『闇を闇から』

segakiyui

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第5章

11.天に還る(12)

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 あ、あ…っ。
 甘く切ない喘ぎが聞こえて美並はぎょっとする。
 目の前に浮かび上がる光景は、細い体を組み敷いて、背後から貫いている赤来の姿だ。
 腰を上げ、足を開き、繰り返される律動に体を波打たせて仰け反りながら、確かにそれでも苦痛ではなく、蕩ける表情で抱かれている顔に覚えがあった。
 難波孝。
『ああ、あいつか』
 赤来が薄く微笑む。
『あれは、よかった』
 ほ、と吐かれた息の優しさに、美並は思わず赤来を見上げる。
『もうぼろぼろの体で、それほど長く保たなかった』
 赤来が静かに呟く。
『大輔や緑川に、他の男や女に、好きなように扱われて抱いたり抱かれたりしていたから、気持ちも擦り切れて、快感だけに忠実で、あれは、よかった』
 わからないものが何一つなかった。
『気持ちいいか、気持ちよくないかだけで、楽だった』
 殺したくなかったなあ。
 優しい声のまま、赤来は続けた。
『一番、楽だった』
 けれど、そこからどうしたらいいか、わからなくなったから。
『真崎を呼んだから』
 赤来が俯く。
 眉を寄せて、泣きそうな顔になる。
『わからないものになってしまったから』
 あれは、よかったのに。
 殺してしまった。
『殺したくなかったなあ』
 ぽとりと瞳から紅の雫が落ちる。
 では、あれは?
 美並は口を開いた。
『あれ?』
 そう、あれ。
 指差したのは、地面に倒れて身動きしない少女。
『あれは…』
 赤来は少女を見やった。考え込む。
『あれは…よくなかった』
 危ないのに、止めたのに、風鈴を取ると聞かなかった。自分の能力以上のものを欲しがってねだって、その支払いをこちらに任せ、愛されて守られていた。
『あれは…よくなかった………そうか…』
 僕は、あれを殺したかったのか。
『だから』
 風鈴が吊られた軒先を見上げる。
『望んだ。落ちろと』
 落ちろ。
 落ちろ。
 このままこの手を指を擦り抜け、見えない世界に落ちてくれ。
『それなら、あれは、よかった』
 ベッドでのたうつ人影を指差す。
『願いのままに望みのままに、何もかも取っ払ってわかりやすい』
 微笑む。
『あれはよくなかった』
 コンビニで騒ぎ立てる子ども達を指差す。
『望んだことが叶ったのに何を慌てているんだろう』
 満面の笑顔で振り返る。
『伊吹さん、凄いよ、良いものと良くないものがわかる』
 どうして急にわかったのかな、今までずっとわからなかったのに、わからなくて困ってたのに。
 では、あれは。
 もう一度美並は少女を指差す。いや、少女ではなく、血塗れになって泣きじゃくりながら少女を抱えている少年を、だ。
『あれは……』
 赤来は新しい問題に挑戦する子どもの顔で振り向き、考え込む。
『あれは良くなかった………いや……良かった……?』
 願いは叶った。望みは満ちた。
『あれは…』
 もう一度、ベッドの上で貫かれている孝を見る。
『あれは…』
 わから…。
 言いかけて首を振る。
『いや、あれは、良かった』
 良かった。
 良かった。
 なのに。
『失くした』
 ぽつりと吐き捨てた赤来がいきなり全身の毛を逆立てた猫のように顔を引きつらせる。
『…何を……?』
 失くした?
 ベッドの上の孝を貫く赤来は喘ぎながら目を細めて孝の首に手を伸ばす。
『やめろ…』
 隣の赤来が囁く。
 そっと細い喉を撫で、手を伸ばしてシーツを捻る。くるりと首を巻き付ける。荒い呼吸、滴り落ちる汗、瞳を潤ませる赤来の顔も、今にも泣き出しそうに歪む。
『やめろ……それは…』
 こちらの赤来が走り出した。
『……他にない………他に、そんなものはないんだ!』
 ベッドに駆け寄り、乗り上げて、二人を掴んで引き離そうとするが掴めない、幻のように何度も空を切る手を、必死に振り上げる、振り下ろす。
『これは失くさないんだ、これは置いておくんだ、これは、僕が、手に入れた、凄く、大事な、大事な、二度と手に入らない、大事な!』
 悲鳴が響き渡る。
 周囲の光景が止まる。
 コンビニの小学生達がガラス扉に手を当て、じっと赤来を見つめている。
 ベッドの上の男女が、互いに身を寄せ合いつつ、赤城のベッドを眺めている。
 地面に倒れていた少女の上で風鈴が鳴る。
 ちりん。
 ちりん。
 ちりん。
 ちりん。
『僕の、一番、大事なものを、壊す、なああああああ!』
 絶叫する赤来が抱き締めた空間で、孝は首を締められ崩れ落ちていく。
 うわああああああああああ。
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