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第1話 「ムーちゃんに決めた!!」
5 「ムーちゃんに決めた!!」
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やっぱりイケメンには魔力があるのだろうか? それともレックスが眩しく見えるのは千穂と血縁だからだろうか? DNAレベルでドキドキさせられている? いや、動画を見ている時はそんなことなかったから、やっぱり生で見る有名人には人を引き付けるオーラがある? ――――月はそんな事を考えながらも体と手はもの凄い勢いで動かした。
既に二度もレックスの前でやらかしている。本人に気にしている様子は無かったけれど、心の中は分からない。今回の業務は撮影ありきではなく、今後の利用を検討する為のテストでもある。仕事の仕上がりによっては定期契約を結んで貰えない可能性があった。最悪動画に社名を出して貰えない、もしくは中途半端な仕事しか出来ない家事代行会社として紹介されてしまうかもしれない。それだけは避けなくてはならない。
そうして、作業を始めてから三時間が経過する五分前。月は室内で働いていたにもかかわらずゼーハーと肩で息をしながら部屋を見渡していた。
ゴミは各種分別して部屋の隅に六袋。その横に積み上げられた段ボール箱には独自の基準で分別した物品が収納されている。服は予め用意されていたラックにずらりと並び、段ボール二箱分にハンガーに掛けられないタイプの服が詰まっている。
リビングのフローリングは高速雑巾掛けをしたのでピカピカ。ローテーブルとダイニングテーブルの上にはリモコン類しか載っていない。埃を被りまくっていた家具家電も今は艶々。キッチンの上にアホみたいに載っていたペットボトルとお弁当の容器も綺麗さっぱり無くなった。シンクの中には水気すらない。勿論目につかないテレビ台の裏や動かせる家具の死角にも埃一つ落ちていない。トイレは然程汚れていなかったので手早く清掃を済ませ、脱衣所に散乱してきた洗濯物はカゴに押し込んで見ないふりをしつつも、バスルームも洗面台も見た目を整える程度には手を付けられた。
「完璧でしょうっ!!」
月は誰に言うでもなく胸を張って自画自賛した。自分自身は埃と汚れと汗まみれ、おまけに本日三軒目の仕事だったため疲労困憊。それでも、見事攻略不可能かと思えたミッションをやりこなした達成感は半端ではなかった。
ガチャリ。
背後でドアの開く音がして月は勢いよく振り返った。早く来て見てくれと思っていたので躊躇なく笑顔を向ける。
「松田様! どうでしょうか!?」
ちょっとフライング気味で声を掛けると、部屋に入ってきたレックスは部屋を見る前に月を見て軽く目を見張った。その表情に気がついた月は自分の顔に何かゴミでも付いているのかと疑った。
「えっ? 私、顔に何か付いてますか? 失礼しましたっ」
お見苦しいものをと顔中撫で回し頭も探って見たが、何もくっ付いてはいなかった。となるとゴミではなく汚れかもしれない。鏡を求めて洗面所の方に視線を向けると、レックスは首を横に振った。
「うんん、何も付いてない。予想外の表情だったから少しビックリしただけ」
「ビックリ?」
自分の顔にどんなビックリ要素があったのか皆目見当もつかなかった月は首を傾げた。ただ、レックスに「気にしないで」と言われたので素直にそうする事にする。今はそんな事よりも部屋を見た感想が気になったのだ。
「うわっ、すごっ、マジか!! ここどこだ!?」
それまで部屋の様子が眼中に入っていなかったのか、視線を部屋全体に移したレックスは月を見た時よりも何倍も目をまん丸くして驚いた。今までは部屋のどこへ行くにも足の踏み場を探して進まねばならなかったが、そんな必要が綺麗さっぱりなくなったのだ。当然といえば当然のリアクションだ。
レックスは磨き上げられた床の上をすたすた歩いて部屋の中央に進み、改めて部屋全体を見回した。
「うわぁ、引っ越してきた当初より綺麗かも」
ただでさえ眩しく見える顔に付いている大きな瞳をこれでもかという程輝かせたレックスが振り返った。
「やっば、五島さんヤバッ! えっ? 魔法使い?」
「あははっ、私は魔法使いではなく掃除道具使いです」
やり切った達成感が強すぎて、調子に乗った月は両腕を交差させて掃除道具を持っているイメージでポーズを取った。するとノリの良いレックスが同じ様に腕を交差させる。
「パないっすね! さすが家事のプロ」
全く同じポーズを取っているのに何故かモデルがカメラの前に立って居るように見えるから不思議としか言いようがない。途端に調子に乗った自分が恥ずかしくなって月は腕を下ろす。ほんのり熱くなった頬を誤魔化すために失礼にならない程度に顔をレックスから逸らした。
その後レックスは部屋中をうろうろして隅々まで綺麗になっているのを目で見て確認した。そして改めて感心した様子で月の近くに戻って来たかと思うと正面に立った。
「五島さんって口堅い?」
腕を組んで小首を傾げたレックスが唐突に問うてきた。何故そのような事を聞いてくるのかは分からなかったが、黙っているのもおかしい。
「はい。守秘義務は厳守します」
答えた後に質問の意図に思い当たった。恐らくレックスは自らの情報が月から漏れることを恐れている。それはそうだ。レックスはお試しコースを申し込む際に本名や住所だけではなくその他の個人情報も登録しているはずだ。それは現状担当の月であればいつでも確認する事が可能だ。人気商売のYouTuberが下手な人間にそれらの情報を握られてしまうことは死活問題に繋がる可能性を秘めている。
そこまで考えてレックスの意図をマイナス思考気味で予測した。恐らくレックスは自分を担当から外そうとしている、と。
仕上がりは意地でほぼ完璧にしたけれど、今までに仕事ではしなかったようなミスを今回は二回もしでかした。礼儀知らずな上にそそっかしい家事代行など、幾らでもスタッフを選び直すことが出来るレックスは利用しないだろう。切り捨てる月が一度目を通してしまっている個人情報を外部に漏らさないかを心配しているのだ。それ以前に定期的な契約を会社と結んでくれるかどうかも現状不明なのだ。
「あの、弊社のスタッフはお客様の秘密を他者に漏らすような事は致しません。当然私も情報を漏洩するような真似は絶対にしません。お仕事柄不安に感じるかもしれませんが、この点に関してはご安心下さい! 墓場まで秘密は持って行きますので!」
自分はともかく会社のことは信用してもらいたい、そんな思いで秘密は守るとちょっとばかし強めに主張する。するとレックスは「墓場まで持ってってくれるんだ」と軽く笑った後に探るような目つきになった。
「でも、五島さん身内か仲良しに俺のファンいるでしょ? その人にも言わないでいられる?」
「えっ? ……どうして分かったんですか?」
「だって、五島さん俺の事を見た瞬間様付けして呼んだ割に俺に興味なさそうなんだもん。片付けてくれた物の中にファンだったら絶対に食いつくものとかあったけど、話題に上げないし、喋りたくてソワソワしてる様子もない」
思ってもみない鋭い指摘だった。予想外の洞察力の高さに月は軽い衝撃を受ける。
「ご明察です。その……母がファンなんです。それで、毎朝一緒に動画を見ているんですけど、その度に様付けで呼ぶので、つい口が……」
的確に事実を言い当てられて気まずく感じる一方、自分がガチのファンではないという事を認識して貰えたのは幸運だった。ファンじゃないのにファンだと思われてのはやはり気まずい。
レックスは母親がファンである事と毎朝二人で動画を見ている事に律義に礼を言った。そしてすぐに返事を待つ姿勢になる。月ははっとして口を開いた。
「勿論、YouTuberとしての松田様を推している母であっても、今日ここで作業したこと、見た事聞いた事は何一つ話しません。絶対に、です」
レックスの部屋で仕事をすることが分かった時点で千穂には何も話さないと心に決めていた。超が付くほどの大ファンだから少しばかり申し訳ない気持ちが無い事も無い。ただ、社会人として仕事のルールを破らないのは当然。それに加えて家事代行のプロとしても顧客の信用を失うような行為は絶対にしたくなかった。
何かを見極めているような眼差しを向けられる。顔面が整い過ぎていて長時間見返していると頭がクラクラしてきそうだった。けれども、信用を勝ち取るためには目を逸らすことは出来ない。コミュニケーションの基本は相手の目を見て話す事。だから、全身を無駄に力ませながらそれまで逸らしがちだった目を逸らさないように必死に耐えた。
数秒無言で見つめ合った後、レックスは徐にポケットからスマホを取り出して操作し始めた。月はにらめっこが終わった気分でほっと胸を撫で下ろす。しかし、直ぐに矢継ぎ早な質問攻撃が始まり、また落ち着かなくなった。
「家事代行って家主不在でもお仕事してくれるの?」
「合鍵を安全にお預かりするオプションがありますので、そちらをご利用頂けたら可能です」
「料理や食材の買い物もやって貰えるんだよね?」
「はい」
「因みに五島さんの得意料理は?」
「えっ? 和洋中なんでも作りますが……敢えて言うなら家庭料理が得意です」
「それは味噌汁とか肉じゃがとかハンバーグとか?」
「ええ、はい」
「最高。でも、五島さんって今日ここに選ばれて来たって事は人気のスタッフさんでしょ? 三時間を週二とかって来れるの?」
「えっ? えーと、現状のスケジュールなら恐らく今回と同じ水曜日の十五時からと土曜日の午前九時からなら入れます」
「水曜と土曜か……うん、鍵預かって貰えるなら問題ないね。最後にもう一度聞くけど、秘密は厳守、俺の事は周囲に口外しないってことは守れるね?」
「それは当然です!」
考える間もなく次々と質問をされ、それに答え続けた。
そうしてやっと質問が出なくなり、もう終わりかな――と思った瞬間、組んでいた腕を解いたレックスが両手でパチンと指鳴らしてこちらをピッと指差した。
「ムーちゃんに決めた!!」
「――――――はっ?」
もの凄く違和感のある言葉が聞こえた気がする。失礼だとは百も承知でも口から音が漏れることを抑え込む事が出来なかった。
――――今、この男は何と言った?
頭が現状を理解する前に、レックスは満面の笑みで話を進めだす。
「他人を家に上げるのって幾ら家事を代わりにやって貰うと言えど抵抗があったんだよね。けど、ムーちゃんなら安心して任せられそうだわ。よかったぁ。いい出会いがあって。来てもらう曜日と時間はさっき言ってた時間に合わせて貰って全然大丈夫。俺、不規則で不定期な生活してるからいつ家に居るか分からないし。あっ、でも合鍵の預かり方法だけはしっかり教えてくれる?」
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
月は手を前に突き出してレックスが喋るのを制止した。
「何?」
不思議そうに首を傾げるレックスに対して、月は数秒何を言うべきかあれこれと悩んだ末、家事代行のプロとして一番どうでもよいことを口にしていた。
「ムーちゃんって何ですか!?」
聞かずにはいられなかった。名刺の名前部分は見られないように細心の注意を払ったはずだった。レックスが部長達と部屋を移動する際に名刺をポケットにさり気なく入れる動作も実はしっかりチェックしている。にもかかわらず名前をもじったとしか思えない呼称が出てきた。まさかわざわざ名刺を見返したのか。
月は混乱した。というのも、名前にコンプレックスを感じるようになってから、何年も下の名前をもじったあだ名で呼ばれるような事はなかったのだ。正確に言えば呼ばせなかった。親しくなる手順の中でさりげなく相手に言わせないように働きかけてきたからだ。レックスはその手順を一足飛びしてきた。それにも驚いた。
「えっ、ダメ? 名刺を見た時に、呼ぶなら絶対ムーちゃんだって決めてたんだけど。あれっ? もしかして年上? ムーさん?」
「こっ今年で二十二歳ですけど、そ――――」
「おお、やっぱり年下だよね!若いのに凄いなって思ってたんだよ」
そういうことじゃなくて、と言おうとした声は綺麗さっぱり遮られてしまう。
「これから週二で会うんだから敬語抜いていい? 出来たら家の中でまで人に気を使いたくないんだよね。勿論嫌ならちゃんと丁寧に接するよ。つってももう勝手に砕けちゃってるけど」
「あのっ、敬語は気にならないんですけどっ――」
「そう? ならよかった! いやぁ実は今日さ、ベテランのおばさんが来ると思ってたんだよね。でも実際来たのはムーちゃんじゃん。正直若過ぎて最初はちゃんと出来るのかなぁって心配してたんだけど、結果を見れば大当たりだった。仕事が出来ても変な人だったら初回利用だけにしようって決めてたけど。ムーちゃんなら大歓迎!」
早口で言いたい事を言いたいだけ喋るレックスに頭がついていかない。家事代行のプロとして認めて貰えたという事と、今後も月に仕事を頼みたいと思っている事は漠然と理解はできた。それは純粋に嬉しい。しかし、いかんせん呼び方が気になってしょうがない。
人生で“ムーちゃん”などと呼ばれたのは幼稚園か小学校低学年のときくらいだ。自分の名前をしっかり認識されていると思うと背筋がゾッとしたが、レックスの全く悪気も含みもない様子にどう反応して良いか分からなくなる。
――――この人、私の名前を知って、どう思って“ムーちゃん”なんて呼んでるの?
大きな戸惑いに脳内が支配される。早く気持ちの整理をして落ち着くこうと試みるが、内心がとっ散らかりすぎて中々上手くいかない。
そうしている内にインターフォンの大きな音が室内に響き渡る。レックスはそれに応答して部屋のチェックをしに戻って来た部長達をエントランスから上がってくるように促してしまう。
「さてさて、ムーちゃんの時間を毎週六時間独占出来るように頑張って交渉しましょうかね」
悪戯な笑みを浮かべて部長を待ち構える姿勢になったレックス。
「あっ、あのっ、その呼び方っ――――」
やめてくれ、と言う前にレックスは無駄に色気のある動作で髪を掻き上げた。きっと本人にとってはただ髪が邪魔だっただけだろう。 なのに、ドラマのワンシーンを見ている気分になるから摩訶不思議だ。無駄に目を奪われる。
「ムーちゃんって響きめっちゃエモくない? 俺すっごく気に入っちゃった」
国宝級の顔面がピュアな笑顔を浮かべ、どうにも落ち着かないあだ名を全肯定する。
月の心の天秤が左右にぐらぐら揺れた。受け入れるか拒絶するか。普段だったら絶対に拒絶なのに、ガタガタ揺れまくった。
そうして、結局ぐるぐると悩んでいる内に部長達が到着してしまい、月はなし崩しで“ムーちゃん”を受け入れる事になってしまった。
既に二度もレックスの前でやらかしている。本人に気にしている様子は無かったけれど、心の中は分からない。今回の業務は撮影ありきではなく、今後の利用を検討する為のテストでもある。仕事の仕上がりによっては定期契約を結んで貰えない可能性があった。最悪動画に社名を出して貰えない、もしくは中途半端な仕事しか出来ない家事代行会社として紹介されてしまうかもしれない。それだけは避けなくてはならない。
そうして、作業を始めてから三時間が経過する五分前。月は室内で働いていたにもかかわらずゼーハーと肩で息をしながら部屋を見渡していた。
ゴミは各種分別して部屋の隅に六袋。その横に積み上げられた段ボール箱には独自の基準で分別した物品が収納されている。服は予め用意されていたラックにずらりと並び、段ボール二箱分にハンガーに掛けられないタイプの服が詰まっている。
リビングのフローリングは高速雑巾掛けをしたのでピカピカ。ローテーブルとダイニングテーブルの上にはリモコン類しか載っていない。埃を被りまくっていた家具家電も今は艶々。キッチンの上にアホみたいに載っていたペットボトルとお弁当の容器も綺麗さっぱり無くなった。シンクの中には水気すらない。勿論目につかないテレビ台の裏や動かせる家具の死角にも埃一つ落ちていない。トイレは然程汚れていなかったので手早く清掃を済ませ、脱衣所に散乱してきた洗濯物はカゴに押し込んで見ないふりをしつつも、バスルームも洗面台も見た目を整える程度には手を付けられた。
「完璧でしょうっ!!」
月は誰に言うでもなく胸を張って自画自賛した。自分自身は埃と汚れと汗まみれ、おまけに本日三軒目の仕事だったため疲労困憊。それでも、見事攻略不可能かと思えたミッションをやりこなした達成感は半端ではなかった。
ガチャリ。
背後でドアの開く音がして月は勢いよく振り返った。早く来て見てくれと思っていたので躊躇なく笑顔を向ける。
「松田様! どうでしょうか!?」
ちょっとフライング気味で声を掛けると、部屋に入ってきたレックスは部屋を見る前に月を見て軽く目を見張った。その表情に気がついた月は自分の顔に何かゴミでも付いているのかと疑った。
「えっ? 私、顔に何か付いてますか? 失礼しましたっ」
お見苦しいものをと顔中撫で回し頭も探って見たが、何もくっ付いてはいなかった。となるとゴミではなく汚れかもしれない。鏡を求めて洗面所の方に視線を向けると、レックスは首を横に振った。
「うんん、何も付いてない。予想外の表情だったから少しビックリしただけ」
「ビックリ?」
自分の顔にどんなビックリ要素があったのか皆目見当もつかなかった月は首を傾げた。ただ、レックスに「気にしないで」と言われたので素直にそうする事にする。今はそんな事よりも部屋を見た感想が気になったのだ。
「うわっ、すごっ、マジか!! ここどこだ!?」
それまで部屋の様子が眼中に入っていなかったのか、視線を部屋全体に移したレックスは月を見た時よりも何倍も目をまん丸くして驚いた。今までは部屋のどこへ行くにも足の踏み場を探して進まねばならなかったが、そんな必要が綺麗さっぱりなくなったのだ。当然といえば当然のリアクションだ。
レックスは磨き上げられた床の上をすたすた歩いて部屋の中央に進み、改めて部屋全体を見回した。
「うわぁ、引っ越してきた当初より綺麗かも」
ただでさえ眩しく見える顔に付いている大きな瞳をこれでもかという程輝かせたレックスが振り返った。
「やっば、五島さんヤバッ! えっ? 魔法使い?」
「あははっ、私は魔法使いではなく掃除道具使いです」
やり切った達成感が強すぎて、調子に乗った月は両腕を交差させて掃除道具を持っているイメージでポーズを取った。するとノリの良いレックスが同じ様に腕を交差させる。
「パないっすね! さすが家事のプロ」
全く同じポーズを取っているのに何故かモデルがカメラの前に立って居るように見えるから不思議としか言いようがない。途端に調子に乗った自分が恥ずかしくなって月は腕を下ろす。ほんのり熱くなった頬を誤魔化すために失礼にならない程度に顔をレックスから逸らした。
その後レックスは部屋中をうろうろして隅々まで綺麗になっているのを目で見て確認した。そして改めて感心した様子で月の近くに戻って来たかと思うと正面に立った。
「五島さんって口堅い?」
腕を組んで小首を傾げたレックスが唐突に問うてきた。何故そのような事を聞いてくるのかは分からなかったが、黙っているのもおかしい。
「はい。守秘義務は厳守します」
答えた後に質問の意図に思い当たった。恐らくレックスは自らの情報が月から漏れることを恐れている。それはそうだ。レックスはお試しコースを申し込む際に本名や住所だけではなくその他の個人情報も登録しているはずだ。それは現状担当の月であればいつでも確認する事が可能だ。人気商売のYouTuberが下手な人間にそれらの情報を握られてしまうことは死活問題に繋がる可能性を秘めている。
そこまで考えてレックスの意図をマイナス思考気味で予測した。恐らくレックスは自分を担当から外そうとしている、と。
仕上がりは意地でほぼ完璧にしたけれど、今までに仕事ではしなかったようなミスを今回は二回もしでかした。礼儀知らずな上にそそっかしい家事代行など、幾らでもスタッフを選び直すことが出来るレックスは利用しないだろう。切り捨てる月が一度目を通してしまっている個人情報を外部に漏らさないかを心配しているのだ。それ以前に定期的な契約を会社と結んでくれるかどうかも現状不明なのだ。
「あの、弊社のスタッフはお客様の秘密を他者に漏らすような事は致しません。当然私も情報を漏洩するような真似は絶対にしません。お仕事柄不安に感じるかもしれませんが、この点に関してはご安心下さい! 墓場まで秘密は持って行きますので!」
自分はともかく会社のことは信用してもらいたい、そんな思いで秘密は守るとちょっとばかし強めに主張する。するとレックスは「墓場まで持ってってくれるんだ」と軽く笑った後に探るような目つきになった。
「でも、五島さん身内か仲良しに俺のファンいるでしょ? その人にも言わないでいられる?」
「えっ? ……どうして分かったんですか?」
「だって、五島さん俺の事を見た瞬間様付けして呼んだ割に俺に興味なさそうなんだもん。片付けてくれた物の中にファンだったら絶対に食いつくものとかあったけど、話題に上げないし、喋りたくてソワソワしてる様子もない」
思ってもみない鋭い指摘だった。予想外の洞察力の高さに月は軽い衝撃を受ける。
「ご明察です。その……母がファンなんです。それで、毎朝一緒に動画を見ているんですけど、その度に様付けで呼ぶので、つい口が……」
的確に事実を言い当てられて気まずく感じる一方、自分がガチのファンではないという事を認識して貰えたのは幸運だった。ファンじゃないのにファンだと思われてのはやはり気まずい。
レックスは母親がファンである事と毎朝二人で動画を見ている事に律義に礼を言った。そしてすぐに返事を待つ姿勢になる。月ははっとして口を開いた。
「勿論、YouTuberとしての松田様を推している母であっても、今日ここで作業したこと、見た事聞いた事は何一つ話しません。絶対に、です」
レックスの部屋で仕事をすることが分かった時点で千穂には何も話さないと心に決めていた。超が付くほどの大ファンだから少しばかり申し訳ない気持ちが無い事も無い。ただ、社会人として仕事のルールを破らないのは当然。それに加えて家事代行のプロとしても顧客の信用を失うような行為は絶対にしたくなかった。
何かを見極めているような眼差しを向けられる。顔面が整い過ぎていて長時間見返していると頭がクラクラしてきそうだった。けれども、信用を勝ち取るためには目を逸らすことは出来ない。コミュニケーションの基本は相手の目を見て話す事。だから、全身を無駄に力ませながらそれまで逸らしがちだった目を逸らさないように必死に耐えた。
数秒無言で見つめ合った後、レックスは徐にポケットからスマホを取り出して操作し始めた。月はにらめっこが終わった気分でほっと胸を撫で下ろす。しかし、直ぐに矢継ぎ早な質問攻撃が始まり、また落ち着かなくなった。
「家事代行って家主不在でもお仕事してくれるの?」
「合鍵を安全にお預かりするオプションがありますので、そちらをご利用頂けたら可能です」
「料理や食材の買い物もやって貰えるんだよね?」
「はい」
「因みに五島さんの得意料理は?」
「えっ? 和洋中なんでも作りますが……敢えて言うなら家庭料理が得意です」
「それは味噌汁とか肉じゃがとかハンバーグとか?」
「ええ、はい」
「最高。でも、五島さんって今日ここに選ばれて来たって事は人気のスタッフさんでしょ? 三時間を週二とかって来れるの?」
「えっ? えーと、現状のスケジュールなら恐らく今回と同じ水曜日の十五時からと土曜日の午前九時からなら入れます」
「水曜と土曜か……うん、鍵預かって貰えるなら問題ないね。最後にもう一度聞くけど、秘密は厳守、俺の事は周囲に口外しないってことは守れるね?」
「それは当然です!」
考える間もなく次々と質問をされ、それに答え続けた。
そうしてやっと質問が出なくなり、もう終わりかな――と思った瞬間、組んでいた腕を解いたレックスが両手でパチンと指鳴らしてこちらをピッと指差した。
「ムーちゃんに決めた!!」
「――――――はっ?」
もの凄く違和感のある言葉が聞こえた気がする。失礼だとは百も承知でも口から音が漏れることを抑え込む事が出来なかった。
――――今、この男は何と言った?
頭が現状を理解する前に、レックスは満面の笑みで話を進めだす。
「他人を家に上げるのって幾ら家事を代わりにやって貰うと言えど抵抗があったんだよね。けど、ムーちゃんなら安心して任せられそうだわ。よかったぁ。いい出会いがあって。来てもらう曜日と時間はさっき言ってた時間に合わせて貰って全然大丈夫。俺、不規則で不定期な生活してるからいつ家に居るか分からないし。あっ、でも合鍵の預かり方法だけはしっかり教えてくれる?」
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
月は手を前に突き出してレックスが喋るのを制止した。
「何?」
不思議そうに首を傾げるレックスに対して、月は数秒何を言うべきかあれこれと悩んだ末、家事代行のプロとして一番どうでもよいことを口にしていた。
「ムーちゃんって何ですか!?」
聞かずにはいられなかった。名刺の名前部分は見られないように細心の注意を払ったはずだった。レックスが部長達と部屋を移動する際に名刺をポケットにさり気なく入れる動作も実はしっかりチェックしている。にもかかわらず名前をもじったとしか思えない呼称が出てきた。まさかわざわざ名刺を見返したのか。
月は混乱した。というのも、名前にコンプレックスを感じるようになってから、何年も下の名前をもじったあだ名で呼ばれるような事はなかったのだ。正確に言えば呼ばせなかった。親しくなる手順の中でさりげなく相手に言わせないように働きかけてきたからだ。レックスはその手順を一足飛びしてきた。それにも驚いた。
「えっ、ダメ? 名刺を見た時に、呼ぶなら絶対ムーちゃんだって決めてたんだけど。あれっ? もしかして年上? ムーさん?」
「こっ今年で二十二歳ですけど、そ――――」
「おお、やっぱり年下だよね!若いのに凄いなって思ってたんだよ」
そういうことじゃなくて、と言おうとした声は綺麗さっぱり遮られてしまう。
「これから週二で会うんだから敬語抜いていい? 出来たら家の中でまで人に気を使いたくないんだよね。勿論嫌ならちゃんと丁寧に接するよ。つってももう勝手に砕けちゃってるけど」
「あのっ、敬語は気にならないんですけどっ――」
「そう? ならよかった! いやぁ実は今日さ、ベテランのおばさんが来ると思ってたんだよね。でも実際来たのはムーちゃんじゃん。正直若過ぎて最初はちゃんと出来るのかなぁって心配してたんだけど、結果を見れば大当たりだった。仕事が出来ても変な人だったら初回利用だけにしようって決めてたけど。ムーちゃんなら大歓迎!」
早口で言いたい事を言いたいだけ喋るレックスに頭がついていかない。家事代行のプロとして認めて貰えたという事と、今後も月に仕事を頼みたいと思っている事は漠然と理解はできた。それは純粋に嬉しい。しかし、いかんせん呼び方が気になってしょうがない。
人生で“ムーちゃん”などと呼ばれたのは幼稚園か小学校低学年のときくらいだ。自分の名前をしっかり認識されていると思うと背筋がゾッとしたが、レックスの全く悪気も含みもない様子にどう反応して良いか分からなくなる。
――――この人、私の名前を知って、どう思って“ムーちゃん”なんて呼んでるの?
大きな戸惑いに脳内が支配される。早く気持ちの整理をして落ち着くこうと試みるが、内心がとっ散らかりすぎて中々上手くいかない。
そうしている内にインターフォンの大きな音が室内に響き渡る。レックスはそれに応答して部屋のチェックをしに戻って来た部長達をエントランスから上がってくるように促してしまう。
「さてさて、ムーちゃんの時間を毎週六時間独占出来るように頑張って交渉しましょうかね」
悪戯な笑みを浮かべて部長を待ち構える姿勢になったレックス。
「あっ、あのっ、その呼び方っ――――」
やめてくれ、と言う前にレックスは無駄に色気のある動作で髪を掻き上げた。きっと本人にとってはただ髪が邪魔だっただけだろう。 なのに、ドラマのワンシーンを見ている気分になるから摩訶不思議だ。無駄に目を奪われる。
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