勇者の血を継ぐ者

エコマスク

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【207話】 勇者と大きな牛

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ルーダ・コートの街の中でミノタウロスが人を惨殺している。
正確に言えばリリアが出くわしたのはミノタウロスが何人かの通行人と巡回兵を殺して、周囲にいた人が逃げ出す現場。

リリアが見ても犠牲者が何人とはっきりとわからない、散らばり過ぎていて四人、五人程度の犠牲者がいるように思われる。
“弓を持って来ていない…”
今夜は感謝祭、街中ではあまり必要としない武器、収納が悪い弓と矢筒等持ち歩いていない。
リリアが先ほどから大声をだすのでミノタウロスもリリアに気がついて様子をうかがっている。
リリアも生ミノタウロスは初めてお目にかかるが物語や資料で知る限りではリリア一人で戦っても到底勝ち目はない相手。
弓であればどうにか出来ると思い、路上に目を走らせるが人の体が散らかって、剣と盾が落ちているのみ、街中の巡回兵が弓など持ち歩いてはいない。

「家から出ないで!だけど、だれか衛兵に通報して!武芸が出来る人は応援にきて!ユイナ!起きてよ!」リリアが叫ぶ。
こういう相手こそ弓で勝負なのだろうが…
ミノタウロスの大きな影がリリアを伺う、まだ距離はある。
リリアは例の長たらしい呪文を唱えてリリアモデルの剣を抜いた。
“キラーン”
夜の街中に刃が光る。
「お、おい、あいつとやるのかよ!無理だ、逃げるが勝ちだ、誰か呼べよ」ダカットが声をあげる。
「わかってるわよ、やらないわよ… いや、やるけど… でも、一人じゃ無理だよ、だけど逃げている間に犠牲者を出すわけにはいかないじゃない」リリアが剣を手に声を振るわす。
ミノタウロスが“キラーン”に反応したのかリリアに歩み寄り始めた。
「き、来たぞ!とりあえず逃げろよ!」ダカットも震える。
「お願い!誰か衛兵を呼んで!ユイナ!誰かぁ!」
リリアは叫びながら用心深く距離を取る。
「あれは無理だぞ!リリア一人じゃ無理だ!逃げろよ」ダカット。
「家に暴れこまれたら大変だよ。ミノタウロスだってこっちが十人もいればなんとかなるよ、人が来るまで時間かせぎ!誰か助けてぇ!」リリア。
「リリア、無理だ!おまえなら一瞬で八つ裂きにされて終わりだ。勇者なんて肩書だ、どうせ誰にも認められていない空気勇者なん… わあぁー!」
リリアはダカットをぶん投げた。
「いちいち人が傷つくことうるさいんだよ!もうあたしあなたの面倒見ないから!貴族に拾われて屋敷の掃除道具でもしてればいいのよ!」リリアは怒鳴っている。

“なんとかシルキーの屋敷にたどり着ければ…”
リリアはミノタウロスの背後にあるシルキーの屋敷に目をやりながら考える。
リリアは街中に忽然と姿を現したミノタウロスを見た時から、シルキーが関わっていると感じていた。
ただの感なのだが、なぜかシルキーに会えれば真相がわかる、事件の解決策があると確信できる。

リリアにとっては強敵過ぎる相手だ。見なかったことにしてギルドに帰ってベッドに入りたい。いや、なぜ素直に繁華街を帰らなかったのだろうかと後悔がある。しかし、見てしまった以上は逃げ出して犠牲者を増やすわけにも行かない。
「クレアレ・エビール…」
ミノタウロスが何か呪文を唱えると散らかっていた死体が動き出した。
“ゲ!レイズ・ゾンビ使えるのかよ!“
しかし、惨殺しすぎて上半身だけ這い始めたり、下半身がバタバタしていたり、腕がピクピクしていたり… 気持ち悪い事になっている…
パラパラと家の門から武装した兵士が出て来た。
雇われのガードか武芸をたしなむ貴族が武器を持って出てきたのであろう。
ほとんどの者が目の前の光景に唖然としている。
一人が勇敢にも挑みかける。
「バッ!」
ミノタウロスが一瞬で弾き飛ばしている。
「皆、慌てないで。下がっていて!衛兵を呼んで!命を無駄にしないで!人が集まったら数で勝負よ!」リリアは精一杯叫ぶ。

“時間稼ぎしてもらって、あいつの側をすり抜けてシルキーの館へ…”そう考えた時だった。
「グバ!」
ミノタウロスの口からショックウェーブが発せられリリアはぶっ飛んだ。
「わぎゅ!」
結構飛ばされて地面に打ち付けられた。
メッチャ強い呪文。こんな奴に勝てるわけがない、お家に帰りたい。
「痛あぁい… 痛すぎだよ…」
強い上に色んなスキルを持っているようだ。
リリアは何故自分がこんな現場に遭遇してしまったのか後悔したが、今そんな泣き言を言っている場合ではない。
とにかく、一般人に被害が及ぶ状況ではない、これを維持して時間稼ぎをするしかない。

「大丈夫か君!」
騒ぎを聞きつけたのか通報があったのか巡回兵が三名駆けつけてきた。
「わ、何だあれ!どこから街に入ってきた?」ミノタウロスの姿に驚いている。
「外からじゃないわよ、でも戸締りも確認した方が良いかも… あれは牛のモンスターよ。ステーキの親分が人間にリベンジマッチに来たの。強敵だよ、食べ物の恨みよ!あたしに考えがあるの、とにかく人が集まるまで時間稼ぎして」リリアが全身の痛みに耐えながら立ち上がる。
「君は?」場慣れした感じの冒険者の娘に衛兵が聞く。
「あたし、勇者リリア、所属は冒険者ギルド・ルーダの風… え?勇者だよ!もう、勇者でも冒険者でもどっちでもいいわよ!ルーダの風も小さいギルドだけどあるんだよ! それより、あいつを引き付けて時間稼ぎして!あたし、あの元凶を知っている気がするの!詳しく説明している暇ないの、とにかく時間稼ぎ。それから、街中にいって冒険者に非常招集かけてきて!」リリアが怒鳴る。
衛兵達もとりあえず「了解した」と仲間を呼びながら被害が広がらないようにする。
「あの牛、メッチャ強いからとにかく命大事によ!」
リリアは叫ぶと非常線を張る衛兵を残して近くの屋敷の壁を乗り越え始めた。

「君、どうする気だ!」
壁を越えてよそ様の前庭に入っていく娘を見ながら衛兵が呼び止める。
「あの牛飼っているのがこの先の屋敷の主だと思うの!何とかしてもらう!通りは危ないから庭を伝っていくのよ!」
娘はそう言いながら壁を越えて行った。

「よ、よし、付近の衛兵に緊急を知らせろ、冒険者にも声をかけろ!それから一般人は家に入っているように」
付近が整理され始めた。
娘は消えた方角から犬が吠えるのが聞こえる。
「わぁ!犬?番犬? やめて!急いでるの!きゃー!噛まないで!来ないでえぇぇ!」
娘の叫び声が聞こえる。
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