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第13話 寝ぼけているアルに心臓がドキドキ

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はじめに、第13話の後に第13.5話を投稿しているため、長いです。理由は後ほど。

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 一眠りすれば、私の魔力は完全に復活しました。しかし、この状況はどうすればいいのでしょう。
 確かに回復の陣がある部屋で眠ってはいました。目を覚ますと目の前にアルの顔があるではないですか。昨日は目を覚ますとアルの姿はありませんでしたので、この状況に困惑してしまいます。
 身動ぎして、起き上がろうと試みましたが、アルに抱きつかれているので、動けない状況です。

 取り敢えず、私の姿を元に戻しましょう。身体全体に魔力を巡らし、ヒトの姿になります。我々ガラクシアースの姿は、一族の者たち以外に見せないのが鉄則です。それは勿論、昨日の赤竜騎士の方のように、我々の姿は人々の心に恐怖を植え付けるのです。きっと、お母様は前回のときに色々あり、口に出すことを厭ったのでしょう。

 私が身動ぎをした所為か、アルの瞼が動き目を開けました。するとアルがふわりと微笑みを浮かべたのです。
 今まで見たことがない笑顔に、胸がドキリと高鳴ります。アルに表情筋があったのですか!

「シアがいる……」

 はい、居ますね。昨日は私の方が先に寝てしまいました。ですから、アルが私の側に眠ったのでしたら、必然的ですね。

 ……あの? 笑顔を浮かべたアルの顔が近づいてくるのですが……。

「チュッ」

 うきゃぁぁぁぁ!! キスされちゃいましたぁぁぁ! 心臓が飛び出そうなほどドキドキしています!

「シア。好きだ。大好きだ。食べてしまいたい」

 え? 私、食べられてしまうのですか? ガジガジ噛まれたのは、そういうことだったのですか!
 その言葉を聞いて高鳴っていた心臓が別の意味でドキドキしています。

「食べても美味しくないですよ」

 これは言っておかないといけません。するとアルは目を見開いて、いつもの無表情に戻りました。

「本物……」
「本物ですよ、アル様。おはようございます」

 寝ぼけていたのでしょう。ということは、あの笑顔は無意識だったのですか。

「……ちょっと待て、どこからが夢でどこからが現実だ?」

 アルは夢と現実の境目がどこからかが分からず、ボソボソと言っています。どんな夢を見ていたのでしょうか?

「アル様。私の魔力は回復しましたので、起きて食事をとって、地上に戻りましょう」

 アルが無意識でしたのなら、あの口づけのことは、ノーカウントでいきましょう。思い出しただけでも、顔が熱くなってドキドキしてしまいますから。
 私はアルに起きてさっさと、ダンジョンから出ようと提案します。外で何か問題が起きているとは思いませんが、冒険者ギルドに完了の報告と弟の速やかな回収をしなければなりません。
 ……あれ? ちょっと待ってください。とても重大な問題があることに、気がついてしまいました。

「シア。キスしていい?」
「ふあぁぁぁぁ!」

 突然のアルの言葉に先程の光景がフラッシュバックしてきました。
 え? これは“YES or No”の返答しか駄目なのでしょうか?私が答えられずに、視線をウロウロさせていると、アルは額に唇を落としてきました。

「シアは可愛いな。そうだな、言っていた予定より遅れてしまったから、さっさと戻ることにしよう」




 朝食をアルと二人向かい合って食べるのは、新鮮ですわね。いつもは弟のエルディオンと妹のクレアがその位置にいるのですから。

「美味しい。シアの作った料理が食べれるなんて、幸せだな」
「まぁ、アル様。私の作る料理など庶民の料理ですわ。ネフリティス侯爵家のシェフが作った料理の方が美味しいですわ」

 アルは美味しいと言ってくれます。私の作る料理は素材の味を生かした料理といえば聞こえがいいですが、調味料は高くて手が出せません。だから庭で育てているハーブで香りを足したり、臭みを消したりしているので、貴族が食べる料理というよりも庶民感が出てしまっています。

「そんなことはない。……そう言えば、ジークフリートもシアの手料理を食べたのか?」

 第二王子ですか?大抵は追い出していたので、お茶すらも出していませんわ。あとは、お母様に連れられて度胸だめしをされたときですか。

「私の手料理はありませんね。魔兎を第二王子に狩らせて、自分で捌かせて焚き火で焼かせるというのをお母様にさせられていました」
「なんか、楽しそうなことをしているな」

 何故、ここで不機嫌になるのでしょうか?それにこれは楽しいと言う話ではないですよ。

「楽しくはなかったですよ。一羽の魔兎を狩るのに失敗を繰り返す第二王子のために、周りにいる魔物の始末しなければなりませんでし、スノーウルフ如きでギャーギャーと騒ぐ第二王子の鳩尾を殴って黙らせましたし、余波でスノーウルフが第二王子の側を掠めて行ったぐらいで、殺されるとか騒ぎ立てるので、スノーウルフのリーダーに向けて投げつけてたりと、全く楽しめませんでしたよ」

 本当に魔兎一羽にどれほど手間取っているのかというほど、手間取っていましたね。逆に魔兎に反撃されるという始末。十三歳で魔兎に攻撃されるだなんて、あり得なかったですわ。

 それよりも、私は一つ確認しなければなりません。

「アル様。一つ確認したいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「なんだ?……はぁ、何故俺はシアと一緒に遊べなかったのだ」

 アルはボソボソと言っていますが、確かその頃はアルも十三歳でしたので、スペルビア学園の方に通っていたのだと思います。第二王子は授業をサボってお母様に弟子入りを申し込んできたのです。普通でしたら問題になることですが、問題に上がらなかったということは、全てがあの存在の手のひらの上で踊らされていたということでしょう。
 ああ、そうです。聞きたいことですよね。

「アル様。昨日言っていたことは……その……本当に遠出をするつもりなのでしょうか?」
「なんだ? もしかして、行きたくないのか?」

 アルが不安そうな声を出して聞いてきましたが、そういうことではありません。私は首を横に振ってアルの言葉を否定します。

「行きたくないということではなくてですね。問題は弟のエルディオンのことですわ。これ以上弟がお世話になるわけはまいりません。妹のクレアにお願いするべきなのですが、最近お茶会に積極的に参加していますので、妹の交友関係を阻害するのも気が引けてしまって、どうしたものかと、考え中なのです」

 我が家で一番の問題は父と弟のエルディオンです。弟のエルディオンの監視は私がお母様から任されていますので、何かあると怒られるのは私であり、弟の後始末をするのも私になるのです。

「シア。俺たちは家族になるんだ。気を使う必要はない。エルディオンのことはファスシオンに任せておけばいい。エルディオンの裏表がない性格をファスシオンはかなり気に入っている。気を使わなくていいと」

 貴族特有の心の内と言葉に出していることが違うというものですね。裏を読み解けという暗号のような言葉遊び。
 確かに弟のエルディオンは素直でいい子ですが、貴族社会ではそれが仇になってしまっています。

「でも…」
「シア。お祖父様がいいと言っているんだ。誰も文句を言う者はいない」

 確かに前ネフリティス侯爵様に文句を言う方は殆どいないでしょう。これはお言葉に甘えていいのでしょうか? 後でお母様に相談して、何かお礼を調達するべきですわね。

「わかりました。お言葉に甘えさせていただきますわ」

 そう、エルディオン自身がおかしな事を考えて行動を起こさないかぎりは、ネフリティス侯爵家でお世話になったほうがいいでしょう。

「さて、シア。そろそろ戻ろうか。今回シアに色々不安にさせてしまったからな。遠出はお詫びの意味もある。勿論、俺がシアとずっと一緒に居たいという理由の方が大きいが」

 アルはそう言って立ち上がり、私に手を差し出してきました。
 今回のことはアルが悪いのではなくて、全てあの存在が悪かったのです。その答えにたどり着くまで、モヤモヤとした感じを抱えていました。しかし、よくわからない存在が私達の理解できないことを繰り返しているということがわかっただけで、納得はできました。

 私はニコリと微笑みを浮かべて、アルに手を差し出します。
 二度とこの場所には来たくないと心に決めて立ち上がりました。あの存在に今度会ったときは実体でしょうから、一発殴ることも心に決めました。私にアルに対して不信感を抱かせた罪は大きいですわ。




 そして私とアルは二日掛けた道のりを数時間で駆け戻りました。途中で第二王子と赤竜騎士の人を追い抜かしたときに、後方から叫び声が聞こえましたが、そんなものは無視です。
 それよりも、第二王子に私の方が大声で言いたいです。やっぱりアルは普通に私に付いてきているではないですか! と。お母様に教えを請うておきながら、そのカスのような体力しか無いのは何故なのか! と。

 突然視界が広がり狭い空間から広い空間に出ました。白い外壁の神殿が横目で見ることができますから、入り口の場所まで戻ってこれたようです。

「おかえりなさいませ。アルフレッド様。フェリシア様」

 声がする方に視線を向けますと、馬車を背後に頭を下げている侍従コルトの姿がありました。

「遅くなってすまない。コルト」
「滅相もございません。私めはアルフレッド様の侍従でありますので、これも仕えるものの務めでございますゆえ。ご無事に戻ってこれらたお二人をお迎えするのが、私めの役目でございます」

 侍従コルトは頭を上げ、馬車の扉を開けてくれます。

「そう言ってくれると助かる。今回は予想外のことが多すぎた」

 アルは愚痴を言いながら、私に馬車に乗るように促し、定位置の私の横に腰を下ろしました。

「そうでございますか。ダンジョン探索は危険だとお聞きしますので、ご無事でよろしゅうございました」

 侍従コルトはそう言ってくれますが、今回のダンジョン探索は普通ではありませんでした。ダンジョンのランクで言えば、初心者でも攻略可能なチュートリアル仕様と言って良いダンジョンです。しかし、内容はとても濃いものでした。今でも理解できませんから。

 馬車がガタンと動きだしたことに私は慌てて侍従コルトに言います。

「コルト。先に冒険者ギルドに寄ってもらえないかしら? 依頼の完了だけはしておきたいですの」
「承知いたしました」

 帰りに冒険者ギルドに寄ってもらえるのなら、ありがたいですわ。再度赴くことをしなくていいですもの。

「それでしたら、フェリシア様、これをどうぞ」

 侍従コルトは折りたたまれた黒い布を私に差し出してきました。なんでしょう?

「これは?」
「認識阻害が施された外套でございます。『黒衣のアリシア』としては外套から認識されますが、その姿が曖昧に認識されるものでございます」

 魔術が施された外套ですか。それも認識阻害となれば、魔物の捕獲依頼とかに重宝します。このような外套は私では手を出すことができない高額商品です。その高額商品を何気ないように差し出してこないでください。受け取ってしまったではないですか。

「コルト。それはいい。デュナミス・オルグージョもシアにちょっかいを掛けなくなるだろう」

 アル。金ピカとは元から性格が合わないと言っているではないですか。
 アルは私が持っている折りたたまれた外套を取って、私が着ている外套の三つの金具を外していきます。

「アル様。着替えるのであれば、自分で着替えます」
「そう言うが、シアは高額な物は大事に取っておいて身につけないだろう?」

 私がアルの手を押さえれば、的を射る答えが返ってきました。確かに身につけるのが恐れ多くてつけられないです。

 私がアルの言葉に固まっている間に外套が外され、新たな外套がふわりと肩に掛けられました。
 まるでベールを掛けられたように軽く肌触りもいいです。しかし生地が薄くて頼り無いかといえば、そうではなく、雨風が防げそうなほどしっかりとしています。不思議な生地です。長さも膝丈ほどあり、カバーできる範囲が広がりました。実際に動いてみないとわかりませんが、外套に動きが阻害されないといいのですが。

「コルト。素晴らしい出来だ。シアの美しさは俺だけが知っていれば良い」

 アル。これは貴族の令嬢が冒険者をしていると色々問題になるので、侍従コルトが気を使ってくれただけで、私が美しいとかは全く関係ないですわ。


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この度は沢山の読者様に読んでいただきまして、ありがとうございます!
投稿3日目でお気に入り評価1000を超えて、とても驚いております。
そして、HOTランキング(女性)3位。……ここにいていいのだろうかという場所ですね。まぁ、落ちちゃいましたけどね。

お礼といたしまして、裏話のSSSをお納めください(。>﹏<。)
お気に入り評価ありがとうございます。感想ありがとうございます。

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第13.5話 先輩メイドと新人メイド


「はぁ」
「ため息なんてついてどうなさったのですか?」

 銀のティースプーンを磨いてため息を吐いている20歳程の女性に対して、その女性より若い15歳程の少女といっていい女性が、首を傾げて尋ねている。二人は同じ衣服を身にまとっていた。紺色の裾の長いワンピースに白いエプロンをつけた、いわゆるピナフォアというものだ。

「貴女はいいわね。ここに来てまだ一ヶ月で」

 年上の女性はどうやら、新人の教育を担当しているようだ。女性は後ろで一つに結っている、くすんだ金髪がはらりと顔にかかったのを鬱陶しいと耳にかけながら年下のあどけない表情をしている少女を見る。

「いいの……でしょうか?毎日覚える事がいっぱいで、大変です」

 少女は慣れないながらも、一生懸命に銀のティースプーンを見様見真似で拭いていた。この一ヶ月を先輩メイドたちについて回って、なんとか仕事をやっている感じなのだろう。

「本当に羨ましいわ。あのギルフォード様の婚約者の姫君に給仕しなくていいことが」
「姫君ですか? 確か公爵家のご令嬢だったはずです」

 新人メイドは首を傾げて、先輩メイドに尋ねる。

「姫君よ。わがまま姫君。お茶が不味いとか、お菓子が不味いとか、使用人の質が悪いとか。何かと理由をつけて文句を言ってくるよ」
「はあ」

 先輩メイドの日頃の鬱憤を吐露するような言い方に、新人メイドは若干引き気味だった。

「口だけならまだしも、手まで出してくるし!」
「悪口を言うのはおやめなさい」

 そこに白髪交じりのグレーの髪を後ろに撫でつけた初老の老人が立っていた。背筋を伸ばし、無駄口を叩いている二人のメイドに対して、厳しい視線を向けている。

「侍従コルト様!申し訳ございません」

 先輩メイドは突然現れた初老の男性に向かって頭を下げた。それにつられるように、新人メイドも頭を下げる。ただ新人メイドはこの人物が誰かは理解していないようだ。
 それはそうだろう。まだ一月。関わりがあるのはメイド長を始め、メイドとして配属されている女性たちと、出入りが許された下女下男が行動する範囲のみだ。未だに仕えている侯爵家の方々にお目にかかったこともない。
 次男のアルフレッドに仕えている侍従コルトとの接点など皆無だった。

「メリア。確か貴女は以前大旦那様のお屋敷に配属されていましたね」

 侍従コルトは先輩メイドに前ネフリティス侯爵が住まう別邸にいたことを確認した。

「はい。そうです」

 メリアと呼ばれた先輩メイドは、姿勢を正して返事をする。その後ろで新人メイドは自分はどうすればいいのかとオロオロとしていた。

「実はファスシオン様から持ってきて欲しい物があると言われたのです。しかし、私は今から出かけなければなりません。人手を割くと突然訪問されるカルディア公爵令嬢に対応できません。が、丁度貴女が新人教育で手が空いていると聞きましてね」

 新人教育している者が手が開いているとは言わないと思うが、先程も話題に上がっていた公爵令嬢がかなり、問題になっているらしい。

 何か不備があるとネフリティス侯爵家の品位を指摘され、その後も色々叱咤されるのだろう。それを避けるために、万全の体制を整えておかないとならない。

「これを別邸に持って行って欲しいのですよ」
「かしこまりました」

 先輩メイドは頭を下げて、侍従コルトの言葉に了承し、侍従コルトが差し出した箱をうやうやしく受け取る。先程、公爵令嬢に対して文句を言っていた同一人物は思えないほどだ。

「それから、その新人も一緒に連れて行きなさい。これも勉強です」
「はい」

 侍従コルトは言うべきことことを言って、背を向けて去って行く。すると先輩メイドは大きくため息を吐いた。

「はぁ。まさかコルト様から声を掛けていただくことがあるなんて……よっぽど急ぎだったの?」

 侍従コルトから受け取った箱を見ながら、先輩メイドは首を傾げた。渡された箱は両手に抱える程だが、それほど重くはないのだろう。

「あの……私もご一緒して本当にいいのでしょうか?」

 背後からの声に先輩メイドはハッとなり、振り向いた。お使いを頼まれたのは先輩メイドであり、新人メイドである自分はお荷物ではないのかと言いたいのだろう。

「あら?いいのよ?折角お使いを頼まれたのだから、帰りに寄り道してなにか、美味しいものを食べましょう。最近、ウィオラ・マンドスフリカ商会が変わった物を売り出したって聞いたから、それでもいいわね」

 先輩メイドはお使いの帰りに思いっきり寄り道をする気満々だ。

「あ、これだけは言っておかないといけないわね」

 先輩メイドは新人メイドに向かって、真剣な表情をして向き合った。その先輩メイドの態度に新人メイドは背筋を伸ばして、話を聞く姿勢になる。

「今から行く別邸には三男のファスシオン様とご友人のエルディオン様がいらっしゃるの。絶っっっっっっ対にお顔を直接みてはならないからね」

 先輩メイドはよくわならないことを言った。いや、貴族の方々に対して頭を下げることを忘れないように注意をしたのだろう。

「もう現実に存在しているとは思えないからね。私達下級貴族とは違う次元の方々だからね。直接見ると目が潰れるからね」

 違っていた。目が潰れるとは言い過ぎだろうが、容姿がいいと言っているのだった。
 先輩メイドは新人メイドに言い聞かせるように受けとった荷物を脇に置いて、両肩を掴んで言っているのだった。





「ここが前ネフリティス侯爵様のお住まいなのですか?」

 先輩メイドであるメリアに続いて、新人メイドが馬車を降りて辺りを見渡している。降ろされた場所は荷物の搬入や使用人が出入りをする勝手口の目の前だ。
 そこから見える建物は全貌が見えず、上を見上げれば四階建てということはわかるのだが、左右に視線を向ければ、どれほどの部屋数があるのだろうという窓枠が見える。

「タウンハウスと同じぐらいなのですか?」
「ここは前ネフリティス侯爵様が隠居するために買われた別邸だから、本邸より大きいわよ」

 以前この別邸に配属されていた先輩メイドのメリアが、懐かしそうに目を細めて言葉にした。

「メリアさんは何故この別邸を外されたのですか?」

 新人メイドの言い方だとメリアが何かミスでもして、ここを追い出されたように聞こえてしまう。そのことに思わずメリアは大声を出して言い返した。

「タウンハウスの人手が足りないから、移動になったのよ!」

 その心の内は、まだこの別邸で勤めたかったようにも聞こえてくる。

「あれ?君、見たことあるメイドさんだね」

 メリアが大声を出してしまったからか、誰かに聞かれてしまったらしい。
 二人が視線を向けると、まず白い色が目に入った。白髪の人物が二階の窓から顔を出しているのだ。ただ容姿は逆光になっており、よくわからない。
 しかし、その白髪を見てメリアは勢いよく頭を下げた。

「大声を出してしまい、申し訳ございません」

 まさか、聞かれていたとはという焦りよりも、この人物がメイド達のいる方を向いているのが問題だというふうに、視線を決して合わせないようにしている。

「そんなに謝らなくていいよ。あ! もしかしてファスシオン先輩の物を持って来てくれたのかな?」

 途中まで上から聞こえていた声が、ファスシオンの名が出た辺りで、メリアの直ぐ側から声が聞こえる。恐る恐るメリアが視線を向けると、隣に白髪の少年の姿があった。いつの間に一階に下りてメリアの隣にいたのだろう。

 白髪の少年は長髪を後ろで一つに結い、刺繍が施されたシャツにスラックスを身に着けた、気軽な服装の貴族の貴公子と言っていいが、その見た目でメリアは一歩少年から距離を取った。
 醜いというわけではない。近寄りがたいという意味だ。

 容姿は少女のように美人だと言っていい。それも少年から青年に変わろうしている中性的な印象を受ける。瞳は金色に輝いているように見え、一度見れば、視線を外し難いほど魅惑的だ。
 ただ、容姿が整いすぎて人離れしているという印象も受けてしまう。だから、メリアは一歩距離を取ってしまったのだ。

「ファスシオン先輩なら庭で剣術の稽古をしているから行ってみる?」

 白髪の少年の中ではメイドたちはファスシオンに用事があると決めつけている。いや、それに間違いはない。ただ、メイドとしてここで頷いてはならないのだ。
 だから、メリアはドキドキしている心臓を服の上から押さえながら頭を下げ、白髪の少年から視線を外した。そして、別の言葉を言おうと口を開いた瞬間、メリアではない声が辺りに響き渡った。

「行きたいです!」

 その言葉を発した者をメリアは何を言っているのかと言わんばかりに目を見開いて見る。

「リズ!おだまりなさい!」
「しかし、メリアさん。荷物は……」
「リズ!」

 メリアのあまりにもの強い口調にリズと呼ばれた新人メイドは押し黙ってしまう。

「でもー、あの侍従の人がファスシオン様に持って行くようにって」

 いや、違った。独り言のようにボソボソと話し、メリアに反発しているだの。
 そのリズの態度にメリアは顔を真っ青にさせて、白髪の少年と新人メイドの間に立ち入った。

「新人が失礼しました。私達は執事ラウム様に荷物をお渡ししなければなりません。ガラクシアース伯爵令息様のお心遣い感謝いたします」

 メイドとして預かった荷物は本人ではなく、その屋敷を取り仕切る執事の手に渡るようにし、執事の検分後にファスシオンの手に渡るようにするのが一通りの流れだ。
 そこを飛び越して依頼したファスシオンに手渡していいのは、ファスシオンの侍従ぐらいだろう。

「そうなんだね。それじゃ一緒にラウムさんのところに行こう。さっきまで一緒だったんだ」

 白髪の少年はニコニコと笑顔を浮かべて、メイドの二人に言った。この言葉にメリアの顔色は青色を通り越して、真っ白になっている。
 白髪の少年は疑問形ではなく『行こう』という言葉を使った。これではただのメイドであるメリアに拒否権はない。

「お……お願い……いたします」

 緊張で口の中がカラカラに乾ききっているメリアは何とか言葉を紡いだのだった。






「エルディオン様はスペルビア学園に通われているのですね」
「リズ!」

 新人メイドは白髪の少年の後ろに付き従いながら、話しかけている。その横では先輩メイドのメリアがリズの名を呼んだ。

「うん。そうだよ。今はちょっと事情があって、前ネフリティス侯爵様のお屋敷でお世話になっているんだ」

 白髪の少年はにこにこと笑みを浮かべて、メイドである者の言葉に答えていた。

「私、学園ってどういうところかわからないのですが、楽しいところですか?」
「リズ‼」

 メリアに名を呼ばれ、止めるように促されているのにも関わらず、新人メイドのリズは、関係ないと言わんばかりに白髪の少年に声を掛ける。

「うん。楽しいよ。学園でも階級に厳しいと聞いていたけど、みんなはそんなこと関係ないって伯爵令息でしかない僕に話かけてくれるんだ」

 実際にはスペルビア学園は貴族社会の縮図のようなところである。それも高位貴族の男子ばかりを集めた学園だ。その中で一番貴族位が低いのは伯爵令息となるが、一番人数が多いのも伯爵令息である。
 白髪の少年はその伯爵令息たちのことを言っているわけではなく、自分より階級の高い令息たちのことを言っているのだ。

「どのようなお話をされているのか、興味あります!」
「いい加減にしなさいリズ!」

 身分をわきまえるどころか、己の立場をわきまえない新人メイドに対して先輩メイドであるメリアは睨みつけながら言葉にする。
 しかし、その言葉に白髪の少年が振り返った。

「ただお話しているだけだから、怒ることはないよ。ただ無言でラウムさんのところに向かっていても、楽しくないよね」

 白髪の少年はピリピリと怒ってるメリアに向けてふわり笑みを浮かべた。その笑みに思わずメリアが赤面する。可愛いと美麗が入り混じった白髪の少年の姿に押し黙った。

「うーん。そうだね。僕は剣術の授業は免除されているのだけど『貧乏で剣が買えないのなら買ってあげよう』って剣を持参していない僕の心配してくれたりとか『怪我するのが怖いんだね』って僕のことを心配してくれたり、みんな優しい言葉をかけてくれるんだ」

 白髪の少年は優しい言葉をかけてくれると言っているが、これは少年が剣術の授業を免除されていることへの嫌味だと思われる。剣を買うことが出来ない貧乏貴族が何故学園にいるのかと、見た目だけいい少年に何の価値があるのかと。

「え? 優しい?」

 新人メイドであるリズも少年の認識がおかしいことに気がついた。言われた言葉の中には悪意を感じると。

「エルディオン様! それは馬鹿にされています!」
「そうなのかなぁ? でも、僕が剣を持っていないことも、剣術の授業が免除されているのも本当のことだからね」

 リズに指摘されても白髪の少年は馬鹿にされているとは思わないらしい。言われたことは事実だと。

「それで、前ネフリティス侯爵様のお屋敷に避難されているのですね!」
「ん? 避難?」
「だって、ここで何日もお世話になっているのですよね!」
「そうだね」
「ここで働いているわけでもなく、前ネフリティス侯爵様のご厚意で滞在されているのですよね」
「……」
「これはファスシオン様と一緒に剣術を習って見返すべきです!」

 新人メイドのリズは使用人としての立場を越え、高位貴族のあり方に意見した。このことに先輩メイドのメリアの顔色は真っ青だ。

 そして、白髪の少年と言えば新人メイドの言葉に浮かべていた笑顔が消え去り、眉間にシワを寄せて難しい顔をしている。

「申し訳ございません。これは私どもの教育不足です。叱咤は私が代わりに受けます」

 先輩メイドのメリアはまだ教育期間中の新人メイドの代わりに、少年の怒りを我が身で受けると言葉にし頭を下げた。
 しかし、使用人と話をする許可をしたのは少年の方だ。少年も悪いと言えるが、貴族社会は身分が全てだ。
 伯爵家の嫡男である白髪の少年に他家の使用人が口出すことはあってはならない。

「何があったのですか」

 客人である白髪の少年が難しい顔をして、使用人であるメイドが頭を下げ、年若いメイドがオロオロとしている状況を見れば誰しも何かがあったと思うだろう。

「執事ラウム様」

 先輩メイドのメリアが声を掛けてきた人物を見て名を呼んだ。

「おや、メリアではないですか」

 この前ネフリティス侯爵が住まう別邸に勤めていたとはいえ、いちメイドの名を覚えているのは流石屋敷を取り仕切る執事ということなのだろう。
 黒髪に片眼鏡をつけた壮年の男性が、少年が行こうとしていた進行方向から向かってくる。執事ラウムの執事服をビシッと着こなし、長身で姿勢良く歩く姿に気圧されたのか、新人メイドのリズは先輩メイドの背に隠れてしまった。

「申し訳ございません。新人の教育不足により、ガラクシアース伯爵令息様をご不快にさせてしまったようです」

 白髪の少年は不快だというよりも、何かを考え込んでる状態に見えるが、新人メイドのリズの言葉がきっかけであったことは確かだ。

「それから侍従コルト様より、こちらをファスシオン様に渡す様に言われて持ってまいりました」
「父う……侍従コルトからですか。ファスシオン様からは何も聞いていませんので、侍従コルトの心遣いでしょう」

 執事ラウムは立場上、下の立場である侍従コルトからの物に首を傾げたものの、侍従コルトの意図を直ぐに汲み取った。流石親子というものなのだろう。

「きっとエルディオン様のお心を満たすものだと思います。お部屋に戻って一緒に見てみましょう」

 そう言って執事ラウムは白髪の少年に部屋に戻るように促した。

「メリア。詳細は戻ってから文書で送って来なさい」
「かしこまりました」

 普通であれば、屋敷を取り仕切る執事が客人の相手をすることはないのだが、白髪の少年はそれほどの重要人物なのだろう。執事ラウムは事の詳細は後ほど書面で提出するようにだけいい、メイド二人に背を向けて去っていった。

 そしてメリアは大きくため息を吐く。侍従コルトは勉強の為に行くように言われたときは、メリア自身ただ行って戻ってくるだけでは何も勉強にはならないだろうと、高をくくっていたのだ。

 しかし実際は同じ年頃の少年に親しげに話す新人メイドにヒヤヒヤさせられた。これが白髪の少年でなければ、キツイ言葉を投げられるどころか、手を出されていても文句が言えない状況だったのだ。

 長兄ギルフォードの婚約者である公爵令嬢に手を取られて、新人教育にそこまで手が回っていなかった自分たちの落ち度を、侍従コルトに指摘されてしまったということだ。

 メリアは、流石長年前ネフリティス侯爵様の執事を勤めていた者だと、額に汗を滲ませるのだった。

______________

読んでいただきましてありがとうございました。
その内本編でSSSの話が裏話として出てきます。
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