『闇を闇から』

segakiyui

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第3章

8.スタック(4)

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「京介」
「何」
「腕を離して下さい」
「……いや」
 ふう、と微かに溜め息をついた伊吹が、居心地悪そうにタクシーの席に座り直すのを横目で見て、急いで視線を窓の外で流れる夜景に移した。何か言いたげな運転手はバックミラーから京介を覗き込んだが、一瞬目を合わせて何を読み取ったのか、やれやれとうっとうしそうに視線を外す。
 見えてるのかな。
 わかってるのかな。
 僕の中で暴れてるもの。
 ずきずきする下半身を持て余しながら京介は窓の外を眺め続ける。
 腕を離せない。
 離したが最後、とんでもないことをしてしまいそうで。
 空いた右手で座席を掴んでいるのは、少しでも力を緩めるとそのまま伊吹を引き倒しそうだから。引き倒して、襲いかかるならまだしも、頭の中に描いているものはもっと酷くて容赦がないもの。
 玄関に入ってから先をさっきからずっと想像している。
 キスして抱き締めてあちこち探って。
 触って、と手を誘導して。
 愛してって。
 夕べみたいに、もう一度、ベルト外して直接触れてもらって。
 伊吹の指がどこをどうするのかはもう知っているから、それをじっくり感覚で追い掛けていくとたまらなくなる。きっとすぐにねだってしまう、キスしながら唇に囁きながら、上着をはだけてシャツのボタンも外して。
 ねえ、もっとって。
 そこだけじゃなく、全部愛して。
 僕を暴いて貪って。唇で、舌で、指先で、目線で、肌で、息遣いで、ねえ。
 頭を引き寄せて懇願する。
 犯して。
「っっ」
 ふいに自分の中で零れたことばに京介は目を見開いて固まった。
 どうやって…?
 びくっ、と震えたのに気付いたのか、伊吹がそっとこちらを覗き込む。
「京介?」
「……ご、めん…」
 背筋から腰に冷たいものがばしゃばしゃと注ぎ込まれてきたようで、一気に萎えてきた。自分が震えているのを覚られたくなくて、そっと掴んでいた手を離し、無意識に引き寄せていた右腕を腹に回し、両腕で自分を抱き締める。
 なんて?
 頭がずきずきする。
 僕は今、なんて、望んだ?
 犯して?
「…っ」
 もう一度繰り返しても、それは這い降りる冷気と同時に京介の体の奥底に疼くような熱を呼び起こす。
 それははっきり、欲望で。
 けれど、たぶん普通なら、男はそこに焦点を合わせないだろう場所の欲望で。
 そんなこと、どうやって…?
 伊吹さん、女なのに?
 伊吹の愛撫に受け身になることには抵抗がない。
 夕べだって攻められる一方だったけど、それを拒む気は毛頭なくて、むしろ好き放題に嬲られることは気持ちがよかった、思ってもみなかった快感は心身ともに京介をくるんで満たしてくれた。
 だから、それと同じものを、できたらもう少し強く欲しいと思っただけ、それには何の問題もないけれど、でもそれは。
 視界を掠めたのは大石。
 大石は伊吹をどう抱いたのだろう。
 たぶん伊吹のいろんなところを愛して、一緒に自分も高ぶって、それから伊吹の中に。
 それは伊吹を犯す、であって、伊吹に犯される、じゃなかったはず。
 渡来だってそうだろう、そこまで考えているかは別にしても、伊吹とそういう関係を持とうとするなら、伊吹を渡来が犯す形、のはずで。
 ならば、京介は?
 冷や汗を滲ませながら、京介は必死に思考を進める。
 恵子とのときはどうだっただろう。実のところ初体験は恵子だという笑えない話、しかも誘われたのは誘われたけれど、
それも自分が男だと証明したいがためにむきになったのが本音で、そのくせ実際に事に及ぼうとすると、フラッシュバックするように大輔に犯される自分が重なって、結局入ったか入らないかで果ててしまった。
 吐き気がするような血の気が引くような不快な到達、恵子の喘ぎ声が自分のものにも聞こえて、自分で自分を犯すようだと感じてからは、もう女性を相手にできなくなっていて。
 それってひょっとして、男しかだめってことじゃないの?
「……」
 唇を噛み締める。
 そうだ伊吹にはその気になったし、自分も反応したし、何より伊吹と京介はほとんど重ならなかったから大丈夫だった、それに安心しててっきりできると思い込んでいたけれど。
 本当に、できるの、僕?
 女性相手に犯して、なんて、そういうことで煽られていくのっておかしいよね?
 キスはいい、触ってお互い気持ちよくなるのもいい、けれど、入れるのだろうか、京介は。
 入って伊吹を満足させられるのだろうか。
「京介」
「、はいっ」
「着きましたよ?」
「あ…ごめん」
 不審そうな運転手に慌てて支払いをすませて、先に降りていた伊吹を追う。
「どうしたの?」
「伊吹さん…僕」
 君を愛せなかったらどうしよう。
 さすがにそれを口に出せずに立ち竦む後ろで、タクシーが苛立たしげに走り去っていく。
「僕…」
 抱きたい。抱いてほしい。愛したい。愛してほしい。でも。
 本当に、京介は。
「勢いがなくなっちゃいましたね」
「う…ん」
 気持ちのことではなくて、肝心な部分のことを指摘されたみたいな気がしてずきんとした。
「今日はもう帰りましょうか?」
 淡々と確かめてくる伊吹に不安になる。
 帰って、そして、その後は?
 大石だって渡来だって、まだ起きているだろう、伊吹が誘えば出てくるだろう。
 何も与えられない京介が伊吹を独占するのはきっと、京介のわがままで。
 けれど。
 何もできない、けど。
 嫌だ。
 離れたくない。
 帰したくない。
 離したくない。
 他の誰のところにもやりたくない。
「あの」
「はい?」
「コーヒー、呑まない?」
 小さく笑った、泣きそうになりながら。
「僕、淹れるの、うまいでしょ?」
 それはいつかの再現、伊吹を初めて誘った夜、それでもあの時はこれほど必死ではなくて。
 そして、それは彼方の再現、大輔に快楽と引き換えに服従に甘んじた、そのキーワード。
 結局、僕はここから出られなくて、こうやって誘うしかないってことだよね?
 そうやってどこまでも汚れていくってことだよね?
 ふいに孝になった気がした。
 孝もきっとこんな気分で、自分にはそれしかないと悟って、絶望しながら大輔を誘ったのだろう、どうなってもいいと。
 でも、そんなことに伊吹を巻き込むなんて。
 ぎゅ、と唇を噛む。
 まっすぐにこちらを見ている視線が辛くて、ゆっくり下を向く。
 ありがとう、って言ったほうがいい。
 ここでいいよって言ったほうがいい。
 今日はもうお休みって。
 で、明日は。
 伊吹の実家へ行く明日。
「……」
 明日なんて、京介には永久に手に入らないものなのかもしれない。望んではいけないものなのかもしれない。
 一人の明日は嫌だ。
 大輔の居る明日も嫌だ。
 伊吹の居る明日がいい。
 けれど、その資格は、僕に……ある…?
 掠れた声を絞り出す。
「……あ、した…」
 急な仕事が入って行けなくなるかもしれない。
 そう言い訳しようとした矢先、つかつかと近寄ってきた伊吹が腕を握ってきてびくりとする。
「京介」
 ぐい、と引っ張られて俯いて屈む、その耳元に柔らかな声で囁かれる。
「ここまできてお預け?」
「え…」
「愛させて?」
「あ………ん」
 ぞくりと震えた体、軽く頬にキスされて、京介は思わず頷いた。
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