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しおりを挟む少しの沈黙が流れた後、橙はおもむろに口を開いた。
「あの2人が居るのはあと1週間くらいなんだよね?」
「いや、一週間を切っている。」
橙の問いに頷く青秋。
話が逸れたのだろうかと少しホッとする。そして、答えてから改めて考えた。
つまりその残りの一週間足らずの間に、青秋は一織か八束のどちらかから色良い返事を貰わねばならないという事だ。だが、青秋は殆ど確信していた。
バース性転換の話をしてから、明らかにあの2人は揺れている。きっと青秋の提案を受け入れるだろう。
後は、2人共が互いの為に青秋の子供を産もうと個々に申し入れてくるか、或いは相談した末にどちらかが来るのか…。
互いを想い合うあの兄弟は、誰よりも近しい双子だからこそ更に切実なのかもしれない。
無論、幾ら片割れがΩからαになろうとも、あの2人は血をわけた肉親なのだから実際に番を結ぼうとしたなら色々問題は生じる事になる。
まず倫理的に許されない事だし、高い確率で先天的遺伝子に障害が顕れる可能性を危惧されて、子供を作るのは禁じられるだろう。
いや、子供に関しては杞憂に終わるかもしれない。そう思い直したのは、数日前の江口との電話での遣り取りを思い出したからだ。2人には言わなかったが、研究者であり最初の被験者となってαへの転換に成功した江口本人から聞いた話では、α化してからずっと、自身の精子が生殖能力を失っているのだという。本人は笑っていたが、笑い事ではないのではと青秋は思ったものだ。
『生殖機能はおそらく、戻る事は無いかもしれない。』
最初にそれを聞いた時、青秋が持った感想は、無理にバース性を転換させた為に遺伝子が壊れた…つまり、後天性の染色体異常を発症したのだろうか、というものだった。
しかし江口が言うには…。
転換には体調を見ながら一定期間の投薬が必要である。しかし、当然ながらというのか、その薬剤はまあまあ強く、体質によっては拒否反応も出る事が考えられる。そして、その薬に耐え続ける事は体内の全てにストレスが掛かるという事であり、その事により精子の欠乏が起きたとも考えられる。これは高熱や、ある種のウイルス感染を経験した患者にも起こり得る現象で、そういう事が起きるかもしれないという事は折り込み済みである。そういった副作用が起こるのもやはり個々の体質によるものだと考えられ、それが一時的な現象で、後々回復していくものなのか、永遠に失われてしまうもなのかも未だわからない。只、回復すれば、αの特性である生殖能力の高さを発揮する事は出来るだろう――。
――とまあ、概ねそんな意味の事を言われた。
しかしその全てが憶測なのは、江口以前の被験者データが一件もないからだ。
つまり、転換する事が問題なのか、投薬に使用している薬剤に対しての副作用なのかは未だわからない、という事らしい。
確かに、その現象が本来あるべき性を無理に変換させた事に対する遺伝子の報復と捉えるには、エビデンスが皆無な現状では早計過ぎるかと青秋も思い直した。
しかし、愛しいΩの為のみにα転換を望んだ江口は別として…。この先、αという社会的優位性を目的として転換を希望し成功した者がいたとした場合、生殖能力欠乏のリスクは致命的なのではないだろうか。生殖能力の高さはαの価値の一部だと考えられていて、それが無いとなれば本人は重大なコンプレックスを抱えながら生きる羽目にはなりはしないか…。
だがそれでいくと、江口と同じで愛する者が血縁者である八束にとっては、その方が好都合であるとも言えるかもしれない。
もし番を結んでしまっても、少なくとも妊娠は回避出来る。
兄弟で番になる事により、彼らを産んだ母親(男性Ω)は心を痛めるだろうが、子さえ成さなければ更なる悲劇は免れるだろう。番申請はしなければならないが、兄弟姉妹間における番契約がレアケースでも、実は全く無かった事でもないから受理はされる。倫理的に問題があるとはいえ、一度番を契約してしまっている場合、解除するリスクの方が高い。それに、番になってしまったとしたって、対外的には黙っていれば良いのだから…。
(…まあ、自分には関係の無い話だが…。)
妙に麻生家の内情を案ずるようになってしまった自分が可笑しくて、青秋は片方の唇の端を上げた。余計な事を考えてしまったと。
自分はあくまで目的の為により好条件を提示したに過ぎない。高城の家の為、自分の為、青秋は非情にならなくてはならないのだ。
そんな事を考えていたら、ずっと青秋の様子を見ていた橙が言った。
「…じゃ、俺も暫く居る事にするよ。」
「えっ?」
「なに?駄目?」
「いや、そんな事は全然無いが…。」
そもそもこの別棟も部屋も、橙の為にあるのだから。未だ八束達との交渉をしなければならない事を思えば橙が居ると少し動き辛くはあるが、せっかく帰ってきてくれた橙をそれを理由に追い払いたくはなかった。
「良かった。」
立ち上がって青秋の席に歩み寄った橙は、未だ座っている青秋を後ろから抱きしめる。至近距離からふわりと香った橙のにおいに、青秋の脳髄はくらくらと痺れた。こんなにも心地良いのに、これは橙のαのフェロモンではないのだ。もし、それが嗅ぎ取れたならどんなに…と青秋は思う。
「実はもうアメリカでの一人暮らし、飽きてたんだ。
遊び飽きたし、日本の友達も遊びに来てくれないし、それに…、」
「ん?」
「青兄もいないし。」
橙は何気無く言っただけで、きっと他意は無い。いちいち振り回されるな、と思うのに、青秋の胸は高鳴った。頬を掠める橙の髪の感触に思わず目を閉じてしまう。幸せだ。どれくらいぶりだろうか、橙とこれ程の接触をしたのは。
「…何時迄も子供みたいだな、橙。」
嬉しさを押し隠しながら、首に巻き付いている腕をぽんぽんと軽く叩く。
この距離感と人懐こさで何度勘違いしかけてモヤモヤさせられ、泣く羽目になったのかを忘れてはいけない。橙が人たらしなのは昔から身に染みている。平静を保たなくては。
「だって青兄が近くに居てくれないと、俺、ひとりぼっちなんだもん。」
「ふは、そんな訳ないだろう。お前は誰とだって仲良くなれるんだから。」
国や言語の違いなどは、コミュニケーション能力の卓越した橙にとって障害にはならない。それは彼を具に見てきた青秋が一番良く知っていた。
「そうだけど…そうじゃなくて。青兄は、違うじゃん。」
青秋は、不貞腐れたように呟いた橙の、次の言葉を待った。
「青兄は俺の特別じゃん。」
「……そうか。」
「ずっと俺の傍に居てくれるんだろ。」
「…そうだな。」
その約束を違えるつもりはない。何時か橙が伴侶を持っても、子を持っても、青秋は橙が求めてくれる限りは傍に居続けるだろう。彼の望み通り、良き従兄として。
そして、その為にも青秋には高城の家の跡継ぎを残す義務を果たさなければならないのだ。
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