『闇を闇から』

segakiyui

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第1章

2.闇から見る眼(2)

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 名前を知ったのは会うよりも早かった。
 京介と別れた後ぐらいから、相子は体調を崩すようになって、唐突に休むことが増えた。
 流通管理課というのはそれほど仕事が多いわけではないが、トラブルが重なるととにかく人手が要る。
 京介は他課へ出ることも多いし、部課長会議にも顔を出さなくてはならない。各種のもめ事の電話は長々しくてこじれるものもあり、一旦手を取られると他の仕事ができなくなる。
 一番に文句を言い出したのが石塚だった。
 もともと相子とはうまくいっていない。石塚は四十半ば、二十代の相子と年齢的なギャップはあるし、性格も対照的だ。冷静淡々の石塚が、感情的で落ち込み傾向のある相子を公私混同している、と毛嫌いするわけはわかる気もする。
 だが、石塚は好き嫌いで仕事をしないし、事務処理は的確で有能だ。それでも、相子が休んだり早退したり遅刻したりを繰り返すと、石塚一人ではこなしきれない雑務がたまる。
 正規職員ではなく、雑務のみに限っていけばアルバイトでいいだろう。
 経営部門からようやく許可が出て募集を始め、いくつか履歴書が送られてきたのを京介もチェックした。
 別に誰でもよかったのだ、ある程度の電話応対ができ、文句を言わずに雑務をこなしてくれればいい。
「伊吹……美並?」
「ああ、珍しい名前だね、美並ってのは」
「そう、ですね」
 張り付けられていた写真には生真面目な表情の女性が写っていた。それ以外は覚えていない。真面目そうだと思っただけだ、名前を別にすれば。
「どうする、真崎くん」
「……この子はどうでしょう」
「……ちょっと年齢高くないか?」
 苦笑いする人事の高山は君と同じ歳ぐらいだぞ、使いにくいんじゃないかと続けた。
「大丈夫ですよ、僕は」
「ああ、そうだったな」
 もめ事トラブルおまかせ下さい、何でもおさめて御覧にいれます、真崎大明神、だったよな。
 いささか古めかしいギャグを飛ばして、親父ギャグかな、と不安がる相手に、そうですね、真崎シュレッダーの方がいいかもしれないですよ、何でも処理しちゃいますから、と笑い返して、伊吹に決めた。
「伊吹……いぶき、ね」
「課長」
 上機嫌で課に戻ろうとすると廊下で相子に呼び止められた。
「……何?」
「新しい人をいれるんですか」
「そうだね」
 君だっていろいろ体調が悪いときに無理するのは大変でしょう。
 微笑むとひくりと相手は引きつった。
「誰のせいよ」
「……誰のせいなの」
「……あなたでしょう」
「……僕が?」
 何かした、と尋ねてやると、相子は真っ青になった。
「あなたが私を捨てたから」
「事実をねじ曲げないでほしいな」
 京介は目を細めた。
「イブキを殺してゴミ袋で捨てたのは君でしょう」
「だから、それは…っ」
 理由は話したはずよ、殺そうとして殺したんじゃないって、たまたま包丁を持ってた手が、たまたまイブキにあたったの。
 言い募る相子を冷ややかに眺めた。
「それが本当なら、君って想像力がないんだね」
「え…」
「たまたま包丁を持ってた手で、側に来る誰かを追い払うようなことして、相手が怪我するとは思わないんだね」
「っ……そんな、人間だったら……っ」
「人間だったら?」
「……」
「そんなことは、しなかった?」
 くす、と京介は嗤った。
「イブキだから、そうなってもかまわないと思ってた?」
「っ」
 行動は人を語るよね、と京介は続けた。
「君は僕を信用しなかった。僕も君を信じちゃいけなかったんだよね」
「え?」
「パスケースの中の写真、誰なのって聞いたんだけど、君は答えてくれなかったでしょう」
 抱くまではいかなくても、夜遅くまでは一緒に過ごした。終電を気にする相子をからかうふりでパスケース取り上げ、初めて中の写真に気付いたように尋ねてみたことがあった。
「答えたじゃない、ちゃんと」
「兄です? 嘘つき」
「だってあれは本当に」
「……彼の名前は難波孝。僕の幼いころからの親友でね、家族が居なかったの、知ってるんだ」
「………」
 相子は険しい顔で胸元に押し付けた手をぎゅっと握り締めた。
「彼と君はどういう関係?」
「………妬いて、るの?」
「…は?」
 瞳を揺らせて相子が呟き、一瞬ことばが続かなかった。
「妬いたから………それで私を信じられなくなって捨てたの?」
「……何を言ってるんだ?」
「関係ないの、本当よ。男女の関係じゃない、信じて」
「あのね、君」
 言いかけて京介は相子がどこかうっとりした顔になるのにぞくりとした。
 その顔を見たことがある。
 恵子。
 大輔と付き合いだした時、何を考えてるんだ、と詰め寄った京介に、なんで京ちゃんがそんなに怒るの、と不思議そうだった恵子が、突然何かに気付いたように微笑んだことがある。違和感に口を噤むと、そんなに私のこと心配してくれるの、京ちゃん、ありがとう、とはにかんで見せた。混乱する京介の腕を掴み体を寄せてきて続けたことばが耳の奥に蘇る。
『そっか、京ちゃんも私のこと、好きだったんだ? なのに、こんなことになっちゃってごめんなさい』
 京介は孝の親友として、かけがえのない友人が心を傾けた相手があっさり他の男に寝返ったのを、心底怒ったつもりだった。なのに、どこで何が狂ったのか、なぜそうなったのか、恵子は京介も自分を欲していると取ったらしい。
 ただ、その時は孝もまだ恵子に気持ちを寄せていた。
 誰にも話せない状況、誰にも確かめられないことだと胸に抱えているうちに、孝と話すのが難しくなっていってしまった。
 そのせいか、孝が死んでしまった今でも、いや、孝が死んでしまったからなおさら、恵子を邪険に扱えない。
大輔の元で孝のことなんて忘れたみたいに暮らす女なのだけど、それでも孝がどれほど大事にしていたかと思うとつい、いろんなことを手控えてしまう。
「京介」
 いつの間にか距離を詰めていた相子が、抱き込めるほど近くで見上げてきていた。
「私達、やり直せるわ」
「……」
「イブキのことは不幸な事故、よ。お互いに必要としてるんだもの、二人で乗り越えましょう」
 フコウナジコ。
 ゴミ袋に詰め込まれた紅の塊が、たった6文字のカタカナになるのか。
「あっ」
 京介は掴まれていた腕から相子の手を払った。
 6文字のカタカナに、自分も孝もイブキもみんな一緒くたに詰め込まれて黒い石で押さえられた気がした。
「もうニ度と職場にプライベートを持ち込まないようにしましょう、牟田さん」
 静かに微笑んだ自分の声が冷えていた。
「お互い十分大人なんだし、ね?」
「………ひどい男だって言うわよ」
「………」
 京介は開いたドアを止め、相子を振り返った。
 青かった顔は紅潮して汗を滲ませている。
「あなたに弄ばれて捨てられたって言いふらしてやる」
「……どうぞ」
 目を細めて笑い返した。
「君にとっては事実でしょうし」
 ただし、それが周囲の事実になるとは限らないけど。
 淡々とした声でことばを繋ぐ。
 真崎京介がそういう男かどうか、みなさん知っておられるしね?
「くっ」
 それはもっともだと思ったのだろう、唇を噛みしめた相子に京介は静かに呟いた。
「それに………ここを辞めてもいいんだよ、僕は」
「えっ……」
 くすりと笑って、相子が呆気にとられたぼんやりとした顔で見返してくるのに、身を翻しながら言い捨てた。
「どうせどこに行っても……同じことだ」
 死ぬまで愚かしく生きてるだけだ、凍りついた心のままで。
 
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