あの雨のように

浅村 英字

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七時間目

変化

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 いつぶりだろう、懐かしい天井が一番に視界に入った。

「やあ、起きたかい。久しぶりの病室はどう?」

「お久しぶりです、幸坂先生」

 懐かしい病院にいたのは、この病院の院長にして、俺の担当医『幸坂 雄一』先生。俺はベッドを起こし、力を抜く。

「だから、僕にも友だちを紹介しろと言っただろう?言わんこっちゃない」

「すいません」

 彼も横の椅子に座り、俺に再度忠告を始める。

「まぁ、今回は偶然女子が近くを通ってくれたから早期発見してもらったから助かったものの。近くに居なかったらと思うとゾッとするよ」

 俺は顔が上がらない。でも、少し疑問に思ったことがある。かすかに残る記憶の中、助けてくれた二人の女子は誰なのか。

「誰だったんですか?助けてくれたの」

「あぁ、確か・・・。二人とも一年生だね、『朝倉 優里奈』さんと『結城 咲楽』さん」

 なるほど、ものすごい確率だな。まさかの『朝倉 優里奈』が助けてくれるとは思ってもみなかった。

「そうですか、分かりました。ありがとうございます」

「気にならないのかい?どれぐらい寝てたのか」

 時期が違えば、どれぐらいの期間寝ていたかなんて、分かるわけなかっただろう。

「ざっと一週間とかじゃないですか?」

「おぉ、すごいね。何一つ情報ないのに」

 別に。病室という小さな箱の中からの情報だけで、ある程度の事は推測できる。

「別にそこまで少なくないですよ。梅雨の時期にきれいな青空、梅雨も終わった感じでしょ」

「いやいや、梅雨の中でも晴れる時はあるじゃない」

「このにもヒントはあるじゃないですか。蝉の音が聞こえますし、エアコンがかなり冷たい風を出しているようですよ。梅雨が明けて気温が一気に上がったんじゃないんですか?」

「いやはや、こんな狭い部屋だけで自分の寝る時期を当てるなんてすごいね」

 俺は、そこまですごい気がしない。別に誰であろうとこれだけの情報があれば大体は予測できる。

「そこまでじゃないですか。それより、経過観察されたんじゃないんですか?」

「経過は依然と変わらないよ。そこまで悪化はしていない、薬のおかげだね」

「そうですか。僕の携帯取ってもらえますか?」

 先生からもらった携帯を使って、三人に声をかける。

『迷惑かけた。今起きた』
『先生に聞いた。ありがとう、おかげで助かった』

 軽い報告を男子二人にして、お礼を含めたものを今回、俺を最も助けてくれた人に送る。まったく便利な世の中になったものだよ。

「もうお礼は済んだのかい?」

「はい。こんな短時間で会わなくてもお礼が言えるなんて素敵な時代ですね」

「そうだね・・・。にしても辰矢くん、君は相変わらずおじさんみたいなことを言うね」

 俺は人生の半分以上をこういう空間で過ごしてきたから、狭い空間にどこか落ち着きが生まれている。そして、牢獄にも思えるこの場所は、時間を加速させているようにも思えた。だから、俺は十代でおじさんみたいなことを言うのかもしれない。
 診察も無事に終わり、先生は俺の病室から姿を消した。そして、携帯を手にして言われたことを思い出していた。

か。確かに狭いな」

 携帯もどこかこの病室のように見えた。この病室から聞いたことあるような人を探す。確か、名前は『結城 咲楽』とか言ってたっけ。

「・・・どうやって知らない人を探すんだ」

 最近ワボを使い始めた俺は、この中の世界を全く知らない。蒼午が言うには、苗字か名前をモジるって言ってたな。ってことは・・・。

「あった。『Bloen』って」

 おおよそ、『咲く』と『楽しい』の二つを合わせたのだろう。『ブルーン』か『ブローン』なのかどっちなのだろう。何とも言えない。でもさすがに、いきなり話しかけて『助けてくれてありがとう』なんて言えるわけがない。

「朝倉に紹介してもらってからが妥当か」

『そっか。助かってよかったよ』

『悪いんだけど、君と一緒に俺を助けてくれた子、教えてくれん?お礼言いたい』

『いいよ!BloenってIDだよ』

 すぐに返事が来たから時計を見ると、既にお昼時になっていた。

「稲垣さん。お昼ご飯ですよ~」

 運ばれてきたお盆にあったのは、コロッケ定食の形をとった汚物ごはんだった。

「懐かしいですね。ありがとうございます」

 とりあえず、テーブルに置いてもらって、俺はその汚物ごはんを目にする。この汚物ごはんを少し視界に入れて、携帯の世界に戻る。

「また来ますね」

「はーい。お願いします」

『今日行ってもいい?』

 お昼時ということで、返事が最初に帰ってきたのはやはり優真だった。正直、やはり明日薫より優真の方が信頼はしている。面倒なことに明日薫は巻き込みやすいしな、他にもサンドされてるし。

『部活後に時間あったらでいいよ』

『今日はちょうどオフの日だから行くよ』

 こうやって、すぐに来てくれる彼のこういうところが、俺は誰より信頼できる所以だろう。

『分かった。待ってるわ』

 俺は、信頼してる人が今日来るということで、汚物ごはんをなるべく早く食べて、看護師の人がお盆を取りに来た時に幸坂先生を呼んでもらう。

「何かあったのかい?」

「言ったじゃないですか、友だちを紹介しろって。今日来るらしいですよ。部活ないらしいので学校終わったら割と早めに来ると思いますよ。そういうやつなので」

 先生は俺の見たことない種類の笑みを浮かべ、午後の予定を組みなおし始めた。

「へぇ、その人はどんな人なの?」

「親友です。今の学校でも一番迷惑をかけているのに、心優しく受け入れてくれる大事な奴ですよ」

「そっかそっか。君からそんなことが聞けるなんて本当に嬉しいよ」

 先生は俺のことをどんな風に思っていたのだろう。

『えっ!?どゆこと!?』

 明日薫からの返信が疑問だらけだったから、彼にこういう言葉を使うのが初めてだと気づいた。俺は優真の時のように、何があったか詳細は言わずに、簡単に内容と結果だけを伝える。

『マジ!?面会時間何時まで?』

 彼も俺のことを心配して駆けつけてくれる友人なのかと思うと、安心して涙が出そうになる。

『八時まで』

『そっか。それは今日は行けんな』

『無理しなくていいよ。部活ない日にでも見舞いに来てよ』

『どれぐらい入院するん?』

 そう言えば、恒例の発作から悪影響が出始めての入院ではなく、階段から落ちて頭を打ったのが原因ともいえる今回は、一体あとどれぐらい入院する必要があるのか、俺も知らない。

「あの、俺ってあとどれくらい入院するんですか?」

「あぁ、そう言えばそっちは言ってなかったね。とりあえず、明日から一通り検査をしてみて、その結果次第ではあるけど・・・、大体一週間前後って感じかな」

『一週間前後だって』

『分かった。週末行くよ』

 週末か、その日に先生に合わせる必要もそこまでないだろう。できる限り大勢教えてと言われたわけじゃないんだし。

「起きてそんなに時間経ってないけど、体調に変化とかあるかい?」

「いえ、今のところ何も変化はありません」

「そうか、ならよかった。お母さんに連絡したら今日来るって言ってたからもうしばらくしたら来ると思うよ」

 必要なものを連絡させてもらえなかったけど、入院慣れしている俺に必要なものなんてたかが知れてる。そう思っていると、先生が退室し、代わりに母親が俺の病室に入ってきた。

「辰矢、ようやく目が覚めたのね」

「うん。ごめんね、毎回迷惑ばっかりかけて」

 母親の手には着替えと荷物が下がっていた。

「いいのよ。あなたを産んだのは私たちなんだから」

 あくまでも、子の失態は親の責任というのを解く気がないのだろう。まあ、未成年である今の俺には、それを避ける手はないのだが。直後頭の中にある手段が頭をよぎった。だが、その手を使うのは微妙な気がする。まだピースもそろってないし、使う度胸があるわけでもない。
 母親から受け取ったのは父からもらったタブレットに、俺の部屋に埋もれていたパソコンをテーブルに乗せると、思いついた手段が可能なのかを調べ始めた。

「リンゴか何か剥こうか?」

「うん、ありがとう。お願い」

 母が隣でリンゴを剥いている間に、情報収集を終了し、自分の病気について調べ始めた。

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

 パソコンをいじって時間をつぶしていると、母はいつの間にか帰宅し、優真が病室に向かっていた。

『病室どこ?』

『七〇八号室』

「すまん、ちょうど見つけた」

 病室の扉がちょうど開き、優真が部屋に入ってきた。無意味に送られた自分の病室が、どこか俺と似てるように思えた。

「大丈夫。あ、そうだ。ちょっと相談があるんだけど」

 俺だったら、なんと言われても他人の秘密を聞かされるのなんてごめんだが。優真は俺の最後の秘密を受け入れてくれるだろうか、声が落ちるのが分かる。

「何。病状に何かあったのか?」

 それであれば、俺の中で勝手に完結してこの地から去っていただろう。でも、今の俺はそこまで悪いわけじゃない。

「実は、先生から友だちを紹介しろつて言われてるんだよ。カバーしてくれる人を知っておきたいし、何かあった時に先生も頼りたいんだと」

 口にした瞬間、優真の顔が何も無くなっていくように感じた。後悔した。例え、だとしても、最後の扉の先を見るのは、早かったのかもしれない。

「いや別に、優真が断るなら別の人を紹介するから気にしなくていいよ」

 俺の言葉の後、さらに暗くなった気がする。の考えを未だに理解することはできないらしい。

「いや!俺がいい!」

「お、おう。なら良かった」

「他にいるの?」

「紹介する人?・・・いや、いないけど」

「なら、尚更。俺がいい!」

 明るくなっていく親友の顔を見ていると、やっぱり彼で良かった、と心の中が晴れていく気がした。
 俺は幸坂先生を呼び、優真を紹介していく。すると、二人は病室をそろって後にする。俺に言えないことを話すためと考えると、それほど重症なのかと、ため息が出る。

「辰矢、卯佐美の事だけど」

「明日薫がどうかした?」

 ちょっと怖くなった。の話をするところで良いイメージを持てない。

「あいつと関わり始めてなんだか変わってきてないか?」

「変わった?そうか?」

「あぁ、林間学校の時も二人で学年トップの成績出したし、期末じゃ全テストでほぼ満点。そんな風に過ごすって聞いてないぞ?」

 明日薫は知っているけど、優真は知らない別のジャンルに位置する俺の秘密。彼はそのかけたピースがあるから、過程が変わり、原因が大きく外れたものを出したのだろう。

「あそっか、優真は知らないんだよな」

「何が?」

「俺さ、好きな人出来たんだよ」

「・・・・・・は?」

 沈黙が風の音を大きくした気がした。

「だから、好きな人が出来たの。その人によく思って貰えるように、少しだけ本気を出したってこと」
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