不確かな僕には愛なんて囁けない

一片澪

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05.

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「ごめん! ぼ、僕は……駄目なんだ」
「何が?」

その重ねられた静かな問いに驚いた。
だっていつもの瀬川君なら僕が少しでも口籠ったり返答に困る素振りを見せればすっと引いてくれたのに、それなのに今は繋いだ手も放れなければ視線を外す事すら許さないと言った強い意志が感じられる。

「ちゃんと何が駄目か説明して」

まっすぐな目で見詰められて、真剣な声で問われるともう逆らうとか誤魔化すという選択肢は浮かばなかった。
だから僕はお医者さんと母にしか直接言った事の無い事を告げた。

「ぼ、僕は……『第二性』がこの歳になってもまだ判定不能なんだ。βかΩかのどっちかだとは思うけれど、不確かで……瀬川君みたいな『ちゃんとしたα』とどうこうなれる立場じゃないんだよ!」
「……――」

決死の覚悟で言ったのに、瀬川君はきょとんとしただけだった。
その表情の変化に僕の方が驚く。

「それだけ?」
「そ、それだけ?! こ、こんなに大事な事を『それだけ』?!」

さすがにそれはひどいだろう、と思わず語気を強めた僕に瀬川君は「ごめんそうじゃない」と少し早口に言って、いつもの穏やかな雰囲気を取り戻して会話に戻る。

「『男は恋愛対象に見られない』とか『俺を友達としてしか見られない』んじゃなくて『自分の第二性が不確かなのが駄目』……って聞こえるけど、合ってる?」
「っ!?」

冷静に指摘された言葉に一番驚いたのは僕自身だった。
そうだ、言われてみれば……え? じゃあ僕、瀬川君の事そう言う目で見てたの? あんな風に生まれてたらなあっていう憧れを飛び越えてす、好きになってたの?!
混乱して顔を白黒させる僕を見た瀬川君は珍しくくつくつと笑って、それからまたとても優しく目を細めた。

「滝沢の言う『ちゃんとしたα』がどう言うのかは分からないけれど、俺は欠陥持ちだよ」
「ど、どこが?!」

顔も整っていて頭も良くて身長も高くてスタイルも良い。高校の時を思えば運動神経だって問題無いどころかすごく良い。
そんな瀬川君の欠陥持ちと言う言葉は到底信じられず食い下がる様に問うと彼は穏やかな表情のまま続けた。

「俺のα値はなんて言うか、振り切ってしまってて。普通のΩの発情フェロモンは理解出来るけれど、それが性衝動に結びつかないんだ。それどころか不快で、時には吐き気すら覚える」
「………え?」

そんなのあるのか? と素直に思った。
だってΩの発情フェロモンの凄さは折り紙付きでどんなに強靭な精神力を持つαでも思わず飲まれて……なんだ、言葉を選ばずストレートに言うと「セックスしたくて堪らない」と言う動物的な本能に支配されてしまうものなのに。

「でもそれは別に良いんだ」
「良いの?!」

αに産まれたからには自分の唯一のΩを探して、優秀な子孫を残す。それがαに産まれた者の人生の最優先事項だと考える人間が圧倒的に多い筈なのに、瀬川君は違うの? 驚いて馬鹿みたいな返事しか出来ない僕を見て瀬川君はまた優しく微笑んだ。

「俺ね、すっごい『面倒くさい』の」
「……? そうだね、確かになんでも面倒くさいってよく言うね」

出会ってから今までの彼の言動と行動を思って素直に頷くと瀬川君は笑ったまま首を振った。

「今はそっちじゃなくてさ、性格自体が物凄く『面倒くさい』の」
「え? そ、そうかな?」
「うん、そうなの。本当に『何もかも自分で決めなければ気が済まない』んだよね……そして自分の身に近ければ近い程、本当に自分でも病的だと思う位余計なモノは有形無形問わずとにかく身の回りに置きたくないんだ。分かりやすい例を言うとスマホのアドレス帳の登録すら、ね」
「………え?」

笑顔を消した真面目な顔でそう言い切った瀬川君を思わず驚きの目で見てしまう。

だって。
だって――。

今彼が座っているソファの色は……二人で悩んで僕が決めた。
さり気無く置かれたリモコンが乗っているテーブルだって、二つのデザインで悩んで僕が選んだ。
あの棚だって、いつかテレビが欲しくなった時に応用できるようにこっちにしない? って提案したのは僕だ。
そのいずれの時も瀬川君はにっこり笑って頷いてくれたじゃないか。

「……意味分かる?」
「え?……ど、どうして……」

混乱して答えを求めた僕に瀬川君はなんて事無い様に返して来た。

「俺は『滝沢 泉水』が良い。だから『滝沢 泉水』が選んだり、望んだ物なら喜んで受け入れる事が出来る」
「え?」
「αとかβとかΩとか死ぬ程どうでも良いんだ。俺は仮に世の中の性別が『男』か『女』しかない世界に行ったって滝沢が良いよ。さらに言うと『運命』とかに振り回されて性格も何も知らないヤツと動物みたいに番うなんて死んでも御免だね。……俺は、俺が決めた事しか認めないから双方不幸になるだけだ」

強い目でそう語る瀬川君は僕がずっと見ていた瀬川君とは明らかに別人だった。
弱々しくなんて全然見えないのに不思議とふわふわしててどこか掴み所が無いというか、何を考えてるか読めなくて、テンションがちょっと低めで安定しているとってもマイペースな自由人。

面倒くさいと言って家具すら無い部屋で暮らして、冷蔵庫には携帯食しか入って無かったような……そんな人と同一人物だとは思えない。――この人は……一体誰だろう。

呆然と思って固まる僕の手をもう一度、さっきより強く握り締めた瀬川君が続けた。

「俺は仮に滝沢がαでも口説いたよ。βでも勿論そうだし、Ωだったなら別に信じてないけど神に感謝して速攻で多少強引にでも口説いて噛んだと思う」
「せ……瀬川君?」

噛んだ、と言う言葉の重要性に思わず慄いた。
だって『番う』と言う行為は、αにとってもΩにとっても人生でただ一度きりの大切な儀式だ。
それをしてしまうとお互いがお互いのフェロモンしか感知出来なくなって、他の人間との性行為が実質不可能になる。
それはβからするととても神聖な行為にも見えてよく映画やマンガなどでドラマティックなラストシーンで描かれる位大事な事なのだ。
それを僕なんかの為に躊躇いなく実行すると言い切った彼が、少しだけ怖くなった。

「駄目だよ瀬川君、そんな事したら――」
「したら?」
「と、取り返しがつかないよ。僕は『判定不能』だから多分大丈夫だろうけれど、前途有望なαの君が、そんな簡単に『噛む』なんて言っちゃいけない」

少し無理矢理力を込めて手を振りほどくと彼はそれを受け入れてくれた。
圧倒的な身体能力を持つαの拘束を外せるのは、他でもない彼がそれを許してくれているだけなのだけれど今はその意味を考えるのが怖い。

「どうして? 俺が好きな人を俺が選ぶのは駄目なの? 俺の人生なのに?」
「それは、駄目じゃ無いけど! 『噛む』のは本当に大事な行為でしょう? 僕達はまだ学生で、これから先どんな出会いがあるかも分からない。それなのに、そんなっ」

とても冷静な彼と、動転している僕。
普通は逆でも良いと思うのだけれど、今のこの空間では僕の方が圧倒的に何もかも弱者だ。

「滝沢は『判定不能』って言うけどさ、この歳まで生きてたら第二性の持つ特性とかは流石に分かるでしょう?」
「え? あ、うん。もちろん一通りは習ってるから」

一度冷静さを取り戻す猶予を瀬川君はさり気無く与えてくれたのでそれに甘えて返事をすると、彼はまだ口を付けていなかったマグカップをさり気無く僕の方に寄せてくれて、僕が飲むのを待ってから自分自身も一口飲んで会話を再開した。

「実際に話したことは無くても俺がαだって事は知ってたんでしょう? じゃあさ『α』が自分の『テリトリー』への侵入を許す意味をもう一度考えてよ」
「そ、それは個人差もすごいらしいし、相手が同じαとかΩの時に気にする事であって……」
「滝沢って第二性にすごくこだわるんだね。じゃあ質問があるんだけど」


なに? と答えるのが怖かった。
だってきっと何か物凄く核心的な部分を突かれるのがなんとなく分かるから。
でも無視できる状況でも無いので頷きだけで返すと、彼は穏やかな表情のまま言う。

「俺が本当はαっぽいだけのただのβで、今同じ様に告白したらどう返事した?」
「……え?」
「男同士で気持ち悪いって即断った? 男は別に良いけれど、俺のことは友達としか見られないんだごめんって断った? ……それとも、第二性が判定不能だけどそれでも良ければって受け入れてくれた?」
「……そ、そんな事急に言われても」
「それか俺が本当は『β』ですって言ったらもうこうやって遊んでくれない? αじゃない俺には、価値が無いと思う?」
「……――」

混乱して固まった僕に瀬川君はゆっくり考えて良いよ、と言ってゆったりとお茶を飲み続けている。
それに甘えて僕は今まで彼と過ごした時間を思い返した。

最初は……高校生の時は、学校で一番目立つ自分とは別次元で生きている憧れの人だと思っていた。
大学の学祭で再会した時あんまりにも普通だから驚いたけれど覚えていてくれて嬉しかった。

家具を揃える為に毎週のように会って、共通の目的を持って同じ時間を過ごしたのは純粋に楽しかったし、彼目当てで声を掛けたそうにしている人は沢山いたけれど瀬川君はそれを全部まるっとスルーして僕と、僕が見ている物だけをずっと見てくれていた。

この家で一緒に過ごしている時は当然別の事をしている時もあったし、無言の時もあったけど全然息苦しいとかそう言うのは無かった。無かったから、この不思議な繋がりは途切れなかったんだと思う。
……そこには『α』とか『Ω』は存在しなかった。
僕達は唯の『瀬川 湊』と『滝沢 泉水』としてゆったりとした穏やかな時間を重ねていたんだ。

それは理解できたのでまだ混乱は深いけれど、疑いようのない部分にだけ答える。

「僕は……瀬川君がβでもこうやって一緒に遊んで欲しいよ。君がもし、βでも……別に何も変わらないし、価値が無いなんて冗談でも言って欲しくない」

どうにか絞り出した嘘偽り無い心を、彼は嬉しそうに笑って受け止めてくれた後に口を開く。
緊張で口がまたからからになってしまった僕に「お茶飲みなよ」と穏やかに促す事も忘れずに。

「俺も、滝沢がαでもβでもΩでもずっとこうやって一緒に居たいよ。滝沢がもし一生『判別不能』でも別に何も変わらない。そして何より、自分に対して価値が無いだなんて死んでも言って欲しくない」

そこまで言い切られると僕は自然と泣いていた。
その涙を優しく拭って、ついでにキスをしようとする彼を思わず手のひらで遮ったけれど瀬川君は怒らなかった。

「心配な事があるならちゃんと言って? 全部聞く」
「せ、瀬川君がいくらそう言ってくれても、やっぱり『運命』ってすごいらしいから、も、戻れない位好きになってから君を失ったらって思うと、僕は……怖い」

運命と出会う確率はとても低いらしいけど、それでもゼロでは無い。
出会ったが最後それはもう本人の意思を無視して突き進んでしまう程の強い衝動なのは余りにも有名なんだ。
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