『闇を闇から』

segakiyui

文字の大きさ
上 下
445 / 503
第5章

6.ノーリミット(7)

しおりを挟む
 真崎と駆け込むように出勤して、同時出勤にならないように僅かに美並が遅れて着き、石塚には遅刻寸前を詫びた。
「良いのよ」
 石塚は内側を話した気安さと言うのか、軽く頷いて応じてくれ、
「高山が隠していたのがまずかったのね、悪かったって話してたわ」
 呼び捨てにしたのに気づいていない様子が、二人の間でも何かが進んだ気配を感じさせた。
 社内がざわついている。ざわめいている。
 気がつくと、あちらこちらで数人ずつ、社員が固まって話をしている。
 通り過ぎると慌てたように口を噤む、けれどすぐに我慢できないように「流通管理課の」「真崎大輔って言うのが」「虐待してたって、性的なやつ」「性的ってどう」とこそこそ声が続き、数人は冷ややかに、数人は哀れみを浮かべて見送られる。
 視界の端に朱色が閃くのが見えた。
 白や青や緑や黄色、淡く漂う感情の靄の下に見え隠れする、尖って鋭いぎらつく朱色。
 居場所を失う不安と、自分の常識を覆される恐怖と、自分は違うと突き放す無視に支えられた、『支配』の赤。
 音声ではない、けれど響き渡り命じる声。
 この状況をなんとかしなさいよ。あんたのせいでもあるんでしょ。問題があるのは私じゃない、普通と違う、あんただから。
 美並は顔を上げて歩いた。
 真崎が向けられているのは、こんなものではないはずだ。興味本位の、それも当事者になったこともないくせに愚かさを嘲笑するような、或いは自分勝手な妄想に支えられた欲望の視線。
「楽よねえ、気にしてたけど何もできなかったなんて言い訳するの」
 石塚がこれ見よがしにぼそりと言って、思わず怯んだ数人が部署に戻る。
「仕事しないなら、家に帰れば?」
 別の部署だろう、石塚と似たような口調で集まって噂話をする仲間に言い放ってくれた女性が居て、ちらりと笑ってくれた。
 ふわりと淡い空色が漂う姿。朱色も見えるが、内側に真っ直ぐに光っていて、空色が綺麗に取り巻いている。
 石塚が会釈を返しながら頷いた。
「大浪さんだ」
「大浪?」
「総務課の、5年前の緑川事件の前から居る人」
「そうですか」
 そうか、と気づいた。
 5年前も同じようなことがあったのだ。今より小規模だったけれども、同じ部署に居るとか同じ会社に居るだけで、謂れない侮蔑を向けられたりして、それでも仕事をし続けた人が居る。
「一時期、富崎課長と噂があったんだけどなあ」
「噂?」
「結婚するかもって。でも流れたみたいで」
「…」
 思わず消えた姿を振り向いた。
 見えても見えなくても、頑張っている人が居る、自分の決断に誇りを持って。
 ふと真崎が次期社長になった時に補佐になることを考えた。
 この状況は試金石かもしれない。どんな人がどのように振る舞うのか、しっかり見ておこう。
 真崎が社長となって動かす会社には、石塚のような、高山のような、そして大浪のような、不遇の時に人に流されずに決断する人を集めたい。安全で順風満帆なだけの会社なんてあり得ない。資質を問われるのはトラブルがあった時だ。
 今こそ、しっかり『見る』時だ、それこそ、新しく得たらしい、何層もの色が見える力を使って。
 一つ頷いて、美並はデスクに戻り、溜まっていた書類を仕分けて行った。
「じゃあ、資料作ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
 書類の束を持ち上げる伊吹に、石塚が訝る。
「そのファイル、何も入ってないみたいだけど」
「いいんです、これで」
 美並は微笑む。ネット上で調べたことだが、まんざら間違ってもいないだろう。
「ふうん?」
 首を傾げた石塚が、後で教えてね、と頼んでくるのに頷き、廊下の印刷機に向かう。近くのシュレッダーに気づき、微笑んだ。
『これ、全部シュレッダーかけるの?』
 真崎が声をかけてきたのは9月の頃、今が11月だからまだ数ヶ月、なのにこれほど心身ともに自分が変わっていくとは思わなかった。
 数年も、数十年も経ったみたいに感じる。真崎と一緒にうんと長い間過ごしてきた気がする。
 これからも。
 明るい日差しに笑みを深める。指輪に目を落とす。
 これからも真崎と歩いていく、ずっと一緒に、どこまでも。
 資料をセットし、印刷の準備をしていると、一つの気配が近寄ってきた。
 そちらを向かなくてもわかる。
 美並の内側の真紅と呼応するような、けれどもっと強烈な色味のどろりと濁った『赤』。
 ハルは腐った血の色だと言った。『飯島』を『羽鳥』と誤解させるほど満たし、大輔の奥に、太田の底に、ひたひたと打ち寄せていただろう、他者の命を自分の為の供物と考える『赤』。
 『支配』の『赤』。
「伊吹さん」
「はい?」
 初めて気づいた風を装って振り返る。
 来るだろうなと思っていた。
 自分が傷つくことなく居場所を失いたくない者は、犠牲者を選び出すものだ。大輔然り、恵子然り。考えてみれば有沢もまた、そうだったのかもしれないが。
「結婚、決まったんだって?」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

性欲の強すぎるヤクザに捕まった話

古亜
恋愛
中堅企業の普通のOL、沢木梢(さわきこずえ)はある日突然現れたチンピラ3人に、兄貴と呼ばれる人物のもとへ拉致されてしまう。 どうやら商売女と間違えられたらしく、人違いだと主張するも、兄貴とか呼ばれた男は聞く耳を持たない。 「美味しいピザをすぐデリバリーできるのに、わざわざコンビニのピザ風の惣菜パンを食べる人います?」 「たまには惣菜パンも悪くねぇ」 ……嘘でしょ。 2019/11/4 33話+2話で本編完結 2021/1/15 書籍出版されました 2021/1/22 続き頑張ります 半分くらいR18な話なので予告はしません。 強引な描写含むので苦手な方はブラウザバックしてください。だいたいタイトル通りな感じなので、少しでも思ってたのと違う、地雷と思ったら即回れ右でお願いします。 誤字脱字、文章わかりにくい等の指摘は有り難く受け取り修正しますが、思った通りじゃない生理的に無理といった内容については自衛に留め批判否定はご遠慮ください。泣きます。 当然の事ながら、この話はフィクションです。

10のベッドシーン【R18】

日下奈緒
恋愛
男女の数だけベッドシーンがある。 この短編集は、ベッドシーンだけ切り取ったラブストーリーです。

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

【R18】こんな産婦人科のお医者さんがいたら♡妄想エロシチュエーション短編作品♡

雪村 里帆
恋愛
ある日、産婦人科に訪れるとそこには顔を見たら赤面してしまう程のイケメン先生がいて…!?何故か看護師もいないし2人きり…エコー検査なのに触診されてしまい…?雪村里帆の妄想エロシチュエーション短編。完全フィクションでお送り致します!

彼女の母は蜜の味

緋山悠希
恋愛
ある日、彼女の深雪からお母さんを買い物に連れて行ってあげて欲しいと頼まれる。密かに綺麗なお母さんとの2人の時間に期待を抱きながら「別にいいよ」と優しい彼氏を演じる健二。そんな健二に待っていたのは大人の女性の洗礼だった…

【R18】隣のデスクの歳下後輩君にオカズに使われているらしいので、望み通りにシてあげました。

雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向け33位、人気ランキング146位達成※隣のデスクに座る陰キャの歳下後輩君から、ある日私の卑猥なアイコラ画像を誤送信されてしまい!?彼にオカズに使われていると知り満更でもない私は彼を部屋に招き入れてお望み通りの行為をする事に…。強気な先輩ちゃん×弱気な後輩くん。でもエッチな下着を身に付けて恥ずかしくなった私は、彼に攻められてすっかり形成逆転されてしまう。 ——全話ほぼ濡れ場で小難しいストーリーの設定などが無いのでストレス無く集中できます(はしがき・あとがきは含まない) ※完結直後のものです。

私を犯してください♡ 爽やかイケメンに狂う人妻

花野りら
恋愛
人妻がじわじわと乱れていくのは必読です♡

【R18】ドS上司とヤンデレイケメンに毎晩種付けされた結果、泥沼三角関係に堕ちました。

雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向けランキング31位、人気ランキング132位の記録達成※雪村里帆、性欲旺盛なアラサーOL。ブラック企業から転職した先の会社でドS歳下上司の宮野孝司と出会い、彼の事を考えながら毎晩自慰に耽る。ある日、中学時代に里帆に告白してきた同級生のイケメン・桜庭亮が里帆の部署に異動してきて…⁉︎ドキドキハラハラ淫猥不埒な雪村里帆のめまぐるしい二重恋愛生活が始まる…!優柔不断でドMな里帆は、ドS上司とヤンデレイケメンのどちらを選ぶのか…⁉︎ ——もしも恋愛ドラマの濡れ場シーンがカット無しで放映されたら?という妄想も込めて執筆しました。長編です。 ※連載当時のものです。

処理中です...