星の降る日は

なつか

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1. 始まりの日は

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 まぶしい日差しが目にかかり、エルバルトはうっすらと重たい瞼を開いた。

 ――ここは、どこだ…?

 ぼんやりと目だけであたりを見回すが、見覚えのない部屋だ。
 体は鉛のように重く、寝かされたベッドに沈み込んだまま動かない。
 まだ朦朧とする意識とともにふと顔だけを横に向けた。

「起きたか?」

 唐突にかけられた声に驚きながらもその声のした方へと視線を移すと、窓の前に佇む人影を見つけた。
 窓から差し込む陽の光は傾き始めている。その影になっているせいで顔は見えないが、おそらく知らない人物だ。
 知らない場所に、知らない人。あまり好ましい状況とは言えない。
 少しずつ明瞭になってきた意識とともに、起き上がるために体に力を込める。
「うっ…!」
 ところがその途端に体中に激痛が走った。どうやらケガをしているらしい。さらに悪い状況だ。もう一度、と力を籠めるが、エルバルトが起き上がるよりも先に陽光の中にいた人影が動いた。
「無理に起き上がるな。頭を打っているし、おそらく足は折れている」
 静かな低音の中にまだ幼さが残るその声の主は、窓から離れたことで光に隠されていた色を取り戻していく。
 エルバルトはその姿に思わず息をのんだ。

 顎の先あたりまで真っ直ぐと伸びた銀色の髪。そこから覗く、髪と同じ色の睫毛に縁どられた大きな金色の瞳。顔の中心を通るすっと高い鼻筋の下には、紅を引いたかのような赤く形の良い唇が白い肌に浮かぶ。
 背はエルバルトよりも少し高そうだが、服の上からでもわかるほど細く、華奢だ。
 その美しさはどこか儚く、神秘的で、思わず人でないものなのではないかと疑いたくなるほとだった。
「きれい……」
「は?」
 これまで美男美女、と呼ばれる人に会ったことは何度かあるが、それでもこんなにも人を美しいと思ったことは初めてだ。
 その美しさに魅入られるがままじいっと見つめていると、その美しい人はあからさまに眉を顰めた。
「おい、見すぎだ」
「し、失礼しました」
 でも視線を外すのは惜しい。エルバルトの居るベッドから少し離れた場所に立つその美しい人を伺うように見上げる。その視線にさらに眉間のしわを深めたその人は、胸の前で腕を組み、はぁっとため息を吐いた。
「で、お前はなんであんな所にいたんだ?」
「あんなところ?」
「森の中だ」
「森? えっと、今日は王宮に騎士団試験を受けに来てて、」
 それからどうしたんだったか。頭を打ったせいか曖昧になっている記憶を手繰り寄せる。

 ――そうだ! あいつらに森の中に連れていかれて崖から落とされたんだ!


 ここエクドラル王国には、王都内を守護する王都騎士団と、王都外を守護する王国騎士団の二つの騎士団が存在する。ともに国を守る騎士団は国の要職であり、国民の憧れの存在でもある。
 その騎士団に入団するためには試験に合格する必要があり、エルバエルトもこの日行われる騎士団入団試験に参加するため、王宮内にある騎士団の訓練所に来ていた。
 とは言え、エルバルトの剣の腕は幼いころから評判高く、騎士団入りは確実だと言われている。本人も、もちろんそのつもりだった。
 多分、それがいらぬやっかみを生んだのだろう。

 試験を受けに来た多くの少年少女たちに混ざり、一人試験の開始を待っていると二人の少年が焦った様子で声をかけてきた。
「さっきここに来る途中で母さんの形見のピアスを落としちゃって…探すのを手伝ってもらえないかな?」
 なんで俺が、とにべもなく答えるが、相手もひく様子はない。
 すがるようにしつこく懇願され、相手をするのが面倒になってきたことと、まだ試験の開始には少し時間があったこともあり付き合うことにした。それが間違いだった。
 その二人は訓練所の横にある森の中にエルバルトを連れて行き、落としたという『母の形見のピアス』を大げさに探し回った。
 そして、ついに見つけたと指をさしたその先で、エルバルトの背を思いっきり押したのである。

「いろいろあって…崖から落ちてしまったようです。助けていただいたんですよね? ありがとうございました」
 体が起き上がらないので、目線だけ下げ礼を言うと、美しい人は眉間に深くしわを寄せたままピクリと片方の眉を上げたが、フンッと鼻を鳴らしただけで子細を問うことはしなかった。
 多分、興味がないとか、深入りしたくないとか、はたまたその両方と言ったところだろう。
 でも、エルバルトは今いるこの場所にも、目の前にいるこの美しい人にも興味津々だ。
 だからまずは現状把握、という大義名分を持って、美しい人へ問いかけた。
「あの、ここはどこですか?」
 エルバルトが突き落とされたのは騎士団訓練所の横にある森だった。だから、王宮からそう離れた場所ではないはずだ。でも、レンガ造りで堅強な、お世辞にもきれいとは言えないこの部屋は、白亜の宮殿と称えられる王宮に連なる建物とはあまりにも雰囲気が違う。
 はたまた騎士団関連の場所だとしたら、ここにいるこの美しい人があまりにもそれにそぐわない。
 さっぱりと見当がつかないまま投げかけたその問の答えに、エルバルトは再び息をのんだ。
「ここは王宮の北側だ」
 王宮の北側。そこにある建物は一つだけ。
「まさか、魔塔?!」



 エクドラル王国はルベルク大陸の南方に位置し、温暖な気候と、その恩恵をありありと受ける豊かで広大な国土からなる、大陸でも有数の大国である。
 しかし、大国を大国せしめているのはそれだけが理由ではない。

 ルベルク大陸には魔獣が存在する。どこともなく湧き出る瘴気に触れた獣が魔獣になるといわれているが、実のところその正体は不明なままである。
 わかっていることといえば、魔獣は人を襲い、瘴気は作物を枯らす。
 それらはルベルク大陸で暮らす人々にとって圧倒的な脅威であり、現に魔獣の襲撃により滅びた国はこれまでにいくつもあった。
 だが、エクドラル王国はその国が建った当初から、その王都フィーレンにただの一度として魔獣の侵入を許していない。
 なぜなら、この街は建国から百数十年もの間、一日も欠かすことなく張り巡らされた『結界』に守られているのだ。
 この結界の内から魔獣により滅びた国を吸収し、エクドラル王国は大国となっていった。

 そして、その結界を維持するはたった一人の魔導士。
 結界の守護者、魔塔の主、そして最強の魔導士。様々な名で呼ばれるその人が住まう場所こそ、今エルバルトがいる“魔塔”と呼ばれる場所だった。

「怪我は治してやるから、迎えが来たら帰れ」
 どうやらエルバルトをここに運んですぐに王宮へ使いを出していたようで、やはり面倒ごとには関わりたくないという様子がありありと伝わってくる。
 だからと言ってエルバルトはすぐにここから出ていくわけにはいかない。
「あの、あなたは魔塔の主様ですか…?」
 問いかけた先からの返答はない。だが、この場合無言は肯定の意であることがほとんどだ。

 ――やっぱり魔塔の主様なんだ…!

 エルバルトは一人確信を深め、興奮を通り越し、感動していた。

 魔塔に住まう魔導士が結界を張り、魔獣を王都から退ける物語…エクドラル国民であれば必ず幼い頃に聞かされるこの物語がエルバルトは大好きだった。
 それこそ本が擦り切れるほど何度も何度も読んだ。

 実際に魔塔は存在し、結界を張る魔導士も存在するのだから、実話をもとにした物語だということはわかっている。ところが、魔塔には、塔を管理する王宮と、魔導士を束ねる神殿の限られた者しか基本的には訪れない。
 魔塔の主と他者が接触することが禁じられているわけではないが、塔自体が王宮の森の奥にあり、辿り着くことが困難なうえ、ありがちな尾ひれが付いた噂により、王都民が気安く近寄れる場所ではなかった。
 それに、魔塔の主も自ら街に出ることもほとんどない。だから、エルバルトにとってもそうであるように、王都に住まうほとんどの人々にとって魔塔の主は『物語の主人公』でしかなかった。
 だが、エルバルトはその魔塔に入り、目の前には憧れて止まなかった『物語の主人公』がいる。
 そんな状況で、冷静になれ、というほうが無理である。

「もっと爺さんを想像してた…」
 思っていたよりずっと若く、そして美しい。
 エルバルトは感動と好奇心を隠さず、目の前の『物語の主人公』を熱い眼で見つめた。
「言っておくが、これでも二十を過ぎているからな」
 と言われたものの、その見た目はどう見てもエルバルトとさほど変わらない年に見える。
 そういえば、魔塔の主様は年を取らないと物語に書いてあった。エルバルトの跳ね上がった好奇心はとどまるどころかさらに高まっていく。
「あの…!お名前を伺ってもいいですか?!」
 キラキラとした視線を浴びて、ことさら嫌そうな顔をした魔塔の主は、エルバルトに掌を向け、何か言葉を唱え始めた。
 その言葉に導かれるようにあたりに淡い金色の光の粒が灯っていく。その光はエルバルトを包み込んだかと思うと、まるで吸い込まれるかのように消えた。
 それと同時に、気が付けば起き上がることができないほどの体の痛みも消えていた。
「まだ痛いところはあ…」
 言葉を終える前に、エルバルトは勢いよく立ち上がり、あろうことか魔塔の主に抱きついた。いや、飛びつく、のほうが正しいかもしれない。
「すごいすごい! 本物だ! 魔塔の主様だ!」
「おい! 放せ…!」
「助けていただき、本当にありがとうございました。あなたは命の恩人です。このご恩は必ずお返します!」
 またここに来る言い分を手にしたエルバルトは、輝く瞳で目の前にいる『恩人』を見つめた。
「必要ない…!」
 ようやく我に返った魔塔の主は、未だ背に手を回したままでいるエルバルトを何とか引きはがし、後ずさる。しかし、そんなことを気にする様子もないエルバルトは姿勢を正し、胸にこぶしを当て騎士の敬礼の姿勢を取った。
「俺は必ず騎士になります。そしてあなたの護衛騎士として、一生あなたを守ることを誓います!」
 エルバルトの言葉に、窓から差し込む夕日に延ばされた影に押されるように魔塔の主がふらついたように見えたのはきっと気のせいだろう。
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