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エリスローズは演技する

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 王族を招いての食事会は驚くなんて感情では足りないほど別世界が広がっていた。
 それぞれの名前が記されたプレートが置いてある場所に一人また一人と腰掛けていく。
 誰も欠席することなく席が埋まったところで国王の挨拶が始まり、皆がグラスを持って乾杯する。
 
「いつも通りでいいんだよ」

 食事に手をつけようとしないエリスローズにリオンが小声で促すもエリスローズは困っていた。
 こんなに豪華な食事は食べるどころか見たこともない。
 真ん中に置いてある茶色の塊は一体なんだろうとステーキを見ながら困惑する。
 カトラリーをどうやって使うのかは一応はカーラに教えてもらっていたが、それでも食べたことがない物の食べ方はわからない。

「ステーキは嫌いかい?」

 そうじゃないと首を振るエリスローズに首を傾げるリオンは使用人に紙とペンを持ってくるよう手で促す。

「別の料理に変える?」

 エリスローズは首を振るだけで書こうとしない。
 近くに知らない王女がいる。食べたことがないから食べ方がわからないなどと書けるはずがない。
 だが、書かないことには伝わらない。
 どうしたものかと悩んでいると隣の席の王女がこっちを見ていることに気がついた。

「エリーナ様のお声が聞けなくて残念ですわ。今日のお喋りを楽しみにしていましたのに」
「エリーナが一番残念がっています。エリーナはお喋り好きですから、皆さんとお話できる今日をずっと心待ちにしていたんです」
「やっぱり喉の調子が悪いと食欲もなくなってしまいますの? 少しお痩せになられたように見えますけど」

 一ヶ月、好きな物を好きなだけ食べていれば太ることもできたのだろうが、それができない環境だったためエリーナの体型にはなれなかった。
 できるだけバルーンで隠しはしたのだが、隠しきることは不可能だった。

「エリーナにとって話せないことはとてもショックだったようで、好きな物も喉を通らなかったのです」
「今日はエリーナ様の大好きなステーキですのに」
「皆さんにお会いして直接話せないことがショックみたいで。大丈夫かい?」

 リオンの嘘に感心しながらも助かったと胸を撫で下ろして王女に笑顔を向ける。

「お辛いでしょうに、気丈ですのね。声が戻り次第すぐにご一報くださる? すぐに駆けつけますわ。エリーナ様の大好きなお菓子と一緒にお茶を楽しみましょう」

 キュッと優しく手が握られ、優しい言葉がかけられる。

「でも今日のエリーナ様、雰囲気がとても柔らかいですわね」
「私も思ってましたの! 笑顔が柔らかくて素敵ですわ」
「お喋りができないのが本当に残念」

 どこまでが本音でどこからがお世辞なのだろうとエリスローズは笑顔で考える。
 穏やかで華やかな空気の中に感じる騙し合いのような雰囲気。
 その赤いルージュの下にどんな本音を隠しているのか知りたくなる。

「でも相変わらず仲がよろしいのね」 
「結婚何年目でしたっけ?」
「十年です」
「素晴らしいですわ。本当に羨ましい」

 エリスローズにとって素晴らしい夫婦というのは両親のこと。
 まだ若く見えるリオンが十年前に結婚していたことに少し驚いているが、それはどうだっていい。

「十年経っても変わらず愛してくれるか心配ですの」
「はしたない会話はやめないか。ここはティーサロンじゃないんだ」
「ね? これですもの」

 王女や王太子妃がよく喋る。それに呆れたように首を振る夫や苦笑する兄弟。
 豪華な食事も豪華な場所も豪華な服飾も全て当たり前の世界で交わされる会話はどうでもいい話ばかり。

「私たちのことは気になさらず、何か食べられそうな物をお食べになって」
「ストレスは病の天敵ですもの」
「リオン様の愛ですぐに治りますわよ」
「それもそうね!」

 頭のネジが緩んでいるのか、最初からないのか。
 ふわふわとした女たちの顔を見ているだけで吐き気がする。
 自分はちゃんと笑えているだろうかと心配になるほど心の中はドス黒い感情でいっぱいになっていた。

「会話はそれで?」
「そうなんです。エリーナは字がキレイなので新鮮で嬉しいです」

 リオンのその言葉に一瞬時間が止まったような気がした。
 勘違いだったかと思えるほど一瞬で戻った空気。

「言葉が残るって素敵ですわ。言ったことを言ってないとは言えなくなりますもの」

 夫への当てつけのような言葉に夫は咳払いをして食事を進める。

「今度、鹿狩りなどいかがですか?」
「競技以外ではしないことに決めてるんです」
「そうですか。リオン王太子の狩りの腕前をもう一度この目で見たかったのですが」
「すみません。また競技のときにご一緒しましょう」

 上質なドレスを着て、練習した笑顔を見せて、高貴な身分の者たちと同じ場にいるからといって自分が上質な人間になれるわけじゃない。
 ステーキとは何か、これはどうやって食べるのか、何度もギコギコと切ればいいのか。好物の食べ方を知らない人間はいない。
 この目の前にあるステーキとやらはエリーナの好物。間違った食べ方はしない。どう食べるのがマナーなのかわからないのに憶測で手を出すべきではないと判断したのは正解だった。

「今日はワインも飲まれませんのね?」
「身体を労わるよう医者に言われたものですから、アルコールやコーヒーなども控えているんです」
「まあ……それはとても辛いですわね」
「これも皆さんとまた楽しくお話をするためです」

 頷いて見せるエリスローズは空腹を感じていた。
 今日はコルセットをつけるからと朝から何も食べていない。
 カーラはこの身体にコルセットなどいらないと言ったのだが、使用人は聞く耳を持たなかった。
 エリスローズにとってコルセットは苦しいというより痛い。
 皆この笑顔の裏ではキツく締められたコルセットに窮屈な思いをしているのだろうかと思うとその大変さに同情する。
 これから彼女たちは死ぬまでコルセットをつけ続ける。
 豪華な食事は羨ましくとも面倒なマナーや上辺だけの付き合いを続けていくことを考えると高貴な身分に生まれなくてよかったと心から思う。

「エリーナ様、またお元気になられたらお話しましょうね」
「回復を祈ってますわ」
『ありがとうございます』

 長い長い食事会が終わった。
 生きてきた十九年よりずっと長い時間が過ぎたのではないかと思うほど長かった。

『お気をつけて』

 そう書いた紙を見せるとやはり少し変な空気が一瞬流れる。
 だがすぐに笑顔で皆が通り過ぎていく。

『字の綴り、間違ってますか?』

 リオンの肩をトントンと叩いて紙を見せるも首を振られる。

「間違ってないよ。綺麗な字で書かれてる」

 何があんなに変な空気にさせたのかと不思議に思うエリスローズも首を傾げて紙を見た。

「疲れただろう?」

 素直に頷くとリオンが笑う。

「皆、君の笑顔が柔らかくて素敵だって褒めてたよ」
『エリーナ様の笑顔ですから』
「違う。顔はエリーナそのものだけど、笑顔は君のだよ」

 エリスローズが首を振るとリオンも真似して首を振る。
 
「でも、ステーキを食べなかったのはどうしてだい?」

 一瞬迷ったが素直に答えることにした。

『まだマナーを習っていないからです』
「ああ、そういえばカーラが言っていたね」
『エリーナ様の好物を変な食べ方するわけにはいきませんから』

 その言葉にリオンが目を瞬かせる。

「そこまでちゃんと考えてくれていたなんて……ちょっと驚きだよ」

 ムッとした顔を見せるエリスローズに慌てて手を振って見せるリオン。

「悪い意味で言ったんじゃないよ。君の考えは正しいよ。エリーナは王女として生まれたからマナーだけは完璧にできるんだ。声が出ないからといってマナーを忘れるのはおかしいよね。僕はそこまで考えてなかったから、君がちゃんと考えてくれてたことに驚いたんだ。けしてバカにしたわけじゃないから、そこは勘違いしないでほしい」
『わかりました』

 疲れたから部屋に帰ろうと立ち上がったエリスローズの手をリオンが握る。
 何事かと反射的に手を引っ込めるも反対側の手を握られた。

「もう少し君と話したい」
『疲れたので帰りたいです』
「そっか。じゃあ部屋まで送るよ」

 エリーナが必要なイベントにはエリーナのイメージを壊さないように笑顔でいると決めた。
 全てエリーナが戻ってくるまでの契約で仕事をする。
 だが、エリーナが必要なイベントが終わった今、プライベートまで捧げたくはない。
 今日は一週間に一度の入浴の日。メイクも落とすし髪も洗う。気持ちいいまま早く寝ると決めているのだから。
 聞き分けのいいリオンに感謝しながら立ち上がると王妃が寄ってきた。

「失敗はなかったでしょうね?」
「エリーナは完璧でしたよ」
「別に褒めることではありません。当然のことです。彼女にはお金が発生しているのですからね」
「そうだとしてもそういう言い方はないでしょう」
「あなたはいちいち使用人にありがとうと言うのですか?」
「彼女は使用人ではありません」
「仕事としてここにいるのは同じです」

 言い返せなくなったリオンが悔しげに唇を噛む。

『エリーナ様が戻るまでエリーナ様の身代わりとして役目を果たしますのでご心配なく』
「当然です」

 ペンを置き、軽く膝を曲げて挨拶をし、そのまま帰ろうとするエリスローズの背中に声がかかる。

「くれぐれも王太子に惚れないように。本来ならあなたのような身分の者は顔を拝むことさえできないのですからね」
「王妃、それはあまりにも失礼です!」

 立ち止まったエリスローズがもう一度ペンを持って紙の上を走らせる。

『ここには婿探しではなく仕事で来ているのでご心配なく』

 そう書いた紙を王妃の顔の前にズイッと突きつけるように出した後、それをテーブルに叩きつけて部屋を出ていく。

「エリーナ──ッ!」

 追いかけてこようとするリオンに手のひらを向けて追いかけてこないよう伝える。
 眉を下げる王太子は優しい。王妃に怒ってくれるだけの優しさがある。
 でもエリスローズは彼に深入りしたくなかった。
 厳しい環境下で優しくされると心が揺らいでしまう。
 恋などするつもりはない。ましてや世界が違う人間にする恋などあまりにも哀れで自分が惨めになるだけ。
 弟たちが自立するまで恋はしないと決めている。

(これは全てお金のため、家族のため。それだけよ)

 そう改めて自分に言い聞かせて部屋へと戻っていった。
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