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12 (俯瞰)
しおりを挟む何を言っているんだろうか、と耳を疑う。
小説や漫画じゃあるまいし。
そんなフィクションだって、既にバース性が定着した成人が転換するのなんか稀だ。
αやβがΩになる、通称Ω堕ちと言われる現象がある、なんてのは聞いた事はある。
βだったものがある時を境にαに格上げ、なんて事も聞いた事はある。
だがそれが実際にあったかどうか真相はわからない。運命の番みたいな都市伝説として認識しているけれど、Ωからαに格上げなんてのは聞いた事すらない。どんな確率でも起こり得る訳がない。
一度出来上がった膣咥や子宮が何処に消えるというのか。
「…馬鹿らしい。」
青秋があまりに荒唐無稽な事を言い出すものだから、一瞬呆気に取られてしまったが直ぐに我に返った八束は、呆れたように首を振った。
この世にαになりたいと願う者は数知れない。どうせなるなら生まれながらに勝ち組が良いに決まってるからだ。
八束だってご多分にもれず、αにという願望はある。一織とセックスしている時は特に思う。
匂いを嗅ぎたい、白いうなじを噛んで自分の所有痕をつけたい、兄の薄い腹の中、奥の奥に子種をぶちまけて孕ませたい。αならばそれが全て可能なのにと、何度思ったか知れない。
自分がαでさえあったなら、血の繋がりなんて壁を踏破して一織に選んでもらう。番にする。絶対に。
αになりたいと、願望どころか切望してきた自負がある。
10歳の時のバース検査でΩ率40%が出た時、既に兄の一織に恋していた八束は、好物の乾燥梅干しも喉を通らない程に落ち込んだ。
高校入学前の二次検査では、もしかしたらという淡い期待も打ち砕かれて、Ω率は60%を超えてしまった。二次検査で最も高い数値が出たバースが、18歳になる迄には完全に確定するというのは常識だ。
成人を過ぎた後にそれが覆される事なんか、聞いた事が無い。
「揶揄うのはやめてください。ありもしない可能性に縋る程、もう子供じゃないので。」
八束の言葉は淡々としていたが、青秋はそれを聞いて、ふっと笑った。それに、八束より一織の方が反応した。
「何なんです、青秋様。俺達を揶揄ってます?」
長い睫毛に縁取られた綺麗な二重の目を眇め、青秋を見据えた一織は、睨みつけるというより哀しげに見える。
決して口にはしないけれどずっと懊悩を抱えていた八束を、誰よりも見つめてきたのは一織だ。半身の考えてる事くらい、わからない筈がなかった。
「番になれない俺達の事、同じαの従弟さんを愛してる青秋様ならわかってくれると思ったのに。こんな冗談、あんまりです。」
瞳に涙の膜を張りながら、自分よりも体格の良い八束を庇う一織は美しいと、青秋は素直に感じた。
細身過ぎるけれど、なかなかどうして。中身にはかなり強靭な芯がある。普段は八束に頼り守られる事の方が多いのだろうが、自分の脆弱さを理解していながらもいざと言う時には弟を守る兄であろうとする一織は、人として好ましいと思った。
だが、嘘つき呼ばわりされるのは些か心外だ。
「既に一人、転換に成功した者が居ると言ったら?」
青秋の言葉に、一織と八束は無言で目を丸くした。
まさか、と思っているのがわかり易い。
青秋は立ち上がり、後方奥の大きな机迄歩き、書類のようなものを手にして戻ってきた。それがテーブルの上に置かれ、一織と八束は自然とそれに視線を落とす。
それは英語で書かれた文書だったが、右上には東洋系の男性らしき人物の画像があった。線の細い端正な顔立ちの男だ。
「…この方は?」
八束の問いに、青秋は答える。
「詳しくは未だ明かせませんが…。アメリカの、とある研究室に在籍している学者です。
私とは向こうの大学で知り合いましたが、彼は三年程スキップして大学に入学していた、所謂天才と言われる部類の人間でした。現在の専門は遺伝子工学です。」
「遺伝子…。」
それを聞いて文字列に目を走らせる八束の顔色が変わった。
「…まさか…。」
「未だ未発表です。というか、この先も公にされる事すらあるかはわからない。
成功はしましたが、倫理的に問題があるとされる手段でしたのでね。」
「……。」
「この男は学生時代、周囲にはβと認識されていました。実際には、二次検査の段階でのバース比率はΩ因子60、α因子30、β因子10。」
通常のバース検査では、最も高い数値が出た因子のパーセンテージだけが表示される。希望者は詳細な結果を得る事も可能だが、殆どの者は表示されたそれで納得する。
二次検査の結果がその後変化する事なんか殆ど無いからだ。稀に、一織達の母である麻生水澄のように遅発性で変化する例もあるが、それだって身体が未発達の18歳以前だからこそ起こり得た事だった。
「人間とは勝手なものですね。優れた者がいると、先ずはαだと思い、違えばβだと思い込む。何故かΩには行き着かない。Ωだって脳の造りが変わる訳ではないのに。」
青秋は女とΩが嫌いだ。
それはセクシュアリティの問題なのでどうしようも無い事だけれど、だが、彼女や彼らの中にだって尊敬すべき人間が少なくないのはちゃんと知っている。境遇に甘んじる事無く努力を続けている者が居る事も。
「江口 睦。彼は自分のバース性を口にした事はありませんでした。我々が勝手にβだと思い込んでいただけです。
こんな天才なのだから、αでないならβなのだと。」
減少し、絶滅危惧種扱いになったΩに対する処遇は、変わったようでいて根底での差別は全く無くなってはいない。
それが江口という天才に火を着けたのだろうか。
「彼は…実際にはΩ、だったんですか?」
八束の声は震えている。
「そうです。しかしそれも、私が知ったのはごく最近ですが。」
「…それで、今は…αだと言う事ですか?」
「それでこの一年、数値が安定していると。」
八束は両手で顔を覆った。
そんな事が有り得るのか。
それは人類にバース性という概念が生まれてから現代迄、数多くの者が渇望した夢だ。悲願だ。
それを、現代に出現した1人の天才"Ω"が成し遂げただなんて、何という皮肉なんだろうか。
隣の一織も呆然と聞いている。
「実は秘密裏に行っていた事のようで、彼は何度も自分の体を実験台にしてα因子とΩ因子との転換を図っていたのだと本人から聞きました。」
「…本人から…。」
「ですからデータは未だ彼本人ひとりのみです。」
青秋はそう言って、冷えた茶を手にして一口飲んだ。
「そして、転換前の彼のバース性のパーセンテージと、八束さん。貴方のパーセンテージは、非常に近い。」
「…え?」
それ迄調べたのか、と八束は顔から手を外して青秋を見た。バース検査結果は超個人情報の筈ではなかったか。
「失礼。仰りたい事はわかります。謝罪はいくらでも。
けれど、あんな事を聞いては、お二人の何方かにその可能性を考えてしまった私の心情も、お察し下さい。
私はこれでも、お二人を応援しているんですよ。
道ならぬ恋に身をやつす者同士として。」
「…取引材料を探していたの間違いでは?」
八束が言うと、青秋は笑って肩を竦めた。それが、出会ってから初めて見る人間らしい表情に思えて、八束は思わずクスッと笑う。
そんな弟を見て、一織もホッとして気を緩ませた。
「…八束にも、αになれる可能性があるって事ですか?」
一織は青秋に問いかける。
「理論上は可能かと。
詳しい事は再度の検査が必要でしょう。それに耐えられる体であるのかも。」
そう言いながら微笑んだ青秋の表情は、また元の食えないαに戻っていた。
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