『闇を闇から』

segakiyui

文字の大きさ
26 / 512
第1章

5.ショーダウン(2)

しおりを挟む
 それから後、大輔ははしゃがなかった。ほどほどに愛想よくて、けれど微妙に警戒している。
 きっと今頃どうやって伊吹の情報を得ようか、いつ京介を問い詰めようかとあれこれ画策しているのだろう。
「いきなり始めると思わなかったな」
 呟くと、伊吹が疑問符を浮かべて振り返った。何かしましたっけ、と、まだ不思議そうな顔でそそくさ家に向かっていく大輔を見送っている。
 これが芝居じゃないところが怖いところなんだよ、この人の。
 くすりと思わず笑ってしまった。
「怖い」
「はい?」
「伊吹が怖い」
 多少は距離を詰めたくて呼び捨ててみる。ちろりと横目で睨まれたから、思わず舌を出してしまって気付いた。ずいぶん昔の癖だ。
 へえ、僕まだこんなことやれるんだ? 
 舌先の冷たい風に戸惑う。
 何もかもみんな大輔が壊していったと思ってたのに、そうじゃなかったんだ?
 甘酸っぱい気持ちになったとたん、伊吹がふわりと柔らかな目をして見つめてくれて、そうか、こういう顔は好きなんだな、と覚え込んだ。
 けれど、表情とは裏腹に、伊吹は名前を呼び捨てにするなとそっけない。何だか子どもの頃に戻った気がして、京介か京ちゃんと呼んでくれと頼んだけど却下、ついでに美並と呼ぶのも却下。
「じゃあ、伊吹でいいでしょう」
「猫じゃありませんから」
 冷たく言われてどきっとした。
 確かに音ではどちらもイブキ、それじゃあへたに呼び捨てにすると、彼女はいつも殺された猫のことを重ねてしまうのか。
 嫌われたかなと不安になって、おそるおそる覚えた顔を使ってみる。
 好き、だよね、この顔?
「鋭いね」
「ありがとうございます」
「おーい、何をやってんだ!」
 伊吹が軽く会釈してから大輔の声に振り返って、舌を出したままの京介が取り残された。
 ……どうしよう。引っ込め損ねちゃったよ。
 本当ならこのままぺろりと伊吹の耳なんか舐めたいところだけど、今そんなことをすると確実に嫌われるだろうから。
 もそもそ不格好に舌を引っ込めて伊吹の隣を通り過ぎ、玄関まで出てきた恵子に歩み寄ったのは、親しい気配に伊吹が気にしてくれたりしないかなと思ったせい。
「まあまあ、京介さん」
「こんにちは、義姉さん。兄がお世話になっています」
 京介を見たとたん、恵子はうっとうしそうな顔を一気に綻ばせた。
 髪を上げているのは孝と付き合ってた時から変わっていない、今がここ一番に自分をアピールしたい時。アップにすると色っぽいってみんなが言うの、と何度も聞かされたことがある。
 あいかわらず無用な刺激をする人だよね。
 恵子は面倒なことは嫌い、苦労も嫌い。なのに、誰からも好かれて求められたいという気持ちをどうしても抑えることができない。大輔に嫉妬させようというのか京介への媚びなのか、たびたび不自然に京介と距離を縮めようとする。
 小さな頃はお姫さまで通っても、成長したらそれなりの責任は取らなくてはいけないということを、恵子はずっと理解していない。いや理解しようとしない。
 孝の親友でもあった京介が、どういう事情があるにせよ、自分の兄にあっさり乗り換えた女を好ましいと思うんだろうか。
 いつも不思議なのだが、起こる全ての現実に、恵子の中では別の物語があるらしい。
「京ちゃん、そちらは?」
 京介の後ろから追ってきた伊吹に、恵子は微かに目を尖らせた。微笑みながら会釈するけれど、動きはあっという間に固くなる。
「ああ、伊吹、美並さん。僕の」
「会社の同僚です、よろしくお願いいたします」
 余計な期待は握り潰しておこうと紹介しかけたとたん、伊吹に口を挟まれた。
「同僚?」
 戸惑った表情を作ってはいるけれど、上目遣いにくすくす嘲笑うような顔つきで恵子が繰り返す。
 素早く相手の全身を眺めて目を細める顔が、伊吹を貶めるように見えて不愉快になった。
「伊吹さん、それはおかしいんじゃないの、返って……第一僕がなんで会社の同僚の人を実家に」
 伊吹はどう思っていようと、京介は彼女に執着している、そういうニュアンスをはっきり滲ませて笑いかける。恵子がまた顔を強ばらせる。
 馬鹿馬鹿しい、と京介は胸の中で冷笑する。
 あんたは大輔の妻、なんだよ。なんで伊吹と張り合ってるの? もっとも、未婚でフリーだとしても、僕はあんたを伊吹と同じ舞台にさえ乗せないけどね。
 そんな京介の気持ちは軽くスルー、伊吹は淡々と、イブキの墓参りだ、と突っぱねてくれて、思わず舌打ちしたくなった。
「イブキ?」
 恵子が驚いたように目を見開き、京介を見上げる。
「イブキがどうかしたの」
 はいはい、そうですか。
 京介はまたうんざりする。
 このあたりは本当に似たもの夫婦というか、大輔と同じ展開だよね。
 溜め息をつく。
「死んだんだよ、義姉さん」
「まあ……」
 ぽたぽた涙を落とす恵子の頭の中に何が広がっているのか、それこそ京介には丸見えだ。
 恵子はイブキが死んだのを知っている。
 殺されたときに、やっぱり孝の猫だったというのと、山に埋めに行きたいと思ったのがあって、恵子には連絡を入れた。家の前を通り抜けていく時へたに顔を合わせたら、知らせてくれなかっただの親族への優しい思いやりはないのかだの絡まれて、ややこしいことになる。
『まあ、かわいそうに』
 電話で恵子はそう言った。
 ことばは確かに悼んでいたが、その後に延々と、自分がどれほど大輔との生活に鬱屈しているか、なぜ京介が電話一つもくれなくてなかなか訪ねてきてもくれないのか悩んでいると聞かされた。
 イブキがどうして死んだのかとか、これからどうしてやるのかとか、京介が辛くはなかったのかとかは一切聞かれなかった。
 つまり、死んでしまったイブキは今まで面倒だからと放置した多くの小動物と同じに、あっという間に彼女の世界から無縁のものになったのだ。それこそ、彼女の人生に負担しか与えないと思った後は、孝がどうなったかを気にしなかったように。
 だから今恵子が驚いたのは、それを『伊吹が』知っている、ということだ、大輔同様。
 京介が飼っていたイブキが死んだ。その飼い猫の墓参りにわざわざ実家へ連れてくるという扱いそのものに対してだ。
 そして、恵子が泣いているのはきっと。
「………いいのよ、京ちゃん……ありがとう」
 涙に潤ませた目を気丈に見開いてにっこり笑う、その自分の姿のため、なのだ。
「おい、なんだ、まだそんなところに居るのか!」
 奥から大輔が呼んだ。
「どうぞ、伊吹さん、ひどい道だったから疲れたでしょう」
 快活に気づかう大輔の声に笑って奥へ入っていく伊吹の無防備さにぞくぞくして、慌てて後を付いていこうとしたら、ぐい、と腕を引かれた。
「京ちゃん」
「離して」
 自分でも思っていなかった強い口調で拒んで腕を引いていた。
 今度は本当に驚いた顔で恵子が京介の腕を見る。そんなふうに拒んだことなどないから。
「あの人、誰なの」
「僕、奥へ入りたいんだけど」
 またすぐに腕を捉えてくる指先が蛇のように見えて、京介は顔を歪めた。こうしている間に、伊吹が大輔の口車に乗せられたりしないか、いや万が一にも大輔に、と考えてしまって、何度も奥を伺う。
「気にしてるのね」
「お客さまだしね」
「女の人を連れてきたことなんてなかったじゃない」
「僕だっていい歳の男なんだよ、付き合ってる人ぐらい居る」
「彼女は同僚だって言ったわ……京ちゃんのこと、好きじゃないのよ」
「……どうして」
「女同士だもの、わかるわよ、それぐらい」
 くす、と笑った恵子の挑発だと思ったのに、好きじゃない、と断言されてひやりとしたものが胸の底を掠めた。
 好きじゃない?
 あたりまえじゃないか、と響いてくる誰かの声を必死に封じる。
『お前みたいに汚いやつなんか、誰が好きになるもんか』
 こんなことされて気持ちいいなんて顔をしているやつに。
『そんな顔…してないっ…』
 するわけがない、いつも苦しくて辛くて痛かっただけだったんだから。
 なのに、大輔は違うと言う。気持ちいいという顔だと言う。
 じゃあ、どんな顔をすればよかった。どんな顔なら京介の傷みは伝わった。
 混乱と絶望。
「京ちゃん」
 するりと恵子に腕を抱かれて我に返った。立ち上ってくる香水の匂いで息苦しくなる。
「………今夜、大輔は会合でいないの」
「ああ、そう、なんだ」
 ほっとした。まさか大輔も日のあるうちから手を出したりはしないだろう。
「あの人、同僚なんでしょう?」
「それは」
「一緒のお部屋なんて失礼だもの、ちゃんとするわ」
「え」
「だから、京ちゃん」
 ぎゅ、と抱えられた腕に胸が押し付けられる。
「来て」

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

【ルーズに愛して】指輪を外したら、さようなら

深冬 芽以
恋愛
 インテリアデザイナーの相川千尋《あいかわちひろ》は、よく似た名前の同僚で妻と別居中の有川比呂《ありかわひろ》と不倫関係にある。  ルールは一つ。  二人の関係は、比呂の離婚が成立するまで。  その意味を深く考えずに関係を始めた比呂だったが、今となっては本気で千尋を愛し始めていた。  だが、比呂の気持ちを知っても、頑なにルールを曲げようとしない千尋。  千尋と別れたくない比呂は、もう一つのルールを提案する。  比呂が離婚しない限り、絶対に別れない__。 【ルーズに愛して】シリーズ ~登場人物~  相川千尋《あいかわちひろ》……O大学ルーズサークルOG                 トラスト不動産ホームデザイン部インテリアデザイン課主任                   有川比呂《ありかわひろ》……トラスト不動産ホームデザイン部設計課主任                千尋の同僚                結婚四年、別居一年半の妻がいる  谷龍也《たにたつや》……O大学ルーズサークルOB              |Free Style Production《フリー スタイル プロダクション》営業二課主任  桑畠《くわはた》あきら……O大学ルーズサークルOG               市役所勤務、児童カウンセラー  小笠原陸《おがさわらりく》……O大学ルーズサークルOB                 |Empire HOTEL《エンパイアホテル》支配人    小笠原春奈《おがさわらはるな》……陸の妻                   |Empire HOTEL《エンパイアホテル》のパティシエ  新田大和《にったやまと》……O大学ルーズサークルOB                新田設計事務所副社長                五年前にさなえと結婚  新田《にった》さなえ……O大学ルーズサークルOG  新田大斗《にっただいと》……大和とさなえの息子  亀谷麻衣《かめやまい》……O大学ルーズサークルOG               楠行政書士事務所勤務               婚活中  鶴本駿介《つるもとしゅんすけ》……楠行政書士事務所勤務

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

嘘つき同士は真実の恋をする。

濘-NEI-
恋愛
都内郊外のリゾートホテルでソムリエとして働く瑞穂はワイン以上にゲームが大好き。 中でもオンラインゲーム〈グラズヘイム〉が大好きで、ロッソの名前でログインし、オフの時間と給料の全てを注ぎ込むほどのヘビーユーザー。 ある日ゲーム仲間とのオンライン飲み会で、親から結婚を急かされている話を愚痴ったところ、ギルマスのタラントの友人で、ゲームの中でもハイランカーのエルバに恋人役を頼めば良いと話が盛り上がり、話は急展開。 そしてエルバと直接会うことになった瑞穂だったが、エルバの意外な正体を知ることに⁉︎ Rシーンは※ ヒーロー視点は◇をつけてあります。 ★この作品はエブリスタさんでも公開しています

ズボラ上司の甘い罠

松丹子
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。 仕事はできる人なのに、あまりにももったいない! かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。 やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか? 上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...