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リオン・レッドローズは賞賛する
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「二人目のって……」
エリスローズに兄がいたことは初耳で、一度もそういう話をしてはくれなかった。
「一番上の兄はエリーが七歳のときに流行病で亡くなりました。病院にかかることもできず、苦しむ息子の手を握って大丈夫だと励ますことしかできませんでした」
「い──……」
医者は、と無神経なことを聞けるはずがない。薬も手に入らないスラム街に医者などいるはずがない。
スラム街を見下す貧困街の人間がスラム街の人間を診るわけもない。
なぜ励ますことしかできなかったのかなど想像すれば答えは簡単に出てくる。
「大丈夫だと気丈に笑う兄は治るんだと信じていたエリーにとってあれほど辛いことはありませんでした。七歳のエリーにとって初めての死別を経験したのですから」
自分はまだ誰かの死を経験したことがない。祖父母は引退し、姿は見せないが隠居生活を楽しんでいると聞いている。
それほど交流があるわけではない祖父母が死んだとき、辛いと思うかどうかを想像するも涙を流す自分は想像できなかった。
「でも……次男の死はそれ以上に辛いもので……」
コリンの目から涙がこぼれ、手に落ちた。
「エリーが十四歳のときです」
「五年前……」
「はい……。十六歳だった次男はエリーとロイを誰よりも可愛がり、親の私たちよりも溺愛していました。彼は手癖が悪くて、いつも仕事帰りに露店から物をくすねては持って帰ってきて私たちに食べさせてくれました。満足に食事を買い与えられない私たちは息子に盗みなどやめなさいと言うこともできず、黙認し続けた結果……」
吐き出す息が震える。
何が起こったのか聞かずともわかる。想像もしたくない最悪の結果なのだろうとリオンも握った拳に力が入った。
「盗んだことがバレた息子は平民から袋叩きに遭い、瀕死の状態で街の階段から貧困街へと転がされました」
五年前の記憶は今でも色褪せることなく鮮明に思い出せてしまう。
胸が張り裂けそうなほど苦しく痛みを感じるあの経験にコリンは唇が白くなるほど強く噛み締めていた。
「同じ職場の同僚がエリックではないかと知らせてくれたときにはもう……息子はもう……虫の息でした。息子を抱えて貧困街にいる医者を訪ねたのですが……金が……ッ……は、払えないなら患者ではないと……ッ、診てもらえませんでした……」
俯いて話すコリンの涙が何度も床へ落ちていく。
言葉を詰まらせて何度も唾を飲み込むコリンにとって思い出すだけでも辛い話だろうとリオンが手を伸ばすとその手をコリンが強く握った。
痛みを感じるほどの強さに彼がいまだに抱える解消しきれない怒りを感じてリオンは寄り添うように隣に腰掛ける。
「家に戻り、泣き叫ぶことしかできない私たちの代わりにエリーが何度も医者のもとを訪ねていたらしく、エリーがいないことに気付いたのは夜でした」
「夜までずっと医者のところに?」
何度も頷くコリン。
「妻の泣き叫ぶ姿を見せ続けるのはロイに影響があるのではないかとロイを抱えて探しに行ったら……くッ!」
歯を食いしばって何度も荒い呼吸を繰り返すコリンの表情は見えないが、震える手がそのときの悔しさを表していた。
「エリーは閉まったドアの前で土下座をしたままずっと声を張り続けていたんです。お願いします、兄を助けてくださいと。何度も何度もドアが開くまでずっと……」
想像するだけで辛かった。
十四歳のとき、自分は何をしていただろうと思い出すも大した思い出はなかった。それだけ苦労も何もない今と変わらず言われたことに従うだけの日々を送っていた。
この国の歪みに気付くこともなく、平凡だと思って過ごしていただけ。
王族でも誰一人他人と同じ人生を生きる者はいない。だから王族とスラム街の人間の人生経験が同じあるはずがなく、どこかで共感し合うこともない。
だが、それがどれほど辛いことだったかぐらいはわかる。
でも、聞くことはできない。診てもらえたのか、なんて──
「……あまりのしつこさに診療所のドアを蹴り開けた医者はエリーの顔を思いきり蹴飛ばしました」
「女の子を?」
「酔っ払っていたというのもあったのでしょう」
「酔っ払……医者だろう……?」
「医者と言っても薬を所持しているだけの資格も持たない人間がやっている真似事のようなものですから、適当な診断をして薬代をせしめるクズですよ」
それでも街に出て医者にもかかれない薬局にも行けない貧困街の人間にとってはありがたい場所だった。
「……ふう……」
深呼吸をして涙を拭うコリンが天井を仰ぎ、また深呼吸をする。
「私、人を殺したんです」
突然の告白にリオンが目を見開く。
だが、最も驚いたのはその告白よりもコリンが笑顔だったこと。
「コリン、無理して話さなくていい」
「いいえ、聞いてください。私の懺悔だと思って」
「僕は神じゃないよ」
「神よりずっと信じられます」
救いなどあるはずもない場所で神を信じる者などいるはずがない。
神がいるなら自分たちを救ってくれるはず。息子たちを助けてくれたはずだと思っただろう。
信頼を寄せてくれるコリンを拒否できず、ロイは静かに頷いた。
「医者がエリーに叫んだ瞬間、気がつけば私は道に転がっていた割れたビール瓶でその男の背中を刺していました。フラつきながら地面に倒れたところを馬乗りになって何度も何度も執拗に刺し続けました。背中、首、頭と……エリーが私を呼ぶまで刺し続けていました」
リオンが二回頷きを見せる。
「男は赤黒く染まり、ピクリとも動きませんでした。貧困街からいくら悲鳴が聞こえようとも警察は下りてきません」
「ロイが、言っていたね」
「あれは、私が教えてしまったんです。どうしようとパニックを起こすエリーに私が言った言葉なんです。ゴミがゴミを殺しても罪にはならないと」
それは幸か不幸か、彼らは離散することなく家族を続けられる理由にもなった。
だが、一生背負わなければならない罪として彼の中に残っているのは間違いない。
彼が自ら口にした【懺悔】という言葉がそれを証明している。
「私は診察所から傷薬と包帯を持って家に戻りました。でも息子は、既に……天国へと旅立ったあとでした」
笑顔を維持しようとするコリンの胸が震え、頬に涙が伝う。
「それからです。エリーとロイが変わったのは。誰も信用しなくなり、誰かに頼ることもせず、家族を守るためだけに生きようとするようになりました。それはスペンサーにもそうです。良くしてくれるスペンサーとも距離を置くようになりました。彼が持つ下心を気持ち悪いと嫌悪するようになりました」
「でも彼女は酒場──」
慌てて口を閉じた自分の無神経さを疑った。
何を言おうとした? 家族のために身体を張ったといえど、両親には知られたくないことのはず。
それを家族でもない自分がバラそうとするなど何を考えているんだと唇を噛んだ。
だが、コリンはそれを知っていたのか、微笑んだまま首を振る。
「スペンサーは友人だからこそ割り切れなかったんだと思います。利用しようと思えばいくらでも利用できた相手です。スペンサー自身それを望んでいた。エリーが金が欲しいと言えばスペンサーは人を殺してでも持ってきたかもしれません」
「そんなに……?」
「彼は幼い頃からエリーにベッタリで、ロイ同様にエリーを嫁にしたいと言い続けていましたから」
「エリーはなんて?」
「ここで生きていくんだからずっと一緒だと返していました。ハッキリとフッてやったらどうだと言ったのですが、あの執着心が怖いと言っていて、拒絶することで家族に何かあったらと考えていたんです」
実際、離れたことでスペンサーは家までやってきた。
ひどく怒りを露わにし、その怒りをエリー本人にぶつけていた。好きな女を脅してまでどうにかしようとするその異常性を危惧していたのだ。
「ロイが甘えなくなったのも同時期です。エリーを守ると言い始め、スペンサーを嫌うようになりました」
エリスローズの感情を共有するように嫌い始めたロイがあそこまで感情を露わにしたのはエリーを守ろうとしてのこと。
幼い頃に焼きついたはずの光景はロイのトラウマとして残ることはなく、むしろあの経験はロイにとって武器となった。
「ロイにとってエリーは自分の全てなんです。エリーにとってもそうです。無惨な死を遂げた兄を失ったエリーが立ち直れたのはロイがずっとエリーを励まし続けたからなんです」
「ロイは当時五歳、だよね?」
「シオンを見ればおわかりになるでしょうが、子供というのは恐ろしいもので、五歳でもバカな大人よりずっと賢かったりするんです」
五歳のシオンは三歳の妹に本を読んでやりたいと言った。両親に字を覚えてと言うこともできたのに自分が読んでやりたいんだと兄と一緒に勉強を始めた。
それを間近で見てきたリオンは納得したように頷く。
「ロイは、泣きじゃくるエリーを抱きしめながらずっと言い続けていました。大丈夫、俺がずっと傍にいるから。エリーの傍にいるからと」
それがエリスローズが立ち直るキッカケになったのだとしたら依存しているのはロイだけではなくエリスローズも同じなのだと気付いた。
どんな人間が現れようともエリスローズは揺らがない。自分の支えである弟たちが無事に幸せを掴むまで自分の幸せは後回しにするつもりなのだと。
あの言葉は強がりではなく本心なんだとわかった。
「ロイはあまり自分の感情を言葉にすることはありません。何を考えているのかとか、どう思っているのかとかも全部。エリーだけが知っていることも多いと思います」
「だが、彼がエリーにそれだけの執着を見せるのはエリックの死が原因なのかい?」
「最大の原因は私たちです。エリックが死んで一週間後、シオンが捨てられてきたのです。生後すぐのことで、私たちはシオンにかかりっきりになって……それがロイは気に入らなかったみたいです。エリックの死を悲しまなくなったのを見て失望したのでしょう」
悲しまなくなったのではない。悲しんでいる暇がなくなったのだ。悲しんでいても赤子に与えるミルクは手に入らない。
だが、ロイにはそう見えてしまった。
「私たちが勝手に育てることを決め、エリーがそれを受け入れてくれた。私たちは働きに出なければならないから朝から晩まで面倒を看るのはエリーなんです。勝手なことをして勝手に押し付けて、という怒りもあったのかもしれません。それが自分とエリーの時間を奪うことになったと思っていたのかな……と」
まだ五歳だったロイにとってエリスローズが世話をしなければ死んでしまう赤ん坊は二人の時間を奪う邪魔者と思えただろう。
そんな状況を作り出した親を憎いとも思ったかもしれない。
「エリーもロイが寂しいのをわかっていたから私たちが帰ったあとはロイだけを構うようにしていました。それがロイにとっては心地良かったのでしょうね。私たちはやり方を間違えてしまったんです。親として子には平等に接しなければならないのに、シオンにばかり気がいってしまって……」
息子二人を医者に診せることができずに見殺しにした経験があれば赤子にかかりっきりになるのは当然のこと。血の繋がりはないといえど、育てていれば情が湧く。
リオンは彼らを見ていて誰かが養子である可能性など考えもしなかった。皆が愛情溢れる人間に育っていたから。
だが、それは他人から見た感想であって、ロイはそうではなかった。
自分やエリスローズよりも赤子が大事なんだと思ったのかもしれない。
だからエリスローズの寂しさを自分が埋めようと思ったのかもしれないし、エリスローズもそう考えたのかもしれないとリオンは思った。
彼らの間にある特別な絆の理由がわかるとリオンはコリンの背中をさする。
「誰も悪くないんだよ。君たちは自分にできることを必死にやってきた。家族に苦労はあっただろうけど、他人に迷惑をかけることなく彼らをここまで育てあげたのは他でもない君たちだ。そうだろう?」
「そんな……ッ……恐れ多い……ことを、言ってもらえるような人間では、ないんです……」
頬を伝う涙に彼らの苦労を感じてリオンも目頭が熱くなる。
「僕は君たちが大好きだよ。ここには愛が溢れていて、僕の理想そのものだ。過去にどんなことがあろうと、彼らは君たちを愛し、皆心優しく成長してる。それを誇りに思うべきだよ」
鼻を啜るリオンを見た途端、コリンは留めていた涙腺が決壊したように涙を溢れさせる。
「ありがとうございますッ。ありがとうございますッ」
何度も何度も感謝の言葉を口にするコリンを抱きしめながらリオンは彼の背中を撫で続けた。
エリスローズに兄がいたことは初耳で、一度もそういう話をしてはくれなかった。
「一番上の兄はエリーが七歳のときに流行病で亡くなりました。病院にかかることもできず、苦しむ息子の手を握って大丈夫だと励ますことしかできませんでした」
「い──……」
医者は、と無神経なことを聞けるはずがない。薬も手に入らないスラム街に医者などいるはずがない。
スラム街を見下す貧困街の人間がスラム街の人間を診るわけもない。
なぜ励ますことしかできなかったのかなど想像すれば答えは簡単に出てくる。
「大丈夫だと気丈に笑う兄は治るんだと信じていたエリーにとってあれほど辛いことはありませんでした。七歳のエリーにとって初めての死別を経験したのですから」
自分はまだ誰かの死を経験したことがない。祖父母は引退し、姿は見せないが隠居生活を楽しんでいると聞いている。
それほど交流があるわけではない祖父母が死んだとき、辛いと思うかどうかを想像するも涙を流す自分は想像できなかった。
「でも……次男の死はそれ以上に辛いもので……」
コリンの目から涙がこぼれ、手に落ちた。
「エリーが十四歳のときです」
「五年前……」
「はい……。十六歳だった次男はエリーとロイを誰よりも可愛がり、親の私たちよりも溺愛していました。彼は手癖が悪くて、いつも仕事帰りに露店から物をくすねては持って帰ってきて私たちに食べさせてくれました。満足に食事を買い与えられない私たちは息子に盗みなどやめなさいと言うこともできず、黙認し続けた結果……」
吐き出す息が震える。
何が起こったのか聞かずともわかる。想像もしたくない最悪の結果なのだろうとリオンも握った拳に力が入った。
「盗んだことがバレた息子は平民から袋叩きに遭い、瀕死の状態で街の階段から貧困街へと転がされました」
五年前の記憶は今でも色褪せることなく鮮明に思い出せてしまう。
胸が張り裂けそうなほど苦しく痛みを感じるあの経験にコリンは唇が白くなるほど強く噛み締めていた。
「同じ職場の同僚がエリックではないかと知らせてくれたときにはもう……息子はもう……虫の息でした。息子を抱えて貧困街にいる医者を訪ねたのですが……金が……ッ……は、払えないなら患者ではないと……ッ、診てもらえませんでした……」
俯いて話すコリンの涙が何度も床へ落ちていく。
言葉を詰まらせて何度も唾を飲み込むコリンにとって思い出すだけでも辛い話だろうとリオンが手を伸ばすとその手をコリンが強く握った。
痛みを感じるほどの強さに彼がいまだに抱える解消しきれない怒りを感じてリオンは寄り添うように隣に腰掛ける。
「家に戻り、泣き叫ぶことしかできない私たちの代わりにエリーが何度も医者のもとを訪ねていたらしく、エリーがいないことに気付いたのは夜でした」
「夜までずっと医者のところに?」
何度も頷くコリン。
「妻の泣き叫ぶ姿を見せ続けるのはロイに影響があるのではないかとロイを抱えて探しに行ったら……くッ!」
歯を食いしばって何度も荒い呼吸を繰り返すコリンの表情は見えないが、震える手がそのときの悔しさを表していた。
「エリーは閉まったドアの前で土下座をしたままずっと声を張り続けていたんです。お願いします、兄を助けてくださいと。何度も何度もドアが開くまでずっと……」
想像するだけで辛かった。
十四歳のとき、自分は何をしていただろうと思い出すも大した思い出はなかった。それだけ苦労も何もない今と変わらず言われたことに従うだけの日々を送っていた。
この国の歪みに気付くこともなく、平凡だと思って過ごしていただけ。
王族でも誰一人他人と同じ人生を生きる者はいない。だから王族とスラム街の人間の人生経験が同じあるはずがなく、どこかで共感し合うこともない。
だが、それがどれほど辛いことだったかぐらいはわかる。
でも、聞くことはできない。診てもらえたのか、なんて──
「……あまりのしつこさに診療所のドアを蹴り開けた医者はエリーの顔を思いきり蹴飛ばしました」
「女の子を?」
「酔っ払っていたというのもあったのでしょう」
「酔っ払……医者だろう……?」
「医者と言っても薬を所持しているだけの資格も持たない人間がやっている真似事のようなものですから、適当な診断をして薬代をせしめるクズですよ」
それでも街に出て医者にもかかれない薬局にも行けない貧困街の人間にとってはありがたい場所だった。
「……ふう……」
深呼吸をして涙を拭うコリンが天井を仰ぎ、また深呼吸をする。
「私、人を殺したんです」
突然の告白にリオンが目を見開く。
だが、最も驚いたのはその告白よりもコリンが笑顔だったこと。
「コリン、無理して話さなくていい」
「いいえ、聞いてください。私の懺悔だと思って」
「僕は神じゃないよ」
「神よりずっと信じられます」
救いなどあるはずもない場所で神を信じる者などいるはずがない。
神がいるなら自分たちを救ってくれるはず。息子たちを助けてくれたはずだと思っただろう。
信頼を寄せてくれるコリンを拒否できず、ロイは静かに頷いた。
「医者がエリーに叫んだ瞬間、気がつけば私は道に転がっていた割れたビール瓶でその男の背中を刺していました。フラつきながら地面に倒れたところを馬乗りになって何度も何度も執拗に刺し続けました。背中、首、頭と……エリーが私を呼ぶまで刺し続けていました」
リオンが二回頷きを見せる。
「男は赤黒く染まり、ピクリとも動きませんでした。貧困街からいくら悲鳴が聞こえようとも警察は下りてきません」
「ロイが、言っていたね」
「あれは、私が教えてしまったんです。どうしようとパニックを起こすエリーに私が言った言葉なんです。ゴミがゴミを殺しても罪にはならないと」
それは幸か不幸か、彼らは離散することなく家族を続けられる理由にもなった。
だが、一生背負わなければならない罪として彼の中に残っているのは間違いない。
彼が自ら口にした【懺悔】という言葉がそれを証明している。
「私は診察所から傷薬と包帯を持って家に戻りました。でも息子は、既に……天国へと旅立ったあとでした」
笑顔を維持しようとするコリンの胸が震え、頬に涙が伝う。
「それからです。エリーとロイが変わったのは。誰も信用しなくなり、誰かに頼ることもせず、家族を守るためだけに生きようとするようになりました。それはスペンサーにもそうです。良くしてくれるスペンサーとも距離を置くようになりました。彼が持つ下心を気持ち悪いと嫌悪するようになりました」
「でも彼女は酒場──」
慌てて口を閉じた自分の無神経さを疑った。
何を言おうとした? 家族のために身体を張ったといえど、両親には知られたくないことのはず。
それを家族でもない自分がバラそうとするなど何を考えているんだと唇を噛んだ。
だが、コリンはそれを知っていたのか、微笑んだまま首を振る。
「スペンサーは友人だからこそ割り切れなかったんだと思います。利用しようと思えばいくらでも利用できた相手です。スペンサー自身それを望んでいた。エリーが金が欲しいと言えばスペンサーは人を殺してでも持ってきたかもしれません」
「そんなに……?」
「彼は幼い頃からエリーにベッタリで、ロイ同様にエリーを嫁にしたいと言い続けていましたから」
「エリーはなんて?」
「ここで生きていくんだからずっと一緒だと返していました。ハッキリとフッてやったらどうだと言ったのですが、あの執着心が怖いと言っていて、拒絶することで家族に何かあったらと考えていたんです」
実際、離れたことでスペンサーは家までやってきた。
ひどく怒りを露わにし、その怒りをエリー本人にぶつけていた。好きな女を脅してまでどうにかしようとするその異常性を危惧していたのだ。
「ロイが甘えなくなったのも同時期です。エリーを守ると言い始め、スペンサーを嫌うようになりました」
エリスローズの感情を共有するように嫌い始めたロイがあそこまで感情を露わにしたのはエリーを守ろうとしてのこと。
幼い頃に焼きついたはずの光景はロイのトラウマとして残ることはなく、むしろあの経験はロイにとって武器となった。
「ロイにとってエリーは自分の全てなんです。エリーにとってもそうです。無惨な死を遂げた兄を失ったエリーが立ち直れたのはロイがずっとエリーを励まし続けたからなんです」
「ロイは当時五歳、だよね?」
「シオンを見ればおわかりになるでしょうが、子供というのは恐ろしいもので、五歳でもバカな大人よりずっと賢かったりするんです」
五歳のシオンは三歳の妹に本を読んでやりたいと言った。両親に字を覚えてと言うこともできたのに自分が読んでやりたいんだと兄と一緒に勉強を始めた。
それを間近で見てきたリオンは納得したように頷く。
「ロイは、泣きじゃくるエリーを抱きしめながらずっと言い続けていました。大丈夫、俺がずっと傍にいるから。エリーの傍にいるからと」
それがエリスローズが立ち直るキッカケになったのだとしたら依存しているのはロイだけではなくエリスローズも同じなのだと気付いた。
どんな人間が現れようともエリスローズは揺らがない。自分の支えである弟たちが無事に幸せを掴むまで自分の幸せは後回しにするつもりなのだと。
あの言葉は強がりではなく本心なんだとわかった。
「ロイはあまり自分の感情を言葉にすることはありません。何を考えているのかとか、どう思っているのかとかも全部。エリーだけが知っていることも多いと思います」
「だが、彼がエリーにそれだけの執着を見せるのはエリックの死が原因なのかい?」
「最大の原因は私たちです。エリックが死んで一週間後、シオンが捨てられてきたのです。生後すぐのことで、私たちはシオンにかかりっきりになって……それがロイは気に入らなかったみたいです。エリックの死を悲しまなくなったのを見て失望したのでしょう」
悲しまなくなったのではない。悲しんでいる暇がなくなったのだ。悲しんでいても赤子に与えるミルクは手に入らない。
だが、ロイにはそう見えてしまった。
「私たちが勝手に育てることを決め、エリーがそれを受け入れてくれた。私たちは働きに出なければならないから朝から晩まで面倒を看るのはエリーなんです。勝手なことをして勝手に押し付けて、という怒りもあったのかもしれません。それが自分とエリーの時間を奪うことになったと思っていたのかな……と」
まだ五歳だったロイにとってエリスローズが世話をしなければ死んでしまう赤ん坊は二人の時間を奪う邪魔者と思えただろう。
そんな状況を作り出した親を憎いとも思ったかもしれない。
「エリーもロイが寂しいのをわかっていたから私たちが帰ったあとはロイだけを構うようにしていました。それがロイにとっては心地良かったのでしょうね。私たちはやり方を間違えてしまったんです。親として子には平等に接しなければならないのに、シオンにばかり気がいってしまって……」
息子二人を医者に診せることができずに見殺しにした経験があれば赤子にかかりっきりになるのは当然のこと。血の繋がりはないといえど、育てていれば情が湧く。
リオンは彼らを見ていて誰かが養子である可能性など考えもしなかった。皆が愛情溢れる人間に育っていたから。
だが、それは他人から見た感想であって、ロイはそうではなかった。
自分やエリスローズよりも赤子が大事なんだと思ったのかもしれない。
だからエリスローズの寂しさを自分が埋めようと思ったのかもしれないし、エリスローズもそう考えたのかもしれないとリオンは思った。
彼らの間にある特別な絆の理由がわかるとリオンはコリンの背中をさする。
「誰も悪くないんだよ。君たちは自分にできることを必死にやってきた。家族に苦労はあっただろうけど、他人に迷惑をかけることなく彼らをここまで育てあげたのは他でもない君たちだ。そうだろう?」
「そんな……ッ……恐れ多い……ことを、言ってもらえるような人間では、ないんです……」
頬を伝う涙に彼らの苦労を感じてリオンも目頭が熱くなる。
「僕は君たちが大好きだよ。ここには愛が溢れていて、僕の理想そのものだ。過去にどんなことがあろうと、彼らは君たちを愛し、皆心優しく成長してる。それを誇りに思うべきだよ」
鼻を啜るリオンを見た途端、コリンは留めていた涙腺が決壊したように涙を溢れさせる。
「ありがとうございますッ。ありがとうございますッ」
何度も何度も感謝の言葉を口にするコリンを抱きしめながらリオンは彼の背中を撫で続けた。
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