『闇を闇から』

segakiyui

文字の大きさ
105 / 512
第2章

2.リフル・シャッフル(10)

しおりを挟む
 のろのろと視線を上げる美並に、時計の宝石を煌めかせながら大石が魚を口に運ぶ。
「………僕は君のことを……忘れたことなどない」
 ためらって、低く、呟いた。
「奈保子は僕には、僕が失敗したのを見限って、君は他の男に乗り換えたと言った。追い詰められた僕を助けてくれたのは、確かに奈保子だけれど………君を忘れられなかった」
 はにかむように少し唇の端を上げてみせる。
「……焼き芋のことを覚えてる?」
「……うん」
「あれ……本当は君に、買っていったんだ」
「え?」
「君が……大変そうだったから。少しでも力になりたくて」
 甘い声で照れたように続けて、メインディッシュを片付けた皿を下げさせる。
「僕だって頑張ったんだよ。君を見返せるような男になって、君を攫うだけの力をつけて、いつか君を取り戻すと決めていた………僕も少し変わっただろう?」
 大石はテーブルの上で両手を開いてみせる。
 その姿に、大石を捜しまわった時に両腕を開いて笑った真崎の姿が重なった。
『壊れてるんだよ』
『僕は、退場するね』
『代役は、要らない』
 なぜだろう。
 あれほど逢いたいと思っていた大石なのに、思い出すのは真崎のことばかりだ。
「……誰の、ため?」
「え?」
「誰の、ためだったの?」
 瞬きして、拳を解いた。
 大石をまっすぐ見据えて、見えてくるもの全てを確認しながらことばを続ける。
「今日逢うことを、奈保子さんは知ってるの?」
「それは」
 黒い靄が揺れ動いて厚みを増す。
「奈保子さんの気持ちは? 結婚するはずだったんでしょう?」
「その話は……今動いていない」
 靄が渦巻いて広がる。
 今、と言った。では、その予定ではあったのだ。
 大石がなぜ奈保子が言ったことを知っていたのかは知らない、たぶんあそこに居たおせっかいな誰かが教えたのだろう。美並がどれほど傷ついたか、『さわやかルーム』を辞めることになった経過さえも、ひょっとしたら知っていたのかもしれない。
 けれどそれでも、大石は、プロポーズを受け入れなかった女に自分が自殺したと告げられたと知って、伝えられた女の気持ちを思うよりも自分のプライドを優先した、ということだ。
 そうか。
 たったそれぐらいの価値しか、美並にはなかったのだ。
「……そう」
 美並はナイフとフォークを取り上げた。
 止まっていた食事をさくさくと片付けていく。
 どれも本当においしかった。大石が評価しただけのことはある、がそれより前に真崎は美並をここに連れてきている。この食事のおいしさをよく知っていたに違いない、ためらいなくそう思った。
 そしてたぶん、あの村野というシェフは真崎をよく知っているのだ。美並を見て訝しげだったのは、真崎の連れとして来ていなかったからだ。とすると、真崎も美並を連れてくる相談を村野としていたことになる。
 けれど、真崎はそれを美並に知らせるようなことはしなかった。自分の配慮をほのめかしさえ、しなかった。
『人一人死んだんですよ』
『おいしいもの食べて忘れなさい』
 その一言で美並の呪縛を解けたと、真崎は気付いてもいなかっただろうが。
 ひょうひょうとした横顔、華やかな甘い微笑、寄り添ってくる肌の温もり。
 早く、帰ろう。
 大石と逢っていることに、きっと傷ついている。
「おいしいですね」
「…美並?」
「……生きていてくれて、よかった」
 魚を片付け、顔を上げてにっこり笑う。
「心残りがなくなりました」
「……美並」
「活躍されているの、知ってます」
 運ばれてきたデザートは、約束のようなカフェプリン。
 真崎が居たなら、半分分けてあげるのに。
 微笑みながらかかった生クリームを掬う。
 それとも、食べさせてやる方が喜ぶか。
「どうぞもう、私のことは心配しないで下さい」
「美並」
「私は私で、生きていきます」
「……あいつと?」
 刺すような大石の視線にまるで真崎に対して笑うように微笑んでみせる。
 ごくり、と大石が唾を呑み込み、うろたえたように目を逸らせながら呟いた。
「君はそうでも、あっちはどうかな」
「え?」
「同情だと言ったよ、彼は」
 大石は目を細めて、カフェプリンに手をつけないままテーブルに肘をついて指を組んだ。気付かなかったけれども、そこにも細工を施した高そうな指輪がはまっている。
「彼女は僕の手管に引っ掛かったに過ぎない、と」
「っ」
 ずきり、として思わず手が止まった。
「もっとも、彼も最後には納得してくれて、さっさと連れ去って下さい、とまで言ってくれたけど」
「ばか」
「…は?」
 一瞬本当に血の気が引いた。
 そんなことを、言わせたのか。
 カフェプリンを残してナプキンをまとめ、立ち上がる。
「美並?」
「ごちそうさまでした。食事、とてもおいしかったです」
「コーヒーがまだある」
「申し訳ないけれど」
 大石を見下ろす自分の顔がひやりと歪むのがわかった。
「一番おいしいコーヒーを飲ませるところを知ってますから」
「美並…っ」
「請求書があれば送って下さい。それじゃ」
 さようなら。
 振り返ることもなく、背中越しに別れを告げた。

「…お帰りですか」
 戸口のところまで、いつの間にか村野が送りに来ていた。
「ごちそうさまでした」
「何か不手際でもございましたか」
「いえ! とてもおいしかったです。ただ」
 じん、と目の底が熱くなって、かろうじて笑う。
「待っているのがいて」
 早く帰らなくちゃ、馬鹿なことばかり考えるから。
「あ、そうだ」
 思い付いて首を傾げた。
「あのカフェプリン、持ち帰りとかできますか?」
「できますよ、当店オリジナルで……ちょうど二つほど、残っていますが」
 村野がまるで準備していたかのように、奥へ引っ込みすぐに小さな箱を持ってきた。
「おいくらですか」
「……これは、真崎さまが予約しておかれたものですので」
「っ」
 どこまでもどこまでも卒なくて。本当はきっと強いのだろうけど、でも、美並にはどこまでもどこまでも弱くて。
 早く、帰ろう、真崎の側に。
 過去の扉をきっちり閉めて。
「お支払いは済んでおります」
 村野のことばに息を呑んだ。差し引きゼロになっている、そう示されたような気がした。
「……ありがとう」
 箱を受け取って微笑み、美並はすぐに店を出た。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

【ルーズに愛して】指輪を外したら、さようなら

深冬 芽以
恋愛
 インテリアデザイナーの相川千尋《あいかわちひろ》は、よく似た名前の同僚で妻と別居中の有川比呂《ありかわひろ》と不倫関係にある。  ルールは一つ。  二人の関係は、比呂の離婚が成立するまで。  その意味を深く考えずに関係を始めた比呂だったが、今となっては本気で千尋を愛し始めていた。  だが、比呂の気持ちを知っても、頑なにルールを曲げようとしない千尋。  千尋と別れたくない比呂は、もう一つのルールを提案する。  比呂が離婚しない限り、絶対に別れない__。 【ルーズに愛して】シリーズ ~登場人物~  相川千尋《あいかわちひろ》……O大学ルーズサークルOG                 トラスト不動産ホームデザイン部インテリアデザイン課主任                   有川比呂《ありかわひろ》……トラスト不動産ホームデザイン部設計課主任                千尋の同僚                結婚四年、別居一年半の妻がいる  谷龍也《たにたつや》……O大学ルーズサークルOB              |Free Style Production《フリー スタイル プロダクション》営業二課主任  桑畠《くわはた》あきら……O大学ルーズサークルOG               市役所勤務、児童カウンセラー  小笠原陸《おがさわらりく》……O大学ルーズサークルOB                 |Empire HOTEL《エンパイアホテル》支配人    小笠原春奈《おがさわらはるな》……陸の妻                   |Empire HOTEL《エンパイアホテル》のパティシエ  新田大和《にったやまと》……O大学ルーズサークルOB                新田設計事務所副社長                五年前にさなえと結婚  新田《にった》さなえ……O大学ルーズサークルOG  新田大斗《にっただいと》……大和とさなえの息子  亀谷麻衣《かめやまい》……O大学ルーズサークルOG               楠行政書士事務所勤務               婚活中  鶴本駿介《つるもとしゅんすけ》……楠行政書士事務所勤務

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

嘘つき同士は真実の恋をする。

濘-NEI-
恋愛
都内郊外のリゾートホテルでソムリエとして働く瑞穂はワイン以上にゲームが大好き。 中でもオンラインゲーム〈グラズヘイム〉が大好きで、ロッソの名前でログインし、オフの時間と給料の全てを注ぎ込むほどのヘビーユーザー。 ある日ゲーム仲間とのオンライン飲み会で、親から結婚を急かされている話を愚痴ったところ、ギルマスのタラントの友人で、ゲームの中でもハイランカーのエルバに恋人役を頼めば良いと話が盛り上がり、話は急展開。 そしてエルバと直接会うことになった瑞穂だったが、エルバの意外な正体を知ることに⁉︎ Rシーンは※ ヒーロー視点は◇をつけてあります。 ★この作品はエブリスタさんでも公開しています

ズボラ上司の甘い罠

松丹子
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。 仕事はできる人なのに、あまりにももったいない! かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。 やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか? 上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...