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親になる日

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「は?」
「は?」

 授与式が終わった一週間後、賓客室で二人は同じ反応をし、同じように固まっていた。
 目の前でニコニコと同じような笑みを浮かべるリリアナとルークのせい。

「男の子です」

 豪華なゆりかごに入れられ、すやすやと眠る赤ん坊。リリアナが産んだと言っていた娘はリリアナが抱いている。なら赤ん坊がもう一人いるのはおかしい。しかも二人はゆりかごの中の赤ん坊が男だと言う。
 二人の頭の中は今まで詰め込まれてきたものだけではなく自分の名前さえ忘れたかのように真っ白になって身動き一つ取れないでいる。
 予想通りの反応にルークとリリアナは顔を見合わせて笑う。テーブルを挟んで氷と炎ぐらい温度差が違う四人。

「ユーフェミア様、お気を確かに」
「ッ! そっそうね!」

 後ろからエリオットにそっと声をかけられてハッとしたユーフェミアは今が現実であることを確認するためにトリスタンの頬を両側から引っ張った。

「ふゅ、ふゅーへひあ?」
「痛いですか? 陛下、痛いですか?」
「いはい」

 ギューッと引っ張るせいで痛みから涙を滲ませながら頷くトリスタンを見て小刻みに頷いて手を離す。

「なぜ僕の頬を……」
「陛下が痛いとおっしゃれば現実だとわかりますし、陛下も目が覚められたでしょう?」
「それもそうだな」

 ポンッと手を叩いて納得したトリスタンにルークが苦笑する。
 二人はこれは現実だと深呼吸をしてからもう一度赤ん坊を覗きこんだ。金色の産毛がふわふわとしている色白の美しい赤ん坊。

「この子はどうしたのだ?」
「わたくしが産みました」

 笑顔で答えるリリアナにまたトリスタンとユーフェミアの時間だけが停止するも今度はすぐに戻ってきた。嘘だと笑ってかぶりを振るトリスタンがリリアナを見る。

「……リリアナ、冗談が上手くなったな。だが、僕は騙されないぞ。君が産んだのは女の子だ。その腕にいる子がそなたの産んだ子だろう」
「男の子も産みました」

 普通に考えればわかることなのにトリスタンは混乱しているせいで理解できないでいる。怪しむ目をリリアナに向け、リリアナはあえて怪しい笑顔を浮かべた。

「女は一度子供を産むとすぐに妊娠して出産することができるんです。お腹が子供を成長させる身体になっているので」

 もちろん嘘。だがトリスタンはそれを信じるようにゴクリと喉を鳴らしてリリアナのお腹を凝視している。

「そ、それが女体の神秘か……。言葉としては知っていたが、事実までは知らなかった。リリアナ、すごいぞ! ルークもよくやった!」

 信じ込んでしまったトリスタンからのお礼に二人は嘘だと言い出し辛くなったと苦笑しているとユーフェミアがトリスタンの手を握って首を振る。

「それこそリリアナ様の冗談ですよ、陛下。女体の神秘は妊娠だけです。出産した数日後にまた妊娠してすぐ出産はできません」

 ユーフェミアの訂正に大口を開けながら手を震わせて言葉なき状態で訴えるトリスタンに二人は頭を下げる。

「ぼ、僕をからかったな!」
「すみません。トリスタン王が愛らしくてつい……」
「な、なんて奴らだ! そ、そなたらは──!」
「陛下、お子を連れて来てくだった方々に失礼は許しませんよ」
「ですね」

 怒りのままに立ち上がったが、ユーフェミアの言葉でスッと腰かけたトリスタンの表情にもう怒りはない。

「双子だったのですね」
「ああっ、双子か! そうか! 双子だ! 隠していたな!?」
「陛下、あまり大声を出されては起きてしまいます」
「あっ、そうか。隠していたな?」

 小声で訴えるトリスタンにリリアナが頷く。

「隠しておくべきではないとは思ったのですが、もしちゃんと産めなかったらという不安があったので報告は無事に産まれてからと思っていたんです」

 もし産んだ後に死んでしまったら……。その不安が消えなかったリリアナは先に双子だと発表して〝もしも〟があったとき、二人が落ち込まないよう内緒にしていようとルークと話し合った。
 これで期待するだけさせて渡せないとなったら二人の絶望は計り知れない。自分たちは子供を持つなということだと思ったらと色々考えた結果だった。
 リリアナらしい気遣いを怒れるはずもなく、感謝しながら頭を下げる。

「ぜひ、この子を迎えていただけませんか?」

 その言葉だけで胸がいっぱいになる。じわりと滲む涙が赤ん坊の顔を眺める邪魔をする。頬を濡らす雫を拭うのも忘れてユーフェミアはすやすやと眠る赤ん坊に手を伸ばし、人差し指でその柔らかな頬をひと撫で。眉を寄せて身じろぎする姿に笑いながらも溢れだした涙は止まらない。

「ユーフェミア、僕たちの子だ」

 肩を抱いてくれるトリスタンに何度も頷く。
 自分の血もトリスタンの血も入っていない。きっと成長すれば二人には似ていない男の子になるだろう。それでも、そんなことどうだっていいと思えるほど目の前の存在が愛おしい。息をするのも苦しいほど涙が溢れる。

「素敵な名前をつけてあげてください」

 養子は迎えると決めてからすぐ二人で名前を話し合った。二人が考えていた名前は同じで、決定に時間は必要なかった。

「テレンス」

 トリスタンが名前を呼んだ。偉大な先代の名前だ。
 まだ目を開けた顔を見ていない。目が合ったらどんな顔をするだろうか。リリアナではないことに泣くだろうか。不安は多い。母を求めて泣き止まなかったらどうしよう。上手く育てられるだろうかと。

「私もはじめての子育てなので、一緒に頑張りましょう」

 年齢こそ親子ほど離れているが、子育てを始めるのは同じタイミング。リリアナのようにシャンとしていなければならない。自分には頼れる先輩が多い。不安になる必要などないと大きく息を吐きだして涙を拭った。

「その子の名は?」
「エスメラルダと言います」
「エメラルドのように美しい緑の瞳を見てすぐ決めました」

 この子も緑だろうかと目を開けてくれるのが楽しみになる。

「ああ……ようやく天使がやってきたんだな……」

 じわりと滲む涙を袖で拭うトリスタンは息子となる赤ん坊の顔を覗きこんで頬で軽くつつきながらもう一度「テレンス」と名前を呼ぶ。それに応えるかのようにゆっくり目を開け、二人を視界に映す。

「ああ……」

 二人は息をのんだ。神々しささえ感じさせる無垢な存在。薄いグレーの瞳が真っ直ぐ二人を捉えている。二人の顔を認識するように、ジッと見つめたあと、まだ歯のない口を動かす。
 
「ユーフェミア……嬉しくて吐くというのはアリだろうか……」

 トリスタンは胸がいっぱいすぎて吐きそうな感覚を味わっていた。

「必要な物は全て一通り持ってきましたので、暫くはそちらをお使いください」
「何から何までありがとうございます」

 使用人たちが運んできた荷物に振り返ると粉ミルクや哺乳瓶が入っているのが見えた。

「トリスタン王、これからが大変ですよ。夜泣きしたら起きること、いっぱいいっぱいの妻を気遣うこと、率先して動くこと、妻を観察して察すること。そしてなんでも妻にお伺いを立てること。全て夫の仕事です」
「僕はずっとそうしている」
「愛人を作る人がお伺いですか?」
「こ、これからはそうするということだ! 率先して動くのも得意だし!」
「暴走しないようお願いしますね?」
「もちろんだ! 任せてくれ!」

 チクリと刺すユーフェミアにトリスタンが慌てて胸を叩く。

「妻が起きているのに自分だけ寝るのは絶対にしてはなりません。首を絞められます」
「……リリアナ……」
「たまたま、たまたま手が当たっただけです。ググッと」
「そ、そういうこともある、よな」

 ニコッと天使の笑みを浮かべながら恐ろしいことを口にするリリアナの強さにトリスタンはゆっくり視線を逸らして赤ん坊に戻した。

「いやはや、しかし……本当に……なんだかまだ信じられないな」

 拭っても拭っても溢れてくる涙を何度も拭いながらトリスタンが笑う。

「きっと、お二人に届けなさいというご意思のもとに授けてくださったのです」

 待ち続けた二十年間。運ばれてきた我が子がまたスヤスヤと眠る顔を見つめながら二人は手を繋ぐ。

「いや、きっとそなたら二人の優しい心に惹かれて二人が降りてきたのだ。どちらも譲れないと一緒に入ったのかもしれぬな」

 我が子を手放すのは簡単ではないだろう。二人生まれても一人いるからいい、とは思えないはず。男の子がいたら、兄妹で育っていたらと思うことがあるだろう。それは容易に想像がつくこと。それでも二人はこうして送り出してくれた。
 頭を上げることができないほどの感謝に二人は自然と頭を下げた。

「どうか頭をお上げください」
「そなたらに何を返せばいいかわからぬ」
「あの子をたくさん愛してあげてください。それだけが私どもの願いですから」
「約束しよう。僕たちが持てる愛情全てを注いでこの子を愛すると」
「よろしくお願いします」

 嬉しそうに笑うリリアナにユーフェミアはもう一度頭を下げた。

「しかし、もう既に子育ての用意ができているのですね」

 ラモーナが無言で持ってきた赤ん坊サイズのブランケットやおしゃぶりに驚くルークにトリスタンが得意げに笑う。

「憂いあれば備えナシと言うだろう? だから備えておくのだ。憂いがないようにな」

 ドンッと胸を叩くトリスタンにユーフェミアがこっそり耳打ちする。

「ゴホンッ、備えあれば憂いなしとも言うな」
「素晴らしいお考えだと思います。私はあたふたするばかりでリリアナのために自ら用意した物がなくて……」
「出産のときも陛下はずっとドアの前から離れず、「どうだ?」と聞いてばかりだったんです」

 そんなルークを想像して二人が笑う。

「そしたらリリアナが『口を縫うか消えるかして! それか代わりに産んで!』と怒鳴ってきて……あれは怖かった」
「陛下はずっとそうおっしゃるのですが、全く覚えていないんです」
「そういうものだと聞きますよ。命懸けで産んでいる最中の些細なことなんて覚えてられません」
「だから母は強いというのだ。命懸けで産むから。いや、産まずとも女性は強い。そうだろう?」

 同意を得るためにルークを見ると何度も頷いていた。きっと嫁いだばかりのリリアナと今のリリアナが別人のようになってしまったことへの驚きで強く頷いているというのもあるだろう。それがよく伝わってくることにトリスタンは同情していた。

「お渡ししたい物があるのです」

 立ち上がったユーフェミアを全員が視線で追う。もう出産祝いはとっくに贈ってもらった。息子がいることは言っていなかったし、自分たちがもらう物などないはずだと不思議そうに待っていると小さな箱を持って戻ってきた。

「こんな物がお礼になるとは思ってはいませんが、受け取っていただけませんか?」

 平たい宝石箱のガラス蓋を開けて真ん中に置いてあったエメラルドのブローチをリリアナに差し出した。

「こ、このような立派な物はいただけません!」

 一体いくらするのかと無粋に勘繰ってしまいそうになるほどの大きなエメラルド。驚く二人とは違い、トリスタンだけがソワソワしている。

「そ、それは僕が君のために買い付けたエメラルドのブローチ……?」
「そうです」
「ど、どうしてだ!? 君はまだ一度もそれを着けてないじゃないか!」
「エメラルドは似合わないんです」
「君に似合わないものなんてこの世にはない! この世のどんな宝石だって君は似合ってしまうんだぞ! そ、そのエメラルドは特別なのに!」
「これはリリアナ様にではなくエスメラルダ王女に贈るのです」

 そう言われるとトリスタンは何も言えなくなってしまうが、頬だけは膨らませて抗議を見せる。しかし、目を開けたエスメラルダの瞳が特別に買い付けた大きなエメラルドにも負けないほど美しく、一度や二度しかつけないユーフェミアが持っているよりずっと良いのかもしれないと思い直した。

「あ……えっと……トリスタン王、本当によろしいのですか?」
「エスメラルダより相応しい相手がいるなら話は別だが、そのエメラルドは間違いなくエスメラルダのためにある物だ」
「ユーフェミア妃のためでは?」
「本来ならそうだ。ユーフェミアのために買い付けたが、過去の僕はきっと、ユーフェミアがエスメラルダに渡せるようにと買っていたのだろう。僕は未来が読める男だったらしい」

 トリスタンの潔さにユーフェミアは横目でその誇らしげな顔を見て笑みを浮かべる。この男のこういう所が好きなのだと実感する。

「もちろん、お二人には感謝してもしきれないほどの感謝をしています。ですが、このエメラルドはエスメラルダ王女にお渡ししたいのです。どうか受け取ってください」

 戸惑うリリアナがルークを見遣り、ルークは一度だけ小さく頷き、受け取るよう伝える。娘を夫に預け、受け取るために差し出される両手が大袈裟なほど震えていた。

「国宝ではないのだからそんなに緊張するな」
「そ、そうはおっしゃいますが……」

 透き通るエメラルドの純度の高さに見つめているだけで吸い込まれそうな感覚に陥る。首を振って意識を戻し、ルークに渡す。

「この子がもう少し大きくなったら着けさせていただきます。今は口に入れてしまう可能性がありますので」
「そうだな」
「楽しみにしています」

 暫く話しこみ、今日は泊まっていくようトリスタンが言ったが「使用人が首を長くして待っているから」という理由で帰ることにした二人を見送るため馬車まで行くとトリスタンとユーフェミアがまた固まった。

「……これは……馬車か?」

 馬車と言われても信じられない大型の造りに唖然とするトリスタンの反応にルークが苦笑を滲ませる。

「リリアナ用に特別に造ってもらったんです。ずっとは座ってられない。寝転ばないとムリだと言うので寝られる仕様にして、赤ん坊のゆりかごも設置できるよう設計した馬車です。結構静かに走ってくれるんです」
「豪華だな」
「寝台馬車といったところですかね」
「妻想いだな」
「言うとおりにしないと怖いんです」
「陛下、聞こえてますよ」
「じょ、冗談だ。怒らないでくれ」

 余計なことは言うなと言わんばかりの声に慌てて顔を引っ込めるとリリアナはとびきりの笑顔で手を振る。まだ若いのにすっかり母の顔をしているように見えるリリアナとすっかり尻に敷かれているルークはお似合いだと笑いながら手を振って見送った。
 施設の赤ん坊はご機嫌な状態で渡されるが、テレンスはそうはいかない。機嫌が悪いときは自分たちであやさなければならないし、泣き止まないときも自分たちでその原因を考えて動かなければならないのだからこれからが大変。
 迎えると決めてからずっと子育ての勉強をしてきた。使用人やシュライアに子育てのことを聞きながら人形で練習もした。それでも現実はきっと違うだろう。

「可愛いな」
「そうですね」
「僕達の息子だ」
「そうですね」
「こんなに愛らしい子がこの世に存在するとはな」
「そうですね」
「こんなに美しい子が僕達の息子だなんて信じられるか?」
「そうですね」
「僕の話、聞いてるか?」
「聞いてます」

 聞いてはいる。あえての返事。ユーフェミアの視線も心も既にテレンスに釘付け。
 わかってはいた。我が子がくればこうなると。赤ん坊と張り合うのがおかしいのだ。赤ん坊は可愛い。無垢な天使で無条件で愛される者。だが、自分は夫。妻に愛される権利があると後ろから抱きしめて首筋にキスをするも無反応。

「ユーフェミア、今日芽生えた父性と母性があれば神も子を授けてくれると思わないか?」
「思いません」
「でも、タイミングというものがあるだろう?」
「今ではないですね」
「僕は今だと思っているのだが」
「怒鳴られたいですか?」
「ベッドの中でなら」

 気持ち悪いとニッコリ笑って吐き捨てたユーフェミアの冷たさに涙しながらもトリスタンもテレンスから離れなかった。
 二人はリリアナが用意してくれた物を一つずつ、それが何であるか、使い方はどうかと一緒に確認しながらようやく迎えた我が子の子育てをスタートさせる。

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