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04.

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あの学祭で再会した日から何故か瀬川君から連絡が来るようになった。
それは「何してるの」とか「お腹減った」とかそう言う実に他愛のない物で、僕が返事をするとその日はそれで終わるけれど何故か途切れる事無く毎日続いている。
そんな中「遊びに来る?」と言う初めての「?」が付いたメッセージを見て何故か僕は頷いた。
会った所で共通の話題とかも乏しいだろうし何よりあの彼の自由さだ。僕を招いておいて自宅に僕を放置したまま居なくなるとか余裕でやりそうなのに、まあ良いかと思ってしまう程僕には耐性が出来ていたのだ。

そしていざ招かれた綺麗な新しめのマンション。
間取りは1LDKと聞いていたそこに入って僕は思わず唖然とした。

「な、何この部屋……」
「……? 変?」

他人様のお家に招いて貰って言って良い言葉では無かったけれど、思わず言わずにはいられない位の殺風景な……そう。比喩じゃ無く事実として『ほぼ何もない』部屋だった。
生活感を感じさせる物を必死に探すと部屋の死角になる位置にルンバがいた。
もしかして瀬川君はルンバをこよなく愛していて、そのルンバの妨げになる全てを排除する為にこの空間を敢えて維持しているの? そんなありもしない疑問が浮かぶくらい何もない……あ、カーテンあったぁ! とシンプルなネイビーのカーテンを見付けてほっとしてしまう位本当に何も無い空間と言えば伝わるだろうか。
広くて明るいリビングはモデルルーム以前の新築もしくは前入居者が退去して清掃が今日正に終わりました! 位の何も無さだ。
カーテンが開け放たれたままなので差し込む柔らかな日差しがこの物件の日当たり良好さ加減を物凄く伝えてくれるけど、尋常じゃ無い殺風景さを緩和するには明らかに弱い。

「ひ、引越したばかりなの?」
「違うよ? 大学に入学してからずっと住んでる」

その言葉に僕は愕然とした。
僕はまだ仕事で忙しい母と二人暮らしをしていて、それ自体に不満は無いけれど一人暮らしには憧れがある。
センスが無いから妄想だけに留めているけれどインテリアの雑誌とかネットの特集を見て「就職して一人暮らししたらこういう部屋に住みたいな~」って妄想を楽しんで居るのに、瀬川君はこの夢の箱庭を持っていながらただルンバを散歩させているだけなのか?!

「ねえ……あの、流石にベッドはあるよね? そうだよね?」

テレビもソファもテーブルも無い唯一見えるのは大きめのお洒落な黒い冷蔵庫だけだけれど、その中が空っぽで空気だけが冷えている可能性すら浮かんだ僕は微かな恐怖を抱きつつ聞く。
これで床に寝ているとかだったら流石に人間らしく生きる為の教育的指導を真剣に検討した方が良いかも知れない。
でも彼はいつものテンションで頷いてくれた。

「見る?」
「あ、寝室はプライベートだからだいじょ……」

大丈夫。
そう答える前にスタスタ歩いて彼は自分の寝室とリビングを隔てるドアを開け放った。

あったよ。うん、あった。
ベッド『だけ』あった。
ベッドがあっただけ良いとするべきなの? 人間はベッドだけあれば良いの? 違うよね?

「ねえ……あの、プライベートに口を挟む様で悪いんだけどさ、聞いても良いかな?」
「いいよ」
「あの……机とか見当たらないんだけど、ほら……パソコンとかなんだかんだで使うでしょう? そ、そう言うのとか……本棚的なのは……どうしてる感じかな?」

――ああ。
そう言った彼はちらりと何故かキッチンの方を見た。え? ま、まさか……。

「あそこに丁度いい高さの台があるからそこで」
「ううううううう嘘だよね?! じゃ、じゃあご飯とかどうしてるの?」

空恐ろしい状況に慄きながら尋ねると瀬川君は普通にスタスタと歩いて長身の彼と大差ない高さがある大型冷蔵庫の扉を開けた。
ガラガラで新品同様のソレの中から取り出した物を見て、僕はついに崩れ落ちたのだ。

「コレとコレ」

右手には固形のバランス栄養食(何故冷やした?)、左手にはゼリー状の栄養食。そして、他に見えるのは水のみ。

――教えて欲しい。
何故それで心身共に健康を維持できるのか。
何故それだけでその身長に到達できたのか。
崩れ落ちたまま動けなくなった僕の傍に戻って来た瀬川君はわざわざしゃがみ込んでちょっと自慢気に言った。

「気が向いたらコンビニに行く時もある」
「……そうじゃないから、本当に、そこじゃないんだ…」

家具を部屋に置かないのはこの際良しとしよう。それは個人の自由だ。
アレだ、きっと瀬川君は極度のミニマリストってやつで、好きでこの広い空間を維持しているんだろう。うんうん、そうに違いない。
でもさすがにこの食事は少し……いやかなり駄目だと思う。
何か理由があったら困るので念の為にそれとなく「何か理由や拘りあってこのお部屋とその食事なの?」と尋ねたら「なんか色々面倒くさいから」とだけ返って来た。
……馬鹿なのかな? αの人にこんな事言ったらアレだけど、この人馬鹿なのかな?
そう本気で思い唖然とする僕に向かって瀬川君は実に真面目な顔で言った。

「実はね、この部屋不便なんだ」
「……うん、なんとなく分かるよ」

呆れが前面に出ない様にぐっと堪えつつ返すと瀬川君が続ける。

「家具とかそう言うの揃えるの、付き合ってくれる?」
「え? 僕が? こう言うのってセンスがいるから誰かお洒落なお友達とかの方が良いと思うけど」

驚きの提案に素直に答えると、瀬川君は顔を顰めて言った。

「滝沢とじゃないと面倒くさくて選びたくない」

と。
だから僕はセンスが無いけど本当に良いの? と何度も確認したけれど彼の答えは変わらなかった。
本当なら辞退したい類いの事ではあるけれど、この空間があまりにも酷かったことから僕は彼の誘いを受けることにした。
そしてそれから僕達は休みの度に一緒に出掛けて、時間を掛けて一つずつ家具を選んで揃える事になったのだけれど毎週末に必ず会う様になるとどんどんお互いが……違うな、主に僕が彼に慣れて随分普通に話せるようになっていく。

最初はまずリビングに置くテーブルを選んで、次はソファ。
テレビ台はテレビを見ないから要らないけれど物を置く棚的な物が欲しいという事だったので全体の色合いを考えて統一感が出る様に一緒に考えた。
実はベッドも長身の彼が寝るには長さが足りていなかったようで「俺寝相悪いからさらに今のベッド辛い」との自己申告を受けロングタイプのダブルベッドに変更。
それでも彼の広い寝室は圧迫感を感じさせる事無くいい感じに纏まった。
あとやはり学生の本分は勉強ですから、ちゃんとしたデスクと椅子など机周りの物も揃えた。

一気にまとめて揃えたり、ちょっとお金が掛かってもプロの人にトータルコーディネートしてもらう方法もあったけれど二人で一緒に彼の部屋を整えるのはすごく楽しかった。
何か一つ増えるたびに「ありがとう。また便利になった」と笑う瀬川君がなんだか可愛くて「じゃあ来週は〇〇だね」なんて約束を当然の様に重ねる事が僕達の間での普通になって、それは部屋が完成しても変わらなかった。

そして今は土曜日のお昼。
瀬川君のお部屋作りが終わっても僕達の週末の約束は終わらずに今はそれぞれ大学の課題を持ち寄って真面目に勉強したり、一緒に映画を見る為にやっぱり買ったテレビで一緒に楽しんだりとなんだかんだで楽しく過ごしている。
僕はいつもお邪魔しているお礼として中学生から初めてもうすっかり趣味兼特技になった手料理を振舞う事が定例化しているのだけれど、彼は何を出しても「美味しい」と喜んで全て食べてくれた。
以前の偏食ぶりを見るとかなり難しい食の拘りを持っていてもおかしくないと考えていたけれど、そんな事は全く無く本当に彼が言った「面倒くさい」が全ての理由だったのだ。
ちなみに今日は彼が好きなきのこの和風パスタにしたのでうきうきしているのが分かる。
瀬川君はあんまり表情が変わらないタイプなのは間違い無いのだけれど、一緒に居ると変わらないなりの小さな変化に僕はもう気付けるようになっていた。

「お皿出す?」
「あ、うんお願い」
「ん」

こんな風に絶妙なタイミングで自発的に行動してくれるから、面倒くさいを理由にスルーしているだけできっと色んな事に本当は気付いている人なんだろうなと思いつつすっかり定位置になった場所に座って一緒に昼食を取った。

「いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」

きちんと手を合わせて食べ始めた彼はやっぱり笑って「美味い」と言って、綺麗に完食してくれた。
一緒に後片付けをして、さて今日は何をして過ごそうかなと思いつつお茶を淹れて定位置に戻ると瀬川君が「ねえ」と普通に言うので、なあに? といつもの気軽さでリモコンを持って彼を見ると、瀬川君はなんだかとても真面目な顔をしていた。

「お母さんの出張っていつまで?」
「えっと、確か木曜日だったかな? どうしたの? 何かあった?」
「泊まっていきなよ」
「……え?」

しょっちゅう会っているけど僕はこの家に泊った事は無い。
思わず驚いて固まってしまった僕の手から瀬川君は静かにリモコンを取り上げてテーブルの上に置いた。

「今日泊まってって。『友達』じゃなく『恋人』として」
「ええ??!!!」

信じられない単語が出て驚いたけれど、冗談で受け流す事は到底出来ない程彼の顔は真剣だった。
混乱して言葉が出て来ない僕の手を静かに握って瀬川君は続ける。

「いきなり『好き』って言っても検討される事も無く断られるのは分かってたから、滝沢が俺に慣れてくれるまで待ったよ。……どうだった? 俺と毎週末のようにしょっちゅう会って毎回長時間一緒に居て疲れた? 息苦しいとか思ってる?」
「え……それは、無いけど……」

さり気無く握られた手を振りほどこうとしたけれど無理だった。
全然強い力じゃ無いから痛みも無いのに、何故か瀬川君の手を放す事が出来ない。

「でも、でも滝沢君は『α』だから!」
「それ今なんの関係があるの?」

本当にどうでもよさそうに……いや、僕が話しを逸らす為に切り出したのかと言う様な険しい顔で言った滝沢君を見て僕の頭は一瞬真っ白になった。

――だって僕はまだ『未確定』であり『不確か』だ。
ぐらぐらしていて、とてもじゃないけど国内屈指の名門大学に通う優秀なαの彼とどうこうなれるだなんて到底思えない。

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