180 / 216
第3話 花咲姫と奔流王
12.迷宮の女王(1)
しおりを挟む
カースウェルの王と王妃がアルシア各所を回られる。新たな女王となったサリストア様の治世の確認と両国の友好を深められるためである。
噂は諸国を駆け巡った。
「…ダフラムに対する防衛線の構築だとか、物見遊山の気楽な旅だとか」
馬車の中でサリストアは指を折って数えて見せる。
「もちろん、ミラルシア殿下の再興だとかの話もある。鋭い奴は鋭いよね」
シャルンとレダンはきちんとした装いだが、サリストアはいつもの銀髪ではなく赤茶色の髪に染め、右目に革の黒い眼帯を当てている。見えにくくないかとのシャルンの問いには、一時期訓練のためにしていたことがあるから大丈夫との返答だった。
地下牢は王城の片隅にあり、ミラルシアのたっての希望で面会することになったシャルンは護衛をつけられた。その護衛がサリス、今のサリストアの姿だ。
「物見遊山にしては物騒な場所から始めるものだな」
「勘弁してよ、レダン」
サリストア、改めサリスは肩を竦める。
「地下牢の奥に地下通路への道があるのは知ってるだろう?」
「地下通路?」
シャルンは瞬いた。
「地下迷宮ではなくて?」
「いざという時のために、海近くの塔に繋がる通路があるんだ。もし地下迷宮があるとしたら、その通路の何処かから繋がってるんじゃないかと思うんだよ」
「なるほどな、だからルッカが知っているのか」
「王族を守るのが近衛の役目だからね。地下通路の先に『花咲』への道があると言う御伽噺もよく語られるし」
けれど今はミラルシアが封じられているから、おいそれとは誰も近づけない。
「話を聞いた後に、少しその先を進んでみようと思っているんだ」
「だから、なるべく軽装で、とおっしゃったのですね」
足首が見えるドレスの長さに思い至って、シャルンは頷いた。
「地下牢はあまり綺麗じゃないしね。その先の通路はもっと汚い」
「大丈夫ですわ」
シャルンは微笑む。
「坑道や地下洞窟も歩いたことがありますし」
「…何させてんの、レダン」
眉を寄せるサリストアに、レダンは視線を反らせる。
「シャルンの行くところが俺の行き先だ」
はいはい、と溜息をついたサリスが、ふと思いついたように尋ねる。
「シャルンは泳げるの?」
「泳ぎ、ですか」
水の中に入って手足を動かして進む、と言う経験はない。
「したことがありません」
「へえええ」
にやりとサリストアが笑った。
「じゃあ、一度は海に行こう」
「おい、反乱分子と関係ないだろう!」
「レダンに来いとは言ってないよ? 溺れさせちゃ悪いからね」
「陛下も泳ぎはされないのですか?」
「…得意じゃない」
「はっきり言えばいいのに、泳げませんって」
「得意じゃない」
しつこく繰り返すレダンに、シャルンは微笑む。
「では、私とともに習いましょう」
「ええええっ」
声を上げたのはサリストアだ。
「私が教えるの?」
「この一件が落ち着いたら、ご褒美に」
シャルンが笑み返すと、サリストアはちらりとレダンを眺めた。
「だってさ」
「……善処する」
レダンは心なしか怯んだようだ。
地下牢は薄暗くじめじめしていた。貧しい生活に慣れているのならともかく、華美に装い、夜会を繰り返した女王が入るには、余りにも粗末な部屋、エイリカ湖の『祈りの部屋』の方がまだ明るいだろう。
「参りました、ミラルシア様」
灯した明かりを掲げ、シャルンは開けられた扉からゆっくりと入った。
「…よくぞ、来られた」
静かな声が応じる。
「明かりはそこへ。椅子がある。座っても良い」
「ありがとうございます」
示された木のテーブルに明かりを置き、側の椅子に腰を下ろす。正面の壁際に座っていたミラルシアが座り直してシャルンを見た。
「…条件は聞いておるか?」
背後で扉が閉まる音がした。微かな物音はレダンとサリスがそれぞれに扉の外に控えた音だろう。
「お話があると伺いました」
シャルンはまっすぐミラルシアを見た。
かつて城の中で、あれほど鮮やかに咲き誇っていた姿はない。質素な下女のような1枚もののドレスに薄い上着を羽織り、銀髪を後ろで紐で1つにまとめ、足には木靴を履いている。青みがかった緑の瞳は光を弱め、それでも不思議に唇は赤かった。
「…紅はつけておらぬのじゃが」
シャルンの視線に気づいたのだろう、ミラルシアは微かに笑った。
「失礼いたしました」
対するシャルンは、いくら地下通路を歩むために簡素にしたとは言え、厳然として王族の装いだ。ミラルシアが落差を感じても当たり前だが、それでも相手に怯みはなかった。
「話の対価に、私を再び玉座につけようとする者の名前を話す、そう聞いたか?」
「はい」
「知らぬ」
がたっと見えない気配が扉の外でうろたえた。すぐさま飛び込みそうなのを堪えたようだ。
「許せ。初めから、そんな話はあり得ぬし、知らぬのだ」
青緑の瞳が信じるか、と尋ねている。
「…では、ミラルシア様は私とお会いになるために嘘をつかれたのでございますか」
「そうなるな」
唇の片端を上げた顔に、シャルンは既視感を覚えた。
この気配、この様子はレダンに似ている。正も邪も、全てを飲み込み決断する王の顔だ。
噂は諸国を駆け巡った。
「…ダフラムに対する防衛線の構築だとか、物見遊山の気楽な旅だとか」
馬車の中でサリストアは指を折って数えて見せる。
「もちろん、ミラルシア殿下の再興だとかの話もある。鋭い奴は鋭いよね」
シャルンとレダンはきちんとした装いだが、サリストアはいつもの銀髪ではなく赤茶色の髪に染め、右目に革の黒い眼帯を当てている。見えにくくないかとのシャルンの問いには、一時期訓練のためにしていたことがあるから大丈夫との返答だった。
地下牢は王城の片隅にあり、ミラルシアのたっての希望で面会することになったシャルンは護衛をつけられた。その護衛がサリス、今のサリストアの姿だ。
「物見遊山にしては物騒な場所から始めるものだな」
「勘弁してよ、レダン」
サリストア、改めサリスは肩を竦める。
「地下牢の奥に地下通路への道があるのは知ってるだろう?」
「地下通路?」
シャルンは瞬いた。
「地下迷宮ではなくて?」
「いざという時のために、海近くの塔に繋がる通路があるんだ。もし地下迷宮があるとしたら、その通路の何処かから繋がってるんじゃないかと思うんだよ」
「なるほどな、だからルッカが知っているのか」
「王族を守るのが近衛の役目だからね。地下通路の先に『花咲』への道があると言う御伽噺もよく語られるし」
けれど今はミラルシアが封じられているから、おいそれとは誰も近づけない。
「話を聞いた後に、少しその先を進んでみようと思っているんだ」
「だから、なるべく軽装で、とおっしゃったのですね」
足首が見えるドレスの長さに思い至って、シャルンは頷いた。
「地下牢はあまり綺麗じゃないしね。その先の通路はもっと汚い」
「大丈夫ですわ」
シャルンは微笑む。
「坑道や地下洞窟も歩いたことがありますし」
「…何させてんの、レダン」
眉を寄せるサリストアに、レダンは視線を反らせる。
「シャルンの行くところが俺の行き先だ」
はいはい、と溜息をついたサリスが、ふと思いついたように尋ねる。
「シャルンは泳げるの?」
「泳ぎ、ですか」
水の中に入って手足を動かして進む、と言う経験はない。
「したことがありません」
「へえええ」
にやりとサリストアが笑った。
「じゃあ、一度は海に行こう」
「おい、反乱分子と関係ないだろう!」
「レダンに来いとは言ってないよ? 溺れさせちゃ悪いからね」
「陛下も泳ぎはされないのですか?」
「…得意じゃない」
「はっきり言えばいいのに、泳げませんって」
「得意じゃない」
しつこく繰り返すレダンに、シャルンは微笑む。
「では、私とともに習いましょう」
「ええええっ」
声を上げたのはサリストアだ。
「私が教えるの?」
「この一件が落ち着いたら、ご褒美に」
シャルンが笑み返すと、サリストアはちらりとレダンを眺めた。
「だってさ」
「……善処する」
レダンは心なしか怯んだようだ。
地下牢は薄暗くじめじめしていた。貧しい生活に慣れているのならともかく、華美に装い、夜会を繰り返した女王が入るには、余りにも粗末な部屋、エイリカ湖の『祈りの部屋』の方がまだ明るいだろう。
「参りました、ミラルシア様」
灯した明かりを掲げ、シャルンは開けられた扉からゆっくりと入った。
「…よくぞ、来られた」
静かな声が応じる。
「明かりはそこへ。椅子がある。座っても良い」
「ありがとうございます」
示された木のテーブルに明かりを置き、側の椅子に腰を下ろす。正面の壁際に座っていたミラルシアが座り直してシャルンを見た。
「…条件は聞いておるか?」
背後で扉が閉まる音がした。微かな物音はレダンとサリスがそれぞれに扉の外に控えた音だろう。
「お話があると伺いました」
シャルンはまっすぐミラルシアを見た。
かつて城の中で、あれほど鮮やかに咲き誇っていた姿はない。質素な下女のような1枚もののドレスに薄い上着を羽織り、銀髪を後ろで紐で1つにまとめ、足には木靴を履いている。青みがかった緑の瞳は光を弱め、それでも不思議に唇は赤かった。
「…紅はつけておらぬのじゃが」
シャルンの視線に気づいたのだろう、ミラルシアは微かに笑った。
「失礼いたしました」
対するシャルンは、いくら地下通路を歩むために簡素にしたとは言え、厳然として王族の装いだ。ミラルシアが落差を感じても当たり前だが、それでも相手に怯みはなかった。
「話の対価に、私を再び玉座につけようとする者の名前を話す、そう聞いたか?」
「はい」
「知らぬ」
がたっと見えない気配が扉の外でうろたえた。すぐさま飛び込みそうなのを堪えたようだ。
「許せ。初めから、そんな話はあり得ぬし、知らぬのだ」
青緑の瞳が信じるか、と尋ねている。
「…では、ミラルシア様は私とお会いになるために嘘をつかれたのでございますか」
「そうなるな」
唇の片端を上げた顔に、シャルンは既視感を覚えた。
この気配、この様子はレダンに似ている。正も邪も、全てを飲み込み決断する王の顔だ。
0
お気に入りに追加
73
あなたにおすすめの小説
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
前略、旦那様……幼馴染と幸せにお過ごし下さい【完結】
迷い人
恋愛
私、シア・エムリスは英知の塔で知識を蓄えた、賢者。
ある日、賢者の天敵に襲われたところを、人獣族のランディに救われ一目惚れ。
自らの有能さを盾に婚姻をしたのだけど……夫であるはずのランディは、私よりも幼馴染が大切らしい。
「だから、王様!! この婚姻無効にしてください!!」
「My天使の願いなら仕方ないなぁ~(*´ω`*)」
※表現には実際と違う場合があります。
そうして、私は婚姻が完全に成立する前に、離婚を成立させたのだったのだけど……。
私を可愛がる国王夫婦は、私を妻に迎えた者に国を譲ると言い出すのだった。
※AIイラスト、キャラ紹介、裏設定を『作品のオマケ』で掲載しています。
※私の我儘で、イチャイチャどまりのR18→R15への変更になりました。 ごめんなさい。
三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃
紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。
【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる