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トリスタン生誕祭

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 来てほしくなかったトリスタンの生誕祭。
 貴族たちが集まって何を言うのか、毎年恒例のそれは想像せずともわかっているが今年は心構えが去年とは違い、どうしていいものかユーフェミアは戸惑っていた。
 今までなら子供について何か言われてもトリスタンが『僕に問題があるんだ。仕方ないだろう。種がなければどうしようもない。お前たちは耕した畑を前に種がないとわかっていながら実をつけろと喚くのか?』と庇ってくれた。今年もきっと変わらない言葉で庇ってくれるのだろうが、ユーフェミアは去年までと違って真実を知っている。自分が子供を作れない身体であること。そして世継ぎは愛人のお腹の中にいること。
 どこまで上手く隠せるだろうかと朝から何度も鏡を見ては笑顔の練習をしている。
 まだ貴族はいない。ここは自室で、部屋にはラモーナもエリオットもいない。廊下で待機しているのだから笑顔を存分に見せればいいのに、鏡の中の自分は口元にだけ笑みを浮かべて、目元は笑っていない。

「下手な笑顔……」

 呆れるほど固い笑顔を見れば怪しまれるに決まっている。
 いっそ体調が悪いと嘘をついて欠席することも考えたのだが、今日は茶会でもなんでもない日のパーティーでもない愛する夫の生誕祭なのだから嘘をついて欠席するなど王妃として絶対にやってはならないこと。
 大人になってまで何かから逃げたくなるようなことがあるとは子供の頃は想像もしていなかった。大人になったら幸せな日々を過ごすのだと甘い想像をしていたのに、現実は違う。

「陛下、ユーフェミア様はお仕度の最中でございます」
「僕は夫だぞ」
「陛下、ユーフェミア様からの伝言です。もし許可なく入ってきた場合、本日の生誕祭は欠席する、とのことです」
「そう言いながらもユーフェミアは出席するのだ。彼女は責任感が強い。そんなことできるはずないだろう」

 トリスタンはユーフェミアの性格をよくわかっている。

「では、どうぞ」
「……とりあえず、ここで待つ」

 でも行動する勇気はない。もし脅しではなかった場合、今日という日が最悪になってしまうから。

「私、とても安心しました! 陛下が愛人をスパッと切ってくださって! やっぱりユーフェミア様だけを愛しておられるからですよね!」
「もちろんだ! 僕の愛は結婚前から揺らいだことなどない!」

 大きな声で言いきりはするが、トリスタンの中にはまだルドラの指摘が深く残っていた。
 ユーフェミアのためと言いながら自分を愛していた最低の男だと。

「エリオット、どうした?」
「あ、いえ、なんでもありません」

 エリオットが黙って見つめてくることに問いかけると慌てて視線を外すもトリスタンは気付いていた。その瞳の奥に小さな炎が見えたことに────

「愛人など作るべきではなかった。僕はただただ愚かだったのだ。それに気付いたから愛人は切った。これからはユーフェミアだけを愛していくつもりだ」
「それでこそ我らが王です!」
「はっはっは! そうだろうそうだろう!」

 ドア越しに聞く声は明るいのに、どこかいつもと違う感じを受けたユーフェミアはそっとドアを開いた。

「ユーフェミア!」

 現れたユーフェミアを見るトリスタンは嬉しそうに表情を輝かせている。
 今日のために用意した小さなビジューが散りばめられた白いドレス。イベント時は決まって白のドレス。もちろんトリスタンも白。
 一年に何度結婚式をやり直すのかと問いたくなる装いだが、文句は言わない。だってこれは彼の愛だ。何度だって結婚式をしたいという願望であり、何度だって神の前で愛を誓ったあの日を思い出すようにという愛。

「エリオット、素敵ね」
「光栄です」
「僕は!?」

 夫よりも護衛騎士を先に褒めたユーフェミアの視界を覆うように前に出るトリスタンに笑いながら「素敵です」というと嬉しそうに笑う。

「エリオットの白は一年に一度しか見られませんからね」

 パレードのときは外に出るため普段の騎士の格好であるが、生誕祭はパレードはないため騎士の装いも白と決まっている。だからエリオットも今日は白。その装いは何度見ても新鮮で微笑ましいもの。

「エリオットが新郎になったらそんな感じなのね」
「誰かと結婚させるか?」
「それは王の権限ではありませんよ」
「そんなことはない。騎士は王のものだ」
「彼は私の臣下です。彼の忠誠は私のものですから陛下の勝手は許しません」
「……妙に庇うな……」

 目を細めて怪しんでいるような目つきを見せるトリスタンにスッと目を細めて笑うユーフェミア。

「彼と怪しい関係だと言えば満足ですか?」
「そんな冷たい目をしないでくれ! 僕が悪かった! 疑ってない! 冗談だ!」

 最初から本気で疑っているわけではないのを知っているが、相手を黙らせるにはこれが一番。

「くだらない冗談ですね」
「まったくその通りです、はい」

 反省するトリスタンに溜息を吐くとドアの方から聞こえた足音に顔を上げるユーフェミアの視界に映った男にユーフェミアは若干、顔をひきつらせた。

「トレヴァー……」
「おはようございます、王妃陛下」
「おはよう」

 トリスタンの側近であるトレヴァーの挨拶に微笑みながら挨拶を返すが、ユーフェミアの笑みはどこかぎこちない。

「本日も大変麗しく、お目にかかれましたこと、至極光栄にございます」
「ありがとう」

 この蛇のような目つきが苦手で、ユーフェミアは他の相手と喋るときのように長時間目を合わせることはしない。
 あの目を見ているだけで蛇に丸呑みされる獲物になった気分になる。

「トレヴァー、出てくるなと言っただろう」
「今年も厄介な者どもが無粋な質問を投げかけることでしょうから注意をと思いまして」
「毎年のことだ。慣れているさ」
「毎年同じようにいくとは限っておりませんよ」
「お前の助言がなければ僕が失敗するとでも?」
「そうではありませんが、予想外というものはいつでも起こり得るものだと申し上げているだけでございます」

 トレヴァーは優秀な人物だ。ユーフェミアが苦手意識を持っているだけで、この城の中では誰よりも頭の回転が早く、国会でもトレヴァーが仕切るからまとまるのだとトリスタンは絶賛していた。
 国会に出ないユーフェミアが「彼はなんだか嫌な感じだから外してほしい」ということはできない。トリスタンにとっては必要な人材。
 過去に一度だけトリスタンに「トレヴァーが苦手」と伝えてからは出てくるなと言ってくれたためこうして姿を見る機会は減ったのだが、蛇を連想させる不気味な笑みや話し方は鳥肌が立つほど。

「あ、ユーフェミア様! 先日、陛下が贈ってくださった髪飾りを忘れていました! 申し訳ございません! お手数ですがもう一度こちらへ!」
「え? あ、ええ……」

 ユーフェミアの表情に気付いたラモーナが手を引っ張って奥の部屋へと連れて行く。髪飾りはつけているのにと思いながらもトリスタンも何も言わなかった。

「ユーフェミア、僕は先に行っているからな」
「遅れず参ります!」
「遅れてもかまわない。美しい君を皆に見せてやってくれ」

 パーティーに顔を出すまで十五分ほど時間はある。気分が悪いわけではない。吐き気もなければ、ふらつきもない。ただ、トレヴァーと同じ空間にいるとまるで何かに捕らわれているかのように冷や汗が出てしまう。手が震え、どこか一点を見つめていなければ酷い言葉を言ってしまいそうで、ラモーナが連れだしてくれなければ口を開いていたかもしれないと口を押さえた。

「大丈夫ですか?」

 トリスタンとトレヴァーを見送ってから戻ってきたエリオットがノックをし、ドアを開いた。

「ちょっとエリオット卿、着替え中だったらどうするんですか!」

 怒った顔を見せるラモーナがユーフェミアの身体を隠すように前に立って両手を広げる。

「髪飾りと言っていただろう。今日のドレスは決まっている。着替えはないと思ったんだ」
「わかりませんよ? ユーフェミア様のご気分が悪くなられてドレスを脱がせていたかもしれません。言っておきますけど、ユーフェミア様の生肌を見ていいのは陛下と私だけです」
「陛下と同じとは、随分偉くなったものだな」
「侍女ですから」

 侍女を何人も抱えている貴族は多いが、ユーフェミアはラモーナだけを専属として傍に置いている。失敗はするが、それでもまだ若いため吸収力があり気が利く。物怖じしない性格もユーフェミアには楽で、一緒にいて楽しい相手。
 他のメイド達から絶大な人気を誇るエリオットに騒ぐこともなく、まるで対等な身分であるかのように話す様子は毎日見ていても飽きがこない。

「いいのよ、ラモーナ。ありがとう」
「ユーフェミア様はエリオット卿に甘すぎます!」
「お前にもだろ」
「私は侍女ですから。そうですよね?」
「ふふっ、そうね」

 ふふんっと鼻を鳴らして見せるラモーナにエリオットが呆れた顔を見せる。

「俺もトレヴァーは気に入りませんが、今日の彼の忠告は正しいかもしれませんね」

 エリオットの言葉にユーフェミアも頷く。

「反王政派の貴族たちは両陛下の失墜を望んでいます。毎年何かしら隙を見つけては集中攻撃をかけていますし」

 主に子作りや世継ぎについての話ばかりだが、国にとって大きな問題であるのは間違いないため避けることも流すこともできない話題だとわかっていて攻撃してくる。
 無礼にならない程度の攻撃では大袈裟な対処をすることもできず、トリスタンが柔和に解決してくれてはいるが、それも指摘が年々厳しくなっている。それは当然のことであるのだが、自分が原因だとわかった今、あまりにも気が重い。

「ユーフェミア様、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ」
「ちゃんとお守りしてくださいよ! 私は一緒には行けないんですから!」
「わかってる」

 貴族であれば、お気に入りの侍女にドレスを着せて連れていく者もいるが、王妃はそういうわけにはいかない。裏で待機させるだけで隣にいさせることはできないのだ。その代わりにエリオットが背後に立つ。

「遅れたら陛下が心配なさいます。そろそろ行きましょうか」
「遅れてもいいって言いながら遅れたらきっと大騒ぎしますよ」

 おかしそうに笑うラモーナを肘で小突くエリオットを背後にラモーナと共に歩きだすユーフェミアの心臓は一歩歩くたびに心臓の音が大きくなる。
 ユーフェミアがトリスタンの生誕祭を経験するのはこれで二十回目。めでたい日で祝うべき日なのに、ユーフェミアはこの日が一番嫌いだった。

「ユーフェミア、行こうか」

 会場に入るドアの前で待っていたトリスタンの笑顔に頷くもドアが開かなければいいのにと思ってしまう。開いたとしても先に反王政派の貴族達はおらず、心から祝ってくれる貴族達だけいればいいのにと願わずにはいられない。
 それでも願ったところで現実が変わるはずもなく、ゆっくり開かれたドアの向こうは問題を責めるために集まった貴族たちで溢れていた。

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