『闇を闇から』

segakiyui

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第2章

10.ブラインド・ベット(1)

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「いいでしょう」
 月曜の朝、ショッキングピンクのスーツを着た、推定体重70㎏弱、の桜木元子が言い切った。
「これでいきましょう。では開発管理課は真崎くんに一任。スタッフは石塚、高崎、伊吹でスタート。以後は状況に応じて異動を検討します。高山課長?」
 眉を寄せて書類を睨み付けている高山が顔を上げる。一瞬京介の視線を受け止めて、不愉快そうに顔をしかめたが、小さく溜め息をついた。
「わかりました」
「不満そうね」
 元子がずばりと尋ねて面白そうにミネラルウォーターのペットボトルに手を伸ばす。
「よくできている、私はそう思ってるけど」
「おっしゃる通りです」
 高山が唸る。
「………短期間に考えたにしては、刺激的だと思います」
 間に合わせにしては、のことばを呑み込んだのだろう、じろりと高山が京介を見遣った。
「ただ、人事面で言わせてもられば」
 ばさり、と面倒そうに書類を置いた。
「アルバイトの伊吹美並、ですか、彼女を重要な部署に置くのはどうかと」
 ああ、高山さん、対処を間違えたな、と京介は苦笑した。静かに微笑んで相手のことばを待つ。
「ほう。さっきからずっとそこを気にしてるわね」
 元子はごくごくん、とペットボトルの半分を空にして、書類に目を落とす。
「人事としては納得できない?」
 はっきりきっぱりした物言いと即決即断が元子の本分、だからこそ会議は事前の準備資料が十分でないと、提案一つまともに聞いてもらえなくなるが、中途半端に長引くこともないから、京介は彼女がトップでよかったと思っている。
 桜木通販は、これまで大胆な戦略と小規模の動きのよさを生かして、しのぎを削る業界の中を巧みにすり抜けて生き延びてきた。
 もともとは桜木哲雄が社長として起こしたものだが、先妻を事故でなくし、後妻に入った元子に商才があると見ると、先見の明があるというか読みがいいというか、妻を社長として押し立てて、さっさと自分はサポートとして会長職におさまってしまい、今では悠々自適の生活でめったに表に出て来ない。
 引いた時には、やれ男のプライドはどうなっただの、女子供に企業が仕切れるかだのといろいろ言われたようだが、元子は男勝りで剛胆だったし、哲雄もそんな世間体にこだわるほど小さな器ではなかったということだ。
 桜木通販の採用者に一般企業なら二の足を踏む転職者や他業種出身が多いのも、妻の求めに従ってそこだけは受け持つと決め、人材を見る目を発揮した哲雄の発想による一対一の面接のみの入社試験、帰るまでに採用不採用が告げられるのも桜木通販特有かもしれない。
「真崎君には悪いと思いますが」
「理由はアルバイトを社運をかけるような開発部署に入れるわけにはいかない、そういうことね?」
「そうです」
 高山が微かに唇を歪める。
「既に石塚さんという有能な事務が居る。開発と言っても最初はリサーチでしょう」
「この企画があるわ」
 元子が書類を示す。
「確かに。でもこれだって、細田さんがいらっしゃることだし」
「こっちに振ってもらっちゃ困る」
 細田が慌てた顔で首を振った。
「この一件は高崎が持ってるんだから」
「だとしても、所属部署の責任はあるでしょう」
「む」
 今頃蒸し返すのか、と言いたげに細田が眉を寄せた。
「アルバイトを入れて、万が一」
 開発中の商品情報を持ち出されて、たとえば岩倉産業なんかに駆け込まれると困りませんか。
 続いたことばに京介は思わず目を細めて笑みを消した。
「あちらの大石さん、と古くからの知り合いのようですし」
「へえ、そうなの?」
 と、元子はなぜか京介を振り返る。
「ええ、まあ」
「婚約していたという噂もありますが」
 高山が薄笑いして続けた。
「知り合いどころじゃないということです」
「彼女が、情報をリークする、と?」
「事実」
 京介のことばに高山が肩を竦める。
「大石さんと伊吹君が会ってたということも聞いている」
 いつぞやの食事のことだろう、そう思いながらも、それ以外にも会っていたことがあるのだろうか、と京介は不安になった。会ってもいい会っても仕方ない、あれほど想っていた相手なのだから、全く無視することは難しい、けれど。
 それなら会ったって僕にちゃんと話してくれてもいい。
「シビアね」
 元子が頷くのに、京介は思わず口を開く。
「伊吹さんはそんな人じゃありませんよ」
「どうだかなあ」
 高山が苦笑する。
「女だからねえ」
 感情は意志に優るとも言うしねえ。
 笑う高山に京介はちりちりしてくる。自分がどうこう言われるのは何ともないが、伊吹のことを、しかも岩倉産業から送り込まれたスパイのように言い募られるのには我慢できない。
「高山課長、僕は」
「高山さん、私もまだ女のつもりなんだけど」
 京介の声に被せるように、ふいにぼそりと元子が呟いた。
「あ、いえ、社長は別ですよ」
「いや、一応生物学上も女だしね」
 元子はやれやれと溜め息をついた。
「感情に負けちゃうかあ、わかるような気がするなあ」
「は?」
「いや、今とても興味が沸いてきたことがあって、そちらを聞きたくてたまらないのよ」
 これって感情に負けちゃってるわよねえ。
 溜め息まじりに続けて、元子は、ん、と顔を高山に向けた。
「その伊吹さんって人、いい女?」
「はぁ?」
 会議室に居た全員がぽかんとしてしまった状況で、元子だけが生真面目な顔で続ける。
「だってねえ、今のを聞いてると、どうもその人を真崎くんと高山さんが取り合ってるようにしか聞こえなくて、嫉妬しちゃうわねえ」
 はぁい?
 確かにぶっ飛んだところのある人だが、今度のこれはあまりにも凄い、と京介は呆れた。
「わ、私がどうして伊吹君を真崎君と取り合わなくては」
「真崎くんは伊吹さん、欲しいのよね?」
「もちろん」
 きっぱり言い放って、京介は一瞬うろたえる。
「あはは、珍しいね、君がそこまで欲しがるのは」
 元子は楽しそうに笑う。
「で、高山さんも伊吹さんを人事に欲しいと」
「私はただ重要情報が無造作に放置されるような部署に置くよりは、人事で私が直接監視しつつ仕事をしてもらったほうがいいかと」
 有能は有能みたいですし、そう付け加える高山に、これみよがしに元子が頷く。
「そうよね。でも問題は人事にも社運を左右する重要な情報が充満してるってところなのよ」
「は?」
「社員の個人情報ね、これはとても重要よ?」
 元子は丁寧にことばを継いだ。
「だからあそこの管理を高山さんにお願いしてるわけでしょう」
「あ…はい」
「そこにねえ、怪しい人材を入れるというのは、私も不安だわ」
「う」
「それぐらいなら、そうね、開発管理課というのは、それこそあなたの言う通り、この企画以降はしばらくリサーチになるだろうし、まだ情報の重要性は低いと思うのよ」
 うんうん、と元子は独りで頷く。
「で、この『ニット・キャンパス』については伊吹さんもとっくに知ってるんだから、今さらリークも何もないでしょう」
「し、しかし」
「商品の開発はアイディアを探して練ればできる。一つ盗まれたところで、もっといいものを仕上げていけばいいだけのこと」
 でもね、高山さん。
 元子はにっこり笑って締めくくった.
「人材は一朝一夕で得ることのできない貴重なものよ。だからそういう重要情報にアルバイトの人を接触させるよりは、真崎くんにしっかり管理統制してもらいましょう」
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