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第3話 花咲姫と奔流王

6.糸繰り場(6)

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「……まあ…」
 こちらです、と案内された糸繰り場は、薄暗い部屋に熱気が満ちていた。
「お暑うございますよ、ご不快であれば、すぐにお外へお連れします」
「大丈夫です。…あれは『ガーダスの糸』かしら」
 気遣うモレンが部屋の片隅に積まれた籠からこぼれ出した、ふわふわの糸の塊のようなものを拾い上げる。
「申し訳ありません。ここでは単に『糸巻き』って呼んでおります」
 モレンは恐る恐るシャルンの伸ばした手に載せる。
「…『ガーダスの糸』だわ」
「間違いありませんね」
 ルッカが両手で軽く引っ張ると、ぷつぷつと切れる、細くて脆そうな薄黄色かがった糸の塊。
「こんなにたくさん……どこから運ばれてくるのですか」
「カースウェルの森の奥深くにある植物だと聞きました」
 モレンはシャルンの指を傷つける前にと、『ガーダスの糸』を回収する。
「土地のものも拾わない屑のようなものだけど、ご覧になっていて下さいませね」
 モレンが湯気を上げている大きな鍋の方へ近寄る。シャルンも注意して近寄り、熱気に顔をしかめながら覗き込むと、その中には一杯に湯が張られており、もやもやとした白いものが漂っていた。
「この『糸巻き』をこうして大鍋で煮ますとね、ほうら」
「……まあ!」
 くすんだ薄黄色の塊が放り込まれ、ゆっくりとかき混ぜられるうちに白く光を帯びてきて解れていく。
「それをこうして…」
 よいしょ、とモレンは慣れた動作で、先が3つほどに分かれた変わった形の棒杭を差し込み、ぐいぐいと揺すって差し上げた。薄白くなった糸が何十本も垂れ下がる。湯気が収まると、側のオルガが一塊を隣の木組みの格子の台へ広げ、かき回すようにして指先を絡めたかと思うと、手元にあった変わった形の棒に手にした糸先を巻きつけ、格子台の隅に立てた。それがぐるぐると回り始め、オルガの指から糸を巻き取っていく。よく見ると、格子台の下には足で踏む仕掛けがあって、それを踏むと棒が回るようになっているらしい。
「……これではまだ細くてうまく使えないので合わせて『駒』に巻くんですよ」
 モレンが頷くと、オルガはちょうど一巻き分巻き終わったあたりで、他にも6つ、同じような『駒』を出してきた。どれにも既に糸が巻かれている。それらから1本ずつ糸を取り出して7本まとめ、今度はもう少し大きな『駒』に同じように巻いていく。
「…ああ」
 シャルンは思わず溜息を漏らした。湯気を立てる糸を何度も拾いながら1本の糸に撚り、それをまたまとめて撚っていくオルガの姿は、別人のように大人びていて美しかったし、出来上がっていく糸はまるで月光を形にしたように艶があって滑らかに見える。
「…オルガは名手なんです」
 モレンが自慢げに笑った。
「歳こそ皆より下ですが、オルガの撚った糸はなかなか切れませんし、あんな風に少し光って見えるんです。他の誰がやっても、ああはなりませんよ」
「……王妃様…如何ですか」
 薄く一巻き巻いた糸の『駒』を、オルガが持ってきてくれた。きっと織物にしても指一本分もないだろう。
「…とても…とても美しいわ」
 シャルンは差し出された糸と、それを差し出した薄赤く染まってカサついた指をじっと眺めた。あまりにも神々しくて触れない。あんな糸屑の塊から、こんな見事なものを作り出す能力と工夫に、震えるほど驚いて嬉しくなる。
「…お気に召しませんか?」
「奥方様」
 ルッカに促されて、シャルンははっとした。急いで『駒』を受け取り、オルガを見返す。
「私がもらってもいいの?」
「はい、是非!」
 気に入ってもらえたとわかったのだろう、ぱっと顔を輝かせるオルガに、シャルンは微笑む。
「この糸はオルガしか作れないのね?」
「はい。織物にすると、他の糸に混じっちまいますが」
 薄赤く顔を染めてはにかむオルガに、シャルンは頷き、
「では、私はこの糸に名前をつけたいと思います」
「え」「っ」
 きょとんとしたオルガ、息を呑むモレンは意味を理解しているのだろう、目を大きく見開いている。
「これは『オルガの月光糸』と名付けます。以後はその名を使って下さい」
「…承り、ました…っ! ありがとうございました!」
 モレンが深々と頭を下げる。
 王族が直々にやってきて、商品に名前をつければ、それは王族が認めたと言う証になる。滅多にあることではないから、商品の価値は跳ね上がる。収入は増え、それはオルガの生活だけではなく、工房も潤すことだろう。
「では、次はレース工房へ行きましょう」
「かしこまりました!」
 嬉々として先に立つモレンは、レース工房でもシャルンの名付けを期待しているに違いない。
「きっと陛下もお許しくださるわ」
「そうでございますね。奥方様が名を付けられた商品ならば、王宮へも確実に届けられます。商売の流れも掴みやすくなるでしょう」
 王宮へ届けられているとオルガ達に信じ込ませながら、その実どこかへ破格の値段で売られていること、カースウェルのものといい抜けられて密かにハイオルトから運び込まれているらしい『ガーダスの糸』の流れも掴めるかも知れない。
「陛下ならきっとお気づきになるわ」
 この館が、祈りや救いとは無関係な虚飾に塗れ、しかもそれが真面目に必死に仕事を積み上げる職人達の苦労を踏み躙りながら成り立っていることを。豪華な調度、豊かな食事、煌びやかな衣類もまた、彼らの痛みの上に成り立っていることを。
 そうして、レダンはそのような状況を一番不愉快に思う人柄なのだ。
「それに、姫様」
 ルッカの囁きに頷く。
「わかっているわ。あの鍋の水、エイリカ湖から汲まれているのね」
「この建物が湖よりわずかに低い土地であることを利用していますね。あれだけたくさんの鍋を常時満たすためには、かなりの水が必要でしょう」
 出入りの際に、周囲を注意深く見遣ると、水管に加工されているルサラがあちらこちらに這わせてあった。
「ああ、あれですね」
 気づいたモレンが機嫌よく頷く。
「ビンドスの水管です。エイリカ湖の水は、少し塩のようなものが混ざってるようで、ああやって煮立ててると、鍋の底や周囲が白く固まっちまうんで、時々水を入れ替えてやらなくちゃなりません。前は何度も湖に水を汲みに行ってましたが、司祭様達があれを工夫して下さって、随分と楽になりました」
「そうですか」
 エイリカ湖では既に水管は設置され、その性能もよく知られている。なのに、なぜ灌漑のための水管の設置を嫌がるのか。
「…モレン、ひょっとして、エイリカ湖の水は、長く水管を通していると、水管そのものも詰まりやすくなるの?」
 尋ねてみると、モレンは大きく頷いた。
「そうなんですよ、よくご存知ですねえ、王妃様。便利は便利なんですが、時々交換してやらねえと中が細くなって詰まっちまって、漏れてしまうんですよ」
「……よく、わかりました」
 なるほど、イルデハヤ達がこの糸やレースを作り続けるためには、ビンドスの水管は必要不可欠。けれども野生のビンドスには限りがあり、栽培もまだ進んでいないとすれば、灌漑にビンドスを使われては成り立たなくなってしまう。
「つまり、ビンドスの設置にははじめから同意する気は無かったと言うことですか」
「そうなるわね」
 館に残してきたレダンに、一刻も早く知らせたいが、シャルンは我慢してレース工房に足を向ける。
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