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第2章
2.リフル・シャッフル(10)
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のろのろと視線を上げる美並に、時計の宝石を煌めかせながら大石が魚を口に運ぶ。
「………僕は君のことを……忘れたことなどない」
ためらって、低く、呟いた。
「奈保子は僕には、僕が失敗したのを見限って、君は他の男に乗り換えたと言った。追い詰められた僕を助けてくれたのは、確かに奈保子だけれど………君を忘れられなかった」
はにかむように少し唇の端を上げてみせる。
「……焼き芋のことを覚えてる?」
「……うん」
「あれ……本当は君に、買っていったんだ」
「え?」
「君が……大変そうだったから。少しでも力になりたくて」
甘い声で照れたように続けて、メインディッシュを片付けた皿を下げさせる。
「僕だって頑張ったんだよ。君を見返せるような男になって、君を攫うだけの力をつけて、いつか君を取り戻すと決めていた………僕も少し変わっただろう?」
大石はテーブルの上で両手を開いてみせる。
その姿に、大石を捜しまわった時に両腕を開いて笑った真崎の姿が重なった。
『壊れてるんだよ』
『僕は、退場するね』
『代役は、要らない』
なぜだろう。
あれほど逢いたいと思っていた大石なのに、思い出すのは真崎のことばかりだ。
「……誰の、ため?」
「え?」
「誰の、ためだったの?」
瞬きして、拳を解いた。
大石をまっすぐ見据えて、見えてくるもの全てを確認しながらことばを続ける。
「今日逢うことを、奈保子さんは知ってるの?」
「それは」
黒い靄が揺れ動いて厚みを増す。
「奈保子さんの気持ちは? 結婚するはずだったんでしょう?」
「その話は……今動いていない」
靄が渦巻いて広がる。
今、と言った。では、その予定ではあったのだ。
大石がなぜ奈保子が言ったことを知っていたのかは知らない、たぶんあそこに居たおせっかいな誰かが教えたのだろう。美並がどれほど傷ついたか、『さわやかルーム』を辞めることになった経過さえも、ひょっとしたら知っていたのかもしれない。
けれどそれでも、大石は、プロポーズを受け入れなかった女に自分が自殺したと告げられたと知って、伝えられた女の気持ちを思うよりも自分のプライドを優先した、ということだ。
そうか。
たったそれぐらいの価値しか、美並にはなかったのだ。
「……そう」
美並はナイフとフォークを取り上げた。
止まっていた食事をさくさくと片付けていく。
どれも本当においしかった。大石が評価しただけのことはある、がそれより前に真崎は美並をここに連れてきている。この食事のおいしさをよく知っていたに違いない、ためらいなくそう思った。
そしてたぶん、あの村野というシェフは真崎をよく知っているのだ。美並を見て訝しげだったのは、真崎の連れとして来ていなかったからだ。とすると、真崎も美並を連れてくる相談を村野としていたことになる。
けれど、真崎はそれを美並に知らせるようなことはしなかった。自分の配慮をほのめかしさえ、しなかった。
『人一人死んだんですよ』
『おいしいもの食べて忘れなさい』
その一言で美並の呪縛を解けたと、真崎は気付いてもいなかっただろうが。
ひょうひょうとした横顔、華やかな甘い微笑、寄り添ってくる肌の温もり。
早く、帰ろう。
大石と逢っていることに、きっと傷ついている。
「おいしいですね」
「…美並?」
「……生きていてくれて、よかった」
魚を片付け、顔を上げてにっこり笑う。
「心残りがなくなりました」
「……美並」
「活躍されているの、知ってます」
運ばれてきたデザートは、約束のようなカフェプリン。
真崎が居たなら、半分分けてあげるのに。
微笑みながらかかった生クリームを掬う。
それとも、食べさせてやる方が喜ぶか。
「どうぞもう、私のことは心配しないで下さい」
「美並」
「私は私で、生きていきます」
「……あいつと?」
刺すような大石の視線にまるで真崎に対して笑うように微笑んでみせる。
ごくり、と大石が唾を呑み込み、うろたえたように目を逸らせながら呟いた。
「君はそうでも、あっちはどうかな」
「え?」
「同情だと言ったよ、彼は」
大石は目を細めて、カフェプリンに手をつけないままテーブルに肘をついて指を組んだ。気付かなかったけれども、そこにも細工を施した高そうな指輪がはまっている。
「彼女は僕の手管に引っ掛かったに過ぎない、と」
「っ」
ずきり、として思わず手が止まった。
「もっとも、彼も最後には納得してくれて、さっさと連れ去って下さい、とまで言ってくれたけど」
「ばか」
「…は?」
一瞬本当に血の気が引いた。
そんなことを、言わせたのか。
カフェプリンを残してナプキンをまとめ、立ち上がる。
「美並?」
「ごちそうさまでした。食事、とてもおいしかったです」
「コーヒーがまだある」
「申し訳ないけれど」
大石を見下ろす自分の顔がひやりと歪むのがわかった。
「一番おいしいコーヒーを飲ませるところを知ってますから」
「美並…っ」
「請求書があれば送って下さい。それじゃ」
さようなら。
振り返ることもなく、背中越しに別れを告げた。
「…お帰りですか」
戸口のところまで、いつの間にか村野が送りに来ていた。
「ごちそうさまでした」
「何か不手際でもございましたか」
「いえ! とてもおいしかったです。ただ」
じん、と目の底が熱くなって、かろうじて笑う。
「待っているのがいて」
早く帰らなくちゃ、馬鹿なことばかり考えるから。
「あ、そうだ」
思い付いて首を傾げた。
「あのカフェプリン、持ち帰りとかできますか?」
「できますよ、当店オリジナルで……ちょうど二つほど、残っていますが」
村野がまるで準備していたかのように、奥へ引っ込みすぐに小さな箱を持ってきた。
「おいくらですか」
「……これは、真崎さまが予約しておかれたものですので」
「っ」
どこまでもどこまでも卒なくて。本当はきっと強いのだろうけど、でも、美並にはどこまでもどこまでも弱くて。
早く、帰ろう、真崎の側に。
過去の扉をきっちり閉めて。
「お支払いは済んでおります」
村野のことばに息を呑んだ。差し引きゼロになっている、そう示されたような気がした。
「……ありがとう」
箱を受け取って微笑み、美並はすぐに店を出た。
「………僕は君のことを……忘れたことなどない」
ためらって、低く、呟いた。
「奈保子は僕には、僕が失敗したのを見限って、君は他の男に乗り換えたと言った。追い詰められた僕を助けてくれたのは、確かに奈保子だけれど………君を忘れられなかった」
はにかむように少し唇の端を上げてみせる。
「……焼き芋のことを覚えてる?」
「……うん」
「あれ……本当は君に、買っていったんだ」
「え?」
「君が……大変そうだったから。少しでも力になりたくて」
甘い声で照れたように続けて、メインディッシュを片付けた皿を下げさせる。
「僕だって頑張ったんだよ。君を見返せるような男になって、君を攫うだけの力をつけて、いつか君を取り戻すと決めていた………僕も少し変わっただろう?」
大石はテーブルの上で両手を開いてみせる。
その姿に、大石を捜しまわった時に両腕を開いて笑った真崎の姿が重なった。
『壊れてるんだよ』
『僕は、退場するね』
『代役は、要らない』
なぜだろう。
あれほど逢いたいと思っていた大石なのに、思い出すのは真崎のことばかりだ。
「……誰の、ため?」
「え?」
「誰の、ためだったの?」
瞬きして、拳を解いた。
大石をまっすぐ見据えて、見えてくるもの全てを確認しながらことばを続ける。
「今日逢うことを、奈保子さんは知ってるの?」
「それは」
黒い靄が揺れ動いて厚みを増す。
「奈保子さんの気持ちは? 結婚するはずだったんでしょう?」
「その話は……今動いていない」
靄が渦巻いて広がる。
今、と言った。では、その予定ではあったのだ。
大石がなぜ奈保子が言ったことを知っていたのかは知らない、たぶんあそこに居たおせっかいな誰かが教えたのだろう。美並がどれほど傷ついたか、『さわやかルーム』を辞めることになった経過さえも、ひょっとしたら知っていたのかもしれない。
けれどそれでも、大石は、プロポーズを受け入れなかった女に自分が自殺したと告げられたと知って、伝えられた女の気持ちを思うよりも自分のプライドを優先した、ということだ。
そうか。
たったそれぐらいの価値しか、美並にはなかったのだ。
「……そう」
美並はナイフとフォークを取り上げた。
止まっていた食事をさくさくと片付けていく。
どれも本当においしかった。大石が評価しただけのことはある、がそれより前に真崎は美並をここに連れてきている。この食事のおいしさをよく知っていたに違いない、ためらいなくそう思った。
そしてたぶん、あの村野というシェフは真崎をよく知っているのだ。美並を見て訝しげだったのは、真崎の連れとして来ていなかったからだ。とすると、真崎も美並を連れてくる相談を村野としていたことになる。
けれど、真崎はそれを美並に知らせるようなことはしなかった。自分の配慮をほのめかしさえ、しなかった。
『人一人死んだんですよ』
『おいしいもの食べて忘れなさい』
その一言で美並の呪縛を解けたと、真崎は気付いてもいなかっただろうが。
ひょうひょうとした横顔、華やかな甘い微笑、寄り添ってくる肌の温もり。
早く、帰ろう。
大石と逢っていることに、きっと傷ついている。
「おいしいですね」
「…美並?」
「……生きていてくれて、よかった」
魚を片付け、顔を上げてにっこり笑う。
「心残りがなくなりました」
「……美並」
「活躍されているの、知ってます」
運ばれてきたデザートは、約束のようなカフェプリン。
真崎が居たなら、半分分けてあげるのに。
微笑みながらかかった生クリームを掬う。
それとも、食べさせてやる方が喜ぶか。
「どうぞもう、私のことは心配しないで下さい」
「美並」
「私は私で、生きていきます」
「……あいつと?」
刺すような大石の視線にまるで真崎に対して笑うように微笑んでみせる。
ごくり、と大石が唾を呑み込み、うろたえたように目を逸らせながら呟いた。
「君はそうでも、あっちはどうかな」
「え?」
「同情だと言ったよ、彼は」
大石は目を細めて、カフェプリンに手をつけないままテーブルに肘をついて指を組んだ。気付かなかったけれども、そこにも細工を施した高そうな指輪がはまっている。
「彼女は僕の手管に引っ掛かったに過ぎない、と」
「っ」
ずきり、として思わず手が止まった。
「もっとも、彼も最後には納得してくれて、さっさと連れ去って下さい、とまで言ってくれたけど」
「ばか」
「…は?」
一瞬本当に血の気が引いた。
そんなことを、言わせたのか。
カフェプリンを残してナプキンをまとめ、立ち上がる。
「美並?」
「ごちそうさまでした。食事、とてもおいしかったです」
「コーヒーがまだある」
「申し訳ないけれど」
大石を見下ろす自分の顔がひやりと歪むのがわかった。
「一番おいしいコーヒーを飲ませるところを知ってますから」
「美並…っ」
「請求書があれば送って下さい。それじゃ」
さようなら。
振り返ることもなく、背中越しに別れを告げた。
「…お帰りですか」
戸口のところまで、いつの間にか村野が送りに来ていた。
「ごちそうさまでした」
「何か不手際でもございましたか」
「いえ! とてもおいしかったです。ただ」
じん、と目の底が熱くなって、かろうじて笑う。
「待っているのがいて」
早く帰らなくちゃ、馬鹿なことばかり考えるから。
「あ、そうだ」
思い付いて首を傾げた。
「あのカフェプリン、持ち帰りとかできますか?」
「できますよ、当店オリジナルで……ちょうど二つほど、残っていますが」
村野がまるで準備していたかのように、奥へ引っ込みすぐに小さな箱を持ってきた。
「おいくらですか」
「……これは、真崎さまが予約しておかれたものですので」
「っ」
どこまでもどこまでも卒なくて。本当はきっと強いのだろうけど、でも、美並にはどこまでもどこまでも弱くて。
早く、帰ろう、真崎の側に。
過去の扉をきっちり閉めて。
「お支払いは済んでおります」
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