鬼の国で花が散る

紫草 友紀子

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第五章 光秀

第三十二話 闇の中

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 暗闇の中、自分が目を閉じているというのが勝隆には分かった。暗黒の中のさらにその中に、自分はいるのだ。しかし、どうして自分がそんなところにいるのかは分からない。
 それどころか気にもならない。今はただ、この闇の中に溶けてしまいたいという気持ちが漠然とあった。闇はとてつもなく心地よいような気がするのだ。だがしばらくして、それは正しい表現ではないと思った。この闇が心地ようのではなく、闇は自分の不快のものを隠し、取り去ってくれる力があるのだ。
 今自分の周りには、多くの感情が渦巻いていることが、勝隆にも分かっていた。それは今まで自覚してはいなかった無数の波で、周りと胸の中を巡っている。ああ、自分にもこのように熱く、或いは暗い感情があったのだと勝隆は思った。しかし驚いているというわけでもない。けれども頭で理解は出来ても、自分の事のようには思えなかった。その数多の感情に向き合うことは途方もなく面倒で苦しいことなのだと分かっていたのだ。

「勝隆、俺たちを導いてくれ。見捨てないでくれ。平家の世を再び築くんだ」

 三郎の声だった。視覚で確認したわけではないが、懐かしい乳兄弟の姿が浮かぶ。
 煩わしい。
 勝隆はふと気がついた。きっと村に帰れば三郎のような者は多く、自分を担ごうとしてくる。村の若い連中、特に今までの生活を平家再興の夢を見ることで乗り越えてきた者たちは、きっとあのままではいられない。長である勝盛を無視して、次の棟梁たる自分に寄ってくることは明白だった。長宗我部で起こった事件は、そのまま平家の一族にも起こりうることだった。
 さらに勝隆は気がついた。祖父は剣とともに、その事も恐れていたのだ。神剣は村の人々の拠り所となり、存在すれば人々を縛る呪いとなる。それは平家の御曹司である勝隆も同じなのだ。だから、祖父は自分に剣を託した。
 手始めに土佐へと旅をさせ、いずれは村から出ることを命じられたのかも知れない。そうでなけば、勝盛の立場としては勝隆を殺さなくてはならなかったのだ。だから、自分には「盛」という平家の通字に、なかなか名を変えさせなかったのだろうか。
 以前は分からなかった心の動きが、勝隆には少し分かるようになっていた。だがかつてあった平家や村への思いは、今ではすっかり霞んでしまっている。白と出会い、綾姫と出会い、村の外の世の中というものを知ったせいもある。
 平家の再興、それが一体何だというのだろう。太古の昔から、世は移り変わる。その中で権力の移動は当たり前のことだ。確かに平家は、長らく君臨していた公家から武家へと権力移動の礎を築いた。この国の王者となった。しかし、それが源氏という一族に移り、北条に移った。それだけのことだ。もし出世を果たしたいのなら、平家という旗の下ではなく自分が手柄を立てて成り上がればいいのだ。
 第一、自分に何が出来るというのだろう。

「勝隆、ほらあんた自分が何をしたいのか、考えなさいよ」

 白の声だ。人の姿ではなく、大きな白狐の姿が浮かんだ。前足で顔を掻いたりしていて、暢気なものである。白は何でも知っていて、人智を越えた力もある。多くのことを教わった。彼女に出会えたことはきっと幸運なのだろう。しかし、常に問いかけてくる白の存在は、重たい。自分が何をしたいのか、何者かなどということは、きっと彼女にさえ会わなければ一生考えることもなく、悩むこともなかっただろうに。
 その考えの果てに何があるのか、勝隆には何も分からない。
 次に浮かんだのは綾姫の顔だった。ただし、声が聞こえてこない。顔だけがぼんやりと浮かんできた。彼女は、自分に何かを求めたり、指導したりすることはなかった。しかし、とても歯がゆい存在だった。綾姫は一体どんな食べ物が好きなのか、どんな色が好きで、どんな花が好きなのか。そしてどんな相手に好意を抱くのだろう。
 綾姫はどうして元親と呼ばれていたのか。何故あの日、男の格好をしていたのか。あの城でどんな風に生まれ、どんな風に育ってきたのか。勝隆は無性に気になかった。しかし、全てをただ自分の満足のために聞くことは出来ない。答えを知っても、それで相手が気分を害してしまっては、元も子もないのだ。綾姫は、自分とは別の人間なのだ。その全ても、ある意味で煩わしかった。
 自分に影響を与える全てのものを遮断し、縁を絶ちきりたいという気持ちが靄のように勝隆にまとわりついた。いっそ、その靄に身を委ねて、靄の中に溶け込みたい。きっとそうすればもう煩わしい一切のことが無くなるのだ。けれども頭の何処かでそれはもう、取り返しのつかない、ここへは戻れなくなる事なのだと理解している自分がいた。
 しかしそれが悪いことなのか、という考えが浮かび、次第にそれでも良いかも知れないという方に傾いていった。
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