも、犬扱いでも、何でもいいから俺は師匠の傍にいたい。
 師匠が少し動いたから、仕方なく手を離す。くっついてたら師匠のにおいがして、くっついてるところがあったかくてたくさん嬉しくなるから、出来るなら師匠に抱き付いていたい。普段は、くっつこうとしたら蹴り飛ばされる。
 石の上で俺と向かい合うように座り直して、軽く眉根を寄せた師匠が口を開いた。

「……あのな、テメェはもういい大人」
「やだ」

 言葉の途中で遮って、正面から師匠に抱き付く。いつもだったら許してもらえないけど、今日は師匠が甘やかしてくれるから、たぶん引き剥がされない。

「俺は師匠がいい」

 確かに、拾ってもらった時は子供で、師匠に育ててもらったからもう大人にはなってるけど、だからって師匠から離れようと思うわけがない。何回言っても伝わらないなら、何回でも言うだけだ。
 俺が欲しいのは師匠だけで、師匠と一緒にいられるなら何でもするし、師匠が離れろって言ってもそれには絶対うんって言わない。親離れとか、独り立ちとか、そんなのは知らない。
 拾ってもらった時からずっと、師匠だけがいい。

「……あのなぁ……」

 呆れられても構わない。この人と一緒じゃなくなるのより、ずっとずっといい。

「師匠がいい」

 もう一度言って、師匠の肩に頭を擦り付ける。ちゃんと魔術を習って、師匠の役に立つようにするから、傍にいさせてほしい。ぎゅって必死でくっついてたら、師匠の手が動いて、背中を撫でてくれた。

「……でっけーガキだな、テメェは」

 優しい。師匠がいつもよりたくさん優しい。これもご褒美だろうか。ぐるぐる喉を鳴らして、頭を擦り寄せて師匠に甘える。背中でも撫でてもらえるのは嬉しくて、もっと先まで欲しいけど、まだ我慢しないといけない。

「いい子にしてろ。仕事がまだ終わってねぇ」
「はい、師匠」
「……くっついてんのは、許してやるから」

 ちょっと驚いて顔を上げたら、前は邪魔だから後ろって言われた。急いで頷いて、師匠の邪魔にならないようにどいて、資料に向き直った背中にまたくっつく。くっついているところが、ぽかぽかだ。
 師匠にくっついていると、いいにおいがする。煙草のにおいももちろんするけど、たぶん師匠のにおいなんだと思う。ふわふわのベッドに包まれてるような、甘い気持ちになれるいいにおい。

「…………いい子にしてろ、気が散る」
「ごめんなさい、師匠」

 すんすん嗅いでたらちょっと怒られた。あとはちゃんと大人しくして、師匠の作業が終わるまでいい子にしてた。
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