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リオン・レッドローズは対峙する

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 ロイの入城はリオンが思っていたよりも大きな問題となっていた。

「追い出しなさいと言ったでしょう! 何をグズグズしているのですか!」
「追い出す理由がないと言ったはずです」
「スラム街のゴミを雇わざるを得なかっただけでも屈辱的なのに、もう一つゴミが増えるなんて恥の上塗りです!」
「その呼び方をやめてください。彼らはゴミなどではありません」
「ゴミはゴミ以上にはなれないのです! いいからさっさと追い出しなさい! さもないと……!」

 王妃のヒステリーは毎日続いている。
 追い出せ追い出せとまるでシュプレヒコールのように言い続ける。
 リオンは何があろうと守ると約束したため王妃の言葉に一度だって頷かないでいるのだが、王妃も負けじと言い続けていた。

「何がそんなに気に入らないのですか! ロイはあなたに何もしていないはずです!」
「言ったでしょう! ゴミが増えたことが気に入らないのです! あなたが勝手に連れてきたこともね!」
「ロイには姉が必要なんです! 追い出すなんてできません」
「親がいるでしょう!」
「親ではなく姉が必要なんです! あの子は姉でなければダメなんです!」
「なんて子なの! 親より姉だなんて恩知らずにも程がある!」

 ロイは一言も王妃とは話さなかった。王妃がロイを一目見て一方的に追い出せとヒステリーを起こし始めた。
 それからずっとこうして無意味な押し問答を続ける日々にリオンもうんざりしている。

「国王より許可をいただいています!」
「私の許可は必要ないと!?」
「そうです!」

 言いきったリオンの頬に王妃の平手打ちが入る。
 驚きでもなんでもない。
 母親は昔からそうだった。気に入らないことがあると激昂して手を上げる。
 自分は正しい。間違っているのは言うことを聞かない息子なのだと責めた。
 だからリオンはいつしか母親に逆らうのをやめた。逆らうだけ面倒で無駄だとわかったから。
 だが今は面倒だ無駄だと言ってられない。
 二人の生活を守らなければならないのだ。

「あの二人の家族がどうなってもいいと?」
「その脅しの結末を理解した上での発言ですか?」
「どういう意味?」
「彼女の家族をどうにかするということはエリーナの不在を隠しておけないという意味です」
「またそのくだらない脅し文句を使うつもり?」
「僕が黙っているとお思いですか?」

 怯まない息子が変わってしまったこともまた王妃が気に入らないことの一つ。

「あなたはアクティーの時期王なのですよ? それを自らの手で破壊しようというのですか?」
「僕はこの国を変えたい。貧困街のこともスラム街のことも見て見ぬふりはもうしたくないんです。僕が王になったら全てを変える」
「変えるためには王にならなければならない。でもあなたの脅しはこの国の破滅を意味するのですよ」
「そうさせようとしているのはあなたです」

 カッとなった王妃がまた手を振り上げるが、その手は振り下ろされる前に国王によって止められる。

「お前は今どっちなんだ? 王妃として手を上げているのか? 母親として上げているのか?」

 その問いに答えられず手から力を抜くと国王は手を離す。

「どうして追い出そうとしないのですか!? あの子はッ──!」
「追い出せるわけがないだろう。どうやって追い出せと言うのだ」
「もしものことがあったらどうするつもりですか!?」
「それは私たちが決めることではない。仮に追い出したとなれば何を言われるか……」

 ロイを見たその日、王妃はその足で夫のもとへと向かい、報告したのだろう。
 だが、二人の会話はリオンが知らない何かを知っているように聞こえ、リオンは怪訝な表情で二人を見る。

「お二人はロイのことをご存知なのですか?」

 国王は反応しなかったが、王妃はわかりやすいほど肩を跳ねさせた。

「僕、彼を見たときにどこかで会ったことがあるような感じがしたんです。もちろん会ったことはありません。彼はスラム街で育って街に出たことさえないらしいので」
「そうか……」
「追い出すべきです! 今すぐに!」

 二人の反応は真逆のもので、国王のほうは問い詰めれば何か話してくれそうだと思ったリオンは王妃を無視して国王へと身体を向けた。

「陛下、お教えいただけませんか? 何をご存知なのです?」
「うむ……」
「おやめなさい! 陛下は何も知りませんよ!」
「陛下に聞いているのです」
「陛下、陛下からもすぐに彼を追い出すように命令を出してください!」

 何をそんなに焦っているのかがわからず、表情が険しくなるばかりのリオンを見て国王はため息をつく。
 腕を掴んで揺らしながら懇願する妻を見るその目は憐れみがこもっていた。

「リオン、この出会いは運命かもしれんな」
「え?」
「だが今はまだ話せぬ」
「いつなら話してくださるのですか?」
「……彼女の任務が終わったら、だな」
「陛下!」

 なぜだと聞いてもきっと答えてくれないだろうと察したリオンは少し黙り込んだあと、納得したように頷いた。

「お前もこれ以上みっともない真似をするのはやめなさい。見苦しいぞ」
「だってあの子は──!」
「やめなさい」

 声を荒らげはしないが、その言い方には圧があって、王妃も思わず黙り込んだ。
 悔しげに拳を握り、俯いたまま横目で息子を睨みつける。

「追い出すことはしないから安心しなさい」
「ありがとうございま──」
「ただし」

 次ぐ言葉にリオンの身体に緊張が走る。

「あまり肩入れしすぎるな。お前の妻はあの娘ではなくエリーナなのだからな」
「……わかっています」

 バレているのかと焦ることはなかった。バレて当然だ。エリーナに対する態度と正反対の態度を取っているのだから。
 国王が実際に自分の目で確認したことはないが、耳に入ってくるのはどれも「エリーナにはあんなことしなかったのに」というものばかり。
 
「許せ、リオン」

 それに込められた意味をリオンはなんとなく理解していた。
 恨んでいるつもりはない。
 王族に生まれれば誰もが自由には生きられない。敷かれたレールの上を走っていくだけ。
 王太子として生まれた以上、それに逆らえないことはわかっている。
 エリスローズの手を掴んであの家族を抱えて逃げてしまいたい気持ちはある。
 だが、それは彼女たちが嫌う“無責任“になるのではないかと考える。
 自分がいくら頭を下げようとエリーナとの結婚は解消できない。エリーナがこの国の王太子妃であることこそ、この国の繁栄を意味しているのだから。

「わかっています」

 頭を下げて部屋を出ていくとリオンは二人が待つ部屋へと向かう。
 なぜ自分は愛に生きてはならないのだろう。ようやく見つけた愛を選ぶことができないのだろう。

「子供か、僕は……」

 自問自答する必要もないことにリオンが自嘲する。
 既婚者であること、王位継承権を持つのが自分しかいないこと、記者などに調べられるであろう相手の出身──自分が望む結婚をしようとするには障害が多すぎる。
 もっと早く出会っていればと言えればいいが、エリーナと出会う十年より前になるとエリスローズは九歳。
 ありえない話だ。
 
「遅いぞ。エリーもう出かけるんだからな」
「ごめんごめん。会議が長引いてね」
「仕事できねーんじゃねーの?」
「ロイが働き始めたら同じこと言ってやろーっと」
「いーぜ。俺はお前と違って仕事できるもん。あいてっ」

 深呼吸してから部屋に入るとリオンが最も落ち着く空間が広がっている。
 エリスローズがいて、リオンがいる。リオンの軽口も今やリオンにとって愛おしくてたまらないもの。
 口の悪さを注意するのにエリスローズがノートを武器のように使うのもすっかり見慣れた光景。

「気をつけて行くんだよ」

 エリスローズが身代わりになって八ヶ月目に入る頃には、単独での公務が増えてきた。
 エリーナは公務を嫌がり、特に自分の発言に責任を持たなければならない単独公務を嫌った。
 その点、エリスローズはこれも仕事だと割り切って行ってくれる。
 事前にリオンが資料を用意して、エリスローズが目を通す。
 護衛はついているし、記者も多く集まるため心配はしていない。

「エリー、気をつけてな。いい子にして待ってるからさ、ちゃんと帰ってこいよ」

 ロイが両手を伸ばすとエリスローズが目の前でしゃがむ。それがなんの合図か知っているのはエリスローズだけではない。
 目を逸らしたいのについ見てしまう。二人がキスをする場面を。
 姉弟なのにと思う気持ちはあれど、二人は血の繋がりがない姉弟。
 しかも恋心を持っているのはロイだけでエリスローズにそんな素振りはない。

「僕もしていい?」

 気がつけばそう言っていた。
 驚いた顔をするエリスローズの横でロイは不機嫌な顔を見せる。

「あいっっっったっっっ!」
「ふざけんなカス──あうッ!」

 リオンに寄って思いきりスネを蹴飛ばしたロイの頭をノートで叩いたエリスローズが怒った顔を見せる。

「ご、ごめんなさい……」
『謝る人が違う』
「だ、だってこいつがふざけたこと言うから……」
『ロイ、蹴っちゃダメ』
「う~……ごめん、リオン……」
「いいよ」

 ロイは謝るときはいつも拗ねたような顔をする。
 普通の顔をしていられないのだ。
 それさえも可愛いと思ってしまう自分は既に重症だと思いながらもそれでいいとさえ思っている。
 蹴られたスネは痛くとも、名前を呼んでもらえたことが嬉しくてつい笑顔になってしまう。

『見送りはここでいいですから』
「わかった。行ってらっしゃい」
「エリー……ごめんなさい」
『ちゃんと謝れたからえらいえらい』

 見せたノートを閉じてロイの頭を撫でたエリスローズは二人に手を振って馬車へと向かった。
 二人きりになった部屋でロイは窓へと駆け寄ってエリスローズが乗るだろう馬車が停まっている噴水前を見つめる。

「エリー」

 本当は窓を開けて大声で名前を呼んで手を振りたいが、そんな子供っぽいことはしたくない。
 だから部屋の中でだけ名前を呼ぶ。

「あ! エリーが向いた! 聞こえた!?」

 こっちを向いて手を振るエリスローズに自分の声が聞こえたはずがないとわかっているのにハシャいでしまう。
 エリスローズが振り返ってくれたことが嬉しくてたまらなかった。

「行ってらっしゃい」

 今度は振り向かなかった。
 でも寂しくはない。今別れても夕方には帰ってくるとわかっているから。
 もうエリスローズが来るまで何日あると数える必要がないことが幸せでならない。

「ロイはエリーに恋をしてるんだね」

 その横顔を見ていたリオンが微笑みながらかけた言葉に馬車を見送ってから振り返ったロイが鼻で笑う。

「恋じゃねぇ。俺のは愛だ」

 そう答えるロイの表情は声が届いたのではないかと喜んでいた子供と同一人物かと疑うほど大人びていた。
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