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第1章
13.絶対零度の領域を(3)
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「?」
こんな時間に着信?
美並が顔をしかめながら、開け放っていた他の窓を閉めて戻ると、真崎が目を見開いて硬直している。
「課長?」
「…っ」
「…すみません、もういいかと思うんで、ベランダの窓も閉めてきてもらえますか?」
「う、ん」
手にしていたカップとソーサーをソファ前のローテーブルに置き、真崎はなおも動かずにその場で立ち竦んだままだ。不審に思いながらも携帯を開くと、登録していないメルアドのメールが届いている。
「画像がついてる…」
「い、」
「誰だろ、件名……真崎、恵子?」
内容ではなくて名前が入った件名に眉を寄せながら本文を確かめる。
『京ちゃんのメルアドに拒否されているので、そちらに送ります』
真崎の携帯を知っている、そのことに不安なものが胸に動いたけれど、着信拒否されている、そう知って、ほっとしながら画像を開いた。
「…課長……?」
「っ」
びくっ、と側の真崎が震えた。
携帯の画面の中にはどこかの部屋のホテルのドア、そこに今にも崩れ落ちそうにもたれた真崎が居る。すがるようにドアに当てた手、もう片方の手は口を覆って、乱れた髪が眼鏡にかかり、その奥で苦しそうに歪めた顔が、妙に切な気だ。まるで、あやうい悪戯を仕掛けられて今にも喘ぎそうなのをかろうじて堪えている、そういう顔にも見える。
「わ…」
きわどい。
当の本人が側に居る、それを意識したとたん、美並は顔が上げられなくなった。
確かにどちらかというと細面の端正な造り、会社では曖昧でスマートな物言いだし、こんな隙など見せることはないだけに画像のインパクトは強烈だ。ついでにさっきのしかかっていた真崎の切ない顔は、何のことないこの画像に繋がるものだとすぐわかって。
「どうして、恵子さんこんなの」
ゆら、と真崎の体が揺れて振仰ぐ。
「……課長?」
「……お……しまい…?」
真崎が大きく見開いた目を潤ませている。
「は?」
「……も……終わり……?」
「課長?」
「……まだ……こーひー……飲んでないのに…」
「課長」
「……のめ…ないの…かあ……」
ふわん、と真崎が笑った。
「時間切れ……なんだ」
「どうしたんです?」
「……ぼく……」
窓、閉めてくるね。
静かに真崎が呟いて、唐突に背中を向けた。
「え? 課長、ちょっと待っ……」
呼び止めかけたとたんに今度は電話が鳴る。
「もう、何っ、今度は」
いつもなら出ないけれど、つい勢いで通話を押す美並の耳に聞き覚えのある声が聞こえる。
『もしもし、伊吹、美並さん?』
「はい、何ですかっ……課長?」
携帯で話しながら慌ててベランダの方へ歩いていく真崎を追う。
『真崎恵子です……京ちゃんが居るの?』
「恵子さん?」
ひくん、と真崎の背中が震えて、すがりつくように床まで開いた窓を掴む。ただ閉めればいいはず、けれど真崎は窓枠を掴んだまま、体を押し出し、ベランダへ出ようとする。
妙な胸騒ぎにひやりとした。
「課長、何する気ですか!」
とりあえず声をかけて歩き出す、その耳に、
『京ちゃんに伝えてほしいの。昼間は凄くよかったって』
くすくすと耳障りな含み笑いが響いて美並は立ち止まった。
「何?」
『京ちゃん、私の下で何度もイったのよ』
ベランダに辿りついて外の手摺を掴んだ真崎がゆっくり振り返った。なぜかそのままもたれかかって、下から舞い上がる風に髪を乱して、微かに笑う。
「伊吹さん」
柔らかな声で甘えるように呼んだ。
『もっとって、私を求めて』
携帯の中から響く恵子の声は冷たい。
「僕」
真崎が笑みを深める。
『私が嫌がっても離してくれなくて』
ふふ、と恵子が低く嗤う。
「伊吹さんのこと」
掠れた小さな囁き。
『見ればわかるでしょ……京ちゃんとホテルに居たの』
嘲笑うように大きくなる声。
「……好きです」
淡く笑う眼鏡の奥の瞳が今にも閉じられて、そのまま仰け反り落ちそうで。
『京ちゃんに抱かれてたの』
恵子の気配が濃くなって、耳から全身侵されそうで。
携帯で囁く恵子の声、ベランダの外に今にも消えそうな真崎の告白、その両方の狭間で、美並の脳裏に重なったのは、大石が自殺したと聞かされた、夜。
「……ざけんな」
『え?』
「え?」
きっちりシンクロした反応に立ち上がったのは鋭く冷たい激怒。
何してくれるんだ、私の前で。
またもう一度、かけがえのないものを失えというのか。
「黙ってろ、くそばばあ」
『っ』
ばちん、と激しく携帯を閉じる。それをきつく握りしめて、呆気に取られた顔の真崎をねめつける。
「いぶ…」
「京介」
「はい、」
真崎が美並の氷点下の声に慌てて崩れそうだった体を立て直す。
「戻りなさい」
「え…あの、いや」
口ごもってためらう相手になおも温度を下げて、絶対零度の領域で命じる。
「戻りなさい」
「い、いぶきさ…」
ゆっくり眼を細めてにっこり笑った。
「………突き落とされたいんですか?」
「あ」
ぷるぷると真崎が慌てて首を振る。その幼くなってしまった顔に笑みを消して冷然と言い放った。
「戻って、状況を説明してください」
こんな時間に着信?
美並が顔をしかめながら、開け放っていた他の窓を閉めて戻ると、真崎が目を見開いて硬直している。
「課長?」
「…っ」
「…すみません、もういいかと思うんで、ベランダの窓も閉めてきてもらえますか?」
「う、ん」
手にしていたカップとソーサーをソファ前のローテーブルに置き、真崎はなおも動かずにその場で立ち竦んだままだ。不審に思いながらも携帯を開くと、登録していないメルアドのメールが届いている。
「画像がついてる…」
「い、」
「誰だろ、件名……真崎、恵子?」
内容ではなくて名前が入った件名に眉を寄せながら本文を確かめる。
『京ちゃんのメルアドに拒否されているので、そちらに送ります』
真崎の携帯を知っている、そのことに不安なものが胸に動いたけれど、着信拒否されている、そう知って、ほっとしながら画像を開いた。
「…課長……?」
「っ」
びくっ、と側の真崎が震えた。
携帯の画面の中にはどこかの部屋のホテルのドア、そこに今にも崩れ落ちそうにもたれた真崎が居る。すがるようにドアに当てた手、もう片方の手は口を覆って、乱れた髪が眼鏡にかかり、その奥で苦しそうに歪めた顔が、妙に切な気だ。まるで、あやうい悪戯を仕掛けられて今にも喘ぎそうなのをかろうじて堪えている、そういう顔にも見える。
「わ…」
きわどい。
当の本人が側に居る、それを意識したとたん、美並は顔が上げられなくなった。
確かにどちらかというと細面の端正な造り、会社では曖昧でスマートな物言いだし、こんな隙など見せることはないだけに画像のインパクトは強烈だ。ついでにさっきのしかかっていた真崎の切ない顔は、何のことないこの画像に繋がるものだとすぐわかって。
「どうして、恵子さんこんなの」
ゆら、と真崎の体が揺れて振仰ぐ。
「……課長?」
「……お……しまい…?」
真崎が大きく見開いた目を潤ませている。
「は?」
「……も……終わり……?」
「課長?」
「……まだ……こーひー……飲んでないのに…」
「課長」
「……のめ…ないの…かあ……」
ふわん、と真崎が笑った。
「時間切れ……なんだ」
「どうしたんです?」
「……ぼく……」
窓、閉めてくるね。
静かに真崎が呟いて、唐突に背中を向けた。
「え? 課長、ちょっと待っ……」
呼び止めかけたとたんに今度は電話が鳴る。
「もう、何っ、今度は」
いつもなら出ないけれど、つい勢いで通話を押す美並の耳に聞き覚えのある声が聞こえる。
『もしもし、伊吹、美並さん?』
「はい、何ですかっ……課長?」
携帯で話しながら慌ててベランダの方へ歩いていく真崎を追う。
『真崎恵子です……京ちゃんが居るの?』
「恵子さん?」
ひくん、と真崎の背中が震えて、すがりつくように床まで開いた窓を掴む。ただ閉めればいいはず、けれど真崎は窓枠を掴んだまま、体を押し出し、ベランダへ出ようとする。
妙な胸騒ぎにひやりとした。
「課長、何する気ですか!」
とりあえず声をかけて歩き出す、その耳に、
『京ちゃんに伝えてほしいの。昼間は凄くよかったって』
くすくすと耳障りな含み笑いが響いて美並は立ち止まった。
「何?」
『京ちゃん、私の下で何度もイったのよ』
ベランダに辿りついて外の手摺を掴んだ真崎がゆっくり振り返った。なぜかそのままもたれかかって、下から舞い上がる風に髪を乱して、微かに笑う。
「伊吹さん」
柔らかな声で甘えるように呼んだ。
『もっとって、私を求めて』
携帯の中から響く恵子の声は冷たい。
「僕」
真崎が笑みを深める。
『私が嫌がっても離してくれなくて』
ふふ、と恵子が低く嗤う。
「伊吹さんのこと」
掠れた小さな囁き。
『見ればわかるでしょ……京ちゃんとホテルに居たの』
嘲笑うように大きくなる声。
「……好きです」
淡く笑う眼鏡の奥の瞳が今にも閉じられて、そのまま仰け反り落ちそうで。
『京ちゃんに抱かれてたの』
恵子の気配が濃くなって、耳から全身侵されそうで。
携帯で囁く恵子の声、ベランダの外に今にも消えそうな真崎の告白、その両方の狭間で、美並の脳裏に重なったのは、大石が自殺したと聞かされた、夜。
「……ざけんな」
『え?』
「え?」
きっちりシンクロした反応に立ち上がったのは鋭く冷たい激怒。
何してくれるんだ、私の前で。
またもう一度、かけがえのないものを失えというのか。
「黙ってろ、くそばばあ」
『っ』
ばちん、と激しく携帯を閉じる。それをきつく握りしめて、呆気に取られた顔の真崎をねめつける。
「いぶ…」
「京介」
「はい、」
真崎が美並の氷点下の声に慌てて崩れそうだった体を立て直す。
「戻りなさい」
「え…あの、いや」
口ごもってためらう相手になおも温度を下げて、絶対零度の領域で命じる。
「戻りなさい」
「い、いぶきさ…」
ゆっくり眼を細めてにっこり笑った。
「………突き落とされたいんですか?」
「あ」
ぷるぷると真崎が慌てて首を振る。その幼くなってしまった顔に笑みを消して冷然と言い放った。
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