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第1章
6.月の下(6)
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もがいたり逃げたりするかと思っていた伊吹は、抱き竦めても動かなかった。
動けない、ということではない。余分なところに力が入っていない。自分の意志で動こうとしていない。
なぜ?
「だから見せに来たんですか」
唐突に尋ねられて何のことかわからなかった。
「大輔さんと恵子さんに」
「っ」
まさか、そこまで読んでるなんて。
伊吹は今回の旅行がイブキの墓参りなどではなくて、京介が別の意図を持って『伊吹』を実家に連れてきたのだ、と言っている。しかも、それが単に身内に恋人を紹介したというのではなく、大輔と恵子に『見せるために』来たのだと指摘している。わざわざ、大輔、恵子、とそれぞれの名前を上げていることから、二人に『見せる』意図は別ものだっただろう、とまで。
「そうだよ」
もっと深くまで、見られてしまっているのだろうか。
さっきまでの高揚感とは違う重苦しい絶望が広がってきた。
確かに京介は、大輔に、恋人が居てもう弄ばれるだけの存在ではないと示しに来た。恵子に、彼女よりも大切な人を見つけたから相手はできないと知らせに来た。
けれど。
「伊吹さんとなら来れる、気がしたんだ」
力を強めると、胸に埋まるように背中を預けてくる伊吹から、熱が少しずつ伝わってくる。支えられた気がしてことばを続けた。
「もう、離れられる、気がしたんだ」
成功した、とはとても言えないけれど。
唇に煙草の臭いが戻ってくる。恵子の涙を腕に感じる。
「離れられる?」
優しく繰り返されて苦しくて、失敗してしまったんだ、と気付く。
離れられなかった。大輔にまた押さえ付けられた。恵子にまたすがられるのを許してしまった。
そうしてここへやってきても、京介は何も取り戻せないで傷だけ増えた、伊吹の温もりを別にして。
だから、君だけは何があっても放せない、離れられないなら離せない、と胸で呟く。
放せば最後、京介はもう潰れてしまうしかないのだから。
なおきつく伊吹を抱き込み、肩に鼻先を押し当てて目を閉じると、
「……っは」
甘い喘ぎが響いて腕を掴まれた。微かに仰け反った背中にくす、と笑う。
「なんだ………伊吹さん、アウトドア派だったの? こういうシチュエーションの方が燃えるわけ?」
京介の腕を掴んだ指は震えている。それが快感を堪えるようで、しかも腕の中で身悶えるように体が揺らされて唾を呑む。
「……ば……か…っ」
掠れた罵倒。
「いいよ、僕ならどこでも」
乱れた髪を鼻で掻き分け、温かな首筋に唇を当てる。滑らかで、ひくりと嬉しそうに震えたように思えて、身体が熱くなった。
腕の中に囲い込んだ胸の柔らかさや、腰に触れてくる丸みを暴くことを思って煽られる。どこまでもひどいことをしてしまいそうな感覚にひやりとして、野外が好きだなんて意外だったな、と馬鹿馬鹿しいことを考えて気を逸らせる。なのに焦る。唇を這わせる。
「君が一番気持ちいいようにしてあげる」
冷えないように一気に追い上げてしまわなくちゃ。
まずは耳だよね、と舌を出して舐めようとした矢先、
「違、う……っ」
低く鋭い声が零れて動きを止めた。
「伊吹さん?」
違和感に眉をしかめる。さっきまでほぐれて甘くなっていた体が震えながらきつく引き締まっていく。
「課長…」
短い呼吸が快楽を期待して、というよりは、もっと切羽詰まった感じで早まっていって、京介の中に警告音が響いた。
「? どうしたの?」
覗き込むとうなだれた伊吹が胸を抱え込み、京介の腕にすがりつくようにして歯を食いしばっている。顔色が夜目にもわかるほど白くなっていて、眉を寄せながら首を振るとこめかみから汗が伝い落ちた。
「くるし…」
「伊吹さんっ?」
この気配を京介は知っている。
何度も手の中で見送った命の末期、激痛にもがく体が発するけたたましいサイレンだ。
慌てて腕を緩めると、伊吹は支える力さえなかったのか前のめりに倒れていく。今度は必死に抱き止めた。
「伊吹さんっ? 伊吹さんっ……伊吹っ!」
目を固く閉じて京介の腕に落ち込んだ伊吹は、握りしめたこぶしを胸に押し当てている。
「さ……わぐな……聞こえ……ない……っ」
「え…っ」
眉を寄せた顔で険しく叱られて京介は呆気に取られた。
何が起こっているのかわからない。伊吹が堪え難い苦痛に悶えているのはわかる、けれど、零れたことばは手を出すなという叱責だ。
「伊吹っ!」
「な…んだって……?」
「伊吹っ?」
「あの人も……この人も……?」
何かを読み取っているように、伊吹は切れ切れに呻いた。喘ぐ口元から熱い息がせわしなく零れる。苦し気に胸を抱えてもがかれて、それを何とか受け止めながら、全く関係なく反応してくる部分がある。
だって。
まるでこれでは。
「あ…っ」
「っ」
小さな叫びを上げて伊吹が京介のシャツを掴む。びくりと仰け反った身体を放すまいと抱き寄せる。
苦しんでいるのに。
伊吹は間違いなく、何かで苦しんでいるのにどうして僕はこんなふうに煽られてしまっているんだろう。
「っくっ」
「…んっ」
一際切ないような呻きを上げて伊吹がすがってきて、京介も抱く腕に力を込めた。とっさに動きそうになった腰を堪える。気付かず伊吹はひたすら京介にしがみついてきて、たまらなくて視界が眩んだ。
もう、限界かも。
このまま押し倒してここで暴いてしまいそう。でも。
でも。
きっと、違う、ここじゃない。
必死に堪えていると、やがて、ふ、と伊吹の力が弛んだ。
「伊吹……?」
「……は……ふ」
小さく開いた唇がは、は、と浅い息を繰り返す。薄く開いた目が露を含んだように濡れて見上げてくるのに、無意識にまた唾を呑み込む。
「大丈夫…?」
「き…つ……」
まるで叫び続けた後のように掠れた声で囁かれる。身体の熱っぽさも、焦点の合わない瞳も、整わない呼吸さえも、本当に今抱いてしまったような気がして。
「伊吹…」
「……ん」
瞬きした目が今にも涙を零れさせるほど潤んで見返したとたんに、ふつりと我慢が切れた。
ごめん。
まだ苦しそうで抵抗もできない身体を抱き締めて、汗が流れ落ちるこめかみに唇をあてる。
ふる、と伊吹が震えた。
動けない、ということではない。余分なところに力が入っていない。自分の意志で動こうとしていない。
なぜ?
「だから見せに来たんですか」
唐突に尋ねられて何のことかわからなかった。
「大輔さんと恵子さんに」
「っ」
まさか、そこまで読んでるなんて。
伊吹は今回の旅行がイブキの墓参りなどではなくて、京介が別の意図を持って『伊吹』を実家に連れてきたのだ、と言っている。しかも、それが単に身内に恋人を紹介したというのではなく、大輔と恵子に『見せるために』来たのだと指摘している。わざわざ、大輔、恵子、とそれぞれの名前を上げていることから、二人に『見せる』意図は別ものだっただろう、とまで。
「そうだよ」
もっと深くまで、見られてしまっているのだろうか。
さっきまでの高揚感とは違う重苦しい絶望が広がってきた。
確かに京介は、大輔に、恋人が居てもう弄ばれるだけの存在ではないと示しに来た。恵子に、彼女よりも大切な人を見つけたから相手はできないと知らせに来た。
けれど。
「伊吹さんとなら来れる、気がしたんだ」
力を強めると、胸に埋まるように背中を預けてくる伊吹から、熱が少しずつ伝わってくる。支えられた気がしてことばを続けた。
「もう、離れられる、気がしたんだ」
成功した、とはとても言えないけれど。
唇に煙草の臭いが戻ってくる。恵子の涙を腕に感じる。
「離れられる?」
優しく繰り返されて苦しくて、失敗してしまったんだ、と気付く。
離れられなかった。大輔にまた押さえ付けられた。恵子にまたすがられるのを許してしまった。
そうしてここへやってきても、京介は何も取り戻せないで傷だけ増えた、伊吹の温もりを別にして。
だから、君だけは何があっても放せない、離れられないなら離せない、と胸で呟く。
放せば最後、京介はもう潰れてしまうしかないのだから。
なおきつく伊吹を抱き込み、肩に鼻先を押し当てて目を閉じると、
「……っは」
甘い喘ぎが響いて腕を掴まれた。微かに仰け反った背中にくす、と笑う。
「なんだ………伊吹さん、アウトドア派だったの? こういうシチュエーションの方が燃えるわけ?」
京介の腕を掴んだ指は震えている。それが快感を堪えるようで、しかも腕の中で身悶えるように体が揺らされて唾を呑む。
「……ば……か…っ」
掠れた罵倒。
「いいよ、僕ならどこでも」
乱れた髪を鼻で掻き分け、温かな首筋に唇を当てる。滑らかで、ひくりと嬉しそうに震えたように思えて、身体が熱くなった。
腕の中に囲い込んだ胸の柔らかさや、腰に触れてくる丸みを暴くことを思って煽られる。どこまでもひどいことをしてしまいそうな感覚にひやりとして、野外が好きだなんて意外だったな、と馬鹿馬鹿しいことを考えて気を逸らせる。なのに焦る。唇を這わせる。
「君が一番気持ちいいようにしてあげる」
冷えないように一気に追い上げてしまわなくちゃ。
まずは耳だよね、と舌を出して舐めようとした矢先、
「違、う……っ」
低く鋭い声が零れて動きを止めた。
「伊吹さん?」
違和感に眉をしかめる。さっきまでほぐれて甘くなっていた体が震えながらきつく引き締まっていく。
「課長…」
短い呼吸が快楽を期待して、というよりは、もっと切羽詰まった感じで早まっていって、京介の中に警告音が響いた。
「? どうしたの?」
覗き込むとうなだれた伊吹が胸を抱え込み、京介の腕にすがりつくようにして歯を食いしばっている。顔色が夜目にもわかるほど白くなっていて、眉を寄せながら首を振るとこめかみから汗が伝い落ちた。
「くるし…」
「伊吹さんっ?」
この気配を京介は知っている。
何度も手の中で見送った命の末期、激痛にもがく体が発するけたたましいサイレンだ。
慌てて腕を緩めると、伊吹は支える力さえなかったのか前のめりに倒れていく。今度は必死に抱き止めた。
「伊吹さんっ? 伊吹さんっ……伊吹っ!」
目を固く閉じて京介の腕に落ち込んだ伊吹は、握りしめたこぶしを胸に押し当てている。
「さ……わぐな……聞こえ……ない……っ」
「え…っ」
眉を寄せた顔で険しく叱られて京介は呆気に取られた。
何が起こっているのかわからない。伊吹が堪え難い苦痛に悶えているのはわかる、けれど、零れたことばは手を出すなという叱責だ。
「伊吹っ!」
「な…んだって……?」
「伊吹っ?」
「あの人も……この人も……?」
何かを読み取っているように、伊吹は切れ切れに呻いた。喘ぐ口元から熱い息がせわしなく零れる。苦し気に胸を抱えてもがかれて、それを何とか受け止めながら、全く関係なく反応してくる部分がある。
だって。
まるでこれでは。
「あ…っ」
「っ」
小さな叫びを上げて伊吹が京介のシャツを掴む。びくりと仰け反った身体を放すまいと抱き寄せる。
苦しんでいるのに。
伊吹は間違いなく、何かで苦しんでいるのにどうして僕はこんなふうに煽られてしまっているんだろう。
「っくっ」
「…んっ」
一際切ないような呻きを上げて伊吹がすがってきて、京介も抱く腕に力を込めた。とっさに動きそうになった腰を堪える。気付かず伊吹はひたすら京介にしがみついてきて、たまらなくて視界が眩んだ。
もう、限界かも。
このまま押し倒してここで暴いてしまいそう。でも。
でも。
きっと、違う、ここじゃない。
必死に堪えていると、やがて、ふ、と伊吹の力が弛んだ。
「伊吹……?」
「……は……ふ」
小さく開いた唇がは、は、と浅い息を繰り返す。薄く開いた目が露を含んだように濡れて見上げてくるのに、無意識にまた唾を呑み込む。
「大丈夫…?」
「き…つ……」
まるで叫び続けた後のように掠れた声で囁かれる。身体の熱っぽさも、焦点の合わない瞳も、整わない呼吸さえも、本当に今抱いてしまったような気がして。
「伊吹…」
「……ん」
瞬きした目が今にも涙を零れさせるほど潤んで見返したとたんに、ふつりと我慢が切れた。
ごめん。
まだ苦しそうで抵抗もできない身体を抱き締めて、汗が流れ落ちるこめかみに唇をあてる。
ふる、と伊吹が震えた。
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